ドイツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- ドイツ連邦共和国
- Bundesrepublik Deutschland
-
(国旗) (国章) - 国の標語 : Einigkeit und Recht und Freiheit
(ドイツ語: 統一と正義と自由) - 国歌 : ドイツ国歌
-
公用語 ドイツ語¹ 首都 ベルリン
北緯 52度30分
東経 13度22分最大の都市 ミュンヘン 形成
統一(ドイツ帝国)
連邦共和国成立
東西統一843年
1871年
1949年5月23日
1990年10月3日通貨 ユーロ ² (EUR, €)
※ドイツのユーロ硬貨(EUR)時間帯 UTC +1(DST: +2 UTC) ccTLD DE 国際電話番号 49 - 注1: デンマーク語、ソルブ語は公認され、少数言語として保護されている。低ザクセン語は欧州連合により保護されている。
注2: 1999年以前はドイツマルクを使用。
ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、独:Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツは、ヨーロッパ中部にある連邦制の共和国である。首都ベルリン。北はデンマーク、東はポーランド、チェコ、南はオーストリア、スイス、西はフランス、ルクセンブルク、ベルギー、オランダと国境を接する。また、北部は、北西側が北海、北東側はバルト海に面する。
領域は1990年のドイツ再統一によって、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)を構成していた15県および東ベルリンが6州としてドイツ連邦共和国に編入されて、現在の16州となった。アメリカ合衆国、日本に次いで世界第3位(為替レート換算値による)のGDPを誇る経済大国であり、世界の先進7ヶ国(G7)の一つ。フランスと並ぶ欧州連合 (EU) の中核国でもある。
目次 |
[編集] 国名
ドイツ語での正式名称は、Bundesrepublik Deutschland (ブンデスレプブリーク・ドイチュラント)。通称は、Deutschland。略称は、BRD(ベーエルデー)。Bundesは「連邦」の意、Republikは「共和国」の意である。Deutschの原義は「民衆、大衆」という意味で、フランク王国時代にラテン語系の言語ではなく、ゲルマン語系の語を用いるゲルマン人系一般大衆をこう呼んだことに由来する。
公式の英語表記はFederal Republic of Germany。通称はGermany。略称はFRG。Germanyは民族名の「ゲルマン」から来ている。 日本語表記はドイツ連邦共和国。通称はドイツ。独逸、獨乙などと表記され、独(獨)と略される。中国語では徳意思、徳国であり、日本にも独の字を忌避して徳国と表記する人がいる。「ドイツ」は原語(ドイチュラント)、若しくはオランダ語の「Duits」が起源だといわれている。 フランスやスペイン、ポルトガルではそれぞれアルマーニュ(Allemagne)、アレマニア(Alemania)、アレマーニャ(Alemanha)と呼ばれるが、これはゲルマン人の一派であるアレマン人に由来する。
[編集] 歴史
詳細はドイツの歴史を参照
現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは石器などが発見された地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。
紀元前58年から51年までのガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征などを経てゲルマン人は傭兵や農民としてローマ帝国に溶け込んで行き、紀元後375年には西ゴート族の移動を初めとする大移動によって現在のヨーロッパに定着する。西ローマ帝国の滅亡後、ケルト系民族を北方に追いやったゲルマン人は各地に王国を建てたが、フランク王国が統一した。843年のヴェルダン条約によって三分割されたうちの1つである東フランク王国が現在のドイツの原型となった。
東フランク王国の国王オットー1世は962年アウグストゥス(古代ローマ帝国皇帝の称号)を得て、いわゆる神聖ローマ帝国と呼ばれるゆるやかな連合体を形成した。しかし中世におけるドイツには国家としての統一や民族意識はほとんどなく、各地に領邦国家が分立した歴史は現在に続く連邦主義の基盤となっている。各領邦は近隣諸国に比べて弱体で、また宗教改革では新旧両教に分かれて互いに争ったため三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊された。1600万人いたドイツの人口が戦火によって600万人に減少したと言われる。
北部の領邦君主ホーエンツォレルン家は17世紀半ばから勢力を拡大し、1701年にはプロイセン王国を形成した。ドイツ人はナポレオンによる侵略を経て民族意識と統一国家への志向を強め、19世紀前半にはプロイセンに主導的な役割を期待する機運が高まった。1806年まで神聖ローマ皇帝位を世襲していた「大ドイツ主義」派のオーストリアのハプスブルク家は、「小ドイツ主義」派のホーエンツォレルン家とドイツ統一の役割を争ったが、1871年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世の戴冠によってドイツは、ドイツ系オーストリアを除く、小ドイツとしてのドイツ国(ドイツ帝国)として統一され、ベルリンを首都とした。
1918年、第一次世界大戦の敗北によってドイツは共和制に移行したが、ヴァイマル共和政は小党乱立により政局は不安定で、驚異的なインフレなど経て1931年には、アドルフ・ヒトラーの指導下で極右的民族主義やユダヤ人の排斥、再軍備を唱える国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)が選挙で国民からの支持を受け1933年に政権を握ると、ナチス・ドイツとなり、軍事力の増強や周辺諸国の併合などを行った。1939年9月に緊張関係にあった隣国ポーランドを攻略し、第二次世界大戦が始まった。
1945年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンやシュレジェン地域を領土として完全に喪失。さらにはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領され、1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)とベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂した。冷戦の時代を通じて東西ドイツは資本主義と共産主義が対立する最前線となったが、1989年ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊し、翌1990年、再統一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以降、旧東ベルリンを中心とするベルリンの再開発・インフラ整備と、ボンからベルリンへの連邦政府機関移転による実質的な首都機能移転が順次進められ、2001年5月2日にベルリンへの首都機能移転が完了した。
ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東西の経済格差がそれまでの順調な成長を妨げている。一方で、歴史的に統一されたドイツが周辺諸国に対して脅威となってきた問題を懸念する見方もあるが、反対に米ソによってドイツが冷戦後の強国の一つになることを容認されたとの分析もある。実際、統一ドイツはフランスと共に欧州連合の中核国として発言力を増し続けている。
[編集] 政治
詳細はドイツの政治を参照
国家元首は、連邦大統領で、その権能は儀礼的なものに限られる。任期5年で、ドイツ連邦議会(下院)の全議員と各州議会代表の選挙人とで構成される連邦会議において選出される。ドイツ連邦議会の解散権は連邦大統領にある。
行政府の長である連邦首相は、任期4年で、大統領の提案を受け連邦議会で選出され、下院の信任を必要とする議院内閣制を採用する。内閣の閣僚は、首相の指名に基づき、大統領が任命する。
議会は両院制。国民の直接選挙で選出される連邦議会と、上院に相当する州政府の代表の連邦参議院とで構成される。下院は、603議席(ただし小選挙区比例代表併用制の関係で超過議席(en)が出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わる)で任期4年。上院は、69議席で各州政府が任命する。
[編集] 州
詳細はドイツの地方行政区分を参照
ドイツには16の連邦州がある。ベルリンとハンブルクは都市州と呼ばれ、各々単独で連邦州を形成する。ブレーメンとブレーマーハーフェンも合わせて都市州となる。
名称 | 人口(人) | 州都/主府/本部 | 備考 |
---|---|---|---|
バーデン=ヴュルテンベルク州 Baden-Württemberg |
10,717,419 | シュトゥットガルト Stuttgart |
■15 |
バイエルン自由州 Freistaat Bayern |
12,443,893 | ミュンヘン München |
■16 |
ベルリン Berlin |
3,387,828 | ■6 | |
ブランデンブルク州 Brandenburg |
2,567,704 | ポツダム Potsdam |
■7 |
自由ハンザ都市ブレーメン Freie Hansestadt Bremen |
663,213 | ブレーメン Bremen |
■4 |
自由ハンザ都市ハンブルク Freie und Hansestadt Hamburg |
1,734,830 | ■3 | |
ヘッセン州 Hessen |
6,097,765 | ヴィースバーデン Wiesbaden |
■12 |
メクレンブルク=フォアポンメルン州 Mecklenburg-Vorpommern |
1,719,653 | シュヴェリン Schwerin |
■2 |
ニーダーザクセン州 Niedersachsen |
8,000,909 | ハノーファー Hannover |
■5 |
ノルトライン=ヴェストファーレン州 Nordrhein-Westfalen |
18,075,352 | デュッセルドルフ Düsseldorf |
■9 |
ラインラント=プファルツ州 Rheinland-Pfalz |
4,061,105 | マインツ Mainz |
■13 |
ザールラント州 Saarland |
1,056,417 | ザールブリュッケン Saarbrücken |
■14 |
ザクセン自由州 Freistaat Sachsen |
4,296,284 | ドレスデン Dresden |
■11 |
ザクセン=アンハルト州 Sachsen-Anhalt |
2,494,437 | マクデブルク Magdeburg |
■8 |
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 Schleswig-Holstein |
2,828,760 | キール Kiel |
■1 |
テューリンゲン自由州 Freistaat Thüringen |
2,355,280 | エアフルト Erfurt |
■10 |
[編集] 主要都市
ドイツは地方分権の歴史が長いため、ロンドンやパリ、東京の様な首都への一極集中はしていない。
都市 | 州 | 人口 | |
---|---|---|---|
1 | ベルリン | 3,404,037 | |
2 | ハンブルク | 1,754,182 | |
3 | ミュンヘン | バイエルン州 | 1,294,608 |
4 | ケルン | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 989,766 |
5 | フランクフルト | ヘッセン州 | 652,610 |
6 | シュトゥットガルト | バーデン=ヴュルテンベルク州 | 593,923 |
7 | ドルトムント | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 587,624 |
8 | エッセン | 583,198 | |
9 | デュッセルドルフ | 577,505 | |
10 | ブレーメン | ブレーメン州 | 547,934 |
- 人口は2006年のもの
[編集] 地理
ドイツにおける火山活動は先カンブリア代に収束している。先カンブリア代末から始まったカレドニア変動や、後期古生代におこったバリスカン(ヘルシニアン)変動はいずれも主要活動帯がドイツを横切っているものの、地表には痕跡が残っていない。バリスカン変動は2000kmにおよぶ規模の大陸間の変動であった。
現在のドイツの地形を決定したのは新生代における褶曲運動である。アルプス変動帯の活動により、最南部は標高1200mにいたるまで隆起した。ドイツにおけるアルプス変動帯は東アルプスと呼ばれている。同時に西部フランス国境に近いライン川に相当する位置に、ライン地溝を形成する。ライン地溝は、約500kmに渡って南北に伸びる。
ドイツ北部の地表は氷河地形の典型例である。最終氷期においては北緯51度線に至るまで氷河が発達し、ヨーロッパを横切る数千km規模の末端堆石堤を残した。その100から200kmの海岸線方面にはモレーンが残る。末端堆石堤とモレーンの北側にそっていずれも氷食性のレスが堆積し、農業に適した肥沃な土壌が広がる。いっぽう、モレーンの南側は土地が痩せている。ドイツに残る長大な河川はいずれも最終氷期の河川に由来するが、ポーランドのヴィスワ川、ポーランド国境に伸びるオーデル川、エルベ川、ドイツ西部のヴェーザー川が互いに連結し、網目状の流路を形成するなど、現在とは異なる水系が広がっていた。
- 現在の国土は日本より約21000K㎡(四国程度)ほど狭い。
- デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランス、スイス、オーストリア、チェコ、ポーランドと国境を接する。
- 海
- 湖
- 河川
- ライン川 (Rhein):カールスルーエ・マンハイム・マインツ・ヴィースバーデン・コブレンツ・ボン・ケルン・デュッセルドルフを流れる。オランダを経て北海へ注ぐ。
- ドナウ川 (Donau):レーゲンスブルクなどを流れる。オーストリア・スロバキア・ハンガリー・クロアチア・セルビア・モンテネグロ・ブルガリア・ルーマニアを経て黒海へ注ぐ。
- イザー川 (Isar):ミュンヘンを流れる。デッゲンドルフでドナウ川に注ぐ。
- エムス川 (Ems):北海に注ぐ。
- ヴェーザー川 (Weser):カッセル・ブレーメンを経て北海へ注ぐ。
- エルベ川 (Elbe):ドレスデン・マクデブルク・ハンブルクを経て北海へ注ぐ。
- オーデル川(Oder):現在のポーランドとの国境線となっている。フランクフルト・アン・デア・オーデルなどを経てバルト海に注ぐ。
- 山
- ツークシュピッツェ山 (Zugspitze):ドイツの最高峰。
- ブロッケン山 (Brocken)
- シュヴァルツヴァルト 黒い森 (Schwarzwald)
- アルプス山脈 (Alpen)
- 島
[編集] 経済
詳細はドイツの経済を参照
対米ドル為替レートによる単純換算値では、ドイツはアメリカ合衆国・日本に続く世界第3位のGDPを誇る経済大国であり、EU加盟国第一の経済力を持つ。
主要な産業は自動車・鉄鋼・化学・機械などである。ドイツは戦前から科学技術に優れており、ガソリン自動車やディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人であった。また現在見られる液体燃料ロケット(スペースシャトル、ソユーズ、アリアン、H-IIAなど、固体ロケットM-Vロケット等を除く)は戦時中にナチスが開発した技術が基礎となっている。現在でも技術力には定評があり、自動車はメルセデス・ベンツ、ポルシェ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンといったブランドが世界的に有名であり、人気も高い。その他、化学・薬品大手のバイエル、電機大手のシーメンス、ルフトハンザドイツ航空、ドイツ銀行、経営管理ソフトウェア大手のSAP、人工透析で世界シェア40%のフレゼニウスなど、世界的に活動している大企業は多い。
- 実質GDP: 1兆9,796億ユーロ(2001年)
- 一人当たりGDP: 2万5,000ユーロ(2001年)
- インフレ率: 2.5%(2001年)
- 失業率: 9.6%(2001年)
旧西ドイツは日本同様、第二次世界大戦後に急速な経済発展を成し遂げたが、1990年の東西統一以降旧東ドイツへの援助コストの増大、社会保障のためのコスト増大などが重荷となって経済が低迷。また旧東ドイツでは市場経済に適応できなかった旧国営企業の倒産などで失業が増え、旧東側では失業率が17.2%に達し、深刻な問題となっている。また最近では企業が人件費の安いポーランドやチェコなどへ生産拠点を移転させようとしているために、ますます失業が増えるのではないかと懸念されている。
[編集] 交通
- 航空
- ルフトハンザドイツ航空が世界各国に航空路線を持っている。また、フランクフルト国際空港は欧州でも有数のハブ空港である。
- 鉄道
- ドイツ鉄道が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車ICEや都市間を結ぶインターシティ、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている。また、都市部では近郊電車のSバーンや地下鉄(Uバーン)、路面電車の路線網が発達している。なおヴッパータールには、現在運行している世界最古のモノレールがある。
- 道路
- 自動車大国であるだけに道路網も発達しており、アウトバーンと呼ばれる高速道路が主要都市を結んでいる。
[編集] 軍事
ドイツ連邦軍の構成は陸海空の3軍から成る。ドイツでは現在も徴兵制度が有り、健康な満18歳以上の男子には兵役義務が課せられる。(長男、次男は強制的義務だが、三男からは兵役か奉仕活動か選択することができる。)但し、所定の手続きを経れば良心的兵役拒否の扱いになり、定められた期間慈善活動に従事することで、その義務を回避できる。
軍当局は徴兵制を廃止したいと考えており、何度か徴兵制の廃止を政府に提案している。しかし、徴兵制を廃止すると、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまう。それは、つまりは安い費用で賄えた福祉関係者がいなくなってしまうのと同義であり、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念から、未だに徴兵制の廃止が実現できていない。
[編集] 国民
[編集] 民族構成
ゲルマン系・スラブ系・ラテン系・ケルト系などの混成民族で、ゲルマン系のドイツ語を母語とするドイツ人が多数を占め、他にバウツェンにはスラヴ系のソルブ人が、シュレースヴィヒにはゲルマン系のデンマーク人などがおり、帰化ポーランド人も多数居住している。また国籍は有していないが、トルコ人とクルド人も移民者とその子孫として存在している。経済情勢の悪化などから、ネオナチなどによる外国人襲撃など人種差別が深刻な問題となっている。
[編集] 言語
公用語はドイツ語。地域によってはデンマーク語、ソルブ語なども使用されている。
[編集] 宗教
REMID(ドイツ語)の2006年の統計によると、キリスト教徒(68%)のうち、プロテスタント(32.7%)、カトリック(31.4%)で、イスラム教(4.0%)、ユダヤ教(0.25%)、無宗教もしくは無神論(29.6%)等となっている。
[編集] 教育
[編集] 教育課程
初等教育4年、中等教育以降は職業人向けと高等教育向けの学校は厳格に分けられている。いわゆる「マイスター制」。12歳までは基礎学校(義務教育)で、子どもの能力の見極めが重要になる。13歳から15歳では、就職のための専門的な職業教育が行われる。大学への進学を希望する場合は、ギムナジウムという進学校に進学し、大学進学に必要なアビトゥア資格の取得を目指す。
日本においては、俗に「ドイツでは工業職人がマイスターと呼ばれ、尊敬を受けている」という話がまことしやかに語られているが、正確ではない。第二次世界大戦後の高度成長の過程においては確かに事実であったが、近年では多く子どもたちがギムナジウムに進学する傾向が見られ、これがドイツの財政(教育費)を圧迫する原因にもなっている。また、工業職人のイメージが強いマイスター制度だが、これも近年ではコンピュータ技術者といった従来のイメージとは異なる職種の学校が増えつつある。
近年、国際化によりマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう学校制度に疑問が上がり、近年は義務教育からアビトゥア資格取得までの義務教育から中等教育を一貫したシュタイナー学校や総合学校が広まっている。
[編集] ドイツの大学
近年、ドイツの大学は変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼすべてが州立大学で、学費は基本的に納める必要がない。(ただし、ドイツは州により学費徴収を行うケースもある)しかし、近年のドイツの不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。
かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年、ドイツの財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。
[編集] 文化
- ドイツ人一覧・ドイツ人一覧 (分野別)も参照。
[編集] 文学
[編集] 哲学
[編集] クラシック音楽
ドイツは音楽史上に残る作曲家・演奏家を多数輩出している。またベルリン・フィルをはじめとする世界的レベルのオーケストラも多く、数多くの音楽祭も行なわれており、同じドイツ語圏のオーストリアと共にクラシック音楽大国とされている。 オペラ・コンサート・演劇への関心は強く、ある程度の規模の街には国立ないし州立の劇場・オーケストラがおかれている。各地の放送局が所有しているオーケストラも総じてレベルが高い。
- 指揮者(かつてのドイツ領出身者も含む)
[編集] ポピュラー音楽
ポピュラー音楽については、1979年、ジンギスカンの『Dschinghis Khan(ジンギスカン)』『めざせモスクワ(Moskau)』や、1980年代にNENA(ネーナ)がアメリカ合衆国などでもヒットさせた『99 Luftballons』(ロックバルーンは99)などが知られている。
また最近では、旧・東ドイツの都市ライプツィヒの聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成されたDie Prinzen(ディー・プリンツェン)が、2002年のサッカー「FIFAワールドカップ日韓大会」で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーであるオリバー・カーンをモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼ぶ。
ロック音楽では、主なミュージシャンとしてプログレッシブロックのタンジェリン・ドリーム、テクノの元祖クラフトヴェルク、 ハードロックのスコーピオンズやマイケル・シェンカー・グループ、ヘヴィメタルのハロウィン、フェア・ウォーニング、ガンマ・レイのカイ・ハンセン、ラムシュタインなどの名が挙げられる。
テクノやトランスなどのクラブ系音楽では、野外レイヴ『ラブパレード』や屋内レイヴ『MAYDAY』が開催されるなど、ドイツ国内に広く普及している。テクノではベルリンのトレゾアやケルンのコンパクトなど優良なレーベルも多く、世界中から数多くのアーティストが曲をリリースしている。トランスの分野では、東ベルリン出身のDJ“Paul van Dyk”が「DJ Magazine」誌の人気投票で1位を獲得しているほか、EU(欧州委員会)よりヨーロピアン・ボーダーブレーカーズ賞[1]を受賞した“Cascada”[2]をはじめ、“Baracuda”“Groove Coverage”など国内外で活躍するドイツ人アーティストも多い[3]。
[編集] 美術
ドイツ・ロマン派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フィリップ・オットー・ルンゲなどの画家名やドイツ表現主義などの項目を参照。
第一次世界大戦中から戦後、ドイツは表現主義や新即物主義を生み出し、デザインや建築でもバウハウスを中心に革新的な動きを起こした。しかしナチスの「退廃芸術」絶滅政策により主だった美術家・建築家はアメリカ合衆国に移民し、ドイツの芸術は打撃を受けた。1960年代以降、フルクサスの運動やヨゼフ・ボイス、アンゼルム・キーファー、ゲルハルト・リヒターなど、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインなどは復興を遂げている。
[編集] デザイン
バウハウス、ヴァルター・グロピウス、ハンネスマイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、ヨハネス・イッテン、ピエト・モンドリアン、ヴァシリー・カンディンスキー、モホリ・ナギ、建築を中心とした美術観に基づく合理化された工業デザインのような図案など構成主義的制作物が数多くあり、今日のデザイン分野への影響は甚大である。既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢ないし、退廃芸術排除の向きから作家の多くは米国などに亡命。
[編集] 世界遺産
ドイツ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が29件、自然遺産が1件ある。さらにポーランド、イギリスにまたがって2件の文化遺産が登録されている。詳細は、ドイツの世界遺産を参照。
[編集] その他
- 映画の分野については、敗戦後の米国の占領政策の影響もあり、隣国フランスや米国ほど盛んとは言い難い。しかしながら、2003年に公開されたグッバイ、レーニン!は、ドイツ統一をテーマにすえた作品としてベルリン国際映画祭で最優秀ヨーロッパ映画賞を受賞し、注目を集めた。
- ビールが主たるアルコール飲料である(ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気)。ミュンヘンのオクトーバー・フェストは世界最大のビール祭りだといわれる。
- ソーセージ(Wurst)・ハム(Schinken)・チーズ(Käse)などの冷製食品・カルトエッセン(Kaltessen; 火を通さない食事)などに地域ごとの特色がある。
- 民族衣装などの伝統文化保全には強い関心が集まっている。
- ワインは白ワインが主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。→ドイツ料理も参照。
- かつてはすべての州で、「閉店法」により、(駅構内の売店を除く)小売店は平日(月曜~土曜)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、2006年のFIFAワールドカップ開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部州では閉店法自体が撤廃されるところも出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ・イタリア・ギリシャ・中国など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。
- カルト団体対策
宗教的多様性と国家干渉主義の両方の伝統を持つ中央ヨーロッパ。とりわけ旧東ドイツの各州においてゼクト(カルト)団体が増加しているドイツでは、予防啓発とゼクト脱退者保護の政策が、地方レベルで実施されている。ゼクト担当委員のポストが各州に創設された。中央レベルでは、教会法人格の取得に関する認証基準が定められた。情報交換を目的とした作業会議が、州職員と州代表者の間で何度も開かれた。とはいえ市民社会には秩序があり、国家宗教は揺らいでいないため、この問題への関心は限定的である。現在のところ、禁止されたゼクトはない。その上、国家権力の行動の幅は狭くなっている。(WikiSource2004年度Miviludes報告書日本語訳より抜粋、一部変更。)
[編集] スポーツ
詳細はドイツのスポーツを参照
[編集] サッカー
ドイツはサッカーが非常に盛んな国である。通常ドイツのスポーツ競技団体はドイツスポーツ連盟(DSB)に加盟しているが、ドイツサッカー連盟(DFB)は会員数630万人以上を数え、他の団体に比しても規模が大きい事で知られる。
ドイツ代表はFIFAワールドカップにおいて3度の優勝と4度の準優勝(旧西ドイツ時代を含む)を誇るなど、現在も安定した強さを誇るヨーロッパ屈指の強豪国である。またワールドカップ優勝3回は5回のブラジル、4回のイタリアに次いで第3位の記録である。 また2006年には1974年のワールドカップ・西ドイツ大会以来32年ぶりにワールドカップが地元開催され、3位入賞を果たした。女子代表も2003年、2007年のFIFA女子ワールドカップを連覇している強豪である。
国内のクラブチームの活動も盛んで、トップリーグであるフースバル・ブンデスリーガ(連邦リーグ)は欧州屈指のレベルを誇り、バイエルン・ミュンヘン等の名門クラブが凌ぎを削っている。
- 主な著名なサッカー選手(ドイツのサッカー選手一覧も参照)
- フリッツ・ヴァルター(FW) 1950年代を代表する選手。ワールドカップ初優勝時の主将。
- ウーベ・ゼーラー(FW) 1960年代を代表する選手。
- フランツ・ベッケンバウアー(DF) 2度目のワールドカップ制覇時の主将。通称「皇帝」。
- ゲルト・ミュラー(FW) 1970年代を代表する選手。通称「爆撃機」。
- ローター・マテウス(DF) 3度目のワールドカップ制覇時の主将。ドイツ代表最多キャップ。
- ピエール・リトバルスキー (FW、MF)
- ギド・ブッフバルト(DF) 前浦和レッズ監督
- ユルゲン・クリンスマン(FW) 1990年代を代表する選手。元ドイツ代表監督。
- ミヒャエル・バラック(MF) 通称「小皇帝」(メディアによっては「新皇帝」とも)。
- オリバー・カーン(GK) 準優勝した2002年の日韓大会の最優秀選手に選出
- ミロスラフ・クローゼ(FW) 2006 FIFAワールドカップ得点王
- ブンデスリーガの主要クラブ
[編集] ウィンタースポーツ
寒さが厳しい地方ではウィンタースポーツが盛んで、冬季オリンピックにも毎回多数のすぐれた選手を輩出している。なお、1936年にはオーストリアとの国境付近の町ガルミッシュパルテンキルヒェンで冬季オリンピックが開催されている(ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック)。また、西ドイツと東ドイツを含んだ冬季オリンピックでのメダル獲得数が1番であることでも知られている。
- イェンス・バイスフロク(スキー・ジャンプ選手。リレハンメルオリンピック金メダリスト)
- マルティン・シュミット(スキー・ジャンプ選手。1999年、2000年FIS・W杯総合優勝)
- ロニー・アッカーマン (スキー・ノルディック複合選手。2002年、2003年、2008年FIS・W杯総合優勝)
[編集] モータースポーツ
古くから自動車産業が盛んなことからモータースポーツの伝統国の1つとして知られ、1950年代までグランプリレースなどを席巻したメルセデス・ベンツ、1980年代を中心にスポーツカーの分野で数度のチャンピオンを獲得し、ル・マン24時間レースにおいては最多勝を誇るポルシェ、1960年代から2000年代にかけヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)で最多勝(18勝)を挙げるなどツーリングカーの分野において圧倒的な強さを持つBMWの3社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。
自動車会社各社の活躍に比べれば見劣りする感はあるが、優秀なレーシングドライバーを数多く輩出している国でもある。また世界的に有名な難関コースを持つサーキット・ニュルブルクリンクがあるのもドイツである。
- 1950年代~
-
- ウォルフガング・フォン・トリップス - スポーツカーレース、F1で活躍
- 1970年代~
-
- ワルター・ロール - 世界ラリー選手権チャンピオン(1980年、1982年)。 モータースポーツの世界選手権におけるドイツ人初のチャンピオン
- ハンス=ヨアヒム・シュトック - スポーツカー世界選手権チャンピオン(1985年、1986年)
- クラウス・ルートヴィヒ - ル・マン24時間レース優勝(3回)、ドイツツーリングカー選手権(DTM)チャンピオン3回、FIA-GT選手権チャンピオン(1998年)など
- 1980年代~
-
- ステファン・ベロフ - スポーツカー世界選手権チャンピオン(1984年)
- ベルント・シュナイダー - 国内選手権であるドイツツーリングカー選手権(DTM)における活躍で知られる
- 1990年代~
-
- ミハエル・シューマッハ - F1においてチャンピオン獲得回数、史上最多勝など主要記録のほとんどを塗り替えたドライバー。
- ヨルグ・ミューラー - 各種のツーリングカーレースで活躍
[編集] その他のスポーツ
- シュテフィ・グラフ(元女子テニス世界ランク1位)
- ボリス・ベッカー(元男子テニス世界ランク1位)
- ヤン・ウルリッヒ(自転車ロードレースのスター選手。ドイツのプロチームドイツテレコム(T-モバイル)のエースを務め、最高峰のレースツール・ド・フランスで総合優勝を果たした。
- ダーク・ノビツキー(バスケットボールNBAダラス・マーベリックスのスター選手。)ヨーロッパ出身のNBA選手の中で、史上最高のプレイヤーと評されている。
- 競馬 - ドイツの競馬の歴史は古く、ヨーロッパではイギリスに並ぶ競走規模を持つが人気は無い。売り上げは僅か1億8000万ユーロであり、隣国フランスの1/50、イギリスの1/100に過ぎない。ただし馬匹・人的資源は低くないとされる。(詳細についてはドイツの競馬を参照)
- アンジェリーナ・グリューン(バレーボール女子代表)
- クリスティアネ・フュールスト(バレーボール女子代表)
[編集] 祝祭日と年中行事
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
2月初旬~3月 | 謝肉祭 | Karneval | |
復活祭の前日曜日 | Palmsonntag | Palmsonntag | |
移動祝日(日曜日) | 復活祭 | Ostersonntag | |
4月30日 | ヴァルプルギスの夜 | Walpurgisnacht | ハルツ地方で行われる仮装行列 |
5月1日 | メーデー | Maifeiertag | |
5月~9月 | 鼠捕り男の野外劇 | Rattenfänger-Freilichtspiele | ハーメルンの笛吹きにちなんだ祭り |
5月中旬 | ローテンブルク歴史祭り | Rothenburger Meistertrunk und Schäfertanz | |
復活祭の第7日曜日 | 聖霊降臨祭 | Pfingstsonntag | |
6月13日 | ルートヴィヒ王祭 | König Ludwig Feier | シュタルンベルク |
6月中旬 | ザラートキルメス | Ziegenhainer Salatkirmes | シュヴァルムシュタット |
6月24日 | 聖ヨハネ祭り | Johannisfest | |
6月下旬 | ハノーファー射撃祭り | Schützenfest | |
7月上旬 | シュタルンベルク漁師祭り | Fischerstechen | 5年に一度実施 |
[編集] 日本との関係
来日した最初のドイツ人の一人に、江戸時代に来日し徳川綱吉とも会見した博物学者エンゲルベルト・ケンペルがいる。ケンペルが著した浩瀚(こうかん)な『日本誌』は詳細な紀行文にして博物誌でありゲーテも愛読した。その後来日して西洋医学を伝えたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもドイツ人であり、明治以降も日本は盛んにドイツから医学を学んだ。
直接の外交は、幕末のプロイセンの軍艦の品川沖への来航に始まり、アメリカ合衆国のペリーのように武力で外交を開こうとした。このため、明治期の日独関係は、不平等条約で結ばれていた。しかし、後述のように文化面では重要な国となった。
明治時代初期の日本ではドイツ文化全般が非常に熱心に学ばれ、近代化の過程に特に深い影響を与え、日本の近代化は、「ドイツ的近代化」であるともいわれる。伊藤博文は大日本帝国憲法の作成にあたってベルリン大学の憲法学者グナイストとウィーン大学のシュタインに師事し、歴史法学を研究している。 当時の東京帝國大学がヨーロッパから招聘した教員にはドイツ人が多く、明治9年エルヴィン・フォン・ベルツが来日したのをはじめ、哲学では夏目漱石もその教えを受けて「ケーベル博士」と親しまれたラファエル・フォン・ケーベル、化学ではゴットフリード・ワグネルなどがいる。
工学においては、大久保利通の命を受けた井上省三がザガン市のカール・ウルブリヒト工場で紡績の生産技術を学び、日本に伝えている。その知識は現代の日本の製造業の礎となった。軍事においても陸軍は普仏戦争後、軍制をフランスからプロイセンへと変え、その制度と理論による近代化に努め、日露戦争の勝利に繋がった。
日清戦争後にはロシア、フランスとともに日本に対し三国干渉を行った。さらに第一次世界大戦が勃発すると日本が日英同盟により連合国側に与したため、ついにドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国など中央同盟国側とは山東半島やミクロネシア、地中海などで戦火を交えるに至った(参照、第一次世界大戦下の日本)。また、日中戦争では蒋介石政権に最新の兵器と軍事顧問団を送り込み日本軍を苦しめた。このように、明治期~昭和戦前期の日独関係は必ずしも友好一辺倒であったとはいえない。しかし日本とドイツが英米と対立して互いに孤立を深めると、両国は急速に接近して日独伊三国軍事同盟へと発展し、第二次世界大戦では同盟国として共に戦うこととなった。
また、文化面では、第一次世界大戦期においてすら、捕虜収容所において人道的に扱われたドイツ軍捕虜を通じてゴム製品や洋菓子などの生産のノウハウが日本に導入されたり、クラシック音楽・ドイツ体操などが捕虜収容所周辺地域に伝授されるなどの文化交流があったことも重要といえる。
戦後も特に技術・経済面での交流は活発で、日本にとってヨーロッパ最大の貿易相手国となっている。特にドイツの自動車は日本でも高い人気があり、日本の輸入車の販売数上位3つはフォルクスワーゲン、メルセデス・ベンツ、BMWが占めている。文化面では明治期ほどの影響力を持たなくなったものの、クラシック音楽ではバッハやベートーヴェンをはじめとするドイツ(およびオーストリア)の作曲家の楽曲が愛好されている。
1999年1月から2000年9月までは「ドイツにおける日本年」と定められて日本が総合的に紹介され、また2005年と2006年には「日本におけるドイツ年」の諸企画が行われ、新しい形の日独交流が形成されている。
日独関係も参照
[編集] 関連項目
- ドイツ関係記事の一覧
- ドイツ人の一覧
- ドイツ法
- ドイツ連邦共和国基本法(憲法)
- ドイツ民法
- ドイツ移民法
- ドイツの地方行政区分
- ドイツの市町村一覧
- ドイツ統一
- ドイツ植民地帝国
- ドイツ再統一
- ドイツの国旗
- ドイツの国章
- ドイツの国歌
- ドイツ文学
[編集] 脚注
- ^ EU加盟国内でデビューし、出身国以外の加盟国内でのこれまでの売上や直近1年間の総売上のほか、本拠地内外でのライブツアー集客力に優れたアーティストに送られる賞。
- ^ 『ヨーロッパ』通巻第253号 2008年春号、欧州委員会駐日代表部
- ^ [1]、[2][3]
[編集] 外部リンク
- 政府
- ドイツ連邦共和国政府 (ドイツ語)(英語)
- ドイツ大統領府 (ドイツ語)(英語)
- ドイツ首相府 (ドイツ語)(英語)
- ドイツ外務省 『ドイツの実情』 (日本語)
- 在日ドイツ大使館 (日本語)
- 日系機関
- メディア
- ARD - ドイツ公共放送連盟 (ドイツ語)
- ZDF - 第2ドイツテレビ (ドイツ語)
- ドイチェ・ヴェレ - ドイツの国際放送 (ドイツ語)(英語)
- フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング - ドイツを代表する最有力紙 (ドイツ語)
- 南ドイツ新聞 - ドイツの高級日刊紙 (ドイツ語)
- ハンデルスブラット - 経済大国ドイツの経済紙 (ドイツ語)
- DPA - ドイツの通信社 (ドイツ語)(英語)
- 日本語メディア
- 旅行
- その他
|
|
---|---|
西ヨーロッパ | アイルランド | アンドラ | イギリス | オランダ | フランス | ベルギー | リヒテンシュタイン | ルクセンブルク |
東ヨーロッパ | アルバニア | ウクライナ | クロアチア | スロベニア | セルビア | ブルガリア | ベラルーシ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | マケドニア | モルドバ | モンテネグロ | ルーマニア | ロシア² |
中央ヨーロッパ | オーストリア | スイス | スロバキア | チェコ | ポーランド | ドイツ | ハンガリー |
南ヨーロッパ | イタリア | キプロス¹ | ギリシャ² | サンマリノ | スペイン | バチカン | ポルトガル | マルタ | モナコ |
北欧諸国 | アイスランド | スウェーデン | デンマーク | ノルウェー | フィンランド |
バルト三国 | エストニア | ラトビア | リトアニア |
その他 | 沿ドニエストル | コソボ |
地域 | イギリス:ガーンジー島 - ジブラルタル - ジャージー島 - マン島 - アクロティリ・デケリア¹ | デンマーク:フェロー諸島 | ノルウェー:スヴァールバル諸島 | フィンランド:オーランド諸島 |
バチカンは国際連合非加盟。「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国、あるいは独立主張をしている国。国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。
|
|
|
---|---|
G8メンバー | アメリカ合衆国 | イギリス | イタリア | カナダ | ドイツ | 日本 | フランス | ロシア |
+5 | インド | ブラジル | 中華人民共和国 | 南アフリカ | メキシコ |
国際機関 | 国際連合 | 欧州連合 |
|
---|
アイルランド | イギリス | イタリア | エストニア | オーストリア | オランダ | キプロス | ギリシャ | スウェーデン | スペイン | スロバキア | スロベニア | チェコ | デンマーク | ドイツ | ハンガリー | フィンランド | フランス | ブルガリア | ベルギー | ポーランド | ポルトガル | マルタ | ラトビア | リトアニア | ルクセンブルク | ルーマニア |
|
---|
オーストリア | ベルギー | カナダ | デンマーク | フランス | ドイツ | ギリシャ | アイスランド | アイルランド | イタリア | ルクセンブルク | オランダ | ノルウェー | ポルトガル | スペイン | スウェーデン | スイス | トルコ | イギリス | アメリカ合衆国 | 日本 | フィンランド | オーストラリア | ニュージーランド | メキシコ | チェコ | ハンガリー | ポーランド | 韓国 | スロバキア |