ミヒャエル・バラック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミヒャエル・バラック | ||
---|---|---|
名前 | ||
愛称 | ミヒャ、小皇帝 | |
カタカナ | ミヒャエル・バラック | |
ラテン文字 | Michael BALLACK | |
基本情報 | ||
国籍 | ドイツ | |
生年月日 | 1976年9月26日(31歳) | |
出身地 | ゲルリッツ | |
身長 | 190cm | |
体重 | 85kg | |
選手情報 | ||
在籍チーム | チェルシー | |
ポジション | MF | |
背番号 | 13 | |
利き足 | 右足 | |
代表歴 | ||
1999- | ドイツ | 84 (37) 2008年6月16日現在 |
ミヒャエル・バラック(Michael Ballack、1976年9月26日 - )は、ドイツ・ゲルリッツ(旧東ドイツ)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ・センターハーフ)。
目次 |
[編集] 人物
ドイツに古くから存在する少数民族のソルブ人で、ポーランド人やチェコ人などと同じ「西スラヴ民族」であり、ドイツで多数を占めるゲルマン民族ではない。旧東ドイツ出身者としては、初めて統一後の代表チームでキャプテンを務める。
[編集] 経歴
1997年、ブンデスリーガ・カイザースラウテルンに入団。2年目よりレギュラーとして定着し、能力の高さを発揮する。1999年にはバイヤー・レバークーゼンへ移籍するとドイツA代表にも招集され、同年4月28日のスコットランド戦で代表デビューを果たす。2001年/2002年シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ・国内リーグ・国内カップ戦でそれぞれ準優勝に貢献した。
2002年にはブンデスリーガの強豪クラブであるバイエルン・ミュンヘンに加入し、中盤の核として活躍。
日韓W杯準決勝では、味方のミスをカバーする為、イエローカードをもらうと累積で決勝に出場できなくなる事を知りながら、戦術的ファウルを犯しイエローカード2枚目をもらってしまう。直後にチームを決勝へと導くゴールを挙げるが、バラックを欠いたチームは決勝で敗退。
その活躍ぶりから同クラブのかつての名選手・フランツ・ベッケンバウアーの後継者との評価も高く、ベッケンバウアーのニックネーム「皇帝」に準え、バラックは「小皇帝(kleiner Kaiser)」と呼ばれていた。
2006年5月にバイエルン・ミュンヘンからFAプレミアリーグのチェルシーに移籍した。しかし、チェルシーではなかなかチームに馴染めず、能力を出し切れなかったことから、ベッケンバウアーに「バラックのチェルシー移籍は失敗だった」と指摘された[要出典]。 2007年4月ニューカッスル戦で相手選手との接触により左足首を負傷。以降2度に渡って手術をし、8ヶ月の戦線離脱となる。しかし足首の負傷が完治した2007年12月以降はパフォーマンスも向上し、完全に復調。イングランドでのスタイルにも適応し、チャンピオンズリーグではクラブ史上初の決勝進出への原動力となった。
現在ドイツ代表チームでも主将を務めており、自国開催となる2006年・ドイツW杯では得点こそできなかったが、その構成力とキャプテンシーで自国を3位に導く活躍を見せた。
[編集] プレースタイル
大柄な体を生かした高いキープ力と強靭なフィジカルを持ち、ピッチ上のあらゆる場所から試合を組み立てる能力を持つ。また長短のキックの精度も非常に精密であり、アシスト能力も高い。攻撃能力についても強烈なミドルシュート、高い打点のヘディングで相手を粉砕する。ミッドフィルダーながらフォワード並の得点力を備えている数少ない選手でもある。
しかし、スピードについては自ら不足を認めている。左右キックが正確なのは、ユース時代に徹底的に練習したため。ヘディングの技術は屈指のものを誇る。スター選手でありながらもワンマンプレーに走る事がない。クレバーな選手で戦術理解度も非常に高い為、所属していた全てのチームの監督から厚い信頼を受けている。本人曰く「ヒーローという言葉は好きじゃない。サッカーは一人でやるものじゃない。チームスポーツだ」。
イングランド・チェルシー移籍後は、プレースタイルの少々の変更を余儀なくされたが、それが逆に自身のプレーの幅を広げており、功を奏したといえる。イングランドサッカー特有の展開の速さに順応し、スピードを殺さずに味方を生かすプレーや、逆に自らが生かされるプレーを覚えた。精神面も非常に強く、ドイツ代表の精神的支柱であり、MFでありながらも試合を決定付けるゴールを何度も決めている。
[編集] 所属クラブ
- FCカール・マルクス・シュタット/ケムニッツFCユース 1983-1995
- ケムニッツFC 1995-1997
- カイザースラウテルン 1997-1999
- バイヤー・レバークーゼン 1999-2002
- バイエルン・ミュンヘン 2002-2005
- チェルシーFC 2006-
[編集] 獲得タイトル
カイザースラウテルン時代
- ブンデスリーガ優勝 1回(1997-98)
バイエルン・ミュンヘン時代
- ブンデスリーガ優勝 3回(2002-03、2004-05、2005-06)
- ドイツカップ優勝 3回(2002-03、2004-05、2005-06)
- ドイツリーグカップ優勝 1回(2004)
[編集] 外部サイト
チェルシーFC - 現所属メンバー |
---|
1 チェフ | 2 イヴァノヴィッチ | 3 A・コール | 4 マケレレ | 5 エッシェン | 6 カルヴァーリョ | 7 シェフチェンコ | 8 ランパード | 9 シドウェル | 10 J・コール | 11 ドログバ | 12 ミケル | 13 バラック | 14 ピサーロ | 15 マルダ | 17 シンクレア | 18 ブリッジ | 20 フェレイラ | 21 カルー | 22 ベン・ハイム | 23 クディチーニ | 24 ライト=フィリップス | 26 テリー | 30 グラント | 33 アレックス | 35 ベレッチ | 39 アネルカ | 40 イラーリオ | 42 ソーヤー | 48 ウッズ | 51 ハッチンソン 監督: スコラーリ |
ドイツ代表 - UEFA欧州選手権2000 | |
---|---|
1 カーン | 2 バッベル | 3 レーマー | 4 リンケ | 5 ボーデ | 6 ノヴォトニー | 7 ショル | 8 ヘスラー | 9 キルシュテン | 10 マテウス | 11 リンク | 12 レーマン | 13 バラック | 14 ハマン | 15 ヴォシュ | 16 イェレミース | 17 ツィーゲ | 18 ダイスラー | 19 ヤンカー | 20 ビアホフ | 21 ラメロウ | 22 ブット | 監督 リベック |
ドイツ代表 - 2002 FIFAワールドカップ | |
---|---|
1 カーン | 2 リンケ | 3 レーマー | 4 バウマン | 5 ラメロウ | 6 ツィーゲ | 7 ノイビル | 8 ハマン | 9 ヤンカー | 10 リッケン | 11 クローゼ | 12 レーマン | 13 バラック | 14 アサモア | 15 ケール | 16 イェレミース | 17 ボーデ | 18 ベーメ | 19 シュナイダー | 20 ビアホフ | 21 メッツェルダー | 22 フリンクス | 23 ブット | 監督 フェラー |
ドイツ代表 - UEFA欧州選手権2004 | |
---|---|
1 カーン | 2 ヒンケル | 3 フリードリッヒ | 4 ヴェルンス | 5 ノボトニー | 6 バウマン | 7 シュヴァインシュタイガー | 8 ハマン | 9 ボビッチ | 10 クラニー | 11 クローゼ | 12 レーマン | 13 バラック | 14 ブルダリッチ | 15 ケール | 16 イェレミース | 17 ツィーゲ | 18 エルンスト | 19 シュナイダー | 20 ポドルスキ | 21 ラーム | 22 フリンクス | 23 ヒルデブラント | 監督 フェラー |
ドイツ代表 - 2006 FIFAワールドカップ | |
---|---|
1 レーマン | 2 ヤンセン | 3 フリードリヒ | 4 フート | 5 ケール | 6 ノヴォトニー | 7 シュヴァインシュタイガー | 8 フリンクス | 9 ハンケ | 10 ノイビル | 11 クローゼ | 12 カーン | 13 バラック | 14 アサモア | 15 ヒッツルスペルガー | 16 ラーム | 17 メルテザッカー | 18 ボロウスキ | 19 シュナイダー | 20 ポドルスキー | 21 メッツェルダー | 22 オドンコール | 23 ヒルデブラント | 監督 クリンスマン |
ドイツ代表 - UEFA欧州選手権2008 | |
---|---|
1 レーマン | 2 ヤンセン | 3 フリードリッヒ | 4 フリッツ | 5 ベスターマン | 6 ロルフェス | 7 シュヴァインシュタイガー | 8 フリンクス | 9 ゴメス | 10 ノイビル | 11 クローゼ | 12 エンケ | 13 バラック | 14 トロショフスキ | 15 ヒツルスペルガー | 16 ラーム | 17 メルテザッカー | 18 ボロウスキ | 19 オドンコール | 20 ポドルスキ | 21 メッツェルダー | 22 クラニー | 23 アドラー | 監督 レーヴ |