ジョン・テリー
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ジョン・テリー | ||
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名前 | ||
本名 | ジョン・ジョージ・テリー | |
愛称 | JT | |
カタカナ | ジョン・テリー | |
ラテン文字 | John George Terry | |
基本情報 | ||
国籍 | イングランド | |
生年月日 | 1980年12月7日(27歳) | |
出身地 | ロンドン | |
身長 | 186cm | |
体重 | 91kg | |
選手情報 | ||
在籍チーム | チェルシー | |
ポジション | DF | |
背番号 | 26 | |
利き足 | 右足
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代表歴 | ||
出場 | 44 | |
得点 | 4 2008年5月28日現在 |
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ジョン・テリー(John George Terry, 1980年12月7日 - )は、イングランド・ロンドンのバーキング地区出身のサッカー選手。ポジションはDF(CB)。
目次 |
[編集] プレースタイル
フィジカル能力が高く、1対1と空中戦に無類の強さを見せる。深い読みを生かしたパスカットも得意。ガタいを生かしたヘディングは世界でも最高クラスである。このためセットプレー時には得点源として期待される。また時節、果敢な攻め上がりを見せ、チームに奮起を促すこともある。闘争心を全面に出した気迫溢れるプレーと、高いキャプテンシーを持ち、リーダーとしての資質も高い。イングランド代表のキャプテンも務めている。
[編集] 経歴
少年時代からチェルシーFCのアカデミー(下部組織)に所属する。トップチームに昇格したての頃は同じポジションにマルセル・デサイーやフランク・ルブーフがいたため出場機会はほとんどなかったが、ノッティンガム・フォレストへのレンタル移籍を経て2000-01シーズン、当時の監督だったクラウディオ・ラニエリに重用され出場機会が増加。ロマン・アブラモヴィッチがチームを買収した2003-04シーズンには衰えが隠せなくなったデサイーに代わりディフェンスラインを統率した。
2004年にジョゼ・モウリーニョが監督に就任するとチームのキャプテンに指名される。モウリーニョがフランク・ランパードらイングランド人とともに主将テリーに託した「率先してチームを引っ張ってほしい」という言葉通りに抜群のキャプテンシーを発揮。守っては、そのモウリーニョとともにやって来た新加入のディフェンダー・リカルド・カルヴァーリョとともにリーグ最小失点の堅陣を築いた。ディフェンスだけには収まらず攻撃の場面では得意のヘディングでゴールを量産した。中でもUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント一回戦FCバルセロナ戦でのヘディングのゴールはチームを救う一撃となった。
2006年10月14日のレディングFC戦では、GKのペトル・ツェフが前半開始早々に相手MFスティーヴン・ハントのひざが頭に直撃し負傷退場となった上に、代わりに出場した控えGKのカルロ・クディチーニも後半ロスタイムに相手DFと接触し負傷退場となってしまった。この時、すでに交代枠を3人使いきっていたため、テリーがわずかな時間ながら代役GKとしてゴールマウスを守ることになり、自らのポジションであったセンターバックはFWのドログバが入ることになった。
2006年末から2007年の2月にかけて、腰の手術のためにチームを離脱。モウリーニョ監督はその間パウロ・フェレイラやマイケル・エッシェンをセンターバックに起用していたが、リヴァプールFCとのアウェー戦では0-2で完敗するなど守備の安定感を欠き、計らずともテリーの偉大さを証明する結果となった。2月3日に行われたチャールトン・アスレティックとのアウェー戦で終了間際に交代でピッチに登場し、約一ヶ月ぶりの復帰を果たす。次週のミドルスブラFCではスターティングメンバーに復帰し、以前と変わらぬ安定したプレーを見せた。
2007-2008シーズンのチャンピオンズリーグ決勝戦VSマンチェスター・ユナイテッドは両チーム譲らずPK戦に突入した。テリーの蹴る順番は五人目であり彼が決めればチェルシーの初優勝になる場面であったが、その時間帯は会場のルジニキ・スタジアムは大粒の雨が降っており、芝に足を滑らせテリーはボールをポストに当ててしまい失敗。結果マンチェスター・ユナイテッドに敗北した。テリーは涙を流し悲嘆にくれ、その後チームのホームページ内で謝罪をした。しかし「彼がいなければ決勝に進めなかった。最も緊張する五人目のキッカーに進んで名乗りを上げる素晴らしいキャプテン」とランパードが語るように擁護の声も多かった。
[編集] 代表実績
代表初出場は、2003年6月のセルビア・モンテネグロとの親善試合。
EURO2004にも代表入りし、出場停止中だったリオ・ファーディナンドに代わり3試合に出場した。
2006 FIFAワールドカップではソル・キャンベルに代わりレギュラーに定着、ファーディナンドとともにイングランドの堅守を支えた。
現在彼は、デビッド・ベッカムに代わってイングランド代表のキャプテンを務めている。スティーブ・マクラーレン監督就任後、初めてベッカムが招集された2007年6月1日の親善試合ブラジル戦では、ベッカムのフリーキックにテリーが頭で合わせ得点した。
[編集] その他
- チェルシーの下部組織に入団する前はセンラブFCという少年チームに所属しており、中盤でプレイしていた。その時のチームメイトにボビー・ザモラ、レドリー・キング、ポール・コンチェスキー、ジェイロイド・サミュエル、一つ下の年代にジャーメイン・デフォーら、現在はプレミアリーグでプレイするメンバーが多数所属していた。
- 暴れん坊として知られ、2001年9月12日ホテルで酒に酔い大暴れし、翌年1月には謹慎期間中ながらナイトクラブで店員に暴行し逮捕され、起訴される騒ぎもあった。また、浮気癖があるプレイボーイとして知られている。交際相手がいるにも関わらず、2005年11月の時点で8度ほどの浮気が発覚していた。その交際相手であり、現在の妻であるトニーさんとは学生時代から10年以上の交際で07年6月に結婚した。男女の双子の子がいる。
- プレイステーション2でしばし遊ぶという。その熱中ぶりはチームメイトを家に招き、自身がイメージキャラクターにもなった、コナミのウイニングイレブンのパーティーを開くほど(しかもトロフィーまで作っている)。因みにこのパーティではチームメイトのグレン・ジョンソンとジョー・コールがそれぞれ優勝し、今度はティエリ・アンリも招いてパーティーをすることを示唆している。
- 前述の2006年末の腰の手術で椎間板の一部を除去し、クラブ側からは約一ヶ月の離脱という発表があった。しかし、手術の翌日には軽いランニングをこなしてしまった。
- 相手がシュートしようとしているボールに対して、恐れず頭でクリアをしたため頭を蹴られ、グランドに倒れ込み、長期間の離脱も経験している。その後、驚異的な回復を見せファンを驚かせている。
- 実兄(ポール・テリー)もプロサッカー選手で、リーグ1のレイトン・オリエントFCでプレーしている。
[編集] 所属クラブ
- 1997年-現在 チェルシー
- →2000年3月-2000年5月 ノッティンガム・フォレスト (loan)
チェルシーFC - 現所属メンバー |
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1 チェフ | 2 イヴァノヴィッチ | 3 A・コール | 4 マケレレ | 5 エッシェン | 6 カルヴァーリョ | 7 シェフチェンコ | 8 ランパード | 9 シドウェル | 10 J・コール | 11 ドログバ | 12 ミケル | 13 バラック | 14 ピサーロ | 15 マルダ | 17 シンクレア | 18 ブリッジ | 20 フェレイラ | 21 カルー | 22 ベン・ハイム | 23 クディチーニ | 24 ライト=フィリップス | 26 テリー | 30 グラント | 33 アレックス | 35 ベレッチ | 39 アネルカ | 40 イラーリオ | 42 ソーヤー | 48 ウッズ | 51 ハッチンソン 監督: スコラーリ |
イングランド代表 - UEFA欧州選手権2004 | |
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1 ジェームズ | 2 G.ネヴィル | 3 A.コール | 4 ジェラード | 5 テリー | 6 キャンベル | 7 ベッカム | 8 スコールズ | 9 ルーニー | 10 オーウェン | 11 ランパード | 12 ブリッジ | 13 ロビンソン | 14 P.ヴィル | 15 キング | 16 キャラガー | 17 バット | 18 ハーグリーヴス | 19 J.コール | 20 ダイアー | 21 ヘスキー | 22 ウォーカー | 23 ヴァッセル | 監督 エリクソン |
イングランド代表 - 2006 FIFAワールドカップ | |
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1 ロビンソン | 2 ネヴィル | 3 A.コール | 4 ジェラード | 5 ファーディナンド | 6 テリー | 7 ベッカム | 8 ランパード | 9 ルーニー | 10 オーウェン | 11 J.コール | 12 キャンベル | 13 ジェームス | 14 ブリッジ | 15 キャラガー | 16 ハーグリーヴス | 17 ジェナス | 18 キャリック | 19 レノン | 20 ダウニング | 21 クラウチ | 22 カーソン | 23 ウォルコット | 監督 エリクソン |