ロンドン
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ロンドン(英語:London)は、イギリスおよびイングランドの首都である。ニューヨーク、東京、パリと並びトップ水準の世界都市とされる。漢字による当て字は「倫敦」が多いが、明治期には「龍動」と記載する例もあった。
目次 |
[編集] 概要
世界トップ水準の世界都市であるイギリスの首都は、イングランド南東部、テムズ川下流部沿いに位置する。世界の政治・経済・文化の中心地で、ニューヨーク、パリ、東京とならぶ世界四大都市のひとつにかぞえられ、シティの金融市場はニューヨーク、東京と並び世界三大市場の1つとされる。 都市圏は比較的平坦な土地に広がっており、その中心部をテムズ川が西から東に流れている。ヨーロッパにおいても有数の歴史ある都市であり、中世および近世に建設された建造物が数多く残っている。他国の多くの首都と同様に、ロンドンの首都としての地位を明示した文書は存在しない。物価の高さは東京を上回り、世界有数である。2005年時点での大ロンドンの人口は742万人、ロンドン都市圏では1200万人と、欧州連合において最も人口が多い都市である。
ロンドンは、「シティ・オブ・ロンドン」あるいはたんに「シティ」とよばれる地域を発祥の地として大きく発展した都市で、このシティと周辺の32のバラ(自治区)でグレーター・ロンドンを構成する。グレーターロンドンのうち、シティおよび都心部の13区はインナーロンドン、その外縁部の19区はアウターロンドンとよばれる。グレーターロンドン全体を管轄する広域自治体として1965年にGLC(グレーター・ロンドン・カウンシル)が発足したが、1986年にサッチャー政権の地方行政改革により廃止。かわって、イギリス初の公選市長(メイヤー・オブ・ロンドン)と議会で構成されるGLA(グレーター・ロンドン・オーソリティ)が2000年に設置された。シティは、中世から自治組織をもち、ロード・メイヤーとよばれるロンドン市長を選出してきたが、現在ではシティの「市長」は名誉職的なものになっている。
[編集] 歴史
[編集] ローマ時代
ロンドンの歴史はローマ人によるブリタニア支配にさかのぼる。ローマ人は紀元43年にテムズ川北岸にロンディニウムを建設し、これをブリタニアの首都とした。それ以前この地域周辺にはケルト人が居住しており、初期の植民の跡が残されている。61年には女王ブーディカに率いられたケルト族がロンディニウムを襲撃し、ローマ人から都市を奪還した。現在のシティ・オブ・ロンドンにある遺跡からはこの争いによるものと見られる焼け焦げた木材などが出土している。その後紀元2世紀頃には町の防衛のため市街壁が建設された。およそ4万人の人口を擁していたシティ・オブ・ロンドンを中心としてその後も都市は順調に発展を遂げていった。また現在のウェストミンスター地区にも独立した集落が形成されており、現在のフリート・ストリートおよびストランド・ストリートによって結ばれていた。
[編集] ウィリアム1世時代
ローマが撤退した410年以降、イギリス史上の空白期間が続く。 11世紀半ば、ウェセックスの最後の王となったエドワード懺悔王は、ウェストミンスターに大修道院のウェストミンスター寺院と王宮のウェストミンスター宮殿を建設した。1066年にイングランドを征服したノルマンディ公ギヨーム2世は、ウェストミンスター寺院でイングランド王ウィリアム1世として即位し、ウェストミンスター宮殿を住まいとした。以後、ウェストミンスター宮殿を中心とするシティ・オブ・ウェストミンスターは政治と宗教の中心地となる。その一方でシティは、このころすでに自治機能をもつ商業都市に発展しており、ウィリアム1世はホワイト・タワー(ロンドン塔)などの要塞をシティの東西に建設して市民を威圧した。経済力のあるシティは、12~13世紀に市長をえらぶ権利や独自の法廷をもつ権利を獲得、14世紀半ばからは市参事会を選出し、王権から独立した高度な自治都市として独立を保持した。
[編集] 急成長期
16世紀にヘンリ8世のもと宗教改革が進展する中で、修道院解散に伴いシティ内外で没収地の開発が進んだ。これにより多くの人口を許容できるようになったロンドンは当時の経済発展とあわせ急激に成長しはじめた。シティとウェストミンスター間には市街地が成長して両者は一体化し、17世紀中期には人口50万以上、さらに半世紀後には70万人以上が居住している。
1566年にエリザベス1世が王立取引所を開くと、シティの重要性は急速に増大する。女王は、町の発展にともなって貧困層が流入し王権への抵抗勢力になることをおそれて、1580年に市門の外3マイル以内に新しい建物をたてることを禁じる布告を出した。しかし、町の拡大を法令で阻止することが不可能なことはやがて明らかとなる。
1665年のペストの大流行では10万人近い人々が死んだといわれる。翌年1666年には、シティのパン屋から出た火が広がって市壁にかこまれた部分の3分の2が焼きつくされたロンドン大火が起こった。これは当時、ロンドンのほとんどの建物が木造だったこと、道路の幅が狭すぎたことが火の広まった理由とされる。これを機に、1667年の再建法では新築の建造物には石と煉瓦のみを使用するようさだめられたため、かつて木造建築がたちならんでいたシティの町並みとはまったく異なるものとなった。市街中心部は石造に作り替えられ、民間投資によって標準化された住居建築群が建設されて道路も拡幅された。さらに18世紀にはセント・ジェームズ・パークからリージェンツ・パークに至る大通りが造られ、街路沿いにピクチャレスクな建物が整然と並ぶ景観が形成された。1760年代には中世からの市壁と門もとりこわされている。
[編集] 産業革命時代
19世紀から20世紀にかけて産業革命を経験したロンドンはさらに発展を遂げ、19世紀初頭にかけて橋が増設され、テムズ川南岸が発展。東部や南部には大きな工業地帯が形成され、東部のロンドン港(ドックランズ)は世界有数の港湾となった。1863年には世界初の地下鉄が開業するなど、交通機関も発達して市街地はさらに拡大した。1888年、ロンドン州の発足によって、それまで別々の町だったシティとウェストミンスターをふくむ現在のインナーロンドンが、はじめて行政区域としてまとまった。 19世紀にロンドンの人口は爆発的に増加し、20世紀初頭には人口が440万人を超えたが、それと同時に下水道設備の不備や貧困地域の拡大などの現代的な都市問題が深刻化した。特に大気汚染も深刻化し、石炭の煤煙によるスモッグの発生により「霧の都」と揶揄された。 この問題は20世紀以降に労働者階級の地位向上によって大きく改善されたが、今なおロンドン南部のテムズ川南岸や東部のイーストエンドなどには貧困者の多い地区が存在し、旧植民地諸国からの移民流入もあいまって問題は継続されている。20世紀になるとエベネザー・ハワードの提唱した「明日の田園都市」が世界的な反響を呼び起こし、その理論に基づいてロンドン郊外に世界初のニュータウンであるレッチワース(人口32000人)が建設された。
[編集] 第二次世界大戦後
第一次世界大戦では、ロンドンはドイツ軍の飛行機や飛行船による攻撃対象となった。第二次世界大戦の初頭にはドイツ空軍の爆撃を受けて数千人が死亡した。 1940年9月から翌年7月にかけて、ブリッツとよばれるはげしい爆撃をうけた。この爆撃によって数万人が死傷し、ロンドン塔は北側が破壊され、大英博物館では18世紀と19世紀の新聞3万巻がうしなわれた。国会議事堂は図書館、下院、上院が甚大な損害をこうむった。ギルドホールは内装の一部がやけ、オールドベイリーとして知られる中央刑事裁判所は北東の角が破壊された。さらに、セント・ポール大聖堂やバッキンガム宮殿、ランベス宮殿、セント・ジェームズ宮殿も被害をうけた。
また爆撃機による空襲がバトル・オブ・ブリテン以後に下火になった後にもV1飛行爆弾、V2ロケットによる攻撃を受け大きな被害を受けた。戦後の復興は労働力不足のため一時期とどこおったが、大ロンドン計画にもとづいて推進され、都心部に郊外区域を加えたロンドンを統括する行政府としてグレーター・ロンドン・カウンシルが設置され、1950年代末までにほとんどが復興し、重要な歴史的建造物が修復された。
1960年代以降イギリス経済は低迷し、それに伴いロンドンも移民層や労働者階級を中心に失業者が増加して街は荒廃し犯罪が増加した。1980年代に保守党のサッチャー政権は大幅な犠牲を払って規制緩和や産業構造の改革、国有事業の民営化、ドックランズ再開発など施策を遂行した。経済は少しずつではあるが息を吹き返してゆき、国内金融機関の退場を引き換えにしてロンドンは世界有数の金融市場としての地位を確立した。
[編集] 現在
1990年代以降には金融に加え観光や情報産業、デザイン産業なども活気を呈しており、ドックランズのカナリー・ワーフ以後、超高層ビルの建設があいついでいる。荒廃したロンドンは完全に過去のものとなった。近年では地価の高騰に悩むなど往年の繁栄を取り戻している。1980年代以降に連続して発生したIRA暫定派によるテロは収束したが、2005年7月7日にはイスラム過激派によるロンドン同時爆破事件が発生している。近年増加しているイスラム系移民と従来の住民間との対立も発生するなど、国際都市特有の問題の解決に注目が集まっている。
2005年には2012年に開催される第30回オリンピック誘致に成功した。1908年および1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催であり、同一都市としては史上最多となる。
2009年には、ヨーロッパでもっとも高い306mのロンドンブリッジ・タワーが完成する予定。
[編集] 行政
大ロンドン (Greater London) はシティ・オブ・ロンドンとシティ・オブ・ウェストミンスターを含む32の特別区 (borough) により構成されている。英国では伝統的に大聖堂(大寺院)がある町 (Town) を都市 (City) と呼称するが、シティ・オブ・ロンドンにはセント・ポール大聖堂、シティ・オブ・ウェストミンスターにはウェストミンスター寺院が存在する。他の大聖堂を有するサザークは16世紀からシティを名乗らずBoroughを用いている。
1986年にサッチャー政権によってグレーター・ロンドン・カウンシルが廃止されて以来各区は「ユニタリー」と呼ばれる状態にあり、カウンティレベルの行政組織として機能していた。ブレア政権下の住民投票によって大ロンドンはグレーター・ロンドン・オーソリティー(Greater London Authority / 大ロンドン庁)として復活し、グレーター・ロンドンの市長は直接選挙で選出されるようになった。現在の市長ケン・リヴィングストンはロンドンの主要な政策課題である公共の安全性の確保と交通問題を扱っている。
[編集] 経済
イギリス国内のみならずヨーロッパの金融市場の重要な拠点として機能しているロンドンは、シティ、ホルボーン、フィンズベリーに金融関係の会社が数多く存在している。とくにシティのロンバードストリート一帯に密集した市中銀行などの各種金融業者は、イングランド銀行を頂点に、相互に密接な連携を保って展開するロンドン金融市場を構成し、これは世界三大金融市場の一つである。ロンドン証券取引所は世界三大証券取引所の一つにあげられる。
ロンドンでは地域ごとにそれぞれの業種が集中している。例えば、銀行・金融業はシティ、行政機関はウェストミンスター、一流医院はハーリーストリート、紳士服のオーダーメイドはサビルロー、高級専門店はボンドストリートやオックスフォードストリートなど、教育・大学関係はブルームズベリー地区に多く存在する。工業は、サザークから東へ広がるテムズ川南岸でおこなわれている。シティ東部の港湾地帯であるドックランズでは荒廃からの再開発が進み、多くの銀行やマスコミなどがカナリー・ワーフといわれる地域に移転している。
[編集] 交通
[編集] 道路
ロンドンを縦横にはしる道路の交点においては交差点とラウンドアバウトの両者が存在する。郊外とは高速道路などで結ばれている。市内中心部では交通渋滞が頻繁に発生しており、コンジェスチョン・チャージが実施された現在でも完全には改善されていない。
市内の渋滞は酷いため、渋滞車列を横切って渡ったり、ニューヨークほどではないが横断歩道の赤信号を無視して横断する歩行者が多い。ただし車の陰からバイクが突進してくることがあるため大変危険である。一方、横断歩道では人が立つと車は停止して横断者を通さなければならないルールが厳格に守られているので、何もないところを渡るよりは横断歩道を通る方がまだ安全であろう。
世界的にも有名な黒い車体のロンドンタクシーが市民の足として親しまれている。運転手となるには難関の試験を突破しなければならず、その質と運賃は非常に高い。黒い車体のタクシーは一般的にブラックキャブ (black cab) と呼ばれている。
また無免許で合法の個人タクシーもあり、それらはミニキャブ (mini cab) と呼ばれている。市民の間ではブラックキャブよりずっと賃金が安いという理由でより一般的である。
[編集] バス
ロンドン市内を縦横に走る赤い二階建てバス(ダブルデッカー)が世界的に有名であり、安価な市民の足として親しまれている。
旧型の赤い二階建てバス(愛称・ルートマスター)は2005年12月をもって廃止された。車掌が同乗する旧型よりもワンマンバスのほうが効率がよいのに加えて、開けっ放しの乗降口は危険であり身体障害者にとっても不便であったためである。旧型はロンドン中心部の観光名所を巡る観光ルートとしてのみ利用されている。
[編集] 鉄道
ロンドンの鉄道駅も参照
イギリス各地とロンドンを結ぶ長距離路線のターミナル駅が方面別にいくつか存在し、南東部の通勤路線と共に鉄道網の一大拠点となっている。
かつての国鉄は解体されパブリック・プライベート・パートナーシップ (PPP) のもとで委託経営がおこなわれている。線路や駅の保有・維持管理は国営会社ネットワーク・レール社(民営化から2001年まではレールトラック社、この会社は破綻しネットワーク・レールに引き継がれた)が行い、各路線の列車運行は複数の民間会社が運営する上下分離方式が採用されている。これらの民間会社はナショナル・レールの共通ブランドを用い、国鉄時代から使われているシンボルマークを使用しており、民営化以後も乗車券の販売などにおいて一体化されたサービスが提供されている。
1999年にはパディントン駅付近で列車衝突事故が発生し、さらにその直後にも再び重大事故が度重なるなど、イギリス、特にロンドンの鉄道は大きな政治課題になっている。事故が続発した大きな要因としては株主への利益還元を重視しすぎたレイル・トラックが列車運行に責任を持たず、整備をおろそかにしたためとされている。
[編集] 地下鉄
世界で最初に開通した地下鉄であるロンドン地下鉄は「チューブ」と呼ばれて親しまれており、世界有数規模である12の路線網を有している。ホームへの出入りには大型リフト(日本ではエレベータ)を設置していることが多いが、一部施設はエスカレーターが木製であるなど老朽化が見られ、1987年11月にキングズクロス駅で発生した火災では31人の犠牲者を出した。2005年7月にはロンドン同時爆破事件が発生し地下鉄乗客に被害が出た。地下鉄に類似した輸送機関としては新交通システムであるドックランズ・ライト・レイルウェイや、ロンドン都心の地下を南北に貫通する英国鉄道のテムズリンクが存在する。2007年10月にはロンドンを東西に貫通するクロスレールの建設が決定され、2017年の開通が計画されている。なお、普通運賃で乗ると初乗り料金が4ポンド(約1000円)と非常に高いため、トラベルカードと呼ばれる一日乗車券などの各種割引制度や割引運賃が適用されるオイスターカードを利用する人もいる。
[編集] 空港
ロンドン付近には6つの空港が存在する。そのうちガトウィック空港、スタンステッド空港、ルートン空港は大ロンドン地域の外に設けられている。ロンドンにおける主要空港はロンドン・ヒースロー空港でありヨーロッパ有数のハブ空港として機能している。ガトウィック空港とスタンステッド空港とロンドン・ルートン空港とロンドンシティ空港も国際空港であり年間3000万人から2000万人の利用者がある。6つ目のLondon Biggin Hill空港はビジネスジェットの発着がメインである。
日本との間には、ブリティッシュ・エアウェイズと日本航空がヒースロー空港と成田空港、関西国際空港の間に、ヴァージン・アトランティック航空と全日空がヒースロー空港と成田空港の間にのみ直行便を運航している他、経由便で行くことが出来る。
[編集] 観光
- バッキンガム宮殿
- ケンジントン宮殿
- ウェストミンスター宮殿(英国議会議事堂)
- ビッグ・ベン
- ウェストミンスター寺院(国教会)
- ウェストミンスター大聖堂(カトリック)
- ロンドン塔
- タワーブリッジ
- セント・ポール大聖堂
- ピカデリーサーカス
- トラファルガー広場
- ロンドン・アイ
- bfiロンドン・アイマックス・シネマ
- ヴィノポリス
- アビー・ロード
- ベーカー街221B・シャーロック・ホームズ博物館
- マダム・タッソー館
- サヴィルロー
- ハロッズ
- ハイド・パーク
- リージェンツ・パーク
- コヴェント・ガーデン
- ウェンブリー・スタジアム
- ウィンブルドン
[編集] 美術館・博物館
- 大英博物館
- ロンドン自然史博物館
- ヴィクトリア&アルバート博物館
- ナショナル・ギャラリー
- ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- テート・ギャラリー
- ジョン・ソーン・ミュージアム
- コートールド・ギャラリー
- ウォレス・コレクション
- サーチ・ギャラリー
- ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)
- 王立戦争博物館
[編集] 文化
[編集] 音楽
クラシック音楽のみならず、ロックやテクノに至まで、20世紀以降の音楽史における貢献度、多様性、革新性、人気のいずれも高い水準にある。クラシックにおいては世界的に有名なオーケストラが複数存在している。
[編集] 関連書籍
ミロスラフ・サセック『ジス・イズ・ロンドン』
[編集] 美術・デザイン・ファッション
長年イギリス美術は、イタリア美術やフランス美術など欧州の美術の周縁にありその後塵を拝してきた。しかしターナーらやラファエル前派など優れた画家や独自の美術運動も登場し、デザイン分野では美術と工芸の間の壁を取り払おうとするアーツ・アンド・クラフツ運動が各国のモダンデザインの運動に大きな影響を与えた。優れた工業デザインも生み出している。
戦後はアメリカの影響を受け、ファッション・デザインなどの分野では1960年代以降、ポップミュージックの隆盛と同時にカウンターカルチャーに影響を受けた斬新な作品が多数生まれ、「スウィンギング・ロンドン」は世界中の若者の心を掴んだ。以来ロンドンは継続して若者文化の世界的中心地となっている。
数人の優れた作家がいるほかはあまり冴えなかった美術や映画の分野でも、1990年代以降若い世代の美術家・映画監督が多数生まれ「クール・ブリタニア」と呼ばれる活況を呈している。
[編集] 演劇
シェイクスピアからミュージカル、前衛演劇まで各種演劇が盛んに行われており、それらのための劇場が数多く存在する。
- グローブ座
- ナショナル・シアター
- オールド・ヴィック・シアター
- ドンマー・ウエアハウス
- ハー・マジェスティ・シアター
- ドミニオン・シアター
- プリンス・エドワード・シアター
[編集] ミュージカル
- ウェスト・エンド地区に劇場街がある。近年では往年の映画やポップ・ミュージック、ロックの名作・名曲を素材にした作品に人気が集まっている。
[編集] スポーツ
[編集] サッカー
ロンドン市内および郊外には多数のサッカー・チームが本拠地を置いている。
- FAプレミアリーグ(1部相当)
- フットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部相当)
- フットボールリーグ1(3部相当)
- フットボールリーグ2(4部相当)
- カンファレンス・サウス(6部相当)
- イスミアンリーグ・プレミアディヴィジョン(7部相当)
世界的にも著名なウェンブリー・スタジアムにおいてはFAカップ決勝戦やサッカーイングランド代表の本拠として試合が行われる。
[編集] モータースポーツ
モータースポーツ発祥の地であることから、ロンドン郊外にはフォーミュラ1も開催されるシルバーストンやドニントンパークなどのサーキットが点在している。
[編集] 姉妹都市・提携都市
- 東京都とは政策協定を結んでいる。
- ベルリン(ドイツ連邦共和国)
- ニューヨーク(アメリカ合衆国)
- パリ(フランス共和国)
- モスクワ(ロシア連邦)
- ローマ(イタリア)
- 北京(中華人民共和国)
- デリー(インド)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 公式
- ロンドン市公式サイト (英語)
- 日系機関
- 旅行
- その他
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