ミュージカル
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ミュージカル (musical) とは、芝居、歌、ダンスを組み合わせた演劇である。ミュージカルとはミュージカル・シアターの略語で、ミュージカル・プレイ、ミュージカル・コメディ、ミュージカル・レビューの総称である。
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[編集] 概要
通常の演劇(ストレートプレイ)に音楽が取り入れられた音楽劇とミュージカルが異なる点は、ミュージカルでは歌も台詞の一部であり、歌やダンスが行われている間も歌い手・踊り手を含んだ登場人物によって会話やストーリーが進行していることである。歌とダンスが行なわれている間ストーリーの進行が停止してしまう作品は、ミュージカルとは言えない。
芝居、歌、ダンスがそれぞれ独立したものではなく、一体となって劇的効果を高めていることがミュージカルの一般的な形でが、全編を通じて一貫したストーリーが進行するブックミュージカルと、ストーリーが無いブックレスミュージカル(またはコンセプトミュージカル)がある。ブックレスミュージカルの代表例としては『CATS』や『コーラスライン』などが挙げられる。
台詞も全て音楽に乗せて歌うオペラ形式のミュージカルもあり、こちらはポップオペラというジャンルと重なる。代表的な作品に『オペラ座の怪人』や『ジーザス・クライスト・スーパースター』、『レ・ミゼラブル』、『ミス・サイゴン』がある。
類似の舞台作品であるオペラとミュージカルが異なる点の第一は、歌の発声法である。オペラではアリアに見られるような独特の発声(ベルカント唱法という)唱法が行われるが、ミュージカルでは好まれず、基本的にポピュラーソングと同じ発声法が用いられる。
また、オペラが基本的にクラシック音楽の一分野であるのに対し、ミュージカルではポップスからロック、第三世界の民族音楽まで幅広い音楽が自由に使用される。
第三に、オペラでは個々の音楽、特に歌が劇の筋運びなどより優先されがちであるが、ミュージカルでは音楽そのものが劇とそれを演じる役者、その音楽が使用される情景に強く結びついて一体となっている。
第四に、ミュージカルではダンスが大きな要素となっており、すべての役者が踊るのが基本である。一方のオペラでは、踊りは重視されずしばしば用いられない。台詞のあるような役者は皆歌手であり、踊りが入るとすれば専門のバレエダンサーにまかせられる。
ミュージカルには特に定まった形式はなく、さまざまな形式の作品がある。
台詞や歌のないダンスのみで構成された作品や、サーカスのような他の作品との融合、シェイクスピアなどの古典劇のミュージカル化など、様々な形式のミュージカルがある。
舞台で上演するほかに、ミュージカル映画としても数多くの作品がある。たとえば『サウンド・オブ・ミュージック』、『南太平洋』、『踊る大紐育』が代表的な例であり、主としてメトロ・ゴールドウィン・メイヤースタジオが製作を手がけた。またディズニーも長編アニメーションでミュージカル作品を多数作っており、実写とアニメーションを合成した『メアリー・ポピンズ』のような異色作も製作している。これらのミュージカル映画は舞台作品を映画化したものと、映画のためにオリジナルの作品を新たに作るものとの二種類がある。
近年では、逆に有名な映画作品を舞台ミュージカル化する例(『努力しないで出世する方法』や『イーストウィックの魔女たち』、『ナイン』など)『ヘアスプレー』も見られるようになった。
その他、コンピューターゲームの分野においても『マール王国の人形姫』シリーズの様に、ミュージカルの要素を取り入れた作品が試みられている。
[編集] ミュージカルの歴史
ミュージカルの原型は、パリで演じられていたオペラ・コミックであり、『天国と地獄』を作曲したジャック・オッフェンバックに影響を受けたヨハン・シュトラウス2世がウィーンでオペレッタ(ウィンナ・オペレッタ)を発展させ、それがベルリンオペレッタで近代化し、さらにハーバート、フリムル、ロンバーグらがアメリカに持ち込んでニューオーリンズで行われていたショーとなり誕生したと言われる。
最初はストーリー性がなくショウ的要素の強いレビューが中心だったり、男女の恋愛を描きハッピーエンドに終わる単純なストーリーの作品が多かった。そのころの代表的作品としては、レビューを中心とした出し物を演じて一時代を画した『ジーグフェルドフォーリーズ』などがある。その後、徐々に人種問題やエイズなど社会性の高い問題を取り入れて複雑なストーリーを描く現代的ミュージカルに発展してきた。現代的なミュージカルの最初の作品は1927年の『ショウボート』であると言われる。ベトナム戦争を主題としロック音楽を取り入れた『ヘアー』や、主役の背後にいる無名のダンサーたちに焦点を当てた『コーラスライン』などが作られるようになった。
もともとミュージカルはアメリカで作られたものなので、ブロードウェイがミュージカルの中心地であったが、1980年代になると完成した『CATS』や『オペラ座の怪人』、『レ・ミゼラブル』といった、イギリス生まれのミュージカル作品が世界を席巻し、トニー賞もイギリス作品ばかりが受賞する事態に陥り、一時はブロードウェイ発のアメリカ産ミュージカルの存在感が薄くなった。『クレイジー・フォー・ユー』のリバイバル上演でようやくアメリカ産ミュージカルは息を吹き返す。
現在は、ニューヨークのブロードウェイとロンドンのウエストエンドがミュージカルの本場である。近年はウイーンでもミュージカルが作られており、『モーツァルト!』や『エリザベート』といった作品が人気を得て、日本でも繰り返し上演されている。
1994年、映画大手のディズニープロが『美女と野獣』でブロードウェイに進出し、大資本を武器にブロードウェイ演劇を圧倒するのではないかと話題となった。『美女と野獣』は自社のテーマパークのスタッフを起用したためか、評論家の間ではミュージカル的ではないとさんざんな評判だったが、2作目の『ライオンキング』で前衛芸術家ジュリー・テイモアを演出家に起用し、実験演劇的な衣装デザインと舞台装置で高い芸術性を獲得してトニー賞を受賞した。
[編集] 構成
ミュージカルは通常の場合、15分程度の休息を挟んだ2幕構成であり、上演時間は2時間から3時間ほどである。まれに1幕構成の作品がある。
出演者は小規模な作品では1人から4人程度だが、大規模な作品になると40~50人にもなる。コストを圧縮するために、1人で何役も演じるアンサンブルもしくはノーボディーと呼ばれる俳優がいることが多い。
音楽はオーケストラやバンドによる生演奏が基本だが、日本では興行的な問題などで劇団四季の様にしばしばテープによる演奏が行われる。通常は舞台下または舞台手前に設けられたオーケストラピットで演奏されるが、演出によっては舞台上に設定されたり、俳優に混じって演技の一部として演奏することがある。
[編集] 興行形態
[編集] アメリカ、イギリス
ブロードウェイやウエストエンドでは、上演が始まると客足が落ちて収益が見込めなくなるまで興行が続けられる。そのため、ヒットした作品は何年でも上演を続けられ、数年に及ぶロングランとなる作品も少なくない( → 最長連続上演記録については「ロングラン公演」を参照)。
新たな作品の制作には短くても1年以上の期間をかけることが多く、カンパニーと呼ばれる単位でミュージカルを制作する。プロデューサーが企画を立てて出資者を募り、オーディションで出演者を選抜してカンパニーを構成する。実力がありさえすれば新人でもオーディションに合格することができるので、一夜にして無名の新人が大スターになることもある。逆に名声の確立した大スターであっても役のイメージに合わなければ採用されない。舞台装置は作品ごとに専用のセットと音響装置を舞台に作りこむのが普通で、劇場の設備を使用することはほとんどない。
ブロードウェイ・ミュージカルの場合、まずトライアウトと呼ばれる地方公演で観客の反応を見ながら作品の手直しを行う。時には曲や演出の大幅な変更、スタッフ、キャストなどの大幅な入替えを行う。ヒットしそうな作品に仕上がるとブロードウェイでの上演を行う。これとは別に、オフ・ブロードウェイまたはオフ・オフ・ブロードウェイと呼ばれる小規模な劇場で実験的に上演し、好評であれば次第に大きな劇場に移るやり方もある。
ブロードウェイでヒットすると、オリジナルのカンパニーとは別に巡業用のツアーカンパニーを組織し全米各地で巡業を行ったり、シカゴやトロント、ロサンゼルス等の大都市でロングラン公演が行われることも多い。また、ワールドツアーカンパニーを組織して世界各地を従業して回ることもある。
[編集] 日本
日本では、ミュージカル公演は劇団四季、宝塚歌劇団、ふるさときゃらばん、音楽座ミュージカル/Rカンパニーなどに代表される劇団形式と東宝、ホリプロなどの製作会社によるプロデュース方式が混在している。また、製作のほとんどが東京を中心とする首都圏で行なわれ、地方都市は宝塚歌劇団を除くと実態としては皆無である。
劇場の契約が月ごとのため、毎月演目が変わるレパートリー上演が主であり、専用劇場を持つ劇団四季以外はロングラン上演方式を採用していない。どんなに大ヒットしても1ヶ月でクローズするので、1ヶ月分以上の収益を見込めず、できの良い作品が高い収益を継続的に生み出すことが難しい形態となっている。また、上演し続けることで手直しを加えながら完成度を高めていくことも難しいため、自然と事前に集客力を見込める、知名度の高い既存のスターを中心とした座長芝居やブロードウエイやウェストエンド作品になりがちで、個人客よりも安定した動員を見込める団体客による集客も営業上重要になる。
また地方公演では、地方公共団体のホールの貸出規則が厳しく、ロングラン公演はおろか月単位での公演を行うのも難しい。
[編集] ミュージカルから生まれたヒットソング
ミュージカルの中のナンバーが作品を離れて、ヒットソングとなることがある。『ラ・マンチャの男』の「見果てぬ夢」はさまざまな歌手によってカバー版が歌われた。『CATS』の「メモリー」は作品よりも先に世界的なヒットとなり、『ジキル&ハイド』の「今このとき」は1992年アルベールビル冬季オリンピックの公式テーマ曲に選ばれた。『わたしを野球につれてって』のタイトルナンバー「わたしを野球につれてって」はアメリカのメジャー・リーグの7回攻撃前に必ず球場で観衆が歌う事が慣例となっている。また、『サウンド・オブ・ミュージック』からは多くのヒット曲が生まれ、「ドレミのうた」「エーデルワイス」「私のお気に入り」などは、さまざまにアレンジされてカバーされ、今やもともとのミュージカルを離れ、世界的にポピュラーな曲となっている。
日本では1960年に初演された「見上げてごらん夜の星を」のタイトルナンバーがヒットした例がある。
[編集] 関連項目
- その他