イングランド銀行
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イングランド銀行 Bank of England (英語) |
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本店 | ロンドン | ||
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位置 | 北緯51度30分50.76秒西経0度5分18.96秒 | ||
設立 | 1694年7月27日 | ||
総裁 | マーヴィン・キング | ||
国 | イギリス | ||
通貨 | UKポンド | ||
ISO 4217 コード | GBP | ||
基準貸付利率 | 5% | ||
ウェブサイト | bankofengland.co.uk | ||
継承 | 通貨委員会(アイルランド共和国のみ) |
イングランド銀行( イングランドぎんこう、Bank of England)は連合王国の中央銀行。
本店がシティのスレッドニードル通りに所在するため、「スレッドニードル通りの老婦人」と呼ばれることがある。現任の総裁は2003年6月30日に就任したマーヴィン・キング。なお、歴史的には、「英蘭銀行」と表記されることもままあった。この場合「蘭」は音訳に伴うもので、オランダを意味するものではない。
目次 |
[編集] 歴史
イングランド銀行は、スコットランド人のウィリアム・パターソンにより当時大同盟戦争(ファルツ継承戦争)下にあったイングランドの軍事費を資金する目的で1694年に創設され、イングランド王国政府の銀行として同年7月27日のウィリアム3世・メアリー2世の勅令により認可された。初代総裁はジョン・フビロンであった。これは、名誉革命によって国王となったウィリアム3世治下のイングランドがオランダ財政に学んだ結果でもあった。当時、同銀行の設立に加え、証券市場の成立などの改革も進められた[1]。
ウィリアム・パターソンは翌年のスコットランド王国政府のスコットランド銀行設立にも関わっているが、スコットランド銀行は経済的に深刻な状況にあったスコットランド国内への投資およびスコットランド会社によるダリエン計画への投資を目的としておりその性格は異なっている。
なおスコットランドの経済破綻に伴う連合王国の成立はこの10年余り後の1707年である。
イングランド銀行は、1734年には現在地に移転し、次第に敷地を拡張していった。
バルト海貿易で富を築き、イングランド銀行総裁を務めたジョン・ソーントンは、息子ヘンリやサミュエルらとともに奴隷貿易廃止法案に尽力した[1]。1807年、大英帝国内での奴隷貿易は禁止された。
19世紀半ばのヴィクトリア朝時代から第一次世界大戦の終わりまでのイギリスは「世界の銀行」と呼ばれ、世界各地の政府、鉱山、工場、プランテーションなどに投資して、利子を稼いだ。統計によれば、1914年における、世界の海外投資の43パーセントをイギリスが占めていたという。
ロンドン旧市街のシティ・オブ・ロンドンには、こんにちでも400以上の外国銀行や証券取引所、海上保険庁その他の金融機関が並んでいる。
[編集] 機能
1998年イングランド銀行法で制定された諸機能、つまり物価安定の維持と英国政府の経済政策支援を遂行する。
- イングランドとウェールズにおける通貨発行権(UKポンド参照)
- 政府の銀行であると共に「最後の貸手」として銀行の銀行である。
- 外国為替と金準備を管理し、政府の証券(国債)を登録する。
- 政府統合基金の運営
かっては銀行業界の規制・監督も行っていたが、この責任は1998年以来、金融サービス機構(FSA)に移行した。 また1997年以来、金融政策委員会が政策金利など金利設定の責任を有している。 スコットランドと北アイルランドの通貨発行権はその地域の銀行がもっているが、イングランド銀行に通貨発行額とほとんど同額の預け入れを義務付けられている。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 井野瀬久美惠『大英帝国という経験』講談社、2007年4月、ISBN 978-4-06-280716-6
[編集] 外部リンク
- イングランド銀行公式サイト (英語)