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メルボルン - Wikipedia

メルボルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

メルボルン・ダウンタウン
メルボルン・ダウンタウン

メルボルンMelbourne) は、オーストラリアビクトリア州州都で、オーストラリア大陸南東部、 ポート・フィリップ湾に面したヤラ川河口の港市。都市圏人口は370万人 (2006年オーストラリア統計局概算)で、同州最大、オーストラリアではシドニーに次ぐ第二の規模の都市である。メルボルンは地球最南端の人口100万人を超す都市でもある。

しばしばシドニーとの比較がなされるが、近代的で忙しい大都市のイメージが強いシドニーと比べると、歴史的な建物や文化が残り、のんびりして住みやすいという印象を持たれており、2002年2004年の二度、エコノミスト誌の「世界で最も暮らしやすい都市」で一位を獲得している。市内各所には、未だにイギリス風の建造物が多く残っており、アフタヌーンティーをたしなむ習慣も残っている。

メルボルンはしばしばセカンドクラスの世界都市、と分類されることもあり都市部再開発を行っている。 例えば、雑誌 "CITIES" に掲載された、イギリスランバラー大学のthe GaWC study group には、大阪バンクーバープラハと並び 「高度に発展した、マイナーな世界都市」 と格付けされた (1999年)。 ロンドンニューヨークパリに次ぐ多さで世界の学生が学ぶ。

発音は/ˈmɛlbən/, /ˈmelbən/。 日本語で 「メルボルン」 と言っても通じないことが多い。 「メオベン」 が現地豪州の発音に最も近いと思われる。 蛇足だが、北米式の発音だと 「メオボーン」 に近い音となる (米フロリダ州にも Melbourne 市があり、そう呼ばれている)。

メルボルンの夜景
メルボルンの夜景
オーストラリアでのメルボルンの位置
オーストラリアでのメルボルンの位置

目次

[編集] 歴史

主要記事:History of Melbourne
主要記事:Timeline of Melbourne history

[編集] 初期

ポートフィリップヤラ川の辺りは30000年前からその地に住むと思われる先住民族クリン, Kulin の地であった。 彼らは漁業狩猟、採集などを行いポートフィリップの豊かな資源によって生活していた。 ヨーロッパ移民により持ち込まれた病気に多くが打撃を受け、虐待、誤治療、アルコール、性病、によってクリンの人々の数は急激に減った。1870年代までに多大にいなくなってしまい、今日にメルボルンに住むほとんどのアボリジニーは他の地域から来た人々である。 今日アボリジニーの歴史を残すものは少なく、例えばカヌーに使われた木がメルボルンクリケットグラウンドの近くにある他、ポートフィリップ沿岸にある貝塚くらいである。

1798年にウェスタンポートまで行ったジョージ・バスによってバス海峡が発見される。 レディーネルソン号で1802年ジョン・マレーがポートフィリップを発見すると、マシュー・フリンダースが後に続いた。 1803年にチャールズ・グリムズはヤラ川の河口を発見し、今のケイラー地区まで到達。 同1803年のちに、NSW総督フランスのバス海峡地域の占領を恐れ、デイヴィッ・コリンズ大佐を300人の囚人とともにポートフィリップ、モーニントン半島のソレントに送り居住地を拓かせようとするが、淡水の不足のために断念。 1804年タスマニアへ居住地を移しホバートを創る。 その囚人のなかには後の開拓者、政治家の ジョン・パスコー・フォークナー がいた。

バス海峡の北岸はクジラ狩猟者、アザラシ狩猟者が20年ほどいた。 1824年ハミルトン・ヒュームとWilliam Hovellは陸路でNSWからウェスタンポートを目指してきたが、代わりにコリオ湾に着き、良質な放牧地を発見する。 10年後、タスマニアで放牧をしていたエドワード・ヘンティは今のヴィクトリア西部、ポートランド (Portland, Victoria) の王領地に違法で羊牧地を設立した。

北タスマニアで成功していた農家ジョン・バットマンは更に放牧地を求めて1835年4月、バス海峡をポートフィリップに渡りヤラ川の河口に着く。 6月8日彼の手記に、「そしてボートは広い河を上った... そして... 6マイル上流に良質でとても深い河を見つけたことを嬉しく思う。 この場所は村を作るのに適している (This will be the place for a village.)」 と書いてある。 この最後の文は後にメルボルン建設憲章として有名である。

バットマンはローンセストン, Launceston に戻りヤラに居住地を拓くための大規模な探検の準備をする。 しかし同時期にその時にはローンセストンで実業家となっていた John Pascoe Fawkner は同じアイディアを持っていた。 フォークナーはスクーナー船エンタープライズ号を買い、移住しようとする人々とともに4月4日に出航した。 1835年4月30日に代理艦長を務めていた John Lancey は居住地になる土地を選び、船を泊め船上の荷物を下ろした。 そのスポットはヤラ川北岸、今のスペンサーストリートとキングスブリッジの間の辺りである。

一方でバットマンはレベッカ号で出航し、9月2日にヤラに着いたが既にフォークナーの人々がいるのに落胆し、憤慨した。 2つのグループにとって十分な土地があり、10月16日フォークナーが他の居住者とともに到着すると、彼は土地を分配して、誰が最初に着いたかで論争しないことに同意した。 バットマンとフォークナーは新しい町に住み、1837年3月英国首相メルボルン卿にちなんで正式に "Melbourne" と名付けられるまで幾つかの仮の名前がその町に使われた。

メルボルンはヤラ河岸にテントや小屋の集まりで始まったが10年もしないうちに牧畜の中心地となり、石やレンガで金融ビルが建てられた。 1836年9月にはニューサウスウェールズ植民地のポートフィリップ地区の行政中心地になる。

1851年7月居住者はヴィクトリアを独立した植民地にする運動を治め、ラ・トローブは最初の総督代理になった。 数ヶ月後金が Ballarat, Bendigo を初めとする植民地の各地で見つかった。 続いて起こったゴールドラッシュはヴィクトリア、特にメルボルンを急激に変革させた。

[編集] ゴールドラッシュ以降

1850年代にヴィクトリア州中央部で金が発見されたことによりゴールドラッシュが始まり、港による貿易の必要性から急速に発展した。 1880年代は大英帝国で2番目に大きな都市となり、「素晴らしいメルボルン」 として知られた。 今日ではヴィクトリア女王時代の建築物がロンドンを除く世界中の都市で最も多く残っている。

1901年オーストラリア連邦が成立してから、1927年キャンベラに移転が開始されるまでは連邦の臨時首都であった。

第二次世界大戦での移民の流入により20世紀前半は着実に拡大を続けた。 1956年に南半球で初の夏季オリンピック大会 (メルボルンオリンピック) が開催された。 2000年にシドニーでオリンピックが開催されるまでは、南半球で唯一の開催地であった。

1990年代を通じて、クラウン・カジノやメルボルン博物館、メルボルンエキシビション・コンヴェンションセンターなどの公共建築物が積極的に造られた。

[編集] 地理

中心部地図
中心部地図
ヤラ川の夜景
ヤラ川の夜景

メルボルンはオーストラリア大陸の南東部に位置し、大陸では最南に位置する州都である。 ポート・フィリップ湾に面し、郊外は東に広がる。 湾口の南東に位置するダンデノン丘陵とヤラ丘陵からヤラ川が注ぎ、en:Maribyrnong川とその支流の西と北は平坦な農業地域になっている。

旧市街地 (City) では超高層ビルが並ぶ風景が見られ、その南端はヤラ川に接する。 郊外では人口密度が低く、片側4車線程度の道路が碁盤の目状に敷かれ、一戸建てで広大なを持った家々が並ぶ。

[編集] 地球上での位置

日本では一般に、 「オーストラリア国旗にはイギリス国旗 (ユニオンジャック) も描かれている」 または 「オーストラリアはアメリカやイギリスと同じくアングロサクソンの国」 との認識より、メルボルンに対してもアメリカやイギリスの都市と同じ印象を持たれているようである。 それに加え、日本からメルボルンへの距離や飛行時間は 方角が違うだけで アメリカ西海岸あたりとほぼ同じな為、「豪州=欧米」 感覚の人が多い。 しかし、逆にメルボルンから世界を見れば、実のところ地球上ではかなり特異な場所に位置しており、パース (オーストラリア)・アデレードと同じく 「世界から隔離された都市」 なのである。

メルボルンを中心とした正距方位図法の世界地図を見ると、ロサンゼルスシアトルシカゴマイアミニューヨークアンカレッジバンクーバートロントアテネローマウィーンフランクフルトパリアムステルダムロンドンなどを含む 「北半球のアメリカ本土 (ハワイは除く)・アラスカ・カナダ・ヨーロッパ諸国」 とはすべて 12000km以上遠く離れている。 東京から 12000kmといえば、アメリカを超えて大西洋に浮かぶバハマ、ヨーロッパを越えてアフリカのモロッコ、インド洋を越えて南半球のアフリカ南部のマラウイ、オーストラリアを越えて南極大陸にそれぞれ届く距離で、それ以上に離れているということである。

逆に、12000km圏内にあるメルボルンと同じ欧米系の民族のいる国・地域 (中東系は除く) は、隣国のニュージーランドハワイグアム (アラスカとカナダとアメリカ本土は入らない)・南アフリカ共和国ジンバブエナミビア共和国・ウラル山脈以東のロシア (モスクワやサンクトペテルブルクは入らない)・中央アジア5ヶ国 (旧ソ連諸国で圏内に入るのはロシア以外この5カ国のみ)・チリアルゼンチンウルグアイ (中南米&カリブ海諸国の中で圏内に入るのはこの3カ国のみ) しかない。

それでも、タラマリン空港からは超長距離用特別仕様のカンタス航空機による 12000km超えのロサンゼルスへのノンストップ便が就航している (飛行距離 (片道):約12800km。 所要時間:メルボルン発= 14時間5分、ロサンゼルス発= 15時間15分)。 このメルボルン-ロサンゼルス便は数年前にやっと就航が実現したばかりであり、世界でも有数の長距離路線として知られている。 なお、日本からだと片道 12000kmを超える国際線のノンストップ便は一便もない。

この 12000km超えのノンストップ便は現在ロサンゼルス便のみで、他のアメリカの都市やカナダやヨーロッパ諸国、モスクワ、上記3カ国以外の中南米&カリブ海諸国などへはロサンゼルス以上の遠さのため、それらの場所へノンストップ便が就航している日本や同じアングロサクソンのアメリカ・イギリス・カナダ・南アフリカ共和国とは違い、ノンストップ便はまだ飛べない。 この為、世界の航空業界では 『国際線が超長距離便ばかりになるのはオーストラリアの宿命』 と云われている。 毎年メルボルンで開催されている 「全豪オープンテニス」 は、他のテニストーナメントが主に北半球の欧米諸国で開催されている (ロサンゼルスだけに限らない) 中で、選手達にとってこのような長時間 & 長距離の移動と時差があり、おまけに真冬の北半球とは季節が逆の真夏の大会で、いろいろハードな調整を必要とするため、番狂わせが起こりやすいことでも有名になっている。

一方、日本との距離は約8000km強で、メルボルンからだと歴然と 『近隣諸国の一つ』 であり、東京-メルボルン間にはノンストップ便も就航している。

[編集] 気候

  • 西岸海洋性気候(Cfb)に分類されるものの、天気が変わりやすい。
  • 冬期においてはオーストラリアの州都の中で最も冷え込むものの、降雪は希である。
  • 2006年には観測史上最悪の旱魃に見舞われ、例年ならば年間でも比較的降水が多い9月、10月に全く雨が降らなかった。


気候
  Jan Feb Mar Apr May Jun Jul Aug Sep Oct Nov Dec Yearly
平均最高気温 () 25.8 25.8 23.8 20.2 16.6 14.0 13.4 14.9 17.2 19.6 21.8 24.1 19.8
平均最低気温 () 14.2 14.5 13.1 10.7 8.6 6.9 5.9 6.6 7.9 9.4 11.1 12.8 10.1
平均総降雨量 (mm) 48.2 47.0 50.6 58.2 56.6 49.8 47.9 50.3 58.7 67.4 59.3 59.1 653.2
平均降雨日数 8.3 7.4 9.3 11.5 14.0 14.2 15.1 15.6 14.8 14.3 11.8 10.5 146.7
平均快晴日数 6.3 6.3 5.7 4.4 3.0 2.5 2.7 2.9 3.4 3.6 3.5 4.4 48.5
平均曇天日数 11.2 9.7 13.4 14.9 18.0 16.8 17.2 16.8 15.7 16.4 15.1 14.2 179.5
出典: Bureau of Meteorology

[編集] 人口構成

メルボルンの人口
1836 177
1851 29,000
1854 123,000 (gold rush)
1860 140,000
1880 280,000
1890 490,000
1895 900,000 (economic collapse)
1956 1,500,000
1981 2,806,000
1991 3,156,700 (economic slump)
2001 3,366,542
2004 3,592,975
2006 3,720,300 (2006 estimate)
2030 4,500,000 (projected)
メルボルン
都市部人口密度
(人/ha)
1951 23.4
1961 21.4
1971 18.1
1976 16.75
1981 15.9
1986 16.05
1991 16.8
1996 17.9

この街は誕生以来、19世紀ゴールドラッシュ期、二度の世界大戦後の難民など、各国からの移民を多く受け入れてきた。 人口の約74%がアングロサクソン系、約19%がその他のヨーロッパ系、約5%がアジア系 (近年とみに増加率が高い) である[要出典]ギリシャ系も多くギリシャやキプロスを除くと世界でもっとも多くのギリシャ人が居住することで有名でありギリシャ系のお祭りも多く行われている。 中国人街ヴェトナム人街、イタリア人街など、国ごとのコミュニティを形成して住む傾向にある。 そのため多種多様な食文化の影響を受け、広大な農地と隣りあって食材も豊富であるため、各国の料理を手軽に味わうことができる。 国外からの留学生の受け入れにも積極的。

世界最高級の生活水準・環境、治安の良さそして英語が公式言語であることも手伝ってか移民先として世界でも屈指の人気がある。

[編集] 産業

メルボルンはオーストラリアの3つの大きな企業、テルストラBHPビリトン, ナショナルオーストラリア銀行 の本拠地があり、また Business Council of Australia, the Australian Council of Trade Unions 、オーストラリア証券取引所に名を連ねる会社の多くがある。

商業工業の大きな中心地であり、多くのオーストラリアの大企業の本社 (四大銀行のうち二行の本店) が立地するが、海外企業の地域本部はシドニーを好む傾向がある。 オーストラリアの自動車工業の中心地であるほか、機械工業食品加工業が盛んである。 繊維被服履物工業が盛んであったが輸入の影響による縮小が著しい。 同国のファッションの中心地であるのはその名残である。

[編集] 政治

タウン・ホール
タウン・ホール

メルボルン都市圏は、30の市議会 (議員は公選、市長は議員から市議会が選出のen:弱い市長制) の管轄領域に分割される。 オーストラリアの他州の州都と同様、都市圏全体の行政は州政府の管轄であり、メルボルン圏だけを管轄する地方自治体はない。 都心部を管轄するメルボルン市議会の市長は、"'Lord' Mayor" という上級の呼称をもっているが、権限は他の市長と変わりない。

[編集] 文化及びスポーツ

[編集] 名所

  • en:クラウン・カジノ: アート・センターからヤラ川沿いにすぐ近くにある。 南半球最大のギャンブル場やレストラン、高級ブティック、ナイトクラブ、2つのホテル、シネマコンプレックス、フロアショーが入居している。また、毎晩夜になるとアボリジニの儀式をイメージした「炎のショー」(毎時毎に点火)がヤラ川沿いで行われており、メルボルンの名物の1つとなっている。(観覧は無料)
  • コモ・ハウス(Como House)
  • en: 旧メルボルン監獄: 19世紀の大強盗、ネッド・ケリーが処刑されたことで有名な監獄。
  • 聖パトリック大聖堂 (Saint Patrick's Cathedral)
  • リアルト・タワー (Rialto Tower): 南半球で最も高いオフィスビルであり、55階には市内を一望できる展望台がある。
  • キングス・ドメイン (King's Domain)
  • en: クイーン・ヴィクトリア・マーケット: ヴィクトリア州最大のマーケットで、野菜、果物、精肉、魚介などの食品から、雑貨、皮革製品、お土産まで幅広い商品が取り扱われている。


[編集] 博物館・美術館

メルボルン博物館
メルボルン博物館

[編集] 動物園・水族館

ルナ・パーク
ルナ・パーク


[編集] スポーツ

参照:ビクトリア州のスポーツ
メルボルン近郊の AFL チーム
メルボルン近郊の AFL チーム
  • メルボルン・スプリング・レーシング・カーニバル
メルボルンカップをメインレースとして複数のレースからなるオーストラリア競馬最大の祭典で、オーストラリアでも最大級のスポーツイベント。 開催される11月の第1火曜日は都市圏の公休日となり、145年以上続くメルボルンカップは "国を止めるレース" と呼ばれる。
アルバートパークで、1996年から開催 (以前はアデレードで開催)
1972年から毎年1月に開催
  • AFLグランドファイナル
オージーフットボールの中心地

などが主要なスポーツイヴェントとして行われる。

1956年には南半球最初のオリンピック2006年にはコモンウェルスゲームズが開かれた。

更に、オーストラリアで盛んなクリケットに関しては、メルボルン・クリケットグラウンドでの試合が行われている。

2007年には世界水泳選手権が当市で開催された。

[編集] ショッピング

  • メルボルン市内のバーク・ストリート
  • サウス・ヤラのチャペル・ストリート
  • フィッツロイのブランズウィック・ストリート

[編集] 社会基盤

[編集] 教育

情報: List of schools in Victoria

メルボルン大学モナシュ大学ラ・トローブ大学スインバン大学ビクトリア大学ディーキン大学RMIT大学オーストラリア・カトリック大学の本部や主要なキャンパスがある。
州立の高級職業訓練学校であるTAFE, 私立の専門学校も多い。
州立・私立の初等中等教育機関にはさまざまな種類のものがある。
公式な学位や資格を授与しない成人教育機関も数多い。

メルボルンの教育機関の公式サイト

[編集] 交通

主要記事:Transport in Melbourne

[編集] 公共交通

フリンダーズストリート駅(2008年3月)
フリンダーズストリート駅(2008年3月)


メルボルンの公共交通機関はヴィクトリア州政府による許可のもとで、路面電車鉄道それぞれを運営する会社によって提供されている。 これらは1990年代後半までは州政府が直接経営していた。 現在これらのシステムはen:"Metlink"と命名されている。

路面電車は、約240kmという世界でも屈指の充実した路線網を誇る。 旧市街 (City) から郊外へは放射状に近郊電車が伸びている。 そのターミナルであるフリンダーズ・ストリート駅は、入口にずらりと時計盤 (各路線の発車時刻を示す) が並んだ姿が特徴的で、メルボルンのシンボル的建築の一つである。 この近郊路線は旧市街の縁を一周 (City Loopと呼ばれる) しているが、北・東辺の半周三駅以外に地下鉄路線はない。

なお、路面電車の中心部周回路線には観光客向けの無料路面電車(CITY CIRCLE)が走っており、市内各所の観光名所を廻ることが出来る。(茶色の古電車が目印。無料ゆえ、エアコンは導入されておらず、夏場は要注意)

市内には多くのバス会社が存在する。 長距離列車は都心部西部のen:サザンクロス駅に発着する。 州内の列車は V-LINE と呼ばれる。 州外への列車にはアデレード行きやシドニー行きのものがある。 同駅および都心部北部に高速バスターミナルがある。

近郊電車と路面電車、それに路線バスはメットカード (Met Card) と呼ばれる共通の切符で利用することができ、購入した地域 (ゾーン) 内であれば一定の時間、自由に利用することができる。 地域 (ゾーン) はシティを中心に近い (半径約10km) 地域 がゾーン1、それ以外がゾーン2となる。 料金システムは各ゾーンを対象に購入 (ゾーン1内の利用であればゾーン1のチケットを購入)、もしくは利用するゾーンがまたがる場合はゾーン1+2のようにチケットを購入するシステムになっている。 また日曜日にはサンデイセイヴァーと呼ばれる日曜日だけの大幅に割引された特別券を利用することができ、ゾーン1,2の全エリア同じ料金で乗ることができる。

[編集] 道路

メルボルンの道路は一般に道幅が広く、住宅地の一般的な道路でも片側2車線ある。 また、歩道も完備されている。 高速道路に関しては、信号があるものの時速100kmで走行できるハイウェイと、一般の道路とは切り離されているフリーウェイがある。 どちらも無料で利用することができる。 また、以前は市街地 (City) をはさんで市の東西を移動するのには大変な時間がかかるという問題点もあったが、近年開通した有料道路 City Link により現在では解消している。 ただこの City Link も近年の人口・車所有率の上昇に対応しきれず、朝・夕の通勤ラッシュ時にはかなりの渋滞を引き起こし、ラッシュ時のさらなる渋滞を避けるため、City Link 入口に信号を設置、利用者の車の数を制限し渋滞を緩和しようと試みている。

[編集] 空路

  • メルボルン空港 (タラマリン空港)、国際空港、メルボルン北西のタラマリン地区、国際・国内便
  • アバロン空港、メルボルンと南西のジーロングの間に位置する第2の空港、格安航空会社による大陸部他州都への便が就航
  • エセンドン空港、メルボルンで最初の主要空港であるが、長らくの間使われていない
  • オーストラリア空軍のクック・ポイント基地は都市の南西の端に位置する

[編集] 海路

メルボルン港はオーストラリアで最大のコンテナと一般貨物の港である。 世界中の 300の都市との間に貨物航路があり、年間3200隻の船が発着する。 メルボルン港はメルボルン中心部の西の Maribyrnong川とヤラ川の交差する地点にある。 同港とタスマニア州en:デボンポートを結ぶ定期カーフェリーen: 「スピリット・オブ・タスマニア」の埠頭には、路面電車でもアクセスできる。

[編集] 姉妹都市

メルボルンは多数の都市と姉妹都市提携をしている:

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
公式
日系機関
旅行



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