キプロス
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- キプロス共和国
- Κυπριακή Δημοκρατία (ギリシャ語)
Kıbrıs Cumhuriyeti (トルコ語) -
(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : 自由への賛歌
-
公用語 ギリシャ語、トルコ語 首都 ニコシア 最大の都市 ニコシア 独立 イギリスより
1960年8月16日通貨 ユーロ(EUR) 時間帯 UTC +2(DST: +3) ccTLD CY 国際電話番号 357 - 註1 : この内、3,355km²は、北キプロス・トルコ共和国の実効支配地域。
キプロス共和国(キプロスきょうわこく)、通称キプロスは、トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める島国である。ヨーロッパ連合加盟国。首都はニコシア。
キプロス島の一部は、往来は容易であるものの共和国領ではなく、イギリス海外領土のアクロティリおよびデケリアである。さらに1974年以来、南北に分断されており、島の北部約37%を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・トルコ共和国が占めている。元来はギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は、現代ギリシャ語で Κυπριακή Δημοκρατία (ラテン文字転写: Kypriakí Demokratía; キプリアキ・ディモクラティア)、トルコ語で Kıbrıs Cumhuriyeti (クブルス・ジュムフリエティ)。通称は、現代ギリシャ語では Κύπρος (キプロス)、トルコ語では Kıbrıs (クブルス)。なお、古典ギリシャ語では「キュプロス」と発音された。
公式の英語表記は、Republic of Cyprus(リパブリック・オブ・サイプラス)。通称は、Cyprus。
日本語の表記は、キプロス共和国。通称は、キプロス。日本の外務省は、かつて英語読みに倣い「サイプラス」とする表記を取っていた。
キプロスの語源は、古代ギリシャ語のイトスギ (kyparissos) 由来説と、同じく古代ギリシャ語の銅 (Chalkos) 由来説とがある。いずれもこの地に多かったもので、銅については、さらにこの地名(キプロス)が、ラテン語や英語で「銅」を意味する単語の語源となった。
1983年以来、北部のトルコ系住民支配地域は、「北キプロス・トルコ共和国」(Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyeti; クゼイ・クブルス・テュルク・ジュムフリエティ。より厳密に訳せば「北キプロス・トルコ系住民共和国」)として分離独立を宣言している。キプロス共和国はギリシャ系住民の支配地域のみを統治しており、キプロス共和国支配地域は北キプロスとの対比から、南キプロスとも呼ばれることもある。
なお、北キプロスおよびその後援国であるトルコ共和国は、ギリシャ系・トルコ系両住民の連合国家であるキプロス共和国は既に1974年の南北分裂時に解体したのであり、南部のギリシャ系住民のみが不法にキプロス共和国を名乗り続けていると見なす立場から、キプロス共和国を承認せず、キプロス共和国支配地域のことを「南キプロス・ギリシャ系住民管理地域」(Güney Kıbrıs Rum Yönetimi; ギュネイ・クブルス・ルム・ヨネティミ)と称する。
[編集] 歴史
キプロスは東地中海を往来する諸民族、諸文明の中継地となったため、その歴史は古い。紀元前にはヒッタイト、アッシリア、エジプト、ギリシアなどの支配を受けた後、紀元前76年にローマに併合された。ローマ帝国の支配下でキリスト教が伝えられ、ローマ帝国の分裂後も東ローマ帝国(ビザンツ)の支配下に留まった。
キプロスは1191年に十字軍の途上にこの島に立ち寄ったイングランド王リチャード1世によって征服され、フランク人(西ヨーロッパ人カトリック教徒)の支配するキプロス王国が建国される。キプロス王国は1470年に相続者を欠いたことから断絶し、ヴェネツィア共和国がキプロスを植民地として手に入れた。1571年にはオスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪い、キプロス州を置いた。
エジプトの植民地化を進めていたイギリスはこの島の戦略的価値に目をつけ、1878年、露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便宜を図った代償にキプロス島の統治権を獲得。さらに1914年、同年勃発した第一次世界大戦でオスマン帝国が敵対したのを理由に正式に併合した。
第二次世界大戦後、ギリシャ併合派、トルコ併合派による反イギリス運動が高まったため、1960年にイギリスから独立。しかし1974年にギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領し、さらにトルコ占領地域にトルコ系住民の大半、非占領地域にギリシャ系住民の大半が流入して民族的にも南北に分断された。
南北キプロスの間では国際連合の仲介により和平交渉が何度も行われ再統合が模索されているが、解決を見ておらず、北キプロスのトルコ系住民は、1983年以来、トルコのみが承認する「独立国家」北キプロス・トルコ共和国として南との分離を主張している(詳しくは、キプロス問題を参照)。
[編集] 政治
1960年の独立時に制定されたキプロス共和国の憲法は、ギリシャ系住民とトルコ系住民の人口バランスに配慮して、元首である大統領をギリシャ系とし、その行政権限を分掌し拒否権を持つ副大統領をトルコ系からそれぞれ選出し(任期5年)、国会議員、官吏、軍人などの人数も比率が7対3になるように定めている。一院制の議会(任期5年)はギリシャ系(56人)とトルコ系(24人)で別々に選挙を行うことになっている。
1974年に南北分断された後は、キプロス共和国は南部を占め、ギリシャ系住民のみの政府となっている(以下、キプロス島南部のギリシャ系キプロス共和国政府支配地域は「南キプロス」と略す)。南キプロスでは、政府における憲法上のトルコ系の定員は空席となり、副大統領は置かれず、議会の実質上の定数は56人となっている。
国防組織としては、南キプロスではキプロス国家守備隊 (Cypriot National Guard) が組織されている。これは陸海空軍の混成組織である。徴兵制であり、国民は18歳で徴兵され、約25ヶ月の兵役に就く。また、南キプロスにはギリシャ軍が駐留している。
一方、分離独立を主張する北キプロスには公選の大統領がおり、一院制の議会(定員50人、任期5年)で選出される首相とともに行政を行う。1983年の独立後、1985年に北キプロスで最初の選挙が行われたが、この手続きを国際的に承認しているのはトルコのみである。
北キプロスにも国防組織が整備されているほか、トルコ軍が駐留している。
南北キプロスを隔てる境界線(グリーンライン)には国連キプロス平和維持軍 (UNFICYP) が駐留して監視している。
2008年2月24日に行われた大統領選挙の決選投票が行われた。労働人民進歩党(AKEL)書記長のディミトリス・フリストフィアスが53.36%で当選し、欧州連合加盟国で異例の共産系大統領が誕生した。因みに、カリスデス氏は46.64%。フリストフィアス氏の当選で、「北キプロス・トルコ共和国」(トルコ系住民)と「キプロス共和国」(ギリシャ系住民)との再統合交渉が推進されると期待されている。 これに先立ち、同年2月17日に第1回選挙が行われ、右派のカリデス欧州議会議員が33.51%、左派のフリストフィアス書記長が33.29%、現職のパパドプロス大統領が31.79%であり、決選投票となった。
[編集] 地域区分
慣用名 | ギリシャ語名 | トルコ語名 |
---|---|---|
ファマグスタ (Famagusta) |
アモホストス (Αμμόχωστος) |
マウサ (Mağusa) |
キレニア (Kyrenia) |
ケリニア (Κερύνεια) |
ギルネ (Girne) |
ラルナカ (Larnaca) |
ラルナカ (Λάρνακα) |
ラルナカ (Larnaka) |
ニコシア (Nicosia) |
レフコシア (Λευκωσία) |
レフコシャ (Lefkoşa) |
リマソール (Limassol) |
レメソス (Λεμεσός) |
レイモスン (Leymosun) |
パフォス (Paphos) |
パフォス (Πάφος) |
バフ (Baf) |
キプロス島は、事実上2つの国家に分断されており、南部がキプロス共和国政府(ギリシャ系住民)が支配する地域、北部が北キプロス・トルコ共和国としてトルコ系住民が分離独立を主張している地域となっている。
分断以前のキプロス島は、行政的に右記の6地区(ギリシア語: επαρχία / トルコ語 : kaza)に分かれていた。ここでいう地区は「州」とも訳されるが、元来はキプロス州におかれた「郡」にあたる行政区画である。
分断後はキプロス島全6地区のうち、ファマグスタ地区、キレニア地区の全域と、ラルナカ地区およびニコシア地区の一部が北キプロス領となっており、とくに首都ニコシアは町の中心で分断されている。なお、ファマグスタは現在の北キプロスではトルコ語で戦士を意味するガーズィーの称号を冠してガーズィマウサ(Gazimağusa)と呼ばれている。
キプロスは、旧イギリス植民地であり、2つの公用語でそれぞれ異なった地名を持つことから、地名は英語名で呼ばれることが一般的であり、以下の地図もそのように記されている。しかし、南キプロスではギリシャ語の地名、北キプロスではトルコ語の地名に言い換えられることも多い。
以下の地図の斜線部分は独立以後も残されているイギリスの主権基地領域(アクロティリおよびデケリア)で、この領域にはキプロス共和国政府の主権は及ばず、イギリス主権の下に置かれているイギリスの海外領土である。また、灰色部分は南北の衝突を抑止するため国連の引いた緩衝地帯(通称グリーンライン)である。
[編集] 地理
キプロスは、キプロス島一島からなる島国であり、地中海ではシチリア島、サルデーニャ島に次いで3番目に大きい島である。
北に位置するトルコまで75kmという地理的な面からアジア(中東または西アジア)に分類される場合もあるが[1]、ギリシャ系のキリスト教徒が多い為、ヨーロッパ(南ヨーロッパ)に分類される場合もある[2]。
地中海性気候で、夏は暑く、乾燥する。北部は海岸線に沿って山脈があり、首都ニコシアを中心とする中央部が平坦地となっている。南部は大部分が山地で、海岸線に沿って狭隘な平地がある。
島の最高峰はオリンポス山。
[編集] 経済
1980年代から1990年代に大きな経済成長を遂げたが、観光産業に依存していたためヨーロッパでの景気の変動に弱かった。また、1990年代は東欧諸国からのマネーロンダリングで悪名をとどろかせた[3]。
2005年前後時点において、キプロスは4%前後の経済成長、3%台後半の低い失業率と良好な経済状況を維持している[3]。
[編集] 産業
観光業については、ヨーロッパからの観光地として人気がある。2004年5月1日の欧州連合(EU)加盟、さらに2008年1月1日の EU 単一通貨ユーロの導入により、観光客の増加が期待される。また、別荘地としても有名で、それに伴って不動産投資も盛んに行われている[3]。
金融業については、タックスへイブンとして有名だった時期もあり、欧州でも金融活動が盛んな地域となっている。ロシアへの投資の際には、キプロスに作った会社を経由して行うケースなど、投資拠点として栄えている。また、会計士や弁護士などの人材も多いという[3]。
南キプロスは観光業を含むサービス産業に労働人口の62%が従事し、GDPの70%を占める。天然資源に乏しく、食料の自給も難しいため、貿易は大幅な輸入超過である(輸出約10億ドルに対して輸入は35億ドルを越える)。地中海地域の共通問題である水の供給については海水淡水化プラントの稼動により安定したとされる。自動車は右ハンドルであるため日本からの中古車輸入が盛んである。
北キプロスは、南キプロスに比べて経済的に遅れており、一人あたりGDPは3分の1しかない。国際的にはトルコにのみ独立を承認された国家であるために貿易や外国からの資本導入が難しく、また通貨もユーロではなくトルコのトルコリラを用いるため、1990年代にトルコリラのインフレーションに深刻な悪影響を受けた結果、きわめて苦しい状況が続いている。
[編集] 鉱業
キプロスの鉱業は5000年の歴史を持つ。紀元前3000年ごろ、まず自然銅が発見される。銅鉱床としては最も古いと考えられ、銅のラテン語名であるcuprum はキプロスに由来する。自然銅が枯渇した後は銅を含む黄銅鉱から銅を抽出する技術が生まれた。現在でも銅の採掘は続いており、2002年時点では5200トンの銅を産出する。ただし、資源が枯渇している上に内戦によって鉱山施設が分断されたことにより、鉱業はすでにキプロス経済において意味を失ってしまった。
このほか、クロムや石綿などを少量産出する。
[編集] 国民
民族の帰属意識はおおむね信仰する宗教と一致しており、正教徒のギリシャ系が78%、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ系が18%であるとされる。その他の4%にはマロン派とアルメニア教会派のキリスト教徒がいる。キプロスの正教会はイスタンブルのコンスタンディヌーポリ総主教庁にも、アテネ大主教を首座とするギリシャ正教会にも属さず、大主教を長とするキプロス正教会のもとに自治を行っている。
ギリシャ系とトルコ系は歴史的にキプロス島の全域で混住していたが、1974年の南北分断の際、北部に住むギリシャ系住民の大半はトルコ軍の支配を嫌って南部に逃れ、南部に住むトルコ系住民の多くが報復を恐れてトルコ軍支配地域に逃れた結果、ギリシャ系の99.5%が南キプロスに、トルコ系の98.7%が北キプロスに住む。その他の系統の住民は、99.2%が南キプロスに居住している。なお、経済的に苦しい北キプロスではかなりの数のトルコ系住民がトルコやヨーロッパに出稼ぎに移住した一方、トルコから多くのトルコ人が流入したため、トルコ系キプロス人の正確な人口を割り出すことは難しい。
[編集] 文化
[編集] 世界遺産
詳細はキプロスの世界遺産を参照
キプロス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件ある。
[編集] キプロス問題
キプロスはビザンツ帝国の支配下でギリシャ語を話す正教徒が大多数を占めるようになっていたが、オスマン帝国支配下で、トルコ語を話すムスリム(イスラム教徒)が流入し、トルコ系住民が全島人口の2割から3割程度を占めるまでになった。
イギリス統治下のキプロスではエーゲ海の島々と同じくギリシャに併合されるべきという要求(エノシス enosis)がギリシャ系住民の間で高まり、1948年にはギリシャの国王がキプロスはギリシャに併合されるべきとの声明を出し、1951年にはギリシャ系住民の97%がギリシャへの併合を希望していると報告された。一方のトルコ系住民の間ではキプロスを分割してギリシャとトルコにそれぞれ帰属させるべきとの主張(タクスィム taksim)がなされており、キプロスの帰属問題がイギリス、ギリシャ、トルコの3か国の間で協議された。その結果、中間案として1959年、チューリッヒでキプロスの独立が3国間で合意された。
1960年、ギリシャ系独立派の穏健的な指導者であったキプロス正教会のマカリオス大主教を初代大統領としてキプロス共和国は独立を果たした。しかし、1963年には早くも民族紛争が勃発し、1964年3月より国際連合キプロス平和維持軍が派遣された。
さらに1974年7月15日にギリシャの軍事政権の支援を受けた併合強硬派がクーデターを起こしてマカリオス大統領を追放。トルコはこれに敏感に反応し、トルコ系住民の保護を名目に7月20日キプロスに侵攻した。これにより7月22日にクーデター政権が崩壊するが、トルコ軍はキプロス分割問題の解決をはかって8月13日に第二次派兵を敢行し、首都ニコシア以北のキプロス北部を占領した。トルコの支持を得たトルコ系住民は翌年、キプロス共和国政府から分離してキプロス連邦トルコ人共和国を発足させ、政権に復帰したマカリオスの支配するギリシャ系の共和国政府に対して、連邦制による再統合を要求した。
1970年代以来、南北大統領の直接交渉を含む再統合の模索が続けられているが、分割以前の体制への復帰を望むギリシャ系キプロス共和国と、あくまで連邦制を主張するトルコ系北キプロスとの主張の隔たりは大きく、再統合は果たされてこなかった。1997年にキプロス共和国がEU加盟候補国となったことは、国際的に孤立し経済的に苦しい北キプロスにとっては大きな危機であったが、その後の国連の仲介案を得た統合交渉も不調に終わった。
2004年5月1日のキプロスのEU加盟を前に、北キプロスが政治的経済的に取り残されることを避けるため、同年2月9日より国連のコフィー・アナン事務総長の仲介で再び南北大統領による統合交渉が行われ、3月31日の交渉期限直前に国連案(アナン・プラン)に基づく住民投票案が合意された。しかし、4月24日に行われた南北同時住民投票はギリシャ系の南側の反対多数という結果に終わり、EUへの参加による国際社会への復帰を望むトルコ系側の賛成多数にもかかわらず否決された。これは、国連案がトルコ系住民側およびトルコ共和国が主張してきた連邦制を前提とし、ギリシャ系難民の北部帰還を制限、またトルコ軍の駐留を期限付き(最低7年間)ながら認めるなど、ギリシャ系住民側にとって容易に受け入れがたい内容を含んでいたためである。南のキプロス共和国では2004年、2006年の総選挙でいずれも統合反対派が勝利しており、以降の統合交渉は進んでいない。
一方、失敗に終わったものの統合交渉に前向きな姿勢を示して国際社会での得点を稼いだトルコは、同年10月3日、長年望んでいたEU加盟交渉開始のテーブルにつくことになった。しかし依然としてトルコはキプロス共和国をキプロスの公式の政府として承認することを拒否しつづけ、トルコのEU加盟交渉における課題点となっており、2006年12月にはキプロス共和国の船舶・航空機のトルコ入港拒否問題が原因で加盟交渉が一部凍結された。2008年1月のトルコ、ギリシャの首脳会談で、ギリシャ首相のカラマンリス首相はトルコが国家承認を拒んでいるギリシャ系のキプロス共和国について「国交正常化がトルコの欧州連合(EU)加盟に必要条件だ」と指摘。「すべての条件を満たしたとき、EUはトルコを正式メンバーとして認めるべきだ」と条件付きながら、トルコのEU加盟を支持する考えを明らかにした。
[編集] 略年表
- 1914年 - イギリスが併合。
- 1955年 - イギリス、ギリシャ、トルコ三国間協議。
- 1959年 - チューリッヒ協定。
- 1960年 - 独立。
- 1963年 - 民族紛争勃発。
- 1964年 - 国連平和維持軍が派遣される。
- 1974年
- 1975年 - 北部にキプロス連邦トルコ人共和国が発足。
- 1977年 - 最初の統合交渉が決裂。
- 1983年 - 北キプロス・トルコ共和国が独立を宣言。
- 1997年 - 南部のキプロス共和国がEU加盟候補国となる。
- 2003年
- 4月16日 - キプロス共和国がEU加盟条約に調印。
- 2004年
- 2006年
[編集] キプロス問題に関する参考文献
- 大島直政『複合民族国家キプロスの悲劇』新潮社、1986年
- 鈴木董『イスラムの家からバベルの塔へ オスマン帝国における諸民族の統合と共存』リブロポート、1993年
- 桜井万里子(編)『新版世界各国史17 ギリシア史』山川出版社、2005年
- 内藤正典「中東・西欧マンスリー - トルコのEU加盟交渉とキプロス問題」2006年11月20日 http://www.global-news.net/ency/naito/daily/061120/01.html (last accessed February 18, 2007)
- マイノリティ・ライツ・グループ(編)『世界のマイノリティ事典』明石書店、1996年
[編集] 脚注
- ^ アジアへの分類の例として:キプロス | AsiaLinks -アジア関係リンク集- | アジア情報室 | 国立国会図書館-National Diet Library
- ^ ヨーロッパへの分類の例として:外務省: キプロス共和国
- ^ a b c d 『キプロス:低税率が魅了、EUのロシア投資拠点に』2007年12月13日付配信 日経ビジネスオンライン 日経BP社
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 政府
- キプロス共和国政府 (ギリシャ語)(英語)
- 日系機関
- 日本外務省 キプロスの情報
- 在ギリシャ日本国大使館 - 在キプロス大使館を兼轄
- 旅行
- キプロス - ウィキトラベル
- キプロス・インフォメーションサービス (日本語)
- その他
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地域 | イギリス:アクロティリ・デケリア¹ | オーストラリア:クリスマス島 - ココス (キーリング) 諸島 | 中華人民共和国:香港 - マカオ |
「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国、あるいは独立主張をしている国。国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。 |
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