ジブラルタル
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- ジブラルタル
- Gibraltar
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ジブラルタルの旗 ジブラルタルの紋章 モットー:Nulli Expugnabilis Hosti
どんな敵にも征服されるべからず国歌:God Save the Queen
女王陛下万歳 -
公用語 英語 首都 ジブラルタル
本国 イギリス 君主 エリザベス2世 総督 ロバート・フルトン (Robert Fulton) 首相 ピーター・カルアナ (Peter Caruana) 面積 - 総面積 6.5 km² - 水面積率 (%) 0% 人口 - 推計(2007年) 27,967人 - 人口密度 4,290/km² GDP (PPP) (2000年) - 合計 7億6900万ドル - 1人当り 27,900ドル 通貨 ジブラルタル・ポンド ( GIP
)時間帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) - 夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) ccTLD .gi 国際電話番号 350
ジブラルタル(Gibraltar)は、イギリスの海外領土の一つである。イベリア半島の南東端に突き出した半島に位置する。大西洋と地中海をつなぐ要衝であるジブラルタル海峡を望める良港であるため、軍事的に重要な意味合いを持っており、歴史的にもイギリス海軍の拠点として機能した。
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[編集] 概要
領域は南北に伸びた半島になっており、地中海に面し、北側は陸続きにスペインと接している。言語としては英語、スペイン語、ヘブライ語、アラビア語が広く用いられている。 かつてスペインはユダヤ人を追放したことからジブラルタルには独特のユダヤ人コミュニティが成立しており、またモロッコなどからアラビア語を母語とする多くの商人や労働者が渡来し、居住している。
語源はアラビア語のジブエル・アル・ターリクで、「ターリクの岩」を意味する。ジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島を征服したウマイヤ朝の将軍、ターリク・イブン・ズィヤードにちなんだ地名で、アラビア語では「ターリクの山」という意味を持つジャバル・ターリク(جبل طارق Jabal Ţāriq)と呼ぶ。
ほとんどが石灰岩で占められており、農耕などには不向きの地である。対岸(アフリカ側)のスペイン領セウタの山とともに、ヘラクレスの柱と呼ばれる特徴的な岩山があり、平地部は少ない。
また、現在もスペインはジブラルタルを自国領と主張し、領土問題となっている。1980年代後期からイギリスとスペインの共同統治など様々な提案がなされたが、共同統治についてはジブラルタルの住民投票によって否認されている。
[編集] 歴史
ジブラルタルの歴史 (History of Gibraltar)
人類の痕跡は古く、ネアンデルタール人の遺跡が発見されている。紀元前950年にフェニキア人がジブラルタルに初めて定住するようになった。その後もローマ人やヴァンダル族、ゴート族などがジブラルタルに訪れたが、どれも永住ではなかった。400年代初期から西ゴート族がイベリア半島に居住するようになったが、フェニキア人国家のカルタゴがジブラルタルと南イベリア半島を勢力圏として誕生した。ポエニ戦争によってローマ帝国がジブラルタルとイベリア半島を属領としたものの、西ローマ帝国滅亡後は再び西ゴート王国の支配下となった。
711年、西ゴート王国はウマイヤ朝の遠征を受け、滅亡する。ムーア人の支配を受けてイスラム圏に入るが、およそ4世紀の間ジブラルタルが発展することはなかった。756年には後ウマイヤ朝が成立。変遷を経て1309年にナスル朝グラナダ王国の一部となる。カスティーリャ王国によって一時占領されるが、1333年にマリーン朝が奪還し、マリーン朝はグラナダ王国にジブラルタルを割譲した。1462年にメディナ・シドニアがジブラルタルを奪取し、750年間に渡るムーア人の支配を終えた。
メディナ・シドニアは追放されたスペイン・ポルトガル系ユダヤ人にジブラルタルの土地を与えた。コンベルソのペドロ・デ・エレアがコルドバとセビリアから一団のユダヤ人移住させ、コミュニティが建設された。そして、半島を守るため駐屯軍が設立された。しかし、セファルディムとなったユダヤ人は数年後にコルドバか異端審問所に送還された。フェルナンド2世がスペイン王国を打ちたて、1501年にはジブラルタルもスペイン王国の手の下に戻った。同年にイサベル1世からジブラルタルの紋章が贈られた。
八十年戦争中の1607年にオランダ艦隊がスペイン艦隊を奇襲し、ジブラルタル沖が戦場となった(ジブラルタルの海戦)。この海戦でスペイン艦隊は大きな打撃を被った。1701年にカール6世の即位を後押しするオーストリア、イギリス、オランダがフランスとスペインに宣戦布告し、スペイン継承戦争が始まった。オーストリア、イギリス、オランダの同盟艦隊はスペイン南岸にある港町の襲撃を繰り返した。皇太子ジョージ・ヘッセン・ダルムシュタットの支援を受けるジョージ・ルーク提督率いるイギリスとオランダの艦隊が1704年8月4日にジブラルタルに海兵隊を上陸させた。交渉の末、住民は自主退去を選択し、海兵隊はジブラルタルを占領した。1713年にユトレヒト条約の締結によって戦争が終結するものの、その条約でジブラルタルはイギリス領として認められ、スペインは奪回の機を失った。
アメリカ独立戦争中はスペインが独立軍の支援にまわり、1779年からジブラルタルへの厳重な封鎖を行った。イギリス軍は1782年に浮き砲台と包囲兵を撃破し、包囲網を破ることに成功した。翌年にはパリ条約に先立ち、講和が行われ、ジブラルタルは開放された。
1805年、トラファルガー海戦ではイギリス海軍の拠点となった。その後、インドへのルートにスエズ運河の開通で地中海が加わり、蒸気機関を動力とする装甲巡洋艦などが海軍で普及すると給炭基地の役割も求められ、ジブラルタルが重要視されるようになった。第二次世界大戦中もジブラルタル海峡の封鎖を行っていたフランス海軍がナチス・ドイツと講和すると、イギリス海軍H部隊がジブラルタルに配備された。トーチ作戦ではアメリカ軍もジブラルタルを拠点にした。
第二次世界大戦後はイギリス海軍が役割を縮小すると同時にジブラルタルの軍事的役割も低下している。1967年にイギリス地中海艦隊が解体され、これに代わるアメリカ海軍第6艦隊はイタリアのガエータを拠点にしている。しかし、1982年のフォークランド戦争で再び基地の重要性が確認され、現在もイギリス海軍のジブラルタル戦隊 (Gibraltar Squadron) が駐留している。
[編集] 政治
イギリスの自治植民地として、1969年の憲法制定以来、高度な自治を行っている。イギリス女王によって任命されるジブラルタル総督は、国防・外交・治安・財政に関して責任を持つ。首相は、議会の多数党党首より選出され、地域内における問題は、内閣の責任となる。
ジブラルタルにおいては、国家主権の問題が大きく取り上げられる。スペインはジブラルタルに対し、長年、主権を主張しており、2002年にはイギリスとの間で、共同主権の検討がなされた。これに対し、地元の主要政党、ジブラルタル社会民主党(Gibraltar Social-Democrats、GSD)およびジブラルタル社会労働党(Gibraltar Socialist Labour Party、GSLP)は、ジブラルタルのスペインに対する主権の譲渡に強硬な反対を行い、住民投票においても90%以上が反対の意思を示したため、この構想は実現しなかった。
一部では独立を求める声もある。特にジブラルタルの元首相でもある、ジブラルタル社会労働党のジョー・ボサノ(Joe Bossano)党首はEUの後援の元での、独立を求めていた。しかしスペインが領有権を強く主張している以上、独立はなかなか実現しそうにもない。
[編集] 地形
イベリア半島最南端近く、ジブラルタル海峡に向かって突き出した岬に位置する。全体的に石灰岩で出来た「ザ・ロック」と呼ばれる岩山が広がり、最高峰がターリク山(426m)である(頂上にはオハラズ・バッテリーと呼ばれる展望台が在るものの、通常は立入り禁止である)。東側は崖、西側が緩やかな斜面になっている。本土と岩山とは砂州で繋がっている。
気候は地中海性の温暖な気候である。
[編集] 岩山の猿
アフリカから連れてこられたバーバリーマカクが岩山に棲息している、このサルがジブラルタルからいなくなったら英国がジブラルタルから撤退するとの伝説があるという。この猿達の世話はイギリス陸軍砲兵隊の管轄。また第二次世界大戦中に物資不足から猿の個体数が減少したがチャーチル首相が直々に猿の保護を命じたという逸話が残っている。
[編集] 経済
通貨としてジブラルタル・ポンドが発行されている。ジブラルタル・ポンドはイギリス・ポンドと等価であり、UKポンドも問題なく通用する。
ジブラルタル独自の事情としてユーロを導入するスペインと地続きであること、ジブラルタル全体が観光地であることが挙げられる。このためジブラルタルの商店やサービスでユーロでの支払いを拒否される事はほぼ皆無であると考えて相違ない。ただしユーロで支払う際にポンドとユーロの交換レートが公定のものを用いているかについては保証されない。
[編集] 主な産業
ジブラルタルの主要産業は軍事関係(約70%)である。観光やタックス・ヘイヴン、オフショア金融などにも力を入れている。
[編集] 交通
50 kmの道路と50 kmのトンネルがある。イギリス軍が国防のために作ったものである。イギリス領でありながら、車両は右側通行・左ハンドルである。国際交通における車両識別記号はGBZ。
ジブラルタル空港はスペインとの国境付近にあり、滑走路は国境に沿うようにジブラルタルのある半島を完全に横切って、一部は海に突き出して作られている。国境検問所とジブラルタル中心部を結ぶ道路は滑走路と平面交差している。そのため飛行機が離着陸する時は、道路側に設置された遮断機が降り通行禁止になる。この対航空機「踏切」は自動車だけでなく自転車・歩行者も通行可能である。
[編集] 住民
スペイン系の住民が67%を占め、イギリス系の住民は13%である。ポルトガル系やイタリア系もいる。公用語は英語であるが、英語の影響を受けたスペイン語方言であるラニト語も話されている。
また、スペイン本土からの通勤者も多く、昼間人口ではかなりの割合を占めている。
[編集] エピソード
- 1981年、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃の新婚旅行の第一目的地となった。ジブラルタルの返還を求める立場のスペイン国王フアン・カルロス1世はこれに抗議し、結婚式への参列をボイコットした。
- ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚式を挙げた(1969年3月20日)。ジブラルタル郵政局は1999年に結婚30周年の記念切手を発行している。
- サッカージブラルタル代表は1895年設立という古い歴史を持つがFIFAには未加盟である。これは、加盟に関してジブラルタルの領有権を主張する、スペインが「ジブラルタル代表の加盟を認めるなら、スペイン代表は脱退する」と、強い圧力をかけているからである。
- アメリカの金融グループプルデンシャル・ファイナンシャルは、社章にジブラルタル(ジブラルタ)・ロックをデザインしている。これはジブラルタルの要塞が難攻不落という意味から生まれた諺、"As safe as the Rock"(ジブラルタル・ロックのように安心)から作成された。このプルデンシャルの傘下にある日本の外資系生命保険会社、ジブラルタ生命保険は、社章だけでなく社名もジブラルタルにちなんでいる。
[編集] 関連書籍
- 「われらが英雄スクラッフィ」 ポール・ギャリコ ISBN 4488194044 第二次大戦中のジブラルタルを舞台にしたユーモア小説
[編集] 外部リンク
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