ポール・ギャリコ
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ポール・ギャリコ(Paul Gallico, 1897年7月26日 - 1976年7月15日)はアメリカ・ニューヨーク生まれの小説家。彼の作品の多くは映画の原作に使われて、成功を収めてきた。
1941年に発表した『スノーグース』もその一つで、これは彼の決定的に重要な作品の一つであり、また小説『ポセイドン・アドベンチャー』も映画化されている。
彼は、ニューヨーク市の生まれ。彼の父親は、イタリア系で、母親はオーストリアからの移民である。両親は、1895年に移民としてニューヨークにやってきた。ギャリコが初めて名前を知られるようになったのは、1920年代のことで、スポーツライター、スポーツコラムニストとしてであった。彼はニューヨーク・デイリーニュースのスポーツ欄の編集者をしていた。彼のキャリアは、ボクサー、ジャック・デンプシーとのインタビュー記事で始まった。彼はデンプシーに自分とスパーリングしないかと問い、ヘビーウェイト級チャンピオンのパンチがどんなに重いか身をもって体験したことを書いたのである。 彼はその後、ディズィー・ディーンの投げる速球を受けたり、ボビー・ジョーンズとゴルフしたりということ続けた。彼は国民的な人気記者となり、アメリカで最も高給取りのスポーツ記者といわれるようになる。彼は、ゴールデングローブ・アマチュア・ボクシング選手権も始めている。1942年、『ルー・ゲーリッグ ヤンキースの誇り』は映画「打撃王」の原作にされ、スポーツ映画の古典である。
1930年代の後半、スポーツ記事を断念して、小説に向い、雑誌向けの短編でまたもや大成功を収める。多くの作品はサタデー・イブニングポストの小説読み物の別誌に掲載された。『スノーグース』を含むその大半の作品は、これらの雑誌向け短編小説を書き足したものである。
ギャリコはかつて、ニューヨーク・マガジンに語ったことがある。「私は、薄汚い物書きさ。どうみても、作家って柄じゃない。私は物語を語るのが好きなだけで、私の書いた本はみんなお話を語ってるだけだよ。 .... もし私が2,000年前に生きてたとしたら、洞窟住居を渡り歩いて、言うんだろうな。『やあ、入っていいか?腹が減ってるんだ。食べるものをくれよ。そしたら、代わりに面白い話をしてやるよ。昔々、二匹の猿がいたとさ』といった具合で、彼らに2人の洞窟に住んでたひとの話をしてやるのさ。」
『スノーグース』は、1940年にサタデー・イブニングポストに発表され、1941年オー・ヘンリー賞を短編部門で受賞した。
[編集] 代表作
- 『スノーグース』(Snow goose):人嫌いの男と少女との間の純情の関係を、傷ついた一羽の鳥を媒介として語る、叙情的な短編。最も有名。
- 『ジェニイ』猫になった主人公が繰り広げるファンタジー。
- 『ポセイドン・アドベンチャー』:映画化されて、映画は広く知られる。
- 『雪のひとひら』(Snowflake):雪の発生から消滅までの過程を、人間(女性)の一生になぞられて比喩的に示した短編(中編)。卓抜な比喩が見事で、代表作の一つと見なされる。
- 『幽霊が多すぎる』ギャリコ作品で珍しい推理小説だが、悪人が出ない点がギャリコらしい。
- 『トンデモネズミ大活躍』(Manxmouse):ウサギのような耳、カンガルーのような後足を持ち、尻尾のないネズミ「トンデモネズミ」が、突然生を受けたイギリスの田舎町タニゾコドンからマン島を目指す冒険旅行小説。
- 『7つの人形の恋物語』日本を含め世界中で幾度も映像・舞台化されている、屈折した愛情劇。
- 『ハイラム氏の大冒険』(新装版ではハイラム・ホリデーの大冒険と改題)第2次大戦直前、人の良いホリデー氏が思わぬ事件に巻き込まれ。
- 『ハリスおばさんシリーズ』面倒見のよい掃除婦のハリスおばさんが、パリ、ニューヨーク、モスクワ、果ては国会にまで旋風を巻き起こす。