セルビア
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- セルビア共和国
- Република Србија
Republika Srbija -
(国旗) (国章) - 国の標語 : Само Слога Србина Спасава(非公式)
- 国歌 : 正義の神
-
公用語 セルビア語[1] 首都 ベオグラード 最大の都市 ベオグラード モンテネグロの分離 2006年6月3日 通貨 セルビア・ディナール[2](CSD) 時間帯 UTC +1(DST: +2) ccTLD YU(RSに変更予定) 国際電話番号 381
セルビア共和国(セルビアきょうわこく、Република Србија / Republika Srbija)、通称セルビアは南東ヨーロッパ、バルカン半島西部の国。 首都ベオグラードは、これまでも旧ユーゴスラビア連邦および旧セルビア・モンテネグロの首都であり、セルビアはユーゴスラビア連邦の中心となる共和国であった。2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い、独立宣言をした。
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[編集] 国名
セルビア語ではСрбијa / Srbija。 日本語ではセルビア共和国。通称セルビア。 英語においては "Republic of Serbia", 通称Serbia(サービア)。
[編集] 歴史
詳細はセルビアの歴史、セルビア・モンテネグロの歴史を参照
1918年のサン・ジェルマン条約により「セルビア・クロアチア・スロヴェニア人国」が建国された。ところが、建国当初から内紛が頻発、1929年ににクロアチア王アレクサンダル1世がクーデターを起こしユーゴスラビア王国とした。 第二次世界大戦ではナチス・ドイツに侵攻され、王国政府はロンドンに亡命政権を樹立し、ユーゴスラビア王国軍で主流であったセルビア人将校を中心としたチェトニックを組織してドイツ軍に対抗した。しかしチェトニックは士気が弱く、代わってドイツに対しての抵抗運動を展開したヨシップ・チトー率いるパルチザンがドイツ軍に対して粘り強く抵抗し、ソ連軍が侵攻してくる前にユーゴスラビアの自力で駆逐した。 ユーゴスラビアを自力で解放することに成功したチトーは、王の帰国とロンドンの亡命政権を否定し、従来のユーゴスラビアの枠組みの中で、戦後の再建を始めた。戦後の政権党となったユーゴスラビア共産党(その後1952年にユーゴスラビア共産主義者同盟に改称)は、1948年にコミンフォルムを追放されて以降、ソ連のコントロールから外れ、マーシャル・プランを受け入れる姿勢を取り、ソ連と対立して、その後断交と国交回復を繰り返した。1953年にチトーが大統領となり、ソ連と一線を画した社会主義政策を展開し、第三世界の主要国としての地位を確立した。しかし、1980年にチトーが死ぬと地域格差や民族対立が顕在化し、1990年にはクロアチア、スロベニアが独立。1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立、この結果ユーゴスラビアは崩壊した。
その後、セルビアとモンテネグロの2つの共和国で新たなユーゴスラビア連邦を形成。コソボではセルビアが内戦の起きていたクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナからのセルビア人難民のコソボ殖民を強力に推し進めたため、コソボにおける民族バランスが大きく崩れる事になった。これに危機感を抱いたコソボ民族派によりコソボ紛争が引き起こされ、1999年の北大西洋条約機構による爆撃に至った。1997年以降モンテネグロの独立要求が強まったため、2003年から連合形式を変更しセルビア・モンテネグロとして緩やかな連合国家を形成した。 その後、以前から独立を志望していたモンテネグロは、2006年5月21日の独立についての住民投票の結果、賛成55.5%でモンテネグロ共和国の独立が決定した。これによって、モンテネグロは2006年6月3日(現地時間)に独立を宣言し、1918年のセルビアとの併合以来、88年ぶりに独立を回復することとなった。これにより、第2次世界大戦後のスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国で誕生したユーゴスラビア連邦は完全に解体した。2006年6月5日、モンテネグロの独立に伴い、セルビアも独立宣言。→ウィキニュースそして2008年2月17日には自治州であったコソボも独立を宣言した。
[編集] 政治
セルビアは共和制、議院内閣制を採用する立憲国家である。現行憲法は2006年11月に発布されたもの。事実上、セルビアから分離状態にあるコソボにおいては、国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)を頂点とする独自の統治機構が存在するが、セルビア共和国憲法ではコソボを「セルビアの不可分の地方」としている。
[編集] 大統領
国家元首である大統領は国民の直接選挙で選出され、任期は5年。3選禁止。元首としてセルビア共和国を代表し、形式的に国軍の最高司令官を務め、国民議会の解散や非常事態発令を行なう。また、国民議会が可決した法案を差し戻し、再審議させる権利もあるが、国民議会が再度法案を可決した場合は、大統領の認可が無くとも法律として制定される。
[編集] 行政府
実際の政治は行政府たる内閣が率いる。国民議会により選出された首相が組閣を行なうが、国民議会による承認が必要。
[編集] 立法府
立法府は一院制の国民議会で、定数250議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年。
[編集] 政党
複数政党制が機能している。主な政党には民族主義を掲げるセルビア急進党(SRS)、親欧州だがコソボ独立反対の中道左派民主党(DS)、中道右派のセルビア民主党(DSS)、同じく中道右派のG17プラス、親欧州でコソボ独立も容認する自由民主党(LDP)(民主党から分裂)、旧ソロボダン・ミロシェビッチ政権下の与党であったセルビア社会党(SPS)などが存在する。
[編集] 司法府
最高司法機関は憲法裁判所。
[編集] 地方行政区分
セルビアの地方行政区画および コソボの郡も参照
セルビア共和国は31の郡(オクルグ Округ / Okrug)とベオグラードからなる(コソボの7つの郡を含む)。また、北部の7つの郡はヴォイヴォディナ自治州に属している。南部の7つの郡が属するコソボは1999年以降は国連によってセルビアの影響力がほぼ排除され、2008年には独立を宣言したが、セルビア政府はこの独立を認めておらず、コソボは自国領との立場をとっている。
それぞれの郡は幾つかの基礎自治体(オプシュティナ Општина / Opština)に分けられ、これが最小の行政単位である。
[編集] 地理・住民
セルビアは公式にコソボを自国領と主張している。 欧州南東部のバルカン半島に位置する内陸国である。西側でモンテネグロ・ボスニア・ヘルツェゴビナ、南西部でコソボに接し、コソボを通じてアルバニアと接している。南部国境でマケドニア共和国、南東部でブルガリア、東部でルーマニア、北部でハンガリー、北西部でクロアチアと接している。
北部のヴォイヴォディナは第一次大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国からセルビア王国が獲得した領土でありハンガリー系やスロバキア系などセルビア系以外の住民が多い(特に北端の3自治体ではハンガリー人が多数派となっている)。また、モンテネグロ国境近くには、イスラム教徒(ボシュニャク人)が多数派を占めるサンジャクがあるが、ヴォイヴォディナ等とは異なりひとつの行政区にまとめられたり自治権を持ったりはしていない。セルビアが自国領と主張しているコソボではアルバニア人の方が多数である。
クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナとの国境では、クロアチアやボスニアの方にセルビア人が多く住んでいたが、クロアチア国内に居住していたセルビア人は1991年~95年に展開されたクロアチア紛争で難民と化し、当時のミロシェビッチ政権の施策でコソボへ移住させられた。こうしてコソボでの人口バランスが大きく崩れたことがコソボ紛争の引き金となった。クロアチアよりもセルビア人の人口比率が高いボスニアでは、セルビアの施策でボスニアから追放されたセルビア人を他地域に殖民することは到底不可能であった。このためボスニアではセルビア人多数の地域をスルプスカ共和国、クロアチア人・ボシュニャク人多数の地域をボスニア・ヘルツェゴビナ連邦が領有する形で民族問題に一応の決着をつけた。
1945年の共産党政権誕生にともなう行政区画改変でユーゴスラビア連邦の構成国として新たな国境線を得て以来、セルビア共和国はパンノニア平原南部のヴォイヴォディナを領有している。現在海への出口となる港湾は失われたが、セルビア・モンテネグロ時代までアドリア海への出口を維持していた。またドナウ川の船を用いることで黒海へのアクセスも可能である。
[編集] 経済
セルビア及びヴォイヴォディナではセルビア・ディナールが流通しているが、コソボではコソボ紛争以降、ドイツマルクが流通。2002年にドイツマルクの流通が完全に停止してからはユーロが流通している。
[編集] 鉱業
モンテネグロを含むセルビアの鉱業を特徴付けるのは豊富な有機鉱物資源である。品質は低いが燃料に向く褐炭を大量に産出する。2002年時点の採掘量は、世界シェアの3.8%に達する3450万トン(世界第10位)である。このため、輸入に占める燃料の割合は数%以下であり、総発電量に占める火力発電の比率が64.5%と高い。つまり、エネルギー自給に関してはセルビアには問題が少ない。
品位の高い石炭の採掘量は10万トン、原油は88万トン、天然ガスは28千兆ジュールである。無機鉱物資源は種類が多いものの、採掘量は少ない。亜鉛、金、銀、銅、鉛、アルミニウムの原料となるボーキサイト、マグネシウムを産出する。火力発電に加え、水力発電(総発電量の36.5%)にも適した地形であるため、セルビアは電力に恵まれている。その結果、輸出に占めるアルミニウムの割合は8.4%に達し、最大の輸出品目となっている。
[編集] 国民
2002年に行われた国勢調査によると民族構成は、セルビア人が82.86%、マジャル人が3.91%、ボシュニャク人が1.82%、ロマが1.44%、ユーゴスラビア人が1.08%、クロアチア人が0.94%、モンテネグロ人が0.92%、アルバニア人が0.82%等となっている。この調査にはコソボの統計は含まれていない。セルビア人は南スラブ人でセルビア語を用いる。ラテン文字も使用している人口のほとんどは正教会(セルビア正教会)の信者。
前回の国勢調査は、ユーゴスラビア紛争直前の1991年であったが、一連のユーゴスラビア紛争の結果旧ユーゴスラビア構成諸国家での民族構成の大きな変化が統計的に明らかになった。セルビアでは、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボなどからの大量のセルビア人難民が流入したためセルビア国内でセルビア人が占める割合が増大した。一方で、クロアチア人やボスニア人は大量にセルビアを脱出した。中でも1999年のコソボ紛争の結果、大量のアルバニア人が、アルバニアやコソボ、マケドニアに流出したたため、アルバニア人が人口に占める割合は少なくなっている。又、ユーゴスラビア解体の動きと連動して自らのエスニック・グループが「ユーゴスラビア人」であると主張する人の割合は少なくなってきている。
[編集] 文化
- ヴォイヴォジナのセルビアの文化
[編集] 祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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1月1日 1月2日 |
元日 | Nova Godina | |
1月7日 | 正教会のクリスマス | Božić | |
2月15日 | セルビア共和国建国記念日 | Dan državnosti / Sretenje | |
移動祝日 | 聖金曜日 | Veliki petak | 復活祭2日前の金曜日 |
移動祝日 | 復活祭の前日 | Velika subota | 復活祭前日の土曜日 |
移動祝日 | 復活祭 | Vaskrs | |
移動祝日 | 復活祭後の月曜日 | Veliki ponedeljak | 復活祭翌日の月曜日 |
5月1日 5月2日 |
メーデー | Dan rada | |
5月9日 | 戦勝記念日 | Dan pobede | ヨーロッパ戦勝記念日 モスクワ夏時間基準のため9日になっている |
6月28日 | 聖ヴィトスの日 | Vidov dan |
[編集] 出身者
- ドラガン・ストイコビッチ(元サッカー選手)
- ボラ・ミルティノビッチ(サッカー監督)
- デヤン・スタンコビッチ(サッカー選手)
- リュボミィル・リュボエビッチ(チェスプレーヤー)
- モニカ・セレス(テニスプレーヤー)
- エレナ・ヤンコビッチ(テニスプレーヤー)
- アナ・イワノビッチ(テニスプレーヤー)
- ノバク・ジョコビッチ(テニスプレーヤー)
[編集] 関連項目
- en:Demographics of Serbia
- セルビア (小惑星)(セルビアに因んで命名された小惑星)
[編集] 外部リンク
- 政府
- 日系機関
- 旅行
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北欧諸国 | アイスランド | スウェーデン | デンマーク | ノルウェー | フィンランド |
バルト三国 | エストニア | ラトビア | リトアニア |
その他 | 沿ドニエストル | コソボ |
地域 | イギリス:ガーンジー島 - ジブラルタル - ジャージー島 - マン島 - アクロティリ・デケリア¹ | デンマーク:フェロー諸島 | ノルウェー:スヴァールバル諸島 | フィンランド:オーランド諸島 |
バチカンは国際連合非加盟。「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国、あるいは独立主張をしている国。国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。
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クロアチア | マケドニア | ボスニア・ヘルツェゴビナ | セルビア | モルドバ | モンテネグロ | アルバニア | コソボ |