リトアニア
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- リトアニア共和国
- Lietuvos Respublika
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(国旗) (国章) - 国の標語 : "Tautos jėga vienybėje"
"国家の力は統一に在り" - 国歌 : 国民賛歌
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公用語 リトアニア語 首都 ヴィリニュス 最大の都市 ヴィリニュス (人口75万人) 独立
- 宣言
- リトアニア王国建設
- ルブリン合同
- ポーランド・リトアニア分割
- ロシア帝国からの独立宣言
- 承認
1009年2月14日
1253年7月6日
1569年7月1日
1795年10月24日
1918年2月16日
1920年7月20日通貨 リタス (Litas)1(LTL) 時間帯 UTC +2(DST: +3) ccTLD LT 国際電話番号 370 - 註1: 2010年からユーロを導入する予定。1€ = 3.45Lt
リトアニア共和国、通称リトアニアは、ヨーロッパ北東部の共和制国家である。バルト海に面して並ぶバルト三国の内の一つであり、北にラトビア、東にベラルーシ、南にポーランド、南西にロシア(カリーニングラード州)と国境を接し、西はバルト海に面している。首都はヴィリニュス。
20世紀半ばからソビエト連邦内の一共和国となっていたが、1990年に独立を回復し、2004年5月1日に欧州連合に加盟した。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は、Lietuvos Respublika (リトアニア語: リェトゥヴォス・レスプブリカ) 。通称は、Lietuva (リェトゥヴァ)。
公式の英語表記は、Republic of Lithuania。通称は、Lithuania(リスエイニア)。
日本語の表記は、リトアニア共和国。通称は、リトアニア。
国名の由来はリトアニア語で「雨」を表す言葉からであるとされている。旧称、リトアニア・ソビエト社会主義共和国。
[編集] 歴史
詳細はリトアニアの歴史を参照
歴史的な文書に最初に登場するのは1009年で、リトアニアは中世において重要な国の一つになった。13世紀、東ヨーロッパへのドイツ騎士団の植民とそれに伴うキリスト教化の試みは失敗し、独立したリトアニア大公国が生まれ、やがて東ヨーロッパ一帯に領土を広げる大国となった。キリスト教化はのちに個人的な結びつきがきっかけで平和的に実現され、14世紀にはリトアニア大公ヨガイラがポーランド王を兼ね同君連合となり、1569年以降はルブリン連合として合同しポーランド・リトアニア連合王国(ジェチポスポリタ)が成立した。この国は1795年の第3次ポーランド分割によってロシア帝国に併合された。
ロシア革命の余波が及んでいた1918年2月、ドイツの計画したミッテル・オイローパ構想(汎ヨーロッパ主義)の一環として、以前より小さいながらも独立したリトアニア王国が立てられた。その後、第一次世界大戦でドイツが敗北すると、同年11月リトアニア共和国となった。リトアニア共和国は、4世紀に渡る連合を解消し、ポーランド(リトアニア東部・南部地域)やドイツ(クライペダ地方)との領土問題で争いつづけた。1926年には独裁制に移行している。第二次世界大戦中の1940年、ソビエト連邦によって併合された。大日本帝国の在リトアニア・カウナス総領事館の杉原千畝がユダヤ人を助けたのはこの頃である。
1986年以降、ソビエト連邦のペレストロイカにより共産党政権は終結し、1990年3月11日、旧ソ連を構成していた15の共和国の中でもっとも早く、ヨアヒム・フォン・リッベントロップの独ソ不可侵条約の密約の無効を宣言し独立回復宣言をした。国内に他民族(主にロシア人)が少なかったことが、国内意見の集約を容易にさせた側面があるとされる。独立後は、エストニア・ラトビアとは異なり、残留ロシア人に対しほぼ無条件で国籍をあたえた。その後、西欧諸国との結びつきを強めており、2004年3月29日にはNATOに加盟し、さらに5月1日には欧州連合(EU)へ加盟した。
[編集] 政治
詳細はリトアニアの政治を参照
EU加盟国であり、NATOにも加盟している。一方で。旧ソ連の構成主体でありながらもCISには加盟していない。
大統領を国家元首とする共和制国家であり、大統領は5年任期で直接選挙によって選ばれる。また外交や防衛方針の策定にも加わり、それらを指揮する職務も担う。また、大統領は、議会の承認を得て、首相や他の閣僚を任命する。他にも官僚や憲法裁判所の裁判官も任命する。
リトアニア議会は「セイマス」(Seimas)と呼ばれる一院制であり、141議席を有し、4年任期で選挙により選ばれる。この内71議席は小選挙区直接選挙、70議席は全国比例代表制により選出される。議会に議員を送り込むには、政党は少なくとも全投票の5%を獲得しなければならない。
[編集] 地方行政区分
詳細はリトアニアの州を参照
行政区分は10の州 (apskritis) に分けられており、それぞれに州庁のある市の名前が付けられている。 さらに州は全部で56の地方自治体(市や地区)に分割される。これらの行政上の区分けは1994年に行われた。
- アリートゥス州 Alytaus apskritis (州都:アリートゥス)
- ヴィリニュス州 Vilniaus apskritis (州都:ビリニュス)
- ウテナ州 Utenos apskritis (州都:ウテナ)
- カウナス州 Kauno apskritis (州都:カウナス)
- クライペダ州 Klaipėdos apskritis (州都:クライペダ)
- シャウレイ州 Šiaulių apskritis (州都:シャウレイ)
- タウラゲ州 Tauragės apskritis (州都:タウラゲ)
- テルシェイ州 Telšių apskritis (州都:テルシェイ)
- パネベジス州 Panevėžio apskritis (州都:パネベジス)
- マリヤーンポレ州 Marijampolės apskritis (州都:マリヤーンポレ)
なお、行政区分とは別に、文化的な観点から5つの地方に分けられる。
- アウクシュタイティヤ (Aukštaitija) - 北東部
- ジャマイティヤ (Žemaitija) - 北西部
- ズキヤ (Dzūkija) - 南東部
- スヴァルキヤ (Suvalkija) - 南西地域
- 小リトアニア (Mažoji Lietuva) - 沿海地域、クライペダ地方(Klaipėdos kraštas)ともいわれる。
[編集] 地理
リトアニア共和国はバルト海諸国の中でもっとも大きく、有名な国でもある。地理学者によると、首都のヴィリニュスはヨーロッパの地理学的な中心地に位置しているとのことである。
およそ100kmの砂の海岸が広がり、その内の38kmがバルト海に面している。主な不凍港はクライペダ港で、クルシュー砂州の狭い入り口にある。その浅瀬はカリーニングラードに向かって南に広がっている。国内最大の河川であるニャムナス川(ネマン川)とその支流は、国際運河ともなっている。
国土は、氷堆石による丘を除けば、なだらかに平坦である。丘は西と東の方で高台となっており、最も高い地点でも292mしかない。ヴィスティティス湖など多くの湖と低湿地帯があり、混交湿地林が国土の約30%を覆っている。
[編集] 気候
海洋性気候と大陸性気候の中間であり、湿度が高い。気候は西部と東部で多少異なり、西部は涼しい夏と余り冷え込まない冬があるのに対し、東部は寒暖の差が激しい。
[編集] 経済
リトアニアを含めたバルト三国の貿易相手は、ほとんどロシアである。1998年のロシアの経済危機で落ち込んだ時期もあったが、回復しつつある。2001年の失業率は12.5%と高く、また国内の消費も低かったが、それらも好転してきた。2005年2月の失業率は6.1%である。
2003年、リトアニアはEU圏内の国で最も高い経済成長率(第3四半期で8,8%)を記録した。 西欧諸国との貿易を拡大し、世界貿易機関(WTO)の一員ともなった。2004年に欧州連合(EU)に加盟。 国有企業、特にエネルギー部門におけるそれの大規模な民営化が開始されており、現在も進行中である。
現行通貨であるリタスは、2002年2月2日よりユーロとの固定相場制が導入されており、2010年にはユーロへと移行する予定である。
リトアニアは鉱物資源に全く恵まれていない。唯一採掘されているのは原油であるが、2002年時点の採掘量は43万トンに留まる。近年は天然ガスの採掘も有望視されている。
[編集] 国民
人口の80%以上が、リトアニア語を話すリトアニア人である。少数派として、ロシア人(8%)、ポーランド人(7%)、ベラルーシ人(1.5%)、テュルク系のカライム人がおり、リトアニア内でもそれぞれの言語を話している。
また、中世にヨーロッパ各地からユダヤ人を受け入れたために、リトアニアの都市部はユダヤ人が多く、20世紀初頭まではヴィリニュスは「北のエルサレム」と称されたほどだった。しかし、第二次世界大戦中のナチス・ドイツと、その後のソ連支配の時代の弾圧によりユダヤ人人口は大きく減少した。
[編集] 言語
リトアニア語は、ラトヴィア語と共に現存している2つの印欧語族バルト語派の一つであり、公用語にもなっている。また、少数民族によりロシア語、ポーランド語、ベラルーシ語、カライム語なども話されている。
[編集] 宗教
宗教は、国民の約80%がローマ・カトリックの信者であるが、他にも正教、ルター派プロテスタント、ユダヤ教がある。
[編集] 教育
主な高等教育機関としては、ヴィリニュス大学(1579年)、カウナス工科大学(1922年)などが挙げられる。
[編集] 文化
[編集] 食文化
詳細はリトアニア料理を参照
[編集] 文学
詳細はリトアニア文学を参照
[編集] 音楽
詳細はリトアニアの音楽を参照
[編集] 絵画
詳細はリトアニアの絵画を参照
[編集] 世界遺産
リトアニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が4件ある。詳細は、リトアニアの世界遺産を参照。
ヴィリニュス歴史地区 - (1994年、文化遺産) |
シュトルーヴェの測地弧 - (2005年、文化遺産) |
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Naujieji Metai | |
2月16日 | 独立記念日 | Nepriklausomybės diena | 帝政ロシアからの独立記念日 |
3月11日 | 独立回復記念日 | Nepriklausomybės atkūrimo diena | 旧ソ連からの主権国家宣言日 |
復活祭の前々日 | 聖日曜日 | Verbų sekmadienis | |
移動祝日 | 復活祭 | Velykos | |
復活祭の翌日 | 復活祭月曜日 | ||
5月1日 | メーデー | Tarptautinė darbininkų diena | |
5月第1日曜日 | 母の日 | Motinos diena | |
6月24日 | 洗礼者ヨハネ祭 | Joninės (Rasos) | 夏至祭 |
7月6日 | 建国記念日 | Karaliaus Mindaugo karūnavimo diena | 初代王ミンダウカスの戴冠式日 |
8月15日 | 聖母被昇天祭 | Žolinė | |
11月1日 | 諸聖人の日 | Visų Šventųjų diena | |
12月25日-26日 | クリスマス | Kalėdos |
[編集] スポーツ
詳細はリトアニアのスポーツを参照
古くからバスケットボールが盛んであり、リトアニアで最も盛んなスポーツとなっている。ソ連時代ではシャルーナス・マルチルリョーニス、アルビダス・サボニスら中心選手を輩出しソウルオリンピックで男子代表は金メダルを獲得するなど数多くの世界大会で実績を残している。マルチルリョーニス、サボニスはNBAにも所属した。
[編集] 著名な出身者
詳細はリトアニア人の一覧を参照
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
- 政府
- リトアニア共和国政府 (リトアニア語)(英語)
- リトアニア大統領府 (リトアニア語)(英語)
- 駐日リトアニア共和国大使館 (日本語)
- 日系機関
- 旅行
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その他 | 沿ドニエストル | コソボ |
地域 | イギリス:ガーンジー島 - ジブラルタル - ジャージー島 - マン島 - アクロティリ・デケリア¹ | デンマーク:フェロー諸島 | ノルウェー:スヴァールバル諸島 | フィンランド:オーランド諸島 |
バチカンは国際連合非加盟。「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国、あるいは独立主張をしている国。国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。
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