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ヴァルダス・アダムクス - Wikipedia

ヴァルダス・アダムクス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヴァルダス・アダムクス
Valdas Adamkus
ヴァルダス・アダムクス

任期: 1998年2月26日2003年2月28日
任期: 2004年7月12日 – 現職

出生: 1926年11月3日(81歳)
リトアニアカウナス
政党: 無所属
配偶: アルマ・アダムキエネー

ヴァルダス・アダムクスValdas Adamkus1926年11月3日 - )は、リトアニア政治家。リトアニア大統領(在任1998年から2003年、再任2004年から)。

目次

[編集] 生い立ち

1926年、リトアニアカウナスカトリックの一家に生まれる。父はリトアニア空軍学校の校長であった。学生時代にリトアニア独立派の活動家として、地下で青年を対象とした新聞を出版するなどした。独ソ戦では、ソ連軍に対する抵抗運動に参加する。その後形勢が不利になり、ソ連の侵略から逃れるためにドイツに移住し、ドイツのミュンヘン大学で学んだ。終戦後の1949年一家でアメリカに移住した。リトアニア語ポーランド語英語ロシア語ドイツ語に堪能しており、1950年代、アメリカ軍第5軍予備軍の軍事情報部門で上級下士官を務めた。

シカゴに移ったのち、自動車工場や製図工として働きながらイリノイ工科大学で学び、1960年に卒業。工科大学で学ぶかたわら、他のアメリカのリトアニア人とともに40,000人の署名を集め、ソ連によってシベリアへ連行されたリトアニア人の問題に関してアメリカ政府が取り組むよう政府に求めた[1]。この嘆願は、当時の副大統領ニクソンに申し立てられた。リトアニアにおけるソ連政府の活動に対しても、1958年ハマーショルド国連事務総長が、1962年ケネディ大統領が示したのと同様に、アダムクスもまた懸念を示した[1]。こうした活動を通じ、アダムクスはリトアニア人団体の中で次第に重きを成すようになる。

[編集] アメリカ環境保護庁での勤務

その後1970年の初め、環境問題の専門家としてアメリカ環境保護庁に勤務し始め、同局の五大湖地域副長官を歴任したのち、1981年には、レーガン大統領から五大湖地域長官に任命される。任命される以前にはオハイオ州シンシナティで勤務したこともあった。彼は、長官としてイリノイ州インディアナ州ミシガン州ミネソタ州、オハイオ州、ウィスコンシン州における公害問題に取り組んだ。1985年にはレーガン大統領から、連邦公務員に与えられるものの中では最高位にあたるDistinguished Executive Presidential Rank Awardが授与された。

1972年モスクワで開かれた環境会議に米国代表として派遣され、その際、およそ30年ぶりにリトアニアへの帰国を果たしている。また、ソ連がペレストロイカを実施すると、彼はより頻繁に母国を訪れることが出来るようになった。彼は16年間環境保護庁の地域長官を務め、1997年、29年間務めた公務員を退職した。退職に際し、クリントン大統領から祝いの手紙が送られている。またこのほかにも、退職を機にさまざまな賞が授与された。かれは共和党員であったが、彼の誠実さは民主党員からも尊敬、評価されていた。

[編集] リトアニア大統領(1998年〜2003年)

環境保護庁を退職後すぐ、アダムクスはリトアニアへ帰国。1998年、大統領選への立候補を決意。海外生活が長かったことなどから、その後すぐにリトアニアの法廷で彼の立候補がふさわしいものかどうか争われることとなった。結果、アメリカの市民権を有していることを除けば大統領選に立候補することに支障はない、という判決が下され、彼はヴィリニュスのアメリカ大使館で市民権を放棄する手続をとった。その後、彼のアメリカでの経歴やアメリカ政府との繋がりなどが世間から評価され、同年、決選投票の末にアルトゥーラス・パウラウスカスを破り大統領に当選。在任中は、リトアニアのNATO及びEU加盟に奔走した。

2002年大統領選挙で再選を狙ったが、翌2003年1月の決選投票で自由民主党のロランダス・パクサスに敗北。しかし、同年10月、ロシアの国際犯罪組織とパクサス大統領との癒着を指摘するスキャンダルが発生。2004年3月に、憲法法廷が国家機密保持などについて大統領の行為を違憲と判断。同年4月に、リトアニア議会が大統領弾劾を可決成立させ、パクサス大統領は辞任。

辞任に伴い行われた大統領選挙で、2004年6月13日に行われた第一次選挙では得票率30%でトップに立ち、6月27日に行われた決選投票では、カジミラ・プルンスキエネーを破り得票率52%で再当選、同年7月12日に大統領職に復帰した。なおこの選挙に関してリトアニア憲法裁判所はパクサス前大統領の立候補を認めなかった。

松浦晃一郎ユネスコ事務局長はアダムクスの人柄を評価し、2003年、彼はユネスコ親善大使に就任した。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  1. ^ a b "Valdas Adamkus". Encyclopedia Lituanica I. (1970-1978). Ed. Simas Sužiedėlis. Boston, Massachusetts: Juozas Kapočius. 16. 

[編集] 外部リンク

先代:
アルギルダス・ブラザウスカス
リトアニア大統領
1998年2003年
次代:
ロランダス・パクサス
先代:
アルトゥーラス・パウラウスカス
リトアニア大統領
2004年
次代:


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