共和制
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共和制(きょうわせい、英:republic)は、国家に君主を置かない政体のことで、君主制に対置される概念である。共和政とも言う。共和制を取る国家のことを共和国という。また、共和制を国家のあるべき姿だとする思想のことを共和主義という。日本において共和主義は天皇制廃止論とほぼ同義。一般に共和制では、国家の元首は君主ではなく、国民により選出される。
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[編集] 語源
共和制、共和国にあたる「republic」の語源は「公の事」を意味するラテン語の「res publica」である。制度を指す抽象名詞(「共和制」)と、そのような制度を持つ国(「共和国」)とを用語上、区別しない。
これに相当する漢語「共和」は、古代中国の西周期、暴政を行った厲王が国人(諸侯と都市住民)に追放されたのち、空位の14年間を宰相の召公と周公が共同して統治に当たった(史記・周本紀)、もしくは諸侯に推戴された共伯の和(共という国の伯爵で和という人物)によって王の職務が代行された(古本竹書紀年)時期を「共和」ということに由来し、幕末、大槻磐渓の示唆により箕作省吾がその著『坤輿図識』(1845)ではじめて「republic」の訳語として用いたものである。中国の「共和」は、君主がいない特徴を持つ政体のことを指すため、ヨーロッパの「republic」と微妙に異なる。また、「republic」の中国語訳としては他に「民国」がある。
[編集] 歴史
共和制は君主制の対立概念であっても、民主制とは同義ではない。自らを古代ギリシア・ローマの正統後継者と位置付ける近代西欧の思想では、古代ギリシャの都市国家や、古代ローマ共和国を共和制の端緒に位置づける。それらの共和制のほとんどは貴族の寡頭政権であった。ヨーロッパでは中世イタリアの都市国家や、独立直後のオランダなど、共和国が数多く生まれたが、イタリア諸都市は寡頭制であり、オランダでは現王家の先祖であるオラニエ=ナッサウ家が総督を世襲して政治をとっていた。17、18世紀の西欧では、むしろ民主主義を批判しつつ共和主義を賛美するという思潮が強かった。
[編集] 共和制と民主制
現代においては共和制=民主制と混同されるきらいがある。
これは大いなる誤解であり、欧州における立憲王国(イギリス、オランダ、ベルギーなど)のように君主制であるが民主制の政治形態の国家もあれば、ソビエト連邦、朝鮮民主主義人民共和国、ドイツ第三帝国、旧イラクのように共和制により選出された国家元首により非民主制政治が敷かれた事実により明らかである(なおドイツ第三帝国は、選挙により首相に選出された後に国家元首たる大統領の権限(総統)を兼ねたヒトラーによる共和制でも君主制でもない政体と定義されていた)。
市民革命により1783年に独立したアメリカ合衆国や、1789年のフランス革命によって生まれたフランスの共和国が、近代的な共和制のモデルとなり、19世紀以後、世界中に広まった。