都市国家
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都市国家(としこっか、City-state)は、ひとつの都市とその周辺地域が、独立した政体としてひとつのまとまった形態をなす国家のことである。
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[編集] 歴史
[編集] 古代における都市国家
古代オリエントのメソポタミア文明においてシュメール人が築いた、都市の中心に神殿を持ち、集落の周りに城壁を築き、城壁外の農地や牧地とともに独立した国を形成していたシュメール文明の都市国家群がその原初的な形態である。
アテナイなどの古代ギリシアの小国家群や古代ローマ、古代インド(インダス文明)、古代中国(黄河文明。中国語では「国」や「邑」と呼ばれた)など古代には世界各地で見られるが、一般に都市国家群の国際関係においては強大な都市国家が弱小な都市国家を従属させたり、相互に同盟を結ぶことで密接な結合を持った同盟を結んでいく傾向がある。こうして形成された都市国家の連合は、古代ギリシアにおいてアテナイが盟主となって加盟する都市国家を従属させたデロス同盟がよく知られているし、殷・西周・春秋時代の王や覇者を中心とした秩序もこうしたものであった。都市国家の連合によるネットワーク型の国際秩序は、時として様々な内的、外的要因により領域国家に転換する。地中海世界におけるローマ帝国、イラン高原からメソポタミア、東地中海世界を統治したアケメネス朝、東アジアでは、戦国時代の諸王(戦国七雄)の統治下の諸国や、それらを統合した秦・漢帝国といったものがそれである。こうした転換の結果、都市国家は単なる地方単位(中国語では「県」という)になっていった。
アメリカ大陸のマヤ文明諸都市やヴェネツィアなどのイタリアの小国家群、神聖ローマ帝国の帝国都市なども都市国家の例として挙げられる。
日本の中世における堺や博多なども国家とは言えないがほぼ完全な自治を行っていた点を鑑みると都市国家に近い形態を持った地域と言えるだろう。
[編集] 近代・現代における都市国家
第一次世界大戦後にはダンツィヒが国際連盟保護下の都市国家である自由市(自由都市ダンツィヒ)となり、フィウメやバトゥミも短期間だが自由市とされた。第二次世界大戦後にはトリエステが国際連合の管理下で都市国家(トリエステ自由地域)となることが決まったが実現しなかった。
現代ではシンガポールやモナコ、バチカンなどが数えられる。主権国家ではないがドイツ連邦共和国を構成する州であるハンブルク、ブレーメンや中華人民共和国の特別行政区である香港やマカオも都市国家に近い存在である。ハンブルク、ブレーメンの場合は自由ハンザ都市という言い方もし、正式名称も「自由ハンザ都市ハンブルク」のように言う。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 世界飛び地領土研究会-独立自由市、国連管理地帯、国際管理地帯の項目で、近代の各都市国家の概説あり