ヴィルヘルム・ケンプ
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ヴィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff, 1895年11月25日-1991年5月23日)は、ドイツのピアニストである。作曲も行い、バッハの作品のピアノ編曲でもよく知られている。
目次 |
[編集] 生涯
[編集] 幼少期からナチス台頭期まで
ユーターボクの教会オルガニストの家庭に生まれ、幼時よりピアノ、オルガンを学び、卓越した才能を示した。ベルリン音楽大学でロベルト・カーンとハインリッヒ・バルトに師事、1918年にソリストとしてデビュー、以後60年余りの長きにわたる演奏活動をおこなった。1936年に初来日、以来4度の訪問を重ねている。
彼は大バッハからブラームスにいたるドイツ古典派、ロマン派の作品を得意のレパートリーとしており、深い教養に裏打ちされた、高雅で詩的感興に溢れた明晰な演奏は高い評価を受けた。特にベートーヴェンの名奏者として知られていたが、シューベルト、シューマンなどでも味わい深い名演を聴かせた。
録音も数多く、1920年の初録音以来、1950年代の一時期に英デッカで何枚かのロマン派作品のアルバムを製作したことを例外として、一貫してドイツ・グラモフォンに録音を行った。主要な業績であるベートーヴェンのピアノ協奏曲とピアノソナタの全集は、モノラルとステレオの2種類が残されている。ピエール・フルニエと組んだベートーヴェンのチェロソナタ全集と、ヴォルフガング・シュナイダーハンと組んだベートーヴェンのヴァイオリンソナタの全集も極めて評価が高い。また、1960年代にシューベルトのピアノソナタを全集として録音し、それまであまり演奏されることの無かった作品が一般に知られるようになるきっかけを作ったことも高く評価される。
ケンプは若い頃からドイツを代表するピアニストとして評価されてきた。しかし、同時代に最初から職業演奏家として訓練されてきたヴィルヘルム・バックハウスなどとは異なり、ケンプは自身を作曲家として捉えていたようで、そのため熱心に技巧練習に励むような事はなかったと言われる。したがって、若い頃の演奏ではかなりミスも目立ったようである。
[編集] ナチスの台頭後
ナチスの台頭後はケンプにとって辛い時期であった。台頭後もケンプはドイツに残ったが、演奏会やレッスンによる収入が途絶え、経済的に困窮した。また、ケンプ自身は(他のドイツに残った芸術家と比べても)決して「ナチ寄り」ではなかったが、それでもナチを逃れ亡命したドイツ人芸術家に批判的な言葉を投げかけたり、当時のドイツ文化の代表として来日した事もあった。このためにケンプは戦後、ナチに協力したと疑われ、演奏会が開けない時期もあった(この辺りの経緯はヴィルヘルム・フルトヴェングラーのそれと似ている)。
しかし、この演奏禁止時に、弱点であった技巧の弱さをある程度克服して以前よりも安定感のある演奏技術を身に付ける事に成功し、また、この苦難を乗り越える事で精神的な深みを増したと言われる。実際にケンプ本人も「この困難は自分を人間的・芸術的に高めてくれた」と後のインタビューで語っている。
「このピアニスト(ケンプ)が、自由闊達な霊感に満ちたすぐれた一夜の演奏会を持つ場合には、コルトーの最大の瞬間との比較をも恐れるにたりぬ、確然たる奇跡が約束されている。ときに見られるテクニックの不均衡やピアニスティックな造形の不明確などは、もうどうでもよくなってしまう」(ヨアヒム・カイザー、独評論家)などの評から分るように、ケンプの本領は実演にあり、そのよさがうかがい知れる録音は少ない。その実演もムラが多く、好調時には文字通り「奇跡」と言える演奏だが、不調時にはミスも多く、それをたまたま聴いた評論家からは不評をかうこともあった。「ケンプはエオリアンハープだった。ただし正しい風が吹いたときには」というアルフレート・ブレンデルの言葉が的を射ている。ちなみに、大指揮者フルトヴェングラーは、同時代に活躍したピアニストの中でも、特にケンプの芸術に深い関心と理解とを示した。2人の演奏スタイルには、深い精神性や溢れる高揚感、ドイツ伝統の巨視的な楽曲把握、自在に揺れながらも決して気まぐれではない柔らかで自然なテンポ操作など、少なからず共通する所があったといえる(また、実際にフルトヴェングラーはケンプ作の交響曲の初演をつとめ、また、ケンプもフルトヴェングラー自作自演の「テ・デウム」の演奏にオルガンで参加している)。
[編集] 晩年
ケンプは非常に長い間、演奏家としての活躍を続けたが、その晩年において、いささか時代に取り残されたような感もあった。現代のピアニストは大前提として、完璧な技巧による瑕疵のない演奏が求められる傾向がある。その点で、技巧よりも即興的なファンタジー、精神性を重んじるケンプのスタイルは、それとは少なからず異なっていたのである。しかし、彼の演奏から語られるヒューマンな暖かい音楽性、そしてそのスケールの大きさは、我々の心に気持ちよく響く。そして、残された録音は、今なお愛好家の心を温め続けている。彼は、ピアノは技巧だけが全てではないということを、演奏で証明していた稀有の存在であった。
彼は日本を愛した。彼の時代の「巨匠」で10回もの来日を数える人はいない。自叙伝『鳴り響く星のもとに』の『日本語版への序文』で、「日本に接して最もすばらしかったのは、相互に愛情が生まれたことでした」と述べているほどである。