ドイツ人
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ドイツ人(Deutsche)は、ドイツを中心としてヨーロッパに分布する民族である。文脈により以下の二つの定義を有す。
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[編集] 「国民」としてのドイツ人
「ドイツ人」を定義づけるのは至難である。それは、ドイツは単一民族による統一国家を持ったことがない、また国境線が、第二次世界大戦のすぐ後まで、頻繁に変更されてきたこと、あるいはヨーロッパにあっては、人の移動は比較的簡易、自由であるなどの理由による。さらに、ドイツ統一の中心となったプロイセン王国のあったベルリンを中心とする「ブランデンブルク地域」は、スラブ系のポーランド人との雑居地であり、同王国では多くの「ポーランド系」プロイセン人が活躍した。戦争論で著名なクラウゼヴィッツもポーランド系である。
ドイツの国籍保持者には西スラヴ語群のソルブ語を話す少数民族であるソルブ人(例:サッカー選手のミヒャエル・バラック)や、ポーランド系(代表的なのは、現在のサッカードイツ代表のエースであるミロスラフ・クローゼ、ルーカス・ポドルスキー、かつてのドイツ代表ピエール・リトバルスキーなど)、デンマーク系、ナチスによるホロコーストの影響で数は減ったがユダヤ人(ただし、起源に複数説あり数千年の混血を経たユダヤ教徒を人種的にドイツ人と区別する考え方はナチス以後否定されている)などもおり、国籍は有していないもののトルコ人(例:サッカー選手のイルハン・マンシズ)など様々な民族が居住しているのである。 [1]
その上で、細部をごまかしつつも、なお新旧ドイツ国家、ドイツ語、およびそれらに長くかかわってきた血筋といった漠然としたイメージの総体が「ドイツ人」と呼ばれている。それは他の国々と同様であるが、特にドイツ語の比重が大きい点(ほぼドイツ民族でしか母語化しなかった。その点日本語と立場が似ている)、国家の領域がまったく安定していない(現在の版図は十数年の歴史しか持たず、六百年間ドイツ国家の枢要を担ったオーストリアはその中に含まれていない)点が大きな特徴といえるだろう。
典型的なドイツ人をイメージすると、次のようになるであろう。
しかし、これらすべてがそろわなくても、ドイツ人と呼べるのである。 (特に最後の「ゲルマン系」などというのは、ホロコーストやナチズムの背景となった似非科学によって、あたかも純粋な民族であるかのようにでっちあげられた、アーリアン優越思想と同種のものである)。 現在の「ドイツ人」自体、多くの他民族の血が混ざっているのは当然であり、ゲルマン系というのは宗教的、意識的な排他的思想から強調されすぎた嫌いがある。英語では『ドイツ』を[Germany(ゲルマン人[Germans]の国)]と呼んでいることも影響しているといえよう(なおフランス語ではドイツは「アレマーニュ」といい「アレマン人の国」と呼ばれる)。
[編集] ドイツ人のイメージ
中には全く的はずれなもの、差別的に捉えられ得る物も含まれるだろうが、一般に言われているところを列挙する。
これは19世紀のドイツロマン主義やドイツ帝国の頃の権威主義的な国柄、またその頃に化学、医学が発展したことを反映したものといえよう。しかし、ドイツ帝国樹立の主体となったプロイセン王国は「ドイツ」の辺境であり、王国の国民はポーランド人などの非ドイツ人も大量に含まれていたことも留意する必要がある。
- ロマン的
- 勤勉
- 質実剛健
- 精密
- 理論的
- 尚武
- 不撓不屈
- 議論好き
[編集] 「民族」としてのドイツ人
もともと、ドイツ人は自らのことを"Teutsche"(トイチュ)と呼んでいた。これは「民衆 (people) 」の意である。しかし、南方の古代ローマ人はこのトイチュ人を「ゲルマン人」と呼称していた。これが現在の英語のGermanに相当することは論を待たない。後に「トイチュ」が訛り、現在の「ドイツ」となった。 通常「ドイツ民族」と言われる、ドイツ語を母語とするゲルマン系住民はドイツのほか、オーストリア国民、リヒテンシュタインの国民の大半、スイス国民の七割がそうであり、イタリアの南チロル地方の住民、ベルギー国民の一部もそうである。また、フランス語化が進行しているとはいえ、ルクセンブルク国民、フランス東部のアルザスとロレーヌの住民も基本的にはドイツ系である。18世紀以降エカチェリーナ2世の招きでロシアに移住したドイツ人も多く、第二次世界大戦前にはヴォルガ河畔にヴォルガ・ドイツ自治共和国を築いたが、大戦勃発後にカザフスタンなどに強制移住させられた。旧ソヴィエト連邦内に住むドイツ系住民は200万人近くいると推定されている。しかしソ連崩壊後、旧ソ連各国で民族主義が台頭し、ドイツ系住民は迫害されて祖国ドイツへ帰国する人も増えている。しかし同じ民族ながらドイツ語を解さないドイツ人として新たな難民問題となっている。
ドイツ国民以外の人々を「ドイツ人」と呼べるかどうかは微妙なところである。特にオーストリアは約600年間ドイツ国家である神聖ローマ帝国の中枢であったため、自らをドイツ人の主流とみなす考え方が根強かった。また神聖ローマ帝国は対外的には「ドイツ人の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation)」と呼ばれてきた。このため、ハプスブルク家による帝政の崩壊後の一時期は「ドイツ・オーストリア共和国(Republik Deutschösterreich)」という国号を使用していたほどで、オーストリア第一共和国時代は左派・右派を問わずドイツとの合併を望む声が強かった。オーストリア人アドルフ・ヒトラーによるオーストリア併合はこれを背景にしているが、併合後二流市民扱いされ、連合軍の爆撃などで惨憺たる目にあったオーストリア国民は、ナチスの崩壊後、ドイツ人とは異なるオーストリア人という意識が強くなっている。オーストリア民族という概念は根拠薄弱であり、本来イギリスや北欧も包括するゲルマン民族という言葉も漠然としすぎているため、東欧系住民を排撃する民族主義からの立場から、なおドイツ人という言葉にこだわる人も一部にいる。近年の右派連立政権に加わっていた右翼政党はそうしたドイツ民族主義者の流れをくんでいる。
ドイツは意識の上でも歴史の上でも、まずドイツ語、次いでこれを話すドイツ民族、最後にそれらを統べるドイツ国家という順序になりがちである。特にアフリカや新大陸に拡散した英仏語とは異なり、ドイツ語がほぼドイツ周辺の同民族にまとまっているだけに、この三者の結びつきは強い。オーストリアが近年ふたたびドイツ民族主義に傾斜しているのは、EUという連合国家の傘のもとでの「ドイツ人(ドイツ語使用者)」というまとまりが強く意識され始めたためともいえる。それだけにEU未加盟で、なおかつ大部分がドイツ語圏にふくまれるスイスの立場は微妙である。
なお、東欧の地名の中には「ニェメツキー~ Německý-」「ネーメト~ Német-」という前置きを持つ地名がある。 [2] これはドイツ人によって作られたか、ドイツ人が多かったため、同じ名前の隣町と区別するためである。
- ^ ただし、こうした状況は特にドイツに限ったことではない。島国であり鎖国が長かったため、比較的他民族の交流がうすい日本でも単一民族国家ではない。欧州の他国は英仏をはじめ、ドイツ以上に複雑である。地球上にはかなりの僻地を除いては、純粋な血統の民族などというものは存在しない。
- ^ チェコのニェメツキー・ブロト Německý Brod(現ハヴリーチクーヴ・ブロト Havlíčkův Brod)とチェスキー・ブロト Český Brod など。ドイツ人のブロト(浅瀬)とチェコ人のブロト、という意味である
[編集] 関連項目
- ドイツの歴史
- ドイツ語
- オーストリア人
- フランク人
- サクソン人
- ドイツ系アメリカ人
- ドイツ植民(東方植民) - 北方十字軍
- ドイツ人追放
- ヴォルガ・ドイツ人
- アルザス人
- アーリア人
- アーリアン学説
- 汎ゲルマン主義
- 小ドイツ主義 - ドイツ統一
- 大ドイツ主義 - アンシュルス
- ゲルマン魂
- ゲルマン人
- ドイツ人の一覧
- ドイツ人一覧 (分野別)