ドレスデン
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紋章 | 地図 | |
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基本情報 | ||
連邦州: | ザクセン州 | |
行政管区: | ドレスデン行政管区 | |
郡: | 郡独立市 | |
緯度経度: | 北緯 51度 03分 東経 13度 44分 |
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面積: | 328.30 km² | |
人口: | 500,068人 (2006年6月30日現在) | |
人口密度: | 1,523 人/km² | |
外国人: | 3.1 % | |
失業率: | 13.7 % (2006年9月現在) | |
標高: | 海抜 113 m(アルトマルクト) | |
最低地点: | 海抜 101 m | |
最高地点: | 海抜 383 m | |
郵便番号: | 01001、01067-01326(旧: 8010–8090) | |
市外局番: | 0351 | |
ナンバープレート: | DD | |
自治体コード: | 14 2 62 000 | |
UN/LOコード: | DE DRS | |
市庁舎の住所: | Dr.-Külz-Ring 19 01067 Dresden |
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ウェブサイト: | www.dresden.de | |
E-Mail: | presseamt@dresden.de | |
広報誌: | Dresdner Amtsblatt | |
行政 | ||
上級市長: | ルッツ・フォーゲル(Lutz Vogel) |
ドレスデン(Dresden)は、ドイツ連邦共和国ザクセン州の州都でありエルベ川の谷間に位置している都市である。人口は500,000人(2006年)である。
目次 |
[編集] 地勢
エルベ(Elbe)川沿いの平地に開けた町である。ドイツの東の端、チェコ共和国との国境近く30キロメートルほどに位置する。陶磁器の町として有名なマイセンまで約25キロメートルと近く、エルベ川を通じて交通がなされてきた。
[編集] 歴史
ザクセン選帝侯の宮廷都市として栄えた。代々のザクセン選帝侯は、12世紀末からドレスデン城に居住していた。この城のアウグスト通り沿いの外壁には歴代君主たちを描いたおおよそ100メートルにわたる壁画「君主たちの行列」がほぼオリジナルの状態で現存している。1732年、フリードリヒ・アウグスト1世は、城から近い場所に自らの居城として後期バロック様式によるツヴィンガー宮殿(Zwinger)を建立した。この宮殿はドレスデンを代表する建築物となっている。
第二次世界大戦では徹底した爆撃にあい市内中心部はほぼ灰燼に帰した(ドレスデン爆撃)。ソ連占領地域にあったため、戦後はドイツ民主共和国(東ドイツ)領となり、ライプツィヒなどと並ぶ工業都市として発展したほか、近年では観光地としての開発も顕著で、東部ドイツ有数の大都市として賑わいを見せており、1990年の東西ドイツ統合後、歴史的建築物の再建計画が一層推進されつつある。廃墟のまま放置されていた王妃の宮殿(Taschenbergpallais)が再建されて高級ホテルに生まれ変わったほか、同じく瓦礫の堆積のままの状態で放置されていた聖母教会(Frauenkirche)の再建には、世界中から182億円もの寄付が集まり、2005年10月に工事が完了。瓦礫から掘り出したオリジナルの部材をコンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込む作業は「ヨーロッパ最大のパズル」と評された。新しい部材との組み合わせがモザイク模様を描き出しているこの建物は、新しい名所となっている。
[編集] 文化
音楽はザクセン侯宮廷の傾向を反映して、古くからイタリアの影響を受けてきた。シャイト・シュッツらはルター派典礼音楽にイタリア音楽の傾向を付け加えた。ミヒャエル・プレトリウスもしばらくドレスデンで活動したこともあり、17世紀ドイツにおける音楽の中心地のひとつであった。モーツァルトもまたドレスデンで作品の初演を行っている。オペラ座、通称ゼンパー・オーパーは新古典主義建築の代表作としても知られ、オペラ座のオーケストラであるシュターツカペレ・ドレスデン(「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」と呼ばれることも多い)は、最古のオーケストラとして知られている。ドイツ鉄道ウィーン~ドレスデン間の夜行特別列車「ゼンパーオーパー」はこの劇場の名にちなんだものである。
ザクセン侯の美術コレクションは現在ツヴィンガー宮殿の一角を占めるドレスデン美術館、アルテ・マイスター(Alte Meister)などで展示されている。アルテ・マイスターのコレクションの中にはラファエロの「システィーナの聖母」が含まれる。そのほかレンブラント、ルーベンス、ルーカス・クラナッハ、デューラーなどヨーロッパを代表する画家たちの膨大な数の作品が公開されている。この美術館はヨーロッパでも重要なコレクションを有する施設のひとつと言ってよいであろう。
上記の様な旧市街(Altstadt)で主に見られる文化の他に、新市街(Neustadt)の文化も興味深い。
名前だけから見ると若そうにとれる新市街は、実は旧市街よりも歴史はかなり古い。ザクセン選帝侯時代、今の新市街地区のほぼ全域を焼失させる大火災があった。そこから比較的早く復興したため、それを記念し、全く新しく生まれ変わって繁栄してほしい、という願いを込めて、選帝侯が Neustadt と名付けられたと言われている(原典不明)。
築 100 年を超える建物が多く、世代を超えても当時の雰囲気を比較的良く保っている、数少ない街である。空襲で完全に焼け落ちたにもかかわらず、歴史的建造物を除き Altstadt 以上によく保守された地区と言ってもよい。
街の空気がやや古典的で、狭い路地が続く町並みには、レストランやバーが無数に存在し、週末は地元人達で賑う。また、美術・芸術家などの個展や、演奏会・音楽サロンが街のあちこちで毎週のように開かれ、地元人の関心も常に高い。文化・芸術が生活と密接に関わっているドレスデンならでは、と言えよう。
[編集] その他
- 2002年夏の洪水によりドレスデンも大きな被害を受けた。
- 2004年、ドレスデン・エルベ渓谷が世界遺産に登録された。ドレスデンを中心にしたエルベ川流域18kmが対象である(コアゾーン1930ha)。歴史的建造物の残る文化的景観が評価された。近年、交通量の増加に対応するためにエルベ川に車両用の橋を建設する案が検討されているが、世界遺産を登録しているユネスコの世界遺産委員会から、「橋の建設で景観がだいなしになるので、その場合は世界遺産の登録を取り消す」と言われており、建設するかどうかで世論がまっぷたつに分かれている。
- 2006年の市誕生800年のお祝いに向けて、ドレスデン中央駅の周辺は整備計画が進行中である。最近、駅舎の改修工事の一部が完成をみた。これらの整備に伴い、今後数年間のうちに中央駅周辺は大きく発展することが期待される。町の中心部近くにある聖母教会は正式には2006年に再建完成の予定だが、2004年には内部の見学が一部可能となった。
- 旧東ドイツの名門サッカークラブである1.FCディナモ・ドレスデンは、東西ドイツ再統一後に一時低迷していたが、その後持ち直しており2005年現在ブンデスリーガ2部で活躍中である。
- 近年では独インフィニオン・テクノロジーズ社、米アドバンスト・マイクロ・デバイセズ社などが進出し、欧州における半導体産業の拠点のひとつとなっている。
[編集] 姉妹都市
[編集] 関連項目
- 森鴎外
- 1884年から約4年間のドイツ留学をしていた鴎外は、1885年10月11日から翌1886年の3月初旬まで、約5ヶ月間ドレスデンに滞在していたことがある。小説『文づかひ』はドレスデンを舞台にした作品である。
- ゲーテ
- ドレスデンが気に入ったゲーテは、幾度かこの地を訪れている。彼はエルベ川からみて旧市街地側の川に沿って続く小高い歩道を好んで散歩した。それは森鴎外が滞在するおよそ100年前のことであった。
- ゼンパー・オーパー - ドレスデン歌劇場
- エーリヒ・ケストナー - ドレスデン出身
- ドレスデン交通企業体 - ドレスデンの公共交通会社
[編集] ドレスデンが舞台の作品
[編集] 映画
- ドレスデン、運命の日 - 2006年のドイツ映画。第二次世界大戦末期のドレスデンを舞台にしている。
[編集] 外部リンク