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航空事故の一覧 - Wikipedia

航空事故の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

航空事故の一覧(こうくうじこのいちらん)では、民間航空機の運用中に起きた主な航空事故の概要を紹介する。

各事故について、1) 事故日 (現地時間)、2) 航空会社と便名、3) 機種と製造元、4) 犠牲者数、5) 事故発生地、6) 事故の状況、7) 原因、を簡略にまとめた。ただし特筆に値する事故や事件、また航空事故に関連した特に興味深い事実などがある場合はこれを詳述した。また、航空ショーなどのデモ飛行中に起きた事故や軍用機が引き起こした事故についても、それが民間航空機に絡むものであればこれを含めた。

なお、

それぞれ参照されたい。

目次

[編集] 1930年代

[編集] 1930年

[編集] 1931年

  • 1931年 6月22日
    • 便名: 日本航空輸送 上り便
    • 機種: フォッカー スーパーユニヴァーサル
    • 死者: 3人全員死亡。
    • 状況: 福岡県にあった太刀洗飛行場から大阪に向かって離陸したが、有視界飛行中に梅雨時の霧に突入したため高度を下げたところ朝倉郡夜須村(現在:筑前町)の冷水峠附近の山腹に激突。事故機に搭乗していた乗客1名は日本における商業定期便最初の犠牲者となった。

[編集] 1937年

ヒンデンブルグ墜落の模様(動画:外部)

[編集] 1938年

  • 1938年 8月24日
    • 便名: 1) 日本飛行学校訓練機、2) 日本航空輸送旅客機
    • 機種: 1) アンリオ複葉機、2) フォッカー スーパーユニバーサル機
    • 死者: 両機に搭乗の計5人と地上の45人が死亡。
    • 状況: 羽田飛行場を離陸後空中衝突し墜落後に燃料タンクが爆発、付近の工場や民家に延焼。
    • 詳細:「大森民間機空中衝突墜落事故」を参照。

[編集] 1939年

[編集] 1940年代

[編集] 1940年

  • 1940年 12月20日
    • 便名: 三菱航空機 試験機
    • 機種: 三菱航空機 MC-20「妙高」号
    • 死者: 乗員13人全員が死亡。
    • 状況: 耐空証明取得のため試験中の双発旅客機が東京湾に墜落。搭乗していた三菱航空機社員、逓信省航空局の職員、海軍士官ら全員が死亡。機体は翌年2月に引き揚げられたが原因は不明とされた。

[編集] 1941年

[編集] 1942年

[編集] 1943年

[編集] 1946年

[編集] 1947年

  • 1947年 5月30日
    • 便名: イースタン航空 605便
    • 機種: ダグラス DC-4
    • 死者: 乗員乗客53人全員が死亡。
    • 状況: ボルチモアへむけて下降中、突然垂直降下したうえに反転して墜落。偶然後方に民間航空委員会の事故調査官が搭乗した機が飛行しており、一部始終を目撃したが、事故原因は解明できなかった。

[編集] 1949年

[編集] 1950年代

[編集] 1950年

[編集] 1951年

[編集] 1952年

  • 1952年 4月11日
    • 便名: パンアメリカン航空 526-A便
    • 機種: ダグラス DC-4
    • 死者: 乗員乗客69人中52人が死亡。
    • 状況: サンフアンを離陸後、4機のエンジンのうち2機が停止したため引き返すが、途中で海上に緊急着水。機体がわずか3分で水没したため多くの乗客が溺死した。この事故が教訓となり、定期旅客便では離陸前に必ず緊急着水時用のライフジャケットと救命ボードの説明をするようになった。

[編集] 1953年

[編集] 1954年

[編集] 1955年

[編集] 1956年

[編集] 1957年

  • 1957年 9月30日
    • 便名: 日本航空 「雲仙」号
    • 機種: ダグラス DC-4
    • 死者: なし (ただし負傷者数名)。
    • 状況: 大阪大阪国際空港を離陸直後にエンジンが故障し失速。機体が電線に引っかかり、そのまま空港付近の豊中市服部の水田に不時着した。機体は垂直尾翼だけを残し全焼。客室乗務員の迅速な避難誘導が賞賛された。

[編集] 1958年

  • 1958年 10月17日
    • 便名: アエロフロート・ソ連航空 SSSR-42362
    • 機種: ツポレフ Tu-104
    • 死者: 乗員乗客80人全員が死亡。
    • 状況: 北京モスクワ行きが、巡航高度で上昇旋回して進路変更中に乱気流に巻き込まれ失速して墜落。機長が最期に報告した通信記録により、事故機は高高度での自動操縦での飛行では突然の乱気流に対応することに難点があったことが判明し、8月の事故原因も同様であったとされた。そのため水平安定板の改良が行われた。

[編集] 1959年

  • 1959年 6月26日
    • 便名: トランスワールド航空 891便
    • 機種: ロッキード L-1649A
    • 死者: 乗員乗客68人全員が死亡。
    • 状況: ギリシアからアメリカに向かっていたTWA機が、経由地のミラノ空港を離陸後、空中爆発し墜落。事故の原因は判明しなかったが、静電気もしくは落雷で右翼タンク内の気化燃料に引火して吹き飛ばされ、操縦不能になり墜落したと推定されている。

[編集] 1960年代

[編集] 1960年

[編集] 1961年

  • 1961年 9月17日
    • 便名: 国際連合 チャーター機
    • 機種: ダグラス DC-6
    • 死者: 乗員乗客16人全員が死亡。
    • 状況: 国際連合事務総長 ダグ・ハマーショルドコンゴ動乱の停戦調停に赴く途上、搭乗機が旧北ローデシアエンドーラで墜落。現職の国連事務総長の事故死というニュースに加え、操縦士が警護上の理由から事前にフライトプランを提出していなかったこと、ソ連が国連のコンゴ動乱への介入を反ソビエト的だと非難し、事務総長の辞任を求めていたことなどから、同機の撃墜説や事務総長暗殺説が信憑性をもって広まったが、事故調査では事故機に被弾や爆発の痕跡は発見されなかった。同機の経由地である北ローデシアのエンドーラ (Ndola) 空港は海抜1270m、ところが最終目的地のコンゴにはエンドーロ (Ndolo) 空港という海抜279mの空港があり、この両者を操縦士が混同した結果、エンドーラ空港への着陸進入中高度が低くなりすぎたことが事故原因と結論された。

[編集] 1962年

[編集] 1963年

[編集] 1964年

  • 1964年 2月18日
    • 便名: 日東航空 101便 「おやしお号」
    • 機種: グラマン マラード
    • 死者: 乗員乗客10人中2人が死亡。
    • 状況: 大阪国際空港を離陸直後にエンジントラブルにあい、畑に不時着を試みたが失敗し機体炎上。なお機内に取り残された乗客の救出に当たった客室乗務員が、乗客とともに爆発に巻き込まれ殉職した。

[編集] 1965年

  • 1965年 5月20日
    • 便名: パキスタン国際航空 705便
    • 機種: ボーイング 720B
    • 死者: 乗員乗客127人中121人が死亡。
    • 状況: カラチからロンドンに向かう便が、経由地カイロ空港への着陸進入中に急降下して空港の手前8kmの地点に墜落。通常の3倍以上の降下率で降下したことや、速度も墜落するまで増加し続けたことが判明したが、異常な降下の原因を断定するまでには至らなかった。
  • 1965年 2月27日
    • 便名: アメリカン航空 383便
    • 機種: ボーイング 727-123
    • 死者: 乗員乗客63人中58人が死亡。
    • 状況: シンシナティ空港に有視界飛行方式で進入していたが、空港の手前で高台の上に位置する同空港より67mも低い地点に墜落した。機体の異常を示す証拠はを発見できなかったため、悪天候の中高度計のモニターを怠り、高度を誤認したまま降下を続けたパイロットミスによる可能性が高いとされた。
  • 1965年 12月25日
    • 便名 : 日本航空 813便
    • 機種 : ダグラス DC-8
    • 死者 : なし
    • 状況 : サンフランシスコ羽田行が離陸後間もなく第一エンジン爆発。火災発生により対岸のオークランド空港に緊急着陸。原因はエンジンオーバーホールの際の部品取り付けの不具合によるとされている。事故報告書においてアメリカ民間航空委員会から乗務員のエンジン出火から着陸までの素早い対応を賞賛された。

[編集] 1966年

  • 1966年 3月4日
    • 便名: カナダ太平洋航空 402便
    • 機種: ダグラス DC-8
    • 死者: 乗員乗客72人中64人が死亡。
    • 状況: 濃霧の中羽田へ地上誘導着陸方式で着陸進入中、操縦士が早く滑走路を視認するために意図的に高度を下げ、機体が進入灯に激突して墜落炎上。犠牲者の多くは焼死だった。羽田沖では1ヵ月前に全日空機がやはり着陸進入中に墜落したばかりで、関係者に衝撃を与えた。
    • 詳細:「カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故」を参照。
  • 1966年 4月22日
    • 便名: アメリカンフライヤーズ航空 チャーター便
    • 機種: ロッキード L-188C エレクトラ
    • 死者: 乗員乗客98人中83人が死亡。
    • 状況: 兵士移送のためチャーターされた機が、給油のためオクラホマ州アードモア空港に着陸進入中、機長が過労のため心臓発作を起こし、操縦不能となって墜落。機長には心臓病と糖尿病の長い病歴があったが、自らが運航会社の社長という地位を利用して健康診断報告書を偽造し機長免許を更新していた。

[編集] 1968年

[編集] 1969年

[編集] 1970年代

[編集] 1970年

[編集] 1971年

  • 1971年 6月6日
    • 便種: 1) ヒューズ・エア・ウエスト 706便、2) アメリカ海兵隊 151458
    • 機種: 1) ダグラス DC-9-31、2) マクドネル F-4B
    • 死者: 双方の乗員乗客49人中48人が死亡。
    • 状況: ロサンゼルス郊外で離陸上昇中の民間機に戦闘機が直角に衝突し、双方が墜落。脱出した迎撃士官以外が死亡。双方の見張り不足が原因であったが、有視界飛行の戦闘機が酸素系統のトラブルのため通常よりも低く飛行したうえに、航空管制官に空域進入の許可を受けていなかった上にトランスポンダーが故障しレーダーにはっきり写らなかったため戦闘機の存在を認識していなかった事や、双方の針路がコリジョンコースであったことなど様々な不運が重なっていた。そのためアメリカ国内では大部分の軍用機が計器飛行に切り替えられた。
  • 1971年 12月24日
    • 便名: LANSA ペルー航空508便
    • 機種: ロッキード L-188 エレクトラ
    • 死者: 乗員乗客92人中91人が死亡。
    • 状況: ペルーのリマからイキトスへ向かう途中、アマゾン上空で激しい乱気流と落雷に遭遇、右翼を大きく損傷しその後空中分解、山岳地帯の森林へ墜落。片目の怪我や鎖骨骨折などの重傷を負ったものの即死を免れた17歳の少女は密林の中を歩き続けカヌーを発見し、何時間か昏睡していたところをハンターによって事故後10日後になって奇跡的に救助された。事故機の残骸は事故後14日を経て発見されたが、墜落直後には10人以上が生存していたものとみられ、捜索救助活動の遅れが悔やまれた。

[編集] 1972年

  • 1972年 6月18日
    • 便名: 英国欧州航空 548便
    • 機種: ホーカーシドレー トライデント 1C
    • 死者: 乗員乗客118人全員が死亡。
    • 状況: ロンドンヒースロー空港を離陸直後に墜落。直接の原因は、上昇中まだ十分な高度に達していない段階に高揚力装置が誤ってたたまれた結果失速したことだが、事故機にはフライトレコーダーのみが搭載されコックピットボイスレコーダーが搭載されていなかったため、この誤操作を行ったかのは誰か、またなぜそれが修正されなかったかについては不明とされた。ただし搭乗前、労使関係の問題から機長が別の機長と声を張り上げるほどの大喧嘩をしていたこと、コックピット内に八つ当たりの落書きを残すほど機長が立腹していたこと、またそのストレスが原因と思われる血管亀裂が機長の胸部大動脈に発見されたこと (ただし死に至るものではない)、そして最年長ベテラン機長と若年の副操縦士という人間関係上の問題がこれに絡んでいたとなどが事故調査で明らかになっている。
    • 詳細:「英国欧州航空548便墜落事故」を参照。
  • 1972年 10月13日
    • 便名: ウルグアイ空軍 571便 (チャーター機)
    • 機種: フェアチャイルド FH-227D
    • 死者: 乗員乗客45人中29人が死亡。
    • 状況: ウルグアイの大学ラグビーチームを乗せてチリへ向かったターボプロップ機が、航空管制の誤誘導によりチリとアルゼンチン国境のアンデス山中に墜落。事故直後に12人、翌日までに5人、8日目にもう1人が死亡した。墜落地がアンデスの山中の奥地であったこと、白い機体が雪に紛れて上空から目視できなかったことなどから、3ヵ国からの救助隊は事故機を発見できず、捜索は打ち切りとなった。生存していた27人の頑健な若者はラジオで捜索の打ち切りを知り、自力で下山を開始、このうちの16人が事故から72日目に生還した。しかし彼らは力尽きて倒れた他のチームメートの遺体を食べて生き延びていたことから、その生還は賛否両論で迎えられるという皮肉な結果となった。なおこの事故を契機に、航空事故の捜索は事故機を発見するまで決して打ち切らない、というのが不文律となった。
    • 詳細: 「ウルグアイ空軍機遭難事件」を参照。
航空事故を扱った作品
  • 1972年 12月29日
    • 便名: イースタン航空 401便
    • 機種: ロッキード L-1011 トライスター
    • 死者: 乗員乗客176人中103人が死亡。
    • 状況: マイアミ空港へ着陸進入中、前脚が正常に降りたことを示す緑ランプが付かず着陸復航をしたが、着陸をやり直すまでの間、機長も副操縦士も球切れした緑ランプの交換に気を取られているうちに誤って誰かが操縦桿を押してしまい、自動操縦装置が解除されてしまった。このことから高度が下がり、さらにクルーは操縦室の下の狭い空間でのランプの交換に気を取られていたために高度が下がったことにも気づかないまま旋回をし、エバーグレーズ国立公園の湿地の中に墜落してしまった。トライスターは当時としては最新鋭の自動操縦装置を備えていたが、乗員がそれを過信して計器の確認をしなかったことが要因の一つであるとされている。なお、この事故はワイドボディ機初の全損事故である。
    • 詳細:「イースタン航空401便墜落事故」を参照。

[編集] 1973年

Tu-144墜落の模様(動画:外部)

[編集] 1974年

  • 1974年 3月3日
    • 便名: トルコ航空 981便
    • 機種: マクダネルダグラス DC-10-10
    • 死者: 乗員乗客346人全員が死亡。
    • 状況: パリオルリー空港ロンドン行きのトルコ航空機が離陸直後に墜落、重大な事故となった。原因は設計上のミスで貨物室のドアが完全に閉まらず、上昇に伴い与圧された機内の空気がそのドアを吹き飛ばし、それに伴い後部客席床下を通る油圧系統が切断されて操縦不能に陥ったため。この事故以前にもアメリカン航空で同じような欠陥から貨物室のドアが破損する事故が起きており(その際は幸いにも緊急着陸に成功していた)、メーカーは設計上のミスがあることを認識していながら販売を継続していたことが非難された。
    • 詳細:「トルコ航空DC-10パリ墜落事故」を参照。

[編集] 1975年

[編集] 1976年

[編集] 1977年

  • 1977年 3月27日
    • 便名: 1) KLMオランダ航空 4805便、2) パンアメリカン航空 1736便
    • 機種: 1) ボーイング 747-206B、2) ボーイング 747-121
    • 死者: 両機の乗員乗客計644人中583人が死亡。
    • 状況: カナリア諸島テネリフェ島 ロスロデオス空港の滑走路で、濃霧の中KLM機の機長が航空管制官のミスがあったために離陸許可を得たと勘違いして離陸滑走を開始し、同じ滑走路上を逆向きに移動中のパンナム機と鉢合わせになった。パンナム機を視認したときKLM機はすでにフルスロットル状態で、KLM機は慌てて機首を上げ、パンナム機は左に機首を向けて正面衝突を避けようとしたが、間に合わずKLM機の胴体腹部とパンナム機の胴体上部が衝突。KLM機は滑走路の先に墜落して爆発炎上し乗員乗客248人全員が死亡、パンナム機も滑走路場で炎上し乗員乗客396人中335人が死亡、あわせて583人が死亡し、航空史上最大の惨事となった。気象状況や上下関係などの様々な要因が重なったために起きた事故であった。
    • 詳細:「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」を参照。
航空事故を扱った作品

[編集] 1978年

  • 1978年 9月25日
    • 便名: パシフィックサウスウェスト航空 182便
    • 機種: ボーイング 727-214
    • 死者: 両機の乗員乗客137人全員と地上の7人が死亡。
    • 状況: 訓練飛行中のセスナ機との衝突後、高度約750mから住宅街の道路に墜落。この間に「管制塔、パシフィックサウスウェスト航空、墜落します」「了解」という交信記録が残っている。公式ではないが、パイロットがセスナ機の位置を誤認していたことが原因であると言われている。

[編集] 1979年

  • 1979年 5月25日
    • 便名: アメリカン航空 191便
    • 機種: マクダネルダグラス DC-10-10
    • 死者: 乗員乗客271人全員と地上の2人が死亡。
    • 状況: シカゴオヘア空港ロサンゼルス行きが離陸直後に墜落。原因はマニュアルに沿わない不適切なエンジン整備の結果パイロンが損傷し、離陸中に左エンジンが脱落、同時に左翼の油圧系統を喪失し、制御不能に陥ったため。NTSBは直ちに国内の全てのDC-10に「追って知らせがあるまで飛行を全面禁止」という異例の通達を発したが、これが解除されてからもDC-10のイメージダウンは拭えず、マクダネルダグラス社には発注のキャンセルが相次ぎ、これがDC-10シリーズと同社の衰退の遠因となった。今日に至るまでこの事故はアメリカン航空史上最大の惨事であり、またこの事故を契機にNTSBの役割が事故調査専門になるなど、各方面に大きな影響を与えるものだった。なお不適切な整備を指示していたオヘア空港の整備担当主任は事故調査委員会での証言直前に自宅で自殺している (アメリカ人の引責自殺は極めて稀)。
    • 詳細:「アメリカン航空191便墜落事故」を参照。
  • 1979年 8月11日
    • 便名: 1) アエロフロート 7880便、2) アエロフロート 7628便
    • 機種: 1) ツポレフ Tu-134、2) ツポレフ Tu-134
    • 死者: 両機の乗員乗客計178人全員が死亡。
    • 状況: ウクライナのドニプロゼルジンスク上空を飛行していたアエロフロートの国内線2機が空中で交差する際、航空管制官の誤った指示により、雲の中で2機が衝突し墜落。同一航空会社、同一機種の中型旅客機による空中衝突という前代未聞の事故となった。

[編集] 1980年代

[編集] 1980年

  • 1980年 3月14日
    • 便名: LOTポーランド航空 007便
    • 機種: イリューシン IL-62
    • 死者: 乗員乗客86人全員が死亡。
    • 状況: ニューヨークからワルシャワに着陸しようとしていた007便が、着陸装置が確実に出ていないことを示す警告等が出たため、着陸復航するためエンジン出力を上げたところ、左第二エンジンのタービンディスクは金属疲労のために破裂分解しエンジンを破壊、その破片が他のエンジン2基と操縦系統を破壊したため操縦不能に陥り、空港近くにあった19世紀の要塞の掘割に墜落。
  • 1980年 4月25日
    • 便名: ダン・エア 1008便
    • 機種: ボーイング 727-146
    • 死者: 乗員乗客146人全員が死亡。
    • 状況: カナリア諸島のテネリフェへの着陸進入中にあったイギリスマンチェスターからの不定期便が曇天のなか位置を誤認して航路を逸脱し、山岳部に墜落した。パイロットの不正確な航法によって迷走したのが事故原因であるが、空港への進入方法に無理があることや、空港への着陸を承認した管制官がレーダーを参考にすることが出来ず事故機の現在位置を知ることが出来なかったことも一因であると指摘された。なお事故機はかつて日本航空が所有していた「たま」で、東亜国内航空を経てダンエアが購入していた。
  • 1980年 8月19日
    • 便名: サウジアラビア航空 163便
    • 機種: ロッキード L-1011 トライスター
    • 死者: 乗員乗客301人全員が死亡。
    • 状況: リヤドハリド空港を離陸直後に貨物室から出火、火災が油圧系統の一部を切断して尾翼下の第2エンジンが制御不能となったが、すぐにハリド空港に引き返し、無事緊急着陸を行った。しかし事態を甘く見た機長が緊急脱出を指示せず、そのまま誘導路を走行したうえ、機体停止後もしばらくエンジンを停止しなかったため、救助隊は機体に近づけなかった。またトライスターに不慣れな救助隊が非常ドアに手こずり、これが開けられたのは着陸から約29分後のことだった。この間に火災は延焼し、乗員乗客全員が有毒ガス吸引などで死亡していた。機体前方部に折り重なるようにして息絶えていたという。
    • 詳細:「サウジアラビア航空163便火災事故」を参照。

[編集] 1981年

  • 1981年 8月22日
    • 便名: 遠東航空 103便
    • 機種: ボーイング 737
    • 死者: 乗員乗客110人全員が死亡。
    • 状況: 離陸10分後、台北の南南西約150kmの三義上空で空中分解し山中に墜落。圧力隔壁が塩水の影響で腐食していたため、貨物室の外板が客室与圧に耐えられなくなり破損したのが原因。作家の向田邦子をはじめとする日本人が多く巻き込まれたため日本国内で大きく報道された。
    • 詳細:「遠東航空103便墜落事故」を参照。

[編集] 1982年

  • 1982年 2月9日
    • 便名: 日本航空 350便
    • 機種: マクダネルダグラス DC-8
    • 死者: 乗員乗客174人中乗客24人が死亡。
    • 状況: 精神的な問題をかかえた機長が、羽田への着陸進入時に副操縦士や航空機関士の制止にもかかわらず逆噴射装置を突然作動させ、滑走路の手前で墜落。本来事故ではなく事件だったが、機長の精神状態から刑事責任が問えなかった。この事故の後、「逆噴射」や副操縦士が叫んだ言葉「キャプテン止めてください、何をするんですか!」は流行語となった。
    • 詳細:「日航羽田沖墜落事故」を参照。
  • 1982年 2月9日
    • 便名: マクダネルダグラス 試験機
    • 機種: マクダネルダグラス MD-80
    • 死者: なし。
    • 状況: カリフォルニア州エドワーズ空軍基地での試験飛行中、滑走路上にハードランディング、機体後尾が折損される。幸い爆発を伴わなかったため、乗員7人は全員無事だった (1人が骨折)。
MD-80ハードランディングの模様(動画:外部)
  • 1982年 6月24日
    • 便名: ブリティッシュ・エアウェイズ 009便
    • 機種: ボーイング747
    • 死者: なし。
    • 状況: クアラルンプールからパースへ向かって飛行中、インドネシアジャワ島上空で当時噴火していたガルングン火山の噴煙の中に入ったために火山灰がエンジンに詰まってしまい、747の4つのエンジン全てが停止、滑空状態になってしまった。機長は一時は洋上への着水を覚悟したが、幸い高度が低くなったところで火山灰から抜け出し、エンジンも再始動に成功。ジャカルタへ緊急着陸した。着陸後、クルーが機体を見たところ火山灰でこすれたために塗装が剥げ落ち、窓も擦りガラスのようになっていたという。火山の噴煙はレーダーでは観測できなかったために起こった事故であり、この後火山の噴煙への対策が急がれることになった。
    • 詳細:「ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故」を参照
  • 1982年 6月28日
    • 便名: アエロフロート 8641便
    • 機種: ヤコヴレフ Yak-42
    • 死者: 乗員乗客132人全員が死亡。
    • 状況: 水平安定板の機構内部が製造ミスのため不作動に墜落。そのためソ連当局はYak-42の運航を1984年まで停止にした。

[編集] 1983年

  • 1983年 3月11日
    • 便名: 日本近距離航空 497便
    • 機種: 日本航空機製造 YS-11
    • 死者: なし (ただし乗員乗客52人が負傷)。
    • 状況: 中標津空港に着陸進入中、滑走路手前の雑木林内の樹木に接触し墜落。 操縦士が吹雪のため滑走路の視認に気をとられ、適切な進入角度を取らないまま着陸を行ったのが原因。
  • 1983年 7月23日
    • 便名: エアカナダ 143便
    • 機種: ボーイング 767-200
    • 死者: なし
    • 状況: モントリオールからエドモントンへ向かう途中、オンタリオ州レッドレーク上空1万2000mを飛行中に両方のエンジンが突然フレームアウト(エンジン停止)、油圧系統と電気系統のすべてを失い滑空状態に。最寄りにダイバートできる空港はなかったが、同機は一分間に600mという急降下をしたのちマニトバ州ギムリーの元カナダ空軍基地の跡地に残されていた滑走路に緊急着陸、けが人はなかった。事故の直前にエアカナダでは燃料計算を従来のヤード・ポンド法からメートル法に切り替えていたが、これに伴う混乱で同機に約「2万キログラム」搭載されていたはずの燃料は実は「2万ポンド」(約9000キログラム)に過ぎず、燃料切れを起したのが原因。その後、事故機は修復されて2008年1月まで飛び続けており、「ギムリー・グライダー」と呼ばれた。
    • 詳細:「エアカナダ143便滑空事故」を参照。

[編集] 1985年

  • 1985年 12月12日
    • 便名: アローエア 1285便
    • 機種: ダグラス DC-8-63PF
    • 死者: 乗員乗客256人全員が死亡。
    • 状況: 多国籍軍としてシナイ半島に駐屯していたアメリカ兵を復員させるため軍がチャーターしたDC-8が、経由地のニューファンドランドガンダーから離陸後まもなく墜落した。同機は墜落寸前に失速していた反面、機体火災の痕跡もみられることから、カナダ航空安全委員会の9人の委員は5対4で着氷説と貨物室内爆発説に割れるという異例の事故調査報告となった。なお同事故はカナダ国内では最悪の事故、また一日に248人のアメリカ人軍人が死亡というのは第二次世界大戦後最悪の記録となった。

[編集] 1986年

[編集] 1987年

[編集] 1988年

  • 1988年 4月28日
    • 便名: アロハ航空 243便
    • 機種: ボーイング 737-200
    • 死者: 乗員乗客94人中1人が死亡。
    • 状況: ハワイ島ヒロからオアフ島ホノルルへ向かう途中、マウイ島上空7200mのところでコックピット後部の客席部分の天井が吹き飛び、客室乗務員1人が機外に吸い出される。幸い油圧系統が破壊されなかったことで墜落を免れ、マウイ島の空港に緊急着陸。短距離路線が多いことから離発着が頻繁であったこと、潮風の影響で機体の腐食劣化が進んでいたのが原因。
    • 詳細:「アロハ航空243便事故」を参照。
航空事故を扱った作品
  • 1988年 6月26日
    • 便名: エールフランス 296便 (エアバス社デモ機)
    • 機種: エアバス A320
    • 死者: 乗員乗客136人中3人が死亡。
    • 状況: フランスのアブシーム空港でエアショーのデモ飛行中、空港脇の森に墜落し炎上。低空飛行に気を取られた機長が高度計のチェックを忘れ、コンピュータの警告音を無視したのが原因とされるが、機長本人は邦訳「エアバスA320は、なぜ墜ちたか」を出版し反論中。
    • 詳細:「エールフランス296便事故」を参照。
A320デモ機墜落の模様(動画:外部)

[編集] 1989年

  • 1989年 1月8日
    • 便名: ブリティッシュ・ミッドランド航空 092便
    • 機種: ボーイング 737-400
    • 死者: 乗員乗客126人中47人が死亡。
    • 状況: 離陸から13分後にエンジンのファンが一部破壊したため、エンジンが損傷。さらに全てのエンジンが停止し、滑空状態になったあと滑走路前に墜落した。ちなみに、ボーイング737-400初の全損事故であった。
  • 1989年 6月7日
    • 便名: スリナム航空 764便
    • 機種: ダグラス DC-8-62
    • 死者: 乗員乗客187名中178人が死亡。
    • 状況: 夜明け前の空港へ着陸進入中、機長が無謀な操縦をしたため空港手前3kmにあった立ち木にエンジンを衝突させて墜落。なお機長が定期航空会社の定年をオーバーした66歳であるうえに、DC-8の操縦ライセンスを持っていなかったことが判明した。
航空事故を扱った作品
UA 232便緊急着陸失敗の模様(動画:外部)

[編集] 1990年代

[編集] 1990年

[編集] 1991年

[編集] 1992年

[編集] 1993年

  • 1993年 7月26日
    • 便名: アシアナ航空 733便
    • 機種: ボーイング 737-500
    • 死者: 乗員乗客110人中68人が死亡。
    • 状況: 台風が接近する中、強風で韓国木浦空港への着陸に手こずり、3度目の着陸進入中に空港から8km離れた山肌に墜落。操縦していた新人副操縦士が位置を誤認したのが原因。幸い火災が発生しなかったため生存者が多かった。
  • 1993年 11月4日
    • 便名: 中華航空 605便
    • 機種: ボーイング 747-400
    • 死者: なし(ただし負傷者多数)。
    • 状況: 香港啓徳空港で台風が接近する中、強風にあおられ滑走路半ばに接地、オーバーランして滑走路先の海中に突入した。ボーイング747-400初の全損事故。啓徳空港は着陸に際し香港カーブと呼ばれる極めて高度な機体操作が要求される操縦士泣かせの空港だったが、そのためもあってかオーバーランやしりもち事故は多かったものの、着陸に失敗して炎上したり市街地に突っ込むような大事故は皆無であった。

[編集] 1994年

  • 1994年 9月8日
    • 便名: USエアウェイズ 427便
    • 機種: ボーイング 737-200
    • 死者: 乗員乗客132人全員が死亡。
    • 状況: ピッツバーグ国際空港へ着陸進入中に突然機体が傾き、その16秒後に地面に激突。ボイスレコーダーにも直前まで何の異変があった様子もなく、原因はなかなか判明しなかったが、3年後のイーストウイング航空517便の事故の原因を解明することによって、ボーイング737のラダー装置はサーボ機構が経年劣化すると操縦士の操作とは逆に作動してしてしまうということが明らかとなった。これにより、この事故もそれを知ることが出来なかった操縦士が機体を立て直そうとラダーを過剰に操作した結果、最終的にこれが折損して機体が制御不能に陥ったことが墜落の原因だった、ということが判明した。
    • 詳細:「ボーイング737-200型機連続墜落事故」を参照

[編集] 1995年

  • 1995年 12月20日
    • 便名: アメリカン航空 965便
    • 機種: ボーイング 757-223
    • 死者: 乗員乗客163人中159人が死亡。
    • 状況: コロンビア・カリのアラゴン空港着陸進入中に、管制官との意志疎通不良と自動操縦装置の設定ミスや操縦ミスが原因でエルデルビオ山山腹に激突。乗客4人と犬1匹が奇跡的に生存した。パイロットは着陸しようとしてコンピューターにカリ空港の進入経路を入力した。しかし「ロゾVOR」と入力したつもりだったが実際は誤ったコースが入力されており直前までその経路を飛行していた。また当日、カリ空港のレーダーが故障しており管制官は965便が進入経路を外れたことに気づいていなかった。墜落直前に対地接近警報が作動したがパイロットはスポイラーを展開していることに気づかずに上昇しようとしたため十分に高度が上がらず山頂を擦るように墜落した。

[編集] 1996年

  • 1996年 1月8日
    • 便名: モスクワエアウエイズ 貨物機
    • 機種: アントノフ An-32
    • 死者: 乗員6人中2人と、少なくとも地上の350人が死亡。
    • 状況: ザイールのエンドーロ空港を離陸しようとしたターボプロップ貨物機が過積載のため離陸に必要な速度が出せず、わずかに上昇するもすぐに滑走路先に墜落、そのまま90m地表を滑って買い物客で混雑する屋外マーケットに突入、爆発炎上した。あたりは火の海となり、350~600人の犠牲者を出したが、遺体の多くは原形をとどめないほどの損傷をうけ、正確な犠牲者数は不明。テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故日本航空123便墜落事故に次ぐ航空事故となった。
  • 1996年 2月6日
    • 便名: アラス・ナショナル航空301便
    • 機種: ボーイング757
    • 死者: 乗員乗客189人全員が死亡。
    • 状況: ドミニカ共和国プエルト・プラタのグレゴリオ・ルペロン空港を離陸した7分後に失速し、カリブ海に墜落。原因はピトー管に異物が詰まっていたために一部の計器が正確に作動せず、しかも機長が正しく作動していた副操縦士側の補助計器ではなく、誤動作を起していた機長側の計器に従って操作を行ったため。事故機はトルコのバージェン航空からリースされていたものだが、本来使用予定の機材が使えなくなったために急遽クルーともども手配されており、これが機長の判断を狂わせる要因の一つになったのではないかとも言われている。
  • 1996年 5月11日
  • 1996年 6月9日
    • 便名: イーストウイング航空 517便
    • 機種: ボーイング 737-200
    • 死者: なし
    • 状況: バージニア州への飛行中に突如機体が傾くトラブルが発生、一時操縦が困難になるが、機長が機転を利かせて舵を逆にとってみたところ修正可能な事が分かり無事帰還した。737型機では1991年3月3日にユナイテッド航空585便が、1994年9月8日にはUSエアウェイズ427便が同様の事故で墜落、いずれも乗員乗客全員が死亡しており、その原因については謎とされて関係者を悩ませていたが、今回の経験が原因究明の鍵となった。737-200型機のラダー制御装置はサーボ機構が劣化すると作動不良となり、操縦士の操作とは逆方向に動くという現象が発生することが判明したのである。過去二回の事故では、このことに気づかなかった操縦士が機体を制御しようとラダーをさらに過剰に操作した結果、最終的にこれが折損して機体が制御不能に陥ったことが墜落の原因だった。
    • 詳細:「ボーイング737-200型機連続墜落事故」を参照。
  • 1996年 7月17日
    • 便名: トランス・ワールド航空 800便
    • 機種: ボーイング 747-100
    • 死者: 乗員乗客230人全員が死亡。
    • 状況: ニューヨークケネディ空港を離陸の12分後、配線ショートによる火花が燃料タンク内で気化していたガスに引火して機体が空中爆発しニューヨーク州ロングアイランド沖に墜落。当初はアトランタ・オリンピック妨害を狙った爆弾テロ説や、テロリストの放った地対空ミサイル説、アメリカ原潜によるミサイル誤射説などが報道され、FBINTSBもその線で調査を始めたが、ばらばらになって散乱した機体破片の大部分を海中から回収して組み立て直すなど、4年1ヵ月にも及ぶかつてない徹底調査の結果、事故であることが確定。なおTWAは事故後遺族への補償で経営が悪化、これが同社破綻の原因となった。
    • 詳細:「トランスワールド航空800便墜落事故」を参照。
航空事故を扱った作品
  • 1996年 11月12日
    • 便名: 1) サウジアラビア航空 763便、2) カザフスタン航空 1907便
    • 機種: 1) ボーイング 747-100、2) イリューシン Il-76
    • 死者: 両機の乗員乗客計349人全員が死亡。
    • 状況: ニューデリー空港を離陸し上昇中のサウジアラビア航空機と着陸降下中のカザフスタン航空機が同じ空路上でほぼ正面衝突して墜落。空中衝突事故として重大かつ航空事故とおいても重大な事故となった。カザフ機の操縦士が空港管制の指示した空路よりも低い空路で下降していたことが原因だったが、同機の機長も副操縦士も国際航空用語となっている英語による管制官の指示をよく理解していなかったことがわかった。
    • 詳細:「ニューデリー空中衝突事故」を参照。

[編集] 1997年

[編集] 1998年

  • 1998年 9月2日
    • 便名: スイス航空 111便
    • 機種: マクダネルダグラス MD-11
    • 死者: 乗員乗客229人全員が死亡。
    • 状況: ケネディ空港を離陸の1時間後、不良配線の火花から機体火災が発生、管制官はハリファックス空港への緊急着陸を指示するが、事態の緊急性を甘く見た操縦士が、別の空港への着陸許可を要請したり燃料投棄のために海上に留まるなどして時間を浪費。火災が延焼して機内に煙が充満し、操縦不能となり北大西洋上に墜落。スイス航空は事故後遺族への補償で経営が悪化、これが同社破綻の原因となった。
    • 詳細:「スイス航空111便墜落事故」を参照。

[編集] 1999年

  • 1999年 2月24日
    • 便名: 中国西南航空 4509便
    • 機種: ツポレフ Tu-154
    • 死者: 乗員乗客61人全員が死亡。
    • 状況: 浙江省瑞安で着陸進入中に墜落。高度1000mでフラップを拡張したところ、セルフロックナットが外れ、ボルトが抜け落ちたことで、ピッチ角の制御を喪失したため、機首から地面に衝突し爆発した。
中華航空642便着陸失敗の模様(動画:外部)
  • 1999年 12月22日
    • 便名: 大韓航空 8509便
    • 機種: ボーイング 747-200F
    • 死者: 乗員4人全員が死亡。
    • 状況: ロンドン北郊スタンステッド空港ミラノに向けて離陸直後に墜落。機体制御コンピューターが異常を知らせていることを航空機関士が警告したにもかかわらず、機長が適切な操縦をしなかったため、機体制御を失い地面に激突したとされる。なお、大韓航空が連続墜落事故を起こし国際的信用が失墜したため、韓国政府の航空行政担当の首脳が更迭された。

[編集] 2000年代

[編集] 2000年

  • 2000年 6月22日
    • 便名: 武漢航空 343便
    • 機種: 西安航空機製造 Y-7 (中国でライセンス製造したアントノフAn-24)
    • 死者: 乗員乗客44人と河川航行中の船舶の7人が死亡。
    • 状況: 武漢空港に着陸進入中に被雷し爆発炎上、武漢市郊外の河川に墜落。

[編集] 2001年

  • 2001年 8月23日
    • 便名: エアトランサット 236便
    • 機種: エアバス A330
    • 死者: なし (ただし脱出時に2人が軽傷)。
    • 状況: トロントリスボン行きが大西洋上空で燃料漏れを起こし、短時間で全燃料を喪失、左右両エンジンが停止して電気系統・油圧系統がダウンした。同機は19分間にわたって約120kmも滑空した後、テルセイラ島のポルトガル空軍基地に緊急着陸した。誤った部品交換を行った結果燃料パイプと油圧パイプが干渉し、燃料パイプに亀裂を生じたのが原因だった。
    • 詳細:「エアトランサット236便滑空事故」を参照。
航空事故を扱った作品
AA587便の離陸と墜落の模様(動画:外部)

[編集] 2002年

  • 2002年 7月1日
    • 便名: アメリカウエスト航空 556便
    • 機種: エアバス A319
    • 死者: なし。
    • 状況: 前夜半から機長・副操縦士ともに多量の飲酒をし、酔いも覚めぬまま翌朝出発の556便に搭乗した。不可解な言動を不審に思った空港警備員が警察に通報、同機はゲートから押し出され誘導路を走行しはじめる一歩手前のところで停止させられ、機長・副操縦士は現行犯逮捕。空港警察の職務質問にもろくに答えられないほどの泥酔状態だったという。

[編集] 2004年

[編集] 2005年

  • 2005年 8月6日
    • 便名: チュニインター 1153便
    • 機種: ATR ATR 72
    • 死者: 乗員乗客39人中16人が死亡。
    • 状況: シチリアパレルモ沖で、燃料切れのためエンジンが停止し海上に墜落。別機種ATR 42の燃料計が誤って装着されていたため、残存燃料が正しく表示されていなかったのが原因。
  • 2005年 8月12日
    • 便名:JALウェイズ 58便
    • 機種:DC-10
    • 死者:なし。
    • 状況:福岡空港離陸直後にエンジンから出火、部品の破片が市街地に散乱した。ちょうどこの日は、日本航空123便墜落事故が起こってから20年目にあたる日で、事故が発生したのは当日行われた御巣鷹山慰霊登山で当時の日本航空社長が「二度と事故を起さない」と挨拶をした直後だった。
  • 2005年 9月21日
    • 便名: ジェットブルー 292便
    • 機種: エアバス A320
    • 死者: なし。
    • 状況: カリフォルニア州バーバンクのボブホープ空港を離陸後、前輪が90度横向きになったまま固まり格納不能となった。近隣のロサンゼルス空港に緊急着陸することにしたが、A320型機は燃料を投棄するためのシステムを備えておらず、そのため同機はロサンゼルス沖の太平洋上を2時間以上にもわたって8の字を描くよう旋回しながら燃料を消費しなければならなかった。着陸は可能な限りの低速で接地、前輪は火を噴いたが脚を失うことはなく、機は無事停止した。なおジェットブルーのA320には各座席のLCDスクリーンで36チャンネルの衛星テレビ放送が視聴できるようになっており、乗客は緊急着陸の一部始終をCNNの生中継で観ていたため、パニックになることもなかったという。
    • 詳細:「ジェットブルー航空292便緊急着陸事故」を参照。
ジェットブルー292便緊急着陸の模様(動画:外部)

[編集] 2006年

TNT航空352便緊急着陸の模様(動画:外部)

[編集] 2007年

  • 2007年 9月16日
    • 便名:ワントゥーゴー航空 269便
    • 機種:マクドネルダグラス MD-82
    • 死者:乗員乗客130人中89人が死亡。
    • 状況:豪雨による視界不良のなか、プーケット空港への着陸が思うように行かず、着陸復航しようとしたところ機体後尾が滑走路上に激突。バランスを崩してそのまま滑走路上を滑ったのち、滑走路脇の林に激突、機体が真二つ折れて炎上した。原因については現在調査中だが、同空港の滑走路は水平ではなく中央部が両端よりも高い坂状になっており、事故機の後尾が接触したのは頂上部を過ぎて下り坂が始まる辺りだったことから、着陸復航を行った際に飛行士が機体と地上との距離を誤認した可能性が指摘されている。
    • 詳細:「ワントゥーゴー航空269便着陸失敗事故」を参照。

[編集] 2008年

  • 2008年 2月21日
    • 便名: サンタ・バーバラ航空 518便
    • 機種: ATR 42
    • 死者: 乗員乗客46人全員死亡
    • 状況: ベネズエラ国内線として運行していたサンタ・バーバラ航空機がメリダからカラカスに向け離陸直後に空港から11Kmほど離れた標高4000mの山中に激突し、搭乗者全員が死亡した。事故原因は調査中だがメリダの周囲は高い山脈に囲まれており、離陸後すみやかに急上昇する必要があったという。


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