空中衝突防止装置
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空中衝突防止装置(くうちゅうしょうとつぼうしそうち、Traffic alert and Collision Avoidance System : TCAS)とは、航空機同士が空中衝突する危険を抑える目的で開発されたコンピュータ制御のアビオニクス装置である。地上の航空管制システムには依存せずに航空機の周囲を監視し、空中衝突 (MAC) の恐れがある他の航空機の存在を操縦士に警告する。5700kg以上または客席数19以上の全ての航空機に国際民間航空機関 (ICAO) が義務付けている航空機衝突防止装置 (ACAS) の実装の一つである。
現代のグラスコックピット機では、航法ディスプレイに TCAS ディスプレイが統合されている。古いグラスコックピット機や機械計器の航空機では、機械式の垂直速度計(降下・上昇の速度が表示される)が TCAS ディスプレイに置き換えられている。
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[編集] 衝突防止装置への弾み
少なくとも1950年代以来、衝突防止装置についての研究が進められてきたが、連邦航空局 (FAA) などの当局が動き出したのは、次のような多数の人命が失われた悲劇的な空中衝突が起きてからである。
- 1956年 グランドキャニオン空中衝突事故。
- 1976年 ザグレブでの空中衝突。 (en)
- 1978年 パシフィックサウスウエスト航空182便事故。ボーイング727とセスナ172が衝突。 (en)
- 1986年 アエロメヒコ航空498便事故(182便事故と似た事故)。最終的に、この事故により米連邦議会や関連の監督機関が動き、衝突防止装置が義務付けられることとなった。 (en)
[編集] TCAS の基本
TCAS では、適合するトランスポンダを装備したすべての航空機間で通信が行なわれることが必要である。TCAS を搭載した各航空機は、定められた範囲内にいる他のすべての航空機に(1030MHzの周波数で)「問い合わせ」を行ない、他のすべての航空機は他機からの問い合わせに(1090MHzで)応答する。この問い合わせと応答の繰り返しは、毎秒数回行なわれる。
こうした継続的な往復通信を通して、TCAS システムは空域に存在する航空機の相対位置や高度や速度を組み込んだ三次元の地図を作り上げる。その後、現在位置データから将来の位置を推定して、潜在的な衝突の恐れがあるかどうかを判断する。
TCAS とその亜種が対話できるのは、正常に動作しているトランスポンダを積んだ航空機だけであることに注意しなければならない。[1]
[編集] 自動従属監視 (ADS) との関係
適合するトランスポンダを搭載した航空機からは、識別子、現在位置、高度、対気速度のような情報を含んだ放送型自動従属監視 (Automatic Dependent Surveillance-Broadcast : ADS-B) 信号が送信される。この信号は、TCAS の応答と同じ1090MHzの周波数で送信される。
ADS-B メッセージを処理できる TCAS 装置は、通常の TCAS メッセージと共に ADS-B メッセージを使って、予測能力と状況表示の強化が可能となる。この方法は「ハイブリッド監視」と呼ばれている。
能動的な TCAS で監視できる40海里の範囲に比べると ADS-B では約100海里以上の遠距離から受動的に受信できるという事実からだけでなく、ADS-B メッセージには追加情報(対気速度など)が含まれていることで予測能力が向上する。ADS-B メッセージの中にある識別情報は、コックピット・ディスプレイ上で他の航空機にラベルを付けるために使ったり、状況認識を改善することができる。
ハイブリッド監視を使った場合でも、TCAS の基本である衝突防止機能に変わりは無い。
[編集] TCAS のバージョン
[編集] TCAS I
TCAS I は、第一世代の衝突防止技術である。安価ではあるが現代の TCAS II システムほどの能力はなく、主にはジェネラルアビエーション(一般航空)用である。TCAS I システムは、航空機の周囲(約40マイルまで)の交通状況を監視し、他の航空機のおおまかな相対位置と高度に関する情報を提供する。さらに「接近情報」 (Traffic Advisory : TA) として衝突警報を出す。他の航空機が近くにいる場合、TA は "traffic, traffic" (他機あり) の音声で操縦士に警告するが、回避方法までは指示しない。どうするかを決めるのは操縦士に委ねられており、通常は管制部 (ATC) の支援を受ける。危険が無くなれば "clear of conflict" (衝突は回避された) の音声で示される。
[編集] TCAS II
TCAS II は第二世代かつ現代の TCAS であり、大多数の民間航空機で使われている(下記の表を参照)。TCAS I の機能をすべて含み、さらに危険を避けるための「回避指示」 (Resolution Advisory : RA) を、音声で操縦士に直接指示する。指示するのは「是正」で、"descend, descend" (降下せよ) あるいは "climb, climb" (上昇せよ) といった音声で、操縦士に高度を変えるよう提案する。一方で、操縦士に対して現在の高度から逸脱しないように音声で "monitor vertical speed" (垂直速度を監視せよ) とシンプルな警告が「予防的」 RA として発せられることもある。操縦士に指示を出す前に、TCAS II システム同士で回避指示の協調が行なわれる。その結果、ある航空機に降下が指示されれば別の機には上昇が指示され、2機の距離間隔は大きくなる。
2006年の時点では、ICAO の ACAS II に適合した実装は TACS II のバージョン 7.0 のみで、ロックウェル・コリンズ社とハネウェル社の二社から提供されている。
[編集] TCAS III
TCAS III は「次世代」の衝突防止技術で、ハネウェル社のような航空関連企業で現在活発に開発が進められている。TCAS III は TCAS II システムの技術的性能を向上させ、接近情報の提供と、垂直方向だけでなく「水平方向」も使って操縦士に衝突回避を指示する能力がある。たとえば、正面から接近する状況で、ある航空機に "turn right, climb" (右旋回して上昇せよ) と指示が出れば、別の機には "turn right, descend" (右旋回して降下せよ) と指示が出ることになる。そうすることで、水平方向と垂直方向の両方で航空機同士の間隔をより大きくすることができる。
[編集] 現在の実施
たまに誤警告があるのが弱点だが、操縦士は「すべての TCAS メッセージを本物の警報として、優先的に即刻対応せよ」と厳格に命じられている(TCAS よりも優先されるのは、対地接近警報装置の警報だけである)。FAA やその他ほとんどの国の機関では、TCAS RA と管制部 (ATC) の指示が食い違う場合には 常に TCAS RA が優先する、と規則に定められている。(ある航空機が TCAS RA に従い、別の機がそれに反して ATC の指示に従えば、2002年7月1日のドイツ・ユーバリンゲンでの事故(バシキール航空2937便空中衝突事故)のような衝突が起きてしまう。この空中衝突では、双方の航空機に TCAS II が搭載され正常に動作していたが、1機は TCAS の指示に従い、もう1機は TCAS を無視して ATC に従った。その結果、致命的な衝突が起き、両機は共に墜落した。)
[編集] 世界での規定状況
管轄区域(機関) | 航空機の区分 | TCAS モード | 発効日 |
---|---|---|---|
アメリカ合衆国 (FAA) | 客席数30以上(または最大離陸重量が33000ポンド ~ 15000kg以上)のタービンエンジン搭載の民間輸送機すべて | TCAS II | 1993年1月1日 |
ヨーロッパ (EASA) | 客席数30以上(または最大離陸重量が15000kg以上)のタービンエンジン搭載の民間輸送機すべて[2] | TCAS II | 2000年1月1日 |
ヨーロッパ (EASA) | 客席数19以上(または最大離陸重量が5700kg以上)のタービンエンジン搭載の民間輸送機すべて[3] | ACAS II (事実上 TCAS II バージョン 7.0) | 2005年1月1日 |
オーストラリア (CASA) | 客席数30以上(または最大離陸重量が15000kg以上)のタービンエンジン搭載の民間輸送機すべて[4] | TCAS II | 2000年1月1日 |
香港 (CAD) | 客席数9以上(または最大離陸重量が5700kg以上)の香港の航空機すべて[5] | TCAS II バージョン 7.0 | 2000年1月1日 |
[編集] 出典
- ^ Introduction to TCAS II Version 7 (PDF)
- ^ European ACAS II Mandate
- ^ Explanatory Statement regarding TCAS for CASA(PDF)
- ^ Airworthiness Notice No. 24 (PDF)