英国海外航空
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英国海外航空(えいこくかいがいこうくう、British Overseas Airways Corporation/ BOAC)は、イギリスに存在した国営航空会社。現在のブリティッシュ・エアウェイズの前身の会社である。
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[編集] プロフィール
[編集] 設立
第二次世界大戦直前の1939年に、イギリス政府の民間航空政策によってインペリアル航空とブリティッシュ・エアウェイズ(現在の同名の会社とは別会社)が合併して、イギリスの植民地および極東、北アメリカ路線向けの航空会社として作られた。しかし、大戦終結後の1946年に、BOACのヨーロッパ域内国際線と国内線はブリティッシュ・ヨーロピアン航空 (BEA、英国欧州航空と訳されることもあり) に、南アメリカとカリブ海域路線はブリティッシュ・サウスアメリカン航空 (BSAA) に割り当てられることとなった(その後1949年7月にBSAAはBOACに再び吸収合併された)。
[編集] コメット就航
その名のとおり世界各国に路線を広げ、1948年には日本に乗り入れを開始。1952年5月には世界初のジェット旅客機であるデハビランド DH.106 コメットIをロンドン-ヨハネスブルグ線に就航させた。その後アメリカのパンアメリカン航空に次いで世界一周路線を運行するなど、イギリスのフラッグ・キャリアとしてだけでなく、世界を代表する航空会社として君臨した。
[編集] 消滅
その後、1971年に国会においてBEAと合併することが決定され、1974年3月31日をもってBEAと正式に合併し、ブリティッシュ・エアウェイズとなり英国海外航空の社名は消滅することとなった。
[編集] コールサイン
- Speedbird(ブリティッシュ・エアウェイズに引き継がれた)
この"Speedbird"のマークが尾翼に描かれていた。
[編集] 主な運行機材
- ショート・エンパイア
- ショート・サンダーランド
- ダグラスDC-4
- ダグラスDC-6
- ボーイング377
- デハビランド DH.106 コメットI
- ブリストル タイプ175 ブリタニア
- ビッカース VC-10
- ボーイング707-420(ロールス・ロイスエンジンを搭載していたため、ロールスロイス707と呼んでいた)
- ボーイング747
[編集] 日本における英国海外航空
[編集] 乗り入れ
1948年3月19日にイギリスの南海岸のプール-香港線を延長し、当時連合国軍による占領下であった日本の占領にあたっていた駐日イギリス軍への物資補給を目的に、岩国基地にプリマス飛行艇で乗り入れた。同年11月には東京(羽田空港)に乗り入れ地を変更し、さらに1952年には世界初のジェット旅客機であるデハビランド・DH106 コメットIによる南回りヨーロッパ線での乗り入れを開始した。なお、日本へのジェット旅客機の乗り入れはこれが初めてであった。
その後、乗り入れ機材をブリストル・ブリタニア175やヴィッカース・VC-10、ボーイング707などに変更した他、北回りヨーロッパ線での乗り入れも開始した。その後大阪(伊丹空港)にも乗り入れを開始し、1971年からはボーイング747での乗り入れも開始した。
[編集] 乗り入れ引き継ぎ
1974年に路線がブリティッシュ・エアウェイズに引き継がれたものの、しばらくの間は英国海外航空の塗装にブリティッシュ・エアウェイズのロゴを入れただけの機体で運航されていた。
[編集] 富士山麓墜落事件
1966年3月5日に、東京発香港経由ロンドン行き911便(ボーイング707)が富士山上空で山岳波(特殊な乱気流)に巻き込まれ空中分解し墜落、乗客乗員124人全員が死亡した。詳細は英国海外航空機空中分解事故を参照のこと。
[編集] 関連項目
- 東京国際空港
- 飛行機事故
- PFLP旅客機同時ハイジャック事件
- 007は二度死ぬ
- PUFFY - 「渚にまつわるエトセトラ」で歌詞にBOACが出てくる
- ビートルズ - 「Back in the U.S.S.R.」で歌詞にBOACが出てくる