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ヨシップ・ブロズ・チトー - Wikipedia

ヨシップ・ブロズ・チトー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ソビエト連邦 切手, ヨシップ・ブロズ・チトー, 1982 (Michel № 5151, Scott № 5019)
ソビエト連邦 切手, ヨシップ・ブロズ・チトー, 1982 (Michel № 5151, Scott № 5019)
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ヨシップ・ブロズ・チトーJosip Broz Tito/Јосип Броз Тито1892年5月7日 - 1980年5月4日)は、第二次世界大戦からその死まで、最もユーゴスラビアに影響を与えた政治家であり、大統領ユーゴスラビア共産主義者同盟の指導者である。「チトー元帥」という呼び名でも知られている。

本名はヨシップ・ブロズ。「チトーTito)」という名前は、「お前(Ti)があれ(to)をしろ」という横柄な文章から取られたもので、冗談のネタになることもあった。

目次

[編集] 略歴

[編集] 生涯

チトーは、オーストリア=ハンガリー帝国の一部だった、今のクロアチアの北西部、ザゴリェ地方(Hrvatsko Zagorje)のクムロベツという所で生まれた。父親フラニオ・ブロズと母親マリア・ブロズの間の7番目の子供だった。フラニオはクロアチア人だったが、マリアはスロベニア人だった。少年時代を、ポドスレダにいる母方の曽祖父の所で過ごしたのち、クムロベツの小学校に入学し、1905年に卒業している。

1907年、のどかな田舎から一転して、シサックの錠前屋の見習として働き出した。そこでチトーは労働運動に関心をもつようになり、初めてメーデー(5月1日、労働者の日)を祝った。1910年冶金工の組合に加入すると同時に、クロアチアとスラヴォニアの社会民主党にも加わっている。1911年から1913年にかけて、オーストリア=ハンガリー帝国内を転々としながら働いていた。

1913年の秋から、徴兵により兵役に就いており、1914年5月には、軍の主催するブダペストフェンシング大会で準優勝し、銀メダルをもらっている。第一次世界大戦の勃発により、現在のセルビア・モンテネグロにあるルマ市に送られた。チトーは、そこで反戦争的な宣伝を流布したことで逮捕され、ペトロヴァラディン要塞に収監された。1915年、再びロシアを攻撃するために、中央ヨーロッパのガリシア地方に送られた。ブコヴィナでは榴弾砲により重傷を負った。同年4月には、部隊全員がロシアの捕虜となった。

病院で数ヶ月療養したのち、1916年の秋、ウラル山脈にある労働収容所に送られた。1917年4月、チトーは戦争捕虜たちのデモを組織したとして逮捕された。後に脱走して、1917年7月16日から17日にかけて起きたサンクトペテルブルクのデモ(七月蜂起)に参加している。警察から逃れるため、フィンランドまで逃げたが、結局捕まり、ペトロパブロフスクの要塞に3週間閉じ込められた。クングールの労働収容所に入れられたのち、列車に乗った際に逃亡した。1917年11月、シベリアオムスク赤軍に参加した。1918年春には、ロシア共産党への参加を申し込んでいる。彼の最初の妻は、ヘルタ・ハースで、第1子が1941年の5月に生まれている。

パルチザン戦争中(右端)
パルチザン戦争中(右端)

第二次世界大戦中の1943年12月、ナチス・ドイツによるユーゴスラビア占領下で、抵抗運動の指導者となったチトーは、民主的な臨時政府の設立を宣言した。この間、彼の活動は連合国によって直接的に支援されており、1944年6月には、彼のパルチザンを支援するために、バルカン半島で活動するイギリス空軍部隊が編成されている。しかし、彼がスターリンに接近しようとすることに対して、司令部にいるイギリスやアメリカ軍将校とたびたび険悪になった。戦争が終結すると、これらの軍隊は撤収した。

戦後も最初の内はスターリン主義に基づきユーゴスラビアは歩んでいったのだが、あまりにも改革が徹底していた為周りの東欧諸国に影響力を持つようになる。更にモスクワからの自立を意図し、それを恐れたスターリンは1948年ユーゴスラビア共産党コミンフォルムから除名する。翌年にはソ連との友好相互援助条約も破棄された。その後、ソ連から彼を狙う暗殺団が度々送り込まれるがチトーは秘密警察に暗殺団を全て検挙させた。逆にモスクワのスターリン宛に電報を送り「刺客を送る用意がある」と揺さぶり、ソ連の支配下に置くことを諦めさせた。

また、それを受ける形もあり、後に自らも非同盟を喧伝していることから、政治学上、ユーゴスラビアは東側諸国とは見なされていない。

生家近くに建てられたチトーの銅像(2007年5月撮影)
生家近くに建てられたチトーの銅像(2007年5月撮影)

その後、チトーは1950年に「工場を労働者に」という演説を行い、「労働者にとってただ一つの(資本主義国との)違いは、ソ連では失業が無い、ただそれだけである」と発言する。その後、企業に対する労働者自主管理(経営概念はあるが、資本は労働者所有であり、経営者は労働者が求人する)と、各共和国の大幅な自治権を特徴とするユーゴ独自の自主管理社会主義を建設していった。また冷戦下に社会主義国でありながらソ連に追放されたことから、非同盟運動に接近し、チトーは第三世界のリーダーの一人となる。こうしたチトーの政治思想はスターリン主義者によってチトー主義と呼ばれ、他の社会主義国においては反体制派粛清の口実にもされた。

内政面では、そのカリスマによって各共和国・民族のバランスを取り、連邦の維持に腐心。特に、純然社会主義体制でありながら与党の中に制限野党を作り、独裁色が強く複数政党政治とは言えないものの、それに準じた制度を取り入れたことや、新聞などによる体制批判、即ち言論の自由をある程度許したことは、特筆に値する。また、民族主義による排外思想家は、秘密警察による監視・摘発の対象になった。社会主義非同盟運動第一人国として、自らの体制批判は許され民族主義的言動は排除される国家だった。しかしながら、民族主義を弾圧し、体制が維持できたのは、チトーのカリスマのおかげである所が大きく、チトーの個人的影響力に頼る体制の維持方法は、不安定で、後述するような内戦を招いたとする意見もある。

1980年5月4日、スロベニアのリュブリャナの病院で死去した。葬儀には世界中から多くの人が参列した。

[編集] 民族融和の崩壊

チトーのカリスマと宥和政策によって、国内の民族主義者の活動が抑えられ、ユーゴスラビアに統一がもたらされていたため、チトーの死後、ユーゴスラビアの統一が維持できないのではないかと懸念された。

彼の死後、後継者のないこの体制は、急速に崩壊していく。このいびつに配置された多民族による社会主義連邦国家において、彼の作り上げた体制における「自由」は、絶えず分裂の引き金となりながらも、結局は彼のカリスマによって一国家に収斂されていた。

カリスマ亡き後の「自由」は、即ち多民族それぞれの民族主義、分裂主義の勃興を許すことになる。全ての始まりは、彼の死の3ヶ月後に、クロアチア-セルビアで大規模な独立暴動が起こったことだった。その衝撃は、クロアチアにいるセルビア人、セルビアにいるクロアチア人、それぞれを恐怖せしめた。かくしてユーゴスラビア人は、自らがユーゴスラビア人であることと、ユーゴスラビアの存在をついに疑い始めることになるのだった。

この地での紛争の歴史を取材したマイケル・イグナティエフは、その著書『仁義なき戦場』にこう記している。

「これからは誰が自分を守ってくれるのか?という疑問に、我が民族だという答しか出なくなるのだ。」

冷戦崩壊後の1990年代には民族間の対立や紛争が激化し、一連のユーゴスラビア紛争が勃発。各共和国は独立を勝ち取るための紛争に突入する。戦争に参加した武装組織あるいは軍が、皆民族防衛を掲げて戦ったのは興味深い。2006年にはモンテネグロ独立により、連邦は完全に瓦解した。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク


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