チャイナエアライン
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チャイナエアライン | ||
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IATA CI |
ICAO CAL |
コールサイン Dynasty |
設立日 | 1959年 | |
ハブ空港 | 台湾桃園国際空港 | |
マイレージサービス | Dynasty Flyer | |
会員ラウンジ | Dynasty Lounge | |
同盟 | 非加盟 | |
保有機材数 | 68機 | |
目的地 | 47都市 | |
親会社 | China Airlines Ltd. | |
本拠地 | 中華民国台北市 | |
代表者 | 趙国帥 | |
ウェブ: http://www.china-airlines.co.jp/ |
チャイナエアライン(China Airlines)は、中華民国(台湾)の航空会社。現地における正式名称は「中華航空」(略称「華航」)。
目次 |
[編集] 概要
中華民国のフラッグ・キャリアとされる航空会社である。正式名称は、中国語圏では「中華航空公司」であるが、日本を含めた全世界においては「チャイナエアライン(China Airlines)」である。日本でも、1995年まで「中華航空」を正式名称としていた経緯などから、一部マスコミでは今でも「中華航空」と呼んでいる。なお、名称の似ている中国国際航空(Air China)は、中華人民共和国の民用航空総局系の航空会社であって、台湾の会社ではない。
チャイナエアラインで特徴的なものに、機体の白い尾翼が挙げられる。かつては真ん中に中華民国の国旗(青天白日満地紅旗)が小さく描かれていたが、中華人民共和国が返還後の香港乗り入れを盾に圧力をかけたため、現在では中華民国の国花である梅の花びらが大きく描かれている。機体の社名も「中華航空公司」から「CHINA AIRLINES」へと変更されたが、「華航」という印影のデザインは残されている。
主要航空会社の中では事故率が非常に高い部類に属する[1]。
客室乗務員のチャイナドレス風の制服は人気があり、雑誌「エイビーロード」等でも常に上位にランキングされていた。2007年に制服が変更されたが、チャイナドレス風のスタイルは受け継いでいる。
チャイナエアラインは、マンダリン航空(現地名は華信航空公司)を子会社に持つ。
[編集] 就航都市
[編集] 台湾国内
[編集] 日本
[編集] アジア
[編集] オセアニア
[編集] ヨーロッパ
[編集] 北米
[編集] サービス
- 医食同源のもとにメニューが考案されている。中華料理のメニューは評判も良い。ファーストクラス、ダイナスティクラス(ビジネスクラス)の場合、事前に機内食を予約できる。エコノミークラスにおける東京~台北線では、機内食前のドリンクサービスはない。
- ダイナスティ・フライヤー
[編集] 日本におけるチャイナエアライン
[編集] 長らく続いた羽田空港発着
1967年に伊丹空港経由で羽田空港に乗り入れたのが始まり(1969年直行化)だが、1972年の日本と中華人民共和国との国交回復、中華民国との断交を受け、中華民国当局が1974年4月21日に日華間の航空路線を断絶させたため、乗り入れは中止された。
1978年の成田空港開港後、東京に乗り入れる国際線定期便は東京都大田区の羽田空港から千葉県成田市の新東京国際空港(現在の成田国際空港)に移転した。その中で、唯一中華航空のみ外交的な理由(中華人民共和国政府と日本政府の航空交渉の席上で「主権問題で対立する中華民国の航空会社を同じ空港に乗り入れさせないように」という依頼が来た)から成田空港へ移転せず羽田空港に残留した。これは東京都心に近いため空港アクセスが良い、空港旅客サービス料が無料である等のプラス面と、他の国際線と接続しない等のマイナス面の一長一短であった。
その後設立された長榮航空(エバー航空)も同じく成田空港ではなく羽田空港に発着するようになった。しかし、成田空港暫定第2滑走路の供用開始された2002年4月18日に、チャイナエアライン・エバー航空共々羽田空港から成田空港に移転した。
福岡空港では以前からチャイナエアラインと中華人民共和国の航空会社の両方が乗り入れているが、ダイヤ上は中華人民共和国の航空会社(特に中国国際航空)がチャイナエアラインと同時に地上にいることがないように配慮されていた。
広島空港では、チャイナエアラインと中華人民共和国(中国東方航空)の両方が乗り入れている上に、共に夜間駐機するダイヤになっているが、中国東方航空の方が後に着陸して翌朝早く離陸するダイヤとなっており、できる限り短くしている。
[編集] 名古屋空港での事故
詳細は中華航空140便墜落事故を参照
1994年4月26日、台北・中正国際空港(現・台湾桃園国際空港)発名古屋空港行きの中華航空機CI140便(エアバスA300-600R型機・登録番号B-1816)が、名古屋空港で着陸に失敗して墜落、乗客乗員271人のうち264人が死亡し7人が負傷した。
この事故は、名古屋空港34滑走路に向けて着陸体制中に、副操縦士が誤ってゴー・アラウンド(着陸復航、着陸を一旦中止してやり直すこと)スイッチを作動させたことで機体が上昇、さらにゴー・アラウンドモードの解除に失敗したうえ自動操縦に逆らった操作をしてしまうなど、いくつもの人為的なミスが重なった結果、機体が急角度で上昇して失速、失速点からほぼ垂直に落下するような形で墜落に至ったというものであった。
この事故ではごく短時間のうちに機長と副操縦士の双方が誤操作を連発した上、司法解剖の結果二人の胸腔からエタノールが検出されたため、飲酒操縦疑惑などの憶測報道も出たが、当時の航空事故調査委員会の報告書は、遺体が腐敗してゆく過程でエタノールが生成されていった可能性も否定できないとし、2人に飲酒の事実があったとは断定しなかった。
なお、当時台北~名古屋線(日本側の日本アジア航空も)は不定期便という形での運行だった。同年12月に定期運行となった。
この事故の翌年、日本での呼称を「中華航空」から「チャイナエアライン」に変更、香港返還に向けて機体の塗装を変更した。
[編集] 32年ぶりの大阪
2006年4月4日関西国際空港の2006年夏ダイヤが発表され、チャイナエアラインは2006年7月より関西国際空港(大阪)に台北線を就航させた。内訳は旅客便が週5便、貨物便が週2便となる。
伊丹空港に国際線が就航していたころ(1974年4月20日)から数えて約32年ぶりとなる大阪線。2004年の日台航空協議での発着枠拡大により、大阪再就航が実現した。
[編集] 那覇空港での炎上事故
詳細はチャイナエアライン120便炎上事故を参照
2007年8月20日午前10時35分頃、台北発120便(ボーイング737-800型・登録記号B-18616)が那覇空港41番駐機場に到着、直後に右翼エンジンが爆発炎上した。事故機には乗客157名(日本人23名・幼児2名を含む)、パイロット2名、客室乗務員6名(日本人乗務員1名を含む)の計165名が搭乗していたが、全員無事に避難した。
[編集] 保有機材
チャイナエアラインの機材は以下の航空機で構成される(2007年5月30日現在):
- ボーイング747-400型機 15機
- ボーイング747-400F型機 20機
- ボーイング737-800型機 11機
- エアバスA340-300型機 6機
- エアバスA330-300型機 15機
[編集] 関連項目
[編集] 出典
[編集] 外部リンク
- China Airlines(英語版)
- チャイナエアライン(日本語版)
- China Airlines Fleet Age(英語版)
- China Airlines Fleet Detail(英語版)
- China Airlines Passenger Opinions(英語版)
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