レーダー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レーダー(Radar)は電磁波を対象物に向けて発信し、その反射波を測定することにより、対象物までの距離や方向を明らかにする装置である。
電波法施行規則第2条では「決定しようとする位置から反射され、又は再発射される無線信号と基準信号との比較を基礎とする無線測位の設備をいう。」と定義されている。遠くにある物との距離を電磁波によって計測し、図示することで、飛行機の位置を把握したり、雨量の計測に使用するシステムに使われている。
目次 |
[編集] 語源
その単語は定着したアクロニムであり、英語の Radio Detection and Ranging(無線探知測距) からきている。これは、アメリカ人による命名であり、当初イギリスでは無線方向探知機(RDF:Radio Direction Finder(Finding))もしくは高周波方向探知器(HFDF:High Frequency Direction Finder(Finding))と呼ばれていた。
[編集] 原理
強い電磁波を放射し、反射して返ってくる電磁波を分析することで、対象物との距離を把握する。気象用レーダーの場合、雨粒(雪片も含む)との距離に加えて反射波の強度から密度(=量)を把握することで、その地点での雨量(降水強度)を検出する。
レーダーでは、波長の長い(=周波数が低い)電波を使うと電波の減衰が少なく、遠くまで探知する事ができるが、分解能が低くなるため、目標の解像度は悪くなる。逆に、波長の短い(=周波数が高い)電波は、空気中に含まれる水蒸気や雲・雨などに吸収・反射され易いので減衰が大きく、遠くまで探知する事は出来ないが、高い解像度を得る事ができる。
したがって、対空レーダーや対水上レーダーなど、遠距離の目標をいち早く発見する必要性のあるものでは周波数が低い電波を、射撃管制レーダーなど、目標の形・大きさなどを精密に測定する必要性のあるものでは周波数が高い電波を使用するのが適している。
[編集] 歴史
[編集] 発明
暗闇を飛ぶこうもりが超音波を発しその反射音をキャッチしてぶつからずに飛行することからヒントを得た。 1900年初頭には、ドイツでは航海安全のための電波利用が実際に行われていた。
[編集] 八木・宇田アンテナ
1925年(大正14年)日本人の発明した八木・宇田アンテナ(以下八木アンテナ)は、指向性を備える画期的な技術だった。しかし、日本では全く反響が無く学会から無視された[1]。ところが欧米で大々的な評判を呼び、各国で軍事面での技術開発が急速に進んだ。その成果は後にバトル・オブ・ブリテンで花開く事になる。
[編集] 黎明期
1930年頃から英米国では、電離層の観測目的で電波の利用が行なわれていた。その後、航空機の通過で観測が妨害される現象を逆に使用して、航空機を発見するためのラジオ・ロケーターと呼ばれるレーダーの開発が始められた。英国は、この電磁波を兵器(殺人光線)に利用できないかロバート・ワトソン=ワットに打診し、殺人光線としては利用できないが、航空機の早期発見には役立てることができるだろうとの見通しを得た。最初に航空機の探知に成功したのは1935年の英国である。
[編集] 実用化と軍事への応用
1930年代にドイツでは、ヴィルスンとアーブスローが海軍司令官エーリヒ・レーダーの指示のもとで、イギリスでは、ロバート・ワトソン=ワットらにより航空省が援助して開発が進められ実用化され、1940年にイギリスはドイツ空軍の空襲に対する迎撃戦闘で大々的に使用し、ドイツのイギリス侵攻の阻止に大いに役立った。
ドイツ空軍の空襲に対してイギリス空軍はレーダーを使った防空システムの整備により有効に対処することができ、この戦いは戦局の分水嶺となった。また、サボ島沖海戦やビラ・スタンモーア夜戦でもアメリカ海軍がレーダーを活用して日本海軍を相手に勝利をおさめた。こうしてレーダーは戦局を左右する重要な情報機器となった。
ドイツ本土防空戦においては、英軍が夜間爆撃のために、爆撃機にマッピング・レーダーを搭載した。一方でドイツ軍は英軍夜間爆撃機に対して、夜間戦闘機にリヒテンシュタイン・レーダーなどを搭載して対抗した。
[編集] 日本での歩み
日本でのレーダーは1939年に陸軍が連続波で航空機からの反射波の受信に成功している。その後、陸軍ではいくつか電波警戒機という名の装置を銚子や東京湾入り口に備えたが役には立たず、その後も「た号1型」「た号2型」を開発し対空高射砲陣地に備えたがあまり成果は挙がらなかった。このためもあり1942年8月、ドイツの新型「ウルツブルグ・レーダー」の入手を計画し、伊30号潜水艦で輸入を試みたがシンガポールで触雷し沈没した。
日本海軍では八木アンテナやレーダーの効果よりも、自ら電波を出して敵に発見される危険性の方を重視したため、開発には消極的であった。第二次世界大戦の最初期では、まだレーダーはそれほどの性能を持たなかったため、戦局は日本が優位に進めた。しかし、時代が進みレーダーの性能が加速度的に進化した結果、日本軍は多くの戦いでアメリカ軍に苦汁を飲まされる事となる。
レーダーの重要性を痛感した日本海軍は慌てて開発に力を入れたが、時既に遅かった[1]。1942年に戦艦「日向」において実験を行なったがあまり良い結果が得られずそのままミッドウェー海戦に出た。日本海軍ではその後も開発を続け、1941年に戦艦「大和」級に水上索敵と射撃管制用の「2号2型電探」を備えてはじめて実戦に使用可能なレベルのレーダーを手にした[2]。初期のレーダーは雨が降ると反射されほとんど役に立たなかったうえ、指向性も不十分だった。
戦局の悪化で本土防空戦が始まり、高性能なレーダーが必要とされたが、当時の日本軍のレーダーは「電波警戒機甲型」という名称のドップラーレーダーで探知性能は極めて低かった。そこで「乙型」が開発されたが、性能は有効射程300キロ、方向は大まかにしか特定できず、高度測定は不可能であった。更に工業力の低さから真空管が頻繁に故障を起こした。乙型は40年のバトル・オブ・ブリテンで活躍した程度のレーダー性能は持っていたが、生産に入ったのは終戦直前で、殆ど活躍の場はなかった。[3]
日本語では、電波の照射の跳ね返りにより位置を探るものを「電波探信儀」、相手の発する電波によって方向探知するものを「電波探知機(もしくは受信機)」と呼び、双方共に短く「電探」と呼んでいた。(後者においては「逆探」と呼んでもいた。)なお、これは日本海軍での呼び方とされており、日本陸軍では特に前者を「電波警戒機」と呼称した。
なお、八木アンテナはその後、主に家庭のテレビアンテナ等として広く使用されるが、21世紀の現在でも当初の頃からほとんど変わっていない。それだけ完成度の高い技術だったことになる。
[編集] 技術の向上
電磁波の発生には、マグネトロンやクライストロンなどの真空管を使うことが多いが、ガン・ダイオードや終段回路を集積したマイクロ波集積回路への置き換えが進行中である。その進歩によりレーダーの性能も上がっていった。アンテナは、電波周波数の上昇により、四角い網状のものだけでなく、皿状のパラボラアンテナも使うようになった。
現在のレーダー装置の多くは、パルス状に電波を送信して送信をしない間は受信を行なうパルスレーダーという方式である。これによりアンテナは1つで済むが、アンテナを送信用と受信用の2つを備えた常時送受信を行なうレーダー方式もある。
距離の測定精度はパルスの幅とS/N比によって決まる。方位や仰角の精度は送信ビームの幅とS/N比によって決まり、送信ビームの幅は送信周波数/アンテナの開口長で決まる。複数のわずかにずれたビームによって測定精度を向上させることが出来る。目標との距離の変化は、受信周波数の変化から測定する。
パルスドップラーレーダーと呼ばれる方式では、時間軸では無く周波数軸を測定することにより、一次的に速度を、二次的に距離を測定する。
平均エネルギーが大きいため、小型でも比較的遠距離を探知可能であるため戦闘機などの搭載レーダーに多用される。
連続した受信パルスをフーリエ変換することでかなり正確に周波数の変化を測定し速度を求めることが出来る。
軍事用レーダーでは目標以外の反射波は本来不要であり、地面、海面、雲、雨などは「クラッタ」として有意情報からは除外されなければならない。気象レーダーなどでは航空機などによる反射波は不要であり、雲や雨が有意情報である。軍事用レーダー装置では固定した反射波は地面や海面からのクラッタとして、ここからの検出をのみを抑制することで不要な情報をフィルターする、「クラッタマップ」と呼ばれる仕組みがある。また同じような技術に「Moving Target Induction:MTI」と呼ばれるドップラーシフトが0の信号を抑制する方法がある。これらは自らの位置が移動する航空機のレーダーでは、自己位置の移動分を補正する必要がある。
軍事技術の一つにステルスがあり、これはなるべく敵レーダーへの反射波を返さない技術である。近年では、計算機の発展に伴い、外面が曲面で構成されたステルス兵器もあるが、ステルス兵器が出現した当初は、平面で構成された外面を持っていた。これは、レーダーが送信されてきた方向へはなるべく反射波を返さずに、送信方向とは別の特定の方向にまとめて反射させる工夫である。ステルス技術には電波を吸収する工夫も含まれており、通常は形状によるステルスと共に電波吸収剤も併用される。電波を別方向に反射するステルス兵器を発見するためには、「バイスタティックレーダー(又はマルチスタティック・レーダー)」と呼ばれる送信アンテナと受信アンテナが遠く離れたレーダーシステムが有効だと考えられている。また、電波吸収体は吸収する周波数が固定されるため、広い周波数帯のレーダーが有効だと考えられている[2]。
[編集] 表示方式の変遷
初期のレーダーは、旧日本海軍の二二号電探(二号二型電波探信儀)でも採用されたAスコープ表示方式が用いられた。縦軸に電波強度、横軸に時間を取ったオシロスコープに波形を表示(心電図のようなイメージ)させることにより、強度が最も大きい反射波が戻ってくる時間から対象物までの距離を読み取っていた。レーダー送信機の方向は別に表示されていたため、他方向に多数の対象物が存在する場合、一覧する事が出来なかった。
次の世代のレーダー表示器は、PPIスコープ(Plan Position Indicator scope)と呼ばれる円形の表示器に、時計方向に回転する走査線(アンテナが探査波を発射し反射波を受けている方向を表す)によって、対象物の二次元上の所在を一覧できるようになった。またBスコープと呼ばれる表示方式では横軸に方位、縦軸に距離(あるいは目標の速さ)を示す方式で戦闘機などの対空レーダーに利用されている。
現代のレーダー表示器は、通常のラスタースキャンディスプレイ上に、対象物の情報を文字表示したり、既にデータベースにある地形情報などを合成して表示することが可能である。
[編集] 周波数帯
電波の周波数による分類 | |||||||||||
ELF | SLF | ULF | VLF | LF | MF | HF | VHF | UHF | SHF | EHF | THz |
3 Hz | 30 Hz | 300 Hz | 3 kHz | 30 kHz | 300 kHz | 3 MHz | 30 MHz | 300 MHz | 3 GHz | 30 GHz | 300 GHz |
30 Hz | 300 Hz | 3 kHz | 30 kHz | 300 kHz | 3 MHz | 30 MHz | 300 MHz | 3 GHz | 30 GHz | 300 GHz | 3 THz |
10000 km | 1000 km | 100 km | 10 km | 1 km | 100 m | 10 m | 1 m | 10 cm | 1 cm | 1 mm | 100 μm |
100000 km | 10000 km | 1000 km | 100 km | 10 km | 1 km | 100 m | 10 m | 1 m | 10 cm | 1 cm | 1 mm |
[編集] 第二次大戦時の主な軍用レーダー
名称 | 用途 | 範囲 | 出力 | 周波数 | 波長 |
---|---|---|---|---|---|
二号一型 | 対空捜索 | 54海里 | 5kW | 200MHz | 150cm |
二号二型 | 対水上捜索/射撃 | 19海里 | 2kW | 2.5GHz | 10cm |
一号三型 | 対空捜索 | 54海里 | 10kW | 150MHz | 200cm |
名称 | 用途 | 範囲 | 出力 | 周波数 | 波長 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
SK | 捜索 | 150海里 | 330kW | 200MHz | 主力艦用 | |
SC | 捜索 | 150海里 | 330kW | 200MHz | 駆逐艦用 | |
SD | 捜索 | 20海里 | 140kW | 114MHz | 潜水艦用 | |
SG | 対水上射撃 | 20海里 | 50kW | 3cm | ||
Mk.3 | 対水上射撃 | 20海里 | 20kW | 40cm | ||
Mk.8 | 対水上射撃 | 20海里 | 20kW | 10cm | ||
Mk.13 | 対水上射撃 | 20海里 | 50kW | 3cm |
[編集] 脚注・出典
[編集] レーダーの種類
[編集] 関連項目
- レーダーサイト
- レーダードーム(レドーム)
- 航空管制官
- 空港
- 飛行場
- 気象レーダー
- ステルス (軍事)
- チャフ
- ソナー
- マグネトロン
- ウルツブルグ (レーダー)
- 合成開口レーダー
- ジャミング
- レーザーレーダー
- アンテナ