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ドイツ空軍 - Wikipedia

ドイツ空軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黒十字(Balkenkreuz) 1939年から1945年のドイツ空軍機に標示された主権紋章
黒十字(Balkenkreuz) 1939年から1945年のドイツ空軍機に標示された主権紋章

ドイツ空軍(-くうぐん、独:Luftwaffe)は1935年の再軍備から使用されるドイツ空軍の名称。正式には Reichsluftwaffe と綴られるが、短縮して Luftwaffeヘルプファイル と呼ばれる。カタカナ読みはルフトヴァッフェあるいはルフトバッフェ

目次

[編集] 概要

ドイツ空軍の前身であるドイツ帝国軍航空隊(「Luftstreitkräfte」)は1910年、軍用飛行機の出現とともに創立された。その当初の任務は地上の陸軍部隊の支援のために偵察を行うことであった。第一次世界大戦が勃発すると空中戦が行われるようになり、爆撃任務や迎撃任務とその内容を拡げていった。

[編集] 歴史

[編集] 第一次世界大戦

第一次世界大戦において、ドイツ帝国軍航空部隊は、アルバトロス製やフォッカー製の戦闘機、Aviatik製やDFW製の偵察機、ゴータ製の重爆撃機、ツェッペリン飛行船など、多種多様な航空機を使用した。

マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(レッド・バロン)。1918年4月21日に撃墜され戦死するまで80機の連合軍機を撃墜した。首に掛けているのはプール・ル・メリット勲章である。
マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(レッド・バロン)。1918年4月21日に撃墜され戦死するまで80機の連合軍機を撃墜した。首に掛けているのはプール・ル・メリット勲章である。

中でも最も注目されるのが、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(「レッド・バロン」として名高い)、エルンスト・ウーデットヘルマン・ゲーリング、オスヴァルト・ベルケ、マックス・インメルマン(一般にブルー・マックスとして知られる、勇敢な行為に対して贈られるドイツ帝国の最高勲章プール・ル・メリット勲章の、飛行士としての最初の受賞者)、ヴェルナー・フォスなどの撃墜王を輩出した戦闘機部隊である。また、ドイツ海軍にならってドイツ帝国軍航空隊も、フランスとベルギーにおいて、ツェッペリン飛行船による軍用ないし民間の目標への爆撃を行った。

ドイツ帝国軍およびオーストリア・ハンガリー帝国軍の軍用機は、1918年まで鉄十字の標識を使用したが、その後、バルカン十字(白地に黒のギリシャ十字)の標識を使うようになった。

第一次世界大戦がドイツの敗北に終わったあと、空軍はヴェルサイユ条約によって完全に解散させられ、保有する飛行機もすべて破壊された。この解散による中断の結果、1956年に再建された現在のドイツ空軍は、「世界最古の独立した空軍」を称することが出来ない。その称号は1918年4月1日に設立されたイギリス空軍のものである。

[編集] 大戦間期

イタリアの小都市ラパロで当時のドイツとソビエト連邦が秘密交渉を行い、1922年4月16日、ドイツ外相ヴァルター・ラーテナウ (Walther Rathenau) とソ連外務人民委員ゲオルギー・チチェーリンが経済協力を目的とするラパロ条約に調印した。これを契機に、ドイツ軍部は政府にも知らせずソ連との秘密軍事協力に向かい、1924年にドイツ軍は国際社会から遠く離れたロシアの奥地のリーペツク (Lipezk) に秘密の航空機訓練基地の提供を受けた。この基地でドイツ本国でヴェルサイユ条約の制約から許されない試作機の試験飛行や毎年およそ240名のパイロット養成が可能となった。協力関係は1933年のヒトラーの政権掌握まで継続した。軍事協力は航空機に限らず、戦車学校(ボルガ河畔のカザン)や毒ガス研究まで広がった。また、パイロット養成はヒトラーの政権獲得前からドイツ国内でも民間旅客機の操縦士養成の名を騙って始まっていた。

ヒトラーは、1935年2月にゲーリングに空軍再建を命じ、空軍の存在を公式に認めた。空軍再建にはリーペツクが重要な役割を果たした。

1936年から始まったスペイン内戦にドイツは反政府軍のフランシスコ・フランコを支援、新生空軍から義勇軍「コンドル軍団」を募り、実戦を通じて急降下爆撃や、戦闘機の4機編隊(ロッテ)の空戦技術を編み出した。この編隊飛行は現代でもフィンガーフォーとして生き残っている。

[編集] 第二次世界大戦

[編集] 軍団の変遷

[編集] 概要

ドイツ空軍の組織の序列を示すと、航空艦隊の隷下に航空軍団、飛行師団、航空団、飛行隊、飛行中隊と分かれている。航空艦隊というのは受け持ちの地域別に分けたときの呼称であり、開戦当時は第4航空艦隊まで存在していた。1940年に新設された第5艦隊は、第2、第3艦隊とともにバトル・オブ・ブリテンに参加している。1944年には本土防空部隊が登場し、航空軍の中でも航空艦隊並みの扱いで、別格の立場を築き上げた。最盛期には7つの航空艦隊に、本土防空隊を加えた大所帯へと発展するが、末期にはハンガリーからオーストリアに展開した第4航空艦隊と本土防空部隊までに縮小した。

実際の作戦は師団単位で行われた。しかしながら、開戦当時は空軍の編成は未完了のままであり、戦闘機部隊にいたっては編隊単位での指揮しか行えなかったのが実情であった。さらには組織の命令伝達システムも複雑であった。OKL→航空艦隊→航空軍団→航空師団→野戦部隊に伝達されるようになっていたが、その航空軍団という大規模な組織であっても専門的で、諸兵科のバランスの釣り合いが悪く、航空軍団は各地の戦線に赴いていく中で地域別の縛りが希薄になっていった。また戦力の減耗に伴って中隊単位での扱いが多くなっていった。

[編集] 大戦初期

ドイツ空軍の主力戦闘機の一つメッサーシュミットBf109。高速性に優れた戦闘機。初期のドイツ空軍の主力戦闘機である。様々な派生型が製造され、終戦まで使用された
ドイツ空軍の主力戦闘機の一つメッサーシュミットBf109。高速性に優れた戦闘機。初期のドイツ空軍の主力戦闘機である。様々な派生型が製造され、終戦まで使用された

第二次世界大戦の初期、ポーランド侵攻フランス侵攻において、ドイツ空軍は戦車部隊と連携してJu87といった急降下爆撃を中心とする戦術的な航空作戦(電撃戦)で破竹の進撃を行った。 しかし、1940年夏にイギリスへの上陸作戦―アシカ作戦の露払いとして開始されたバトル・オブ・ブリテンでは、当時の主力単座戦闘機であったBf 109の航続力と数が十分でなく、長距離かつ高速・重武装であったはずの駆逐戦闘機(ドイツ側での、双発戦闘機の呼称)Bf 110や、He111といった爆撃機がイギリス戦闘機の攻撃に晒され、多大な損害を被った。また、初期の段階では誤報も多く精度も低かったレーダー・システムが実用化の域に達すると、イギリス空軍による被害はさらに増大し、苦戦を強いられたドイツ空軍、1940年冬以降になるとイギリスへの昼間爆撃を断念せざるを得なくなった(戦闘機による、小規模な爆撃はイギリスの湾岸施設に対して実行された)。

宣伝の為に製造されたスツーカの切手
宣伝の為に製造されたスツーカの切手

1942年6月には体勢を立て直してスターリングラードの戦いに臨んだものの、伸び切った補給路とソビエト空軍の頑強な抵抗はドイツ空軍の戦力を消耗させた。包囲されたドイツ陸軍に対し懸命の空中補給も行われたが、戦況を好転させることはできなかった。なによりも教官をつとめるパイロットを多数失ったために、このあとのパイロット育成システムに大きな問題を残す事になる。1943年にはクルスクに対する夏季攻勢が行われた。3倍、4倍の数を撃墜してもなお迫り来るソ連の物量に、ドイツ空軍は最後まで航空優勢を維持する事ができず、戦力に大きな差ができつつあることが明らかになった。ウラルにあったソビエトの国営工場などに空襲ができなかったことに加え、大戦末期の日本にも見られた『モックアップ・ファイター(木製戦闘機)』なども急速にソ連空軍の戦力として増加したためである。結果的に、イタリア半島に連合国軍の上陸によって作戦は中止され、これ以降、ドイツは急速に戦力を減耗していく事になる。

[編集] 本土防空

B-17フライングフォートレス。1943年からイギリスより大量に飛来し各地で迎撃戦が行われた
B-17フライングフォートレス。1943年からイギリスより大量に飛来し各地で迎撃戦が行われた

開戦当時のドイツ本土の防空体制は皆無に等しかった。というのも、当時のドイツ空軍総司令官であるゲーリングが豪語したように、「防空には高射砲」という考えがあったからである。さらに、敵航空基地を絶え間なく攻撃すれば、相手が防空で手一杯となって爆撃行ができないであろうという考えが存在していたのだ。1940年5月15日、その考えが一変する。真夜中のドイツ本土上空に英爆撃機が出現し、さらには肝心の高射砲部隊が上手く機能しなかったのである。この後、夜間戦闘機部隊とレーダー防空網の整備が進められる中、英空軍による大都市への夜間爆撃が恒常化する。 大戦中期に、アメリカ軍が参戦。 1942年にアメリカ陸軍航空隊による軍事施設に対する昼間爆撃が本格化したが、1943年のシュヴァインフルトの爆撃行では、アメリカ側に耐え難い損害が発生した。 護衛戦闘機の随伴が可能になった1944年からは、戦闘機隊を先行させて飛行場を強襲する、いわゆるスイープなどの対抗策が講じられた。さらにノルマンディー上陸作戦で、フランスに派遣された迎撃戦闘機の基地が占領されていくと、ドイツ空軍側は戦力維持が難しくなっていった。さらに合成石油製造工場の爆撃は大きな打撃となり、その結果、皮肉にも戦闘機は製造されるが燃料が無いという悪循環に陥った。

ハンブルクを空襲するイギリス空軍のランカスター
ハンブルクを空襲するイギリス空軍のランカスター

戦争末期に近づくにつれ、連合軍による空襲はますます激化し、1944年中には主な軍需工場が集中していたルール地方は焦土と化した。また、イギリス軍による夜間爆撃に対しては、爆撃機であったJu 88を夜間迎撃機に改造して使用した。ジェット戦闘機の開発も進められたが、ヒトラーの横槍(爆撃機仕様が優先された)などもあり、実戦に登場したのは戦争も末期の頃だった。工場地帯、また輸送路が次々に破壊されていく中で生産数は減り続けていった。1943年7月24日から8月2日にはハンブルク空襲で戦略爆撃機2865機が飛来し、総量9185トンもの爆弾を投下。死者は5万人以上を数えた。この爆撃以降、ドイツ本土の都市を目標にした大規模爆撃が激化していった。

[編集] 末期の戦い

45年、焦土と化したハンブルク
45年、焦土と化したハンブルク

連合軍がノルマンディー上陸作戦にで上陸を行うと、連合軍の空軍は交通機関を空襲して徹底的な部隊移動妨害を行った。これをカレー上陸のための陽動だと考えた総司令部は兵力の温存を図った。このためノルマンディー上陸時には数機程度の航空機のみを飛ばしたに過ぎず、それはあまりにも少なかった。フランス沿岸部に連合軍の強固な橋頭堡が築かれ、連合軍のヨーロッパへの進出は不動のものになった。フランスに派遣されていたドイツ軍空軍基地は、放棄ないし占領され、大量の機材を失い、防空体制にも重大な穴が生まれた。連合軍の物量と、最終的な判断ミスでドイツは制空権を完全に失い、ドイツ本土への爆撃行はより激しさを増した。東部戦線でもソビエト空軍は戦いから多くを学び、アメリカ・イギリスの機材の貸与もあり以前のような物量に任せであった攻撃には精度が増していた。外的要因のみならず、ドイツ空軍は編隊を組んで飛ぶ事すら困難なほどの燃料不足、総司令部と地方基地との意見の食い違いによる混乱が生まれていた。そんな中で、まともな戦闘は行えるはずはなかった。

1945年4月、ソ連が首都ベルリンに侵攻し(ベルリンの戦い)眼下で少年兵や老人、傷病兵などで構成された部隊―国民突撃隊が編成される中、ドイツ空軍でも国民戦闘機―グライダー飛行程度の訓練でも操縦可能―というコンセプトに基づき、ハインケル社からジェット戦闘機He 162 フォルクスイェーガーが開発された。しかしながら、コンセプトとは裏腹に熟練者でも操縦が難しい機体となり、部隊が創設されたものの戦果は上がらなかった。

5月7日、ルフトバッフェは第三帝国と共にその終焉を迎えたのであった。

[編集] ジェット戦闘機

ドイツ博物館のMe262
ドイツ博物館のMe262

第二次世界大戦以前より、世界各国がジェットエンジンの開発に取り組んでいたが、ドイツはその中でも一早く世界初のジェット機He 178の飛行を成功させた。この後ハインケル社はジェット戦闘機を開発したが、生産に移される事がなかった。諸説あるが、ハインケルのナチスへの不信感が一番の原因と考えられている。[要出典]そのため、この技術が戦争中に生かされたのは第三帝国の終焉が見え始めた1944年の中盤、メッサーシュミットMe262が実戦化された時であった。Me 262は一撃離脱戦法で、連合軍機に対して4:1の撃墜比を誇った。プロペラ機に対するジェット戦闘機の威力は絶大で、米英の護衛戦闘機は爆撃機に迫りくるMe262に対して成す術はほとんどなかったが、イギリス、アメリカ、ソ連の三国を相手にしなければならないドイツにとっては焼け石に水であった。ジェットエンジンが技術的にも未成熟であったため、機械的な故障も多く生じた。それでも終戦直前までドイツ空軍は恐ろしい速度で、戦後のジェット戦闘機に受け継がれる新技術や分野を開拓していき、これらの技術は冷戦の中で吸収・熟成され、実を結ぶことになる。


[編集] 現在のドイツ空軍

現代のドイツ空軍戦闘機はユーロファイタートーネードIDS、旧西ドイツ空軍で採用していたF-4を主戦力として運用している。その他はアメリカのF-15F-16を輸入し試験運用を繰り返している。2000年からはLuna X 2000の運用を開始。

[編集] ルフトバッフェのエース・パイロット

第一次世界大戦期

第二次世界大戦期

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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