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ベルリンの戦い - Wikipedia

ベルリンの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ベルリンの戦い
戦争第二次世界大戦独ソ戦
年月日:1945年4月16日 - 1945年5月2日
場所ベルリンドイツ
結果:ソ連軍の勝利
交戦勢力
ナチス・ドイツ ソビエト連邦
ポーランド
指揮官
ヘルムート・ヴァイトリング ゲオルギー・ジューコフ
イワン・コーネフ
戦力
歩兵 1,000,000
戦車 1,500
航空機 3,300
歩兵 2,500,000
戦車 6,250
航空機 7,500
砲兵 41,600
損害
戦死 150,000~173,000
戦傷 200,000
捕虜 134,000
民間人死者 152,000
戦死・行方不明 81,000
戦傷 280,000
装甲車輌 1,997
大砲 2,108
航空機 917
東部戦線
ポーランド侵攻 - バルバロッサ作戦 - フィンランド - ウーマニ - キエフ I - オデッサ - レニングラード - ハリコフ I - セヴァストポリ - モスクワ - ルジェフ - ハリコフ II - ブラウ作戦 - スターリングラード - ヴェリキエ・ルキ - 冬の嵐作戦 - ルジェフ II - ハリコフ III - クルスク - スモレンスク II - ドニエプル川 - キエフ II - ナルヴァ - コルスン - カメネツ=ポドリスキー - バルト海 - バグラチオン作戦 - リヴィウ - ヤッシー・キシニョフ作戦 - ヴィスワ川・オーデル川 - 東プロイセン - ケーニヒスベルク - 東ポンメルン - シレジア - ウィーン - 春の目覚め作戦 - ベルリン

ベルリンの戦い(ベルリンのたたかい)とは、第二次世界大戦末期、1945年4月16日のソ連軍のゼーロウ高地攻撃開始から、総統地下壕におけるヒトラーの自殺、国会議事堂の陥落、5月2日のベルリン防衛軍司令官ヘルムート・ヴァイトリングの降伏に至るまでベルリン周辺で展開されたソ連軍とドイツ軍の戦闘。

目次

[編集] 戦いの背景

1944年6月22日に開始されたバグラチオン作戦と名付けられたソ連軍の攻勢と、1944年12月16日バルジの戦いの敗北で経験豊富な精鋭部隊の多くを喪失したドイツは、1支配領域を大きく縮小した。ソ連軍が初めてドイツ本土に侵入したのは1945年1月20日、ところは多くのドイツ人の精神的な故郷である東プロイセン州である。時の参謀総長ハインツ・グデーリアンはラジオ放送を通じて「赤軍本土侵寇」を報じ国民の注意を喚起、ヒトラーにベルリン防衛の強化を進言するが、ヒトラーは1月23日の戦況会議でオーストリアとドイツの石油の80%を供給するハンガリーを優先的に防衛するためにベルリン防衛予定部隊から第6SS装甲軍を抽出してハンガリーに派遣することを決定した。しかし、この部隊はその後ハンガリーで壊滅した。

3月28日、ヒトラーはソ連軍の大攻勢に警鐘を鳴らすハインツ・グデーリアンを参謀総長から解任し、後任にハンス・クレープスを任命した。首都ベルリンの運命はオーデル川戦線のヴァイクセル軍集団隷下の第3装甲軍と第9軍、中央軍集団隷下の第4装甲軍の健闘に委ねられた。しかし予備兵力は薄く、書類上は師団でも実質は大隊規模という部隊や、国民擲弾兵武装SSの外国人部隊など、急場の部隊で対応しなければならなかった。末端兵士だけでなく、指揮官も忠誠心の強さのみで取り立てられたものが多く、既に解任されたグデーリアン、マンシュタインゲルト・フォン・ルントシュテットらには遠く及ぶはずもなく、実質的な指揮官は叩き上げの軍人であるヘルムート・ヴァイトリング砲兵大将やヴィルヘルム・モーンケ親衛隊少将らにゆだねられた。

[編集] 戦いの経過

[編集] 戦闘前夜

1945年4月1日、スターリンは作戦会議を開き、ドイツ中部攻略予定の第1白ロシア方面軍のゲオルギー・ジューコフ元帥と南部攻略予定の第1ウクライナ方面軍のイワン・コーネフ元帥の、どちらにベルリンの攻略を任せるべきか議論した。この時点ではジューコフが最初にベルリンに到達することを期待していたが、ジューコフが遅れた場合にはコーネフが先にベルリンに到達することも想定に入れていた。ジューコフ・コーネフ両元帥に功名争いをさせた。

[編集] ベルリンの包囲

カチューシャ・ロケットでベルリンを砲撃するソ連
カチューシャ・ロケットでベルリンを砲撃するソ連

4月7日からソ連は突入前の支援攻撃として、ベルリンへの砲撃を開始した。度重なる爆撃で崩壊していたベルリン市街は破壊と煙に包まれ、数千の兵士と市民が生き埋めになった。4月10日、ベルリン救援のためヴァルター・ヴェンク大将を司令官とした第12軍(通称ヴェンク軍)が編成された。ドイツの宣伝省はヴェンク軍が我々を救援するために駆けつけているのでそれまで持ちこたえるように訴えた。

4月12日にフランクリン・ルーズベルト大統領が死去し、ヒトラーはブランデンブルクの奇跡の再来だと叫んだが、東からソ連軍250万、西から連合軍300万が迫りつつあった。4月16日、ソ連軍はベルリン侵攻のためオーデル・ナイセ川から攻勢を開始したが、ベルリン東正面の最後の防衛陣地であるゼーロウ高地で、ドイツの第9軍が頑強に抵抗していた。ジューコフ率いるソ連軍は空爆のあとドイツ軍の防衛線突破のため攻撃を繰り返し、4月19日には膨大な犠牲を出しながらドイツ軍の防衛線を突破した。第3装甲軍も撃破し、ヴァイクセル軍集団は壊滅、コーネフは南から第9軍の背後を突き一気にベルリンを包囲した。

4月20日、ベルリンを東西に流れるシュプレー川を境にして北からはジューコフ、南からはコーネフによるベルリン市街への突入が始まった。4月23日オーデル川戦線から転進中の第9軍の第56装甲軍団のヘルムート・ヴァイトリング大将が急遽ベルリン防衛軍司令官に任ぜられ、率いる残余部隊をベルリン市街の各所に配置した。政府機関に近いアンハルター駅付近に北欧からの志願兵である第11SS義勇装甲擲弾兵師団 ノルトラント、フランス人志願兵からなる第33SS武装擲弾兵師団 シャルマーニュ、総統官邸付近はヴィルヘルム・モーンケSS少将が率いる親衛隊部隊、ヴィスマースドルフ付近にはミュンヘベルク装甲師団、ヴァンゼー会議で有名なヴァンゼー、ポツダム宣言で日本人に知られるポツダム方面に第20装甲擲弾兵師団、グリューネヴァルト、ハーレンゼー方面には第20装甲擲弾兵師団、フリードリヒ・シュトラーセ駅付近に第9降下猟兵師団が配置された。しかし、どの部隊も「師団」とは名ばかりで、定数割れの寄せ集めであり、50万人近いソ連の大軍の前に包囲網は狭まっていった。この間、ヒトラーは、当初ベルリン北東方のシュタイナー兵団(Armeegruppe Felix Steiner)、後にはベルリン西方で米英軍に対峙していたヴァルター・ヴェンク将軍の第12軍が救援に駆けつけることを期待していたが、両軍とも消耗しきって殆ど書類上にのみ存在する戦力となってしまっており、ベルリン救援は不可能だった。

[編集] 市街の状況

防衛の為に徴兵された少年兵
防衛の為に徴兵された少年兵
ベルリン東部の地下鉄フランクフルター・アレー駅に進入する赤軍兵士。市民防空壕と表示板がある。
ベルリン東部の地下鉄フランクフルター・アレー駅に進入する赤軍兵士。市民防空壕と表示板がある。

4月初頭のベルリンではソ連軍がいつ攻め込んでくるか解らぬ状況で、市内は熱射病にとりつかれたような恐怖と絶望に包まれていた。ナチ党員は降伏すれば処刑されるのは確実であったため、狂信的な決意をもって1人でも多くのソ連兵を道連れにする事を考えていた。ヒトラーは助かる道は完全に閉ざされていたためドイツの人種、文化、建造物まで全てを道連れにする覚悟を決めていた[1]。ベルリンを守る軍隊の戦力は非常に欠乏的で、14歳までの少年と一部の少女まで全て兵員として駆り出された。ある将校は、百戦錬磨の赤軍に対し殆ど訓練経験すらない少年兵を送り込むことは犯罪行為に等しい、と訴えたが、ドイツ中を破壊、略奪し、女性を強姦し進撃してくるソ連に対抗する手段はそれしか残されていなかった[2]

ソ連軍の砲撃が市内に直接届く段階になると、市民の多くはベルリン市内のティーアガルテン、フンボルトハイン公園、フリードリヒスハイン公園の3箇所に建てられた高射砲塔(通称「G塔」)をはじめ、軍が作ったコンクリート製の大型防空壕や、地下鉄の駅構内、下水道、個人宅の庭に掘った防空壕、個人宅の地下室など、身を潜められる所にはどこでも避難したが、動くことすらままならず水道も断水され衛生状況は悪かった。

連合軍によるベルリンへの空爆は詳細には1943年から行われており、市民は避難用の地下壕で暮らすことが多かった。彼らは「地下壕族」と呼ばれ、その中で独自の迷信や思想が発達した。敗戦が濃くなるにつれヒトラーの心酔者たちは勝利を信じる為に色々な妄想をして正当化した。別の者は生き残るために魔術やお守りのような迷信にすがった。ベルリン侵攻で1日中空爆の轟音が響くようになると、半狂乱になったり妄想症状を起こす者もいた。こういった奇妙な光景が殆ど全ての地下壕で見られた[3]

そのうち電力が断たれたためラジオ放送すら聴くことが不可能になった。情報を求める市民の間では、もうすぐ米軍が救援のために味方してくれるとか、重装備のヴェンク軍が救援に駆けつけてくれるとかいった信憑性に乏しい噂が流れた[4]

22日、ベルリンのユダヤ収容所が解放された。直前に司令部はユダヤ人を全員射殺するよう命じたが、SS警備兵は命令を反故して解放した。ユダヤ人は数年に渡る悪夢から解放されたが、ソ連兵はユダヤ人の娘や妻を強姦した[5]

戦争の終盤になってもナチスの宣伝省は相変わらず愛国の為に徹底抗戦を訴えるプロパガンダを放送していたが、多くの市民にとってはそんな事は既にどうでもよい事柄で、生き残ることだけを考えていた。白旗を掲げる家ではSSに狙撃され、何もしなければソ連兵に殺されるので、助かる道は米軍に降伏する以外になかった[6]

戦いが長引くにつれ地下壕や病院は負傷兵で一杯になった。医薬品も麻酔薬も不足していた為、負傷兵は傷を負ったまま放置された。そこら中に四肢が欠けて骨がむき出しになった兵士や、血まみれで包帯が巻かれた負傷兵や死体が横たわっていた。既に戦闘不可能な負傷兵が集う場所も砲撃に晒された為、ある野戦病院では女性の看護士がシーツと口紅で赤十字の旗を作って掲げたが、ソ連の砲撃が止む事はなかった。生き残ったドイツ人は「ベルリンは地獄と化していた」と記している[7]

[編集] ヒトラーの自殺

4月28日、ソ連は総統官邸の数キロ先まで迫りつつあった。ヒトラーやゲッベルスら側近は勝利の見込みの全く無い中でも軍を指揮したが、至る場所で師団が壊滅したとか、もって2日だとかいう報告ばかりが入ってきて、既に助かる見込みなしと判断され、戦争の終結のために総統の自決を視野に入れて議論が行われた。一方、総統側近の兵士は自殺の手段は銃殺がいいか青酸カリがいいかなどと話し合っていた。防衛司令官のヘルムート・ヴァイトリングはこれ以上の犠牲を増やさぬ為に、戦車40両からなる残存兵力で西方を突破し、米軍の陣地まで脱出すべきであると進言した。だがヒトラーは「ドイツ第三帝国」と運命を共にする覚悟をしていたため、提案は拒否された[8]

最期を悟ったヒトラーはエヴァ・ブラウンとの結婚式の後、拳銃自殺した。28日にイタリアベニート・ムッソリーニが銃殺され死体を街中引きずり晒し者にされた事に強いショックを受け、自分の遺体は入念に焼き払うように命じた。遺言として後任にカール・デーニッツ、首相職にヨーゼフ・ゲッベルスを指名した。ゲッベルスはソ連に対し条件付降伏を求めたが、すべてが絶望的な状況とあって無条件降伏以外の選択は拒否された。5月1日、ソ連は総統官邸の目の前まで到達し、ゲッベルスはSS医師から受け取った青酸カリで5人の娘と1人の息子を殺した後、夫人と共に自殺した。

1945年4月25日、エルベ川で合流した米軍とソ連軍の兵士が平和を誓い合った。
1945年4月25日、エルベ川で合流した米軍とソ連軍の兵士が平和を誓い合った。

[編集] ドイツ無条件降伏

ドイツ南部にはまだ武装したドイツ軍部隊が多く、5月1日にヒトラーの後継者として大統領に指名されたカール・デーニッツ提督の隷下にあった。彼は、5月6日に全権委任したアルフレート・ヨードルランスの連合軍最高司令官アイゼンハワーの司令部に派遣、ソ連軍に包囲されたバルト海沿岸のドイツ東部から避難民を海路ドイツ西部に受け入れるまでの時間的猶予を交渉、48時間の猶予を許され、発効を5月9日零時として5月7日にドイツ国防軍全軍の無条件降伏文書に署名した。それでも多くの避難民はソ連軍の手に落ち、悲劇的な運命をたどることになった。

[編集] 大日本帝国海軍の要請

4月15日、ドイツの崩壊を見越し東京海軍軍令部はベルリン脱出寸前の阿部勝雄中将(日独伊三国軍事同盟軍事委員)宛に緊急電報を発信した「残存するUボートをできるだけ多く日本に回航するようドイツ海軍に要請し、その実現に努力せよ。」この要請に海軍総司令官カール・デーニッツは言葉を失い、燃料不足を理由に拒絶した。阿部勝雄中将がカール・デーニッツから最終的な拒否回答を受けたのは4月20日午前11時30分であった。阿部中将は、総統官邸にヒトラーの56回目の誕生を祝する記帳を済ませ、ベルリン包囲網が閉じる寸前にハンブルク方面に脱出した[9]

[編集] 結果

ソ連軍の報復は苛烈を極め、女性の多くがソ連兵により強姦され、数多くの市民が自決した。ゲルハルト・ライヒリング博士に拠ると、当時ベルリンの女性の平均人口は149万5500人と推計され、その6.7%に相当する10万人がソ連兵士による性暴力の被害者となり、うち10%前後が性病に罹ったとされている。レイプされた女性は心理的外傷を負い、10万人のうち1万人前後が死亡した。 ベルリンの男性市民の30%はソ連軍の女性兵士にレイプされたという記述もある。[要出典] 死因の殆どは自殺だった[10]。これはベルリンに限ったことではない。ソ連軍に占領されたドイツの町や村の多くで起こった[11]。ソ連の作家イリヤ・エレンブルクは1964年に出版した回想録に「ブロンドのドイツ娘をさらえ、それは諸君の戦利品だ!と赤軍兵士を煽った」と非難されたことを記している[12]

また、ソ連は占領下ドイツに戦利品部隊を送り込み、ベルリンの博物館島や、ドイツ各地の博物館、美術館、個人収集品から250万点にも及ぶ絵画、彫刻等の美術品を戦利品として劫掠した。ハインリヒ・シュリーマンの発見した「トロイアの黄金」も劫掠された一つである。この内、約100万点は今なおドイツに返還されていない[13]

[編集] 在留日本人の運命

当時、ベルリンには新兵器技術を研修・習得するために多くの民間人技術者や技術将校が所属する陸軍武官事務所や海軍武官事務所があった。大倉商事三菱商事の商社関係者、芸術家、留学生などおよそ400名の日本人が在住していた。民間人の多くはベルリン郊外に避難した。ベルリンの南西80km のマールスドルフ(Mahlsdorf)にある城に120名の日本人が篭城した。このような避難所は他にも数ヵ所あった。

4月13日、ドイツの新兵器ジェットエンジンやロケットエンジンに詳しい永盛義夫、樽谷由吉ら海軍武官事務所の技術将校は機密資料を持ち太平洋の戦局の転換に寄与すべく中立国スウェーデンを目指しベルリンを離れた。

4月14日、駐独ドイツ大使大島浩も大使館付武官他ともにベルリンを離れ、ザルツブルク近郊のバート・ガーシュタイン(Bad Gastein)に避難した。

[編集] 出典

  1. ^ 『ベルリン陥落1945』275項 アントニー・ビーヴァー著
  2. ^ 『ベルリン陥落1945』276項 アントニー・ビーヴァー著
  3. ^ 『ベルリン陥落1945』401項 アントニー・ビーヴァー著
  4. ^ 『ベルリン陥落1945』424項 アントニー・ビーヴァー著
  5. ^ 『ベルリン陥落1945』443項 アントニー・ビーヴァー著
  6. ^ 『ベルリン陥落1945』424項 アントニー・ビーヴァー著
  7. ^ 『ベルリン陥落1945』森林戦 アントニー・ビーヴァー著
  8. ^ 『ベルリン陥落1945』476項 アントニー・ビーヴァー著
  9. ^ 吉村昭『深海の使者』332~337頁
  10. ^ 『ベルリン陥落1945』602項 アントニー・ビーヴァー著
  11. ^ ヘルケ・ザンダー / バーバラ・ヨール 著/寺崎あき子・伊藤明子 訳『1945年・ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども』(現代書館、1996年) ISBN 4-7684-7772-0 66頁~76頁
  12. ^ イリヤ・エレンブルク『わが回想 人間・歳月・生活』第五部(朝日新聞社、1969年) 33頁~44頁
  13. ^ コンスタンチン・アキンシャ & グリゴリイ・コズロフ 著/木原武一 訳『消えた略奪美術品』(新潮社、1997年) ISBN 4-10-535201-6

[編集] 資料

[編集] ノンフィクション

  • Hugh R.Trevor-Roper 『ヒトラー最後の日』橋本福夫 訳、雄鶏社、1951年
  • Cornelius Rayn 『ヒトラー最後の戦闘』木村忠雄 訳、朝日新聞社、1966年
  • 吉村昭『深海の使者』文春文庫、1976年、ISBN 4-16-716901-0
  • John Toland 『アドルフ・ヒトラー』永井淳 訳、集英社、1979年
  • Wolfgang Paul 『最終戦 1945年ドイツ松谷健二 訳、フジ出版社、1979年
  • T・プリーヴィエ 『ベルリン』金森誠也・安藤勉 訳、論創社、1992年
  • Ada Petrova / Peter Watson 『ヒトラー最後の日 50年目の真実』藤井留美 訳、原書房、1996年、ISBN 4-562-02861-0
  • Antony Beevor 『ベルリン陥落 1945』川上洸 訳、白水社、2004年
  • Joachim Fest 『ヒトラー・最後の12日間』鈴木直 訳、岩波書店、2005年、ISBN 4-00-001934-1
  • 高橋慶史『続 ラスト・オブ・カンプフグルッぺ』大日本絵画、2005年、ISBN 4-499-22748-8
  • Henrik Eberle/Matthias Uhl『ヒトラー・コード』高木玲 訳、講談社、2006年、ISBN 4-06-213266-4

[編集] 回顧録

  • ワシーリー・チュイコフ 『第三帝国の崩壊 スターリングラードからベルリンヘ』小城正 訳、読売新聞社、1973年
  • Gerhard Boldt 『ヒトラー最後の十日間』松谷健二 訳、TBS 出版会、1974年
  • Christian Graf von Knockow 『女たちの時 ドイツ崩壊の淵で 1944-1947』平凡社、1991年、ISBN 4-582-37317-8
  • Traudl Junge 『私はヒトラーの秘書だった』足立ラーベ加代/高島市子 訳、草思社、2004年、ISBN 4-7942-1276-3

[編集] Pictorials

  • Tony Le Tissier  Berlin,Then and Now, Battle of Britain Prints International Limited, ISBN 0-900913-72X, 1997
  • 中村雅夫 編『ベルリン攻防戦』学習研究社、ISBN 4-05-602060-4、1999年

[編集] 在留邦人の記録

  • 衣奈多喜男(朝日新聞特派員)『敗北のヨーロッパ特電』朝日ソノラマ、1973年
  • 湯浅年子(フランスから避難した物理学者)『パリ随想』みすず書房、1973年
  • 与謝野秀(外交官) 『一外交官の思い出のヨーロッパ』筑摩書房、1981年
  • 新関欽哉 (最後まで大使館に残留した外交官)『第二次大戦下ベルリン最後の日 ある外交官の記録』日本放送出版協会、ISBN 4-14-001548-9、1988年
  • 藤山猶一 (外交官)『一青年外交官の太平洋戦争 日米開戦のワシントンからベルリン陥落』新潮社、ISBN 4-10-373101-x、1989年
  • 邦正美 (ベルリン攻防戦の前後を自身で体験した留学生)『ベルリン戦争』朝日新聞社、1993年、ISBN 4-02-259573-6
  • 江尻進 (同盟通信特派員)『ベルリン特電』共同通信社、1995年、ISBN 4-7641-0347-8
  • 館澤貢次 『大戦秘史 リーツェンの桜』ぱる出版、1995年、ISBN 4-89386-474-2
  • 四本忠俊(内務省ベルリン事務所翻訳官)『マールスドルフ篭城記』明治大学教養論集 通巻第185号

[編集] 映画

  • 『暁前の決断』: Decision Before Dawn(1951年、アメリカ映画)
  • ベルリン陥落』: Падение Берлина(1949年、ソ連映画)
  • 『ヨーロッパの解放』・『ベルリン大攻防戦』 - ОСВОВОЖЛЕНИЕ(1971年、ソ連映画)
  • ドイツ零年』: Germania Anno Zero(1947年、イタリア映画)
  • 『ブリキの太鼓』: ギュンター・グラス原作、フォルカー・シェレンドルフ監督、(1979年、ドイツ映画)
  • ヒトラー 〜最期の12日間〜』: Der Untergang(2004年、ドイツ映画)


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