アメリカン航空587便墜落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
概要 | |
---|---|
日付 | 2001年11月12日 |
原因 | ラダーの問題→操縦ミス→墜落 |
場所 | アメリカ・JFK近くの住宅街 |
死者 | 乗員乗客260人と地上の5人 |
負傷者 | 16(少なくともこの数の住民が負傷) |
航空機 | |
機体 | エアバスA300B4-605R |
航空会社 | アメリカン航空 |
機体記号 | N14053 |
乗客数 | 251 |
乗員数 | 9 |
生存者 | 0 |
アメリカン航空587便墜落事故(あめりかんこうくう587びんついらくじこ)とは、2001年にアメリカン航空のエアバスA300がジョン・F・ケネディ国際空港を離陸直後に墜落した航空事故である。原因はボーイング747の後方乱気流に巻き込まれ、副操縦士がラダーを過剰操縦したことによって垂直尾翼がこれに耐え切れずに折れたのが墜落の原因だが、これをアメリカン航空の副操縦士のミスが原因とするエアバス社とエアバス社の設計ミスが原因とするアメリカン航空の意見が未だに対立している。
目次 |
[編集] 587便の概要
2001年11月12日、アメリカン航空587便はエアバスA300-600(機体記号N14053)型機でジョン・F・ケネディ国際空港発のドミニカ・サントドミンゴのラス・アメリカス国際空港行きとしてケネディ空港を午前9時15分頃に離陸した。587便には乗員9名と乗客251名、合計260名が搭乗していた。そのうち226人がドミニカ人やドミニカからアメリカへの移民であった。
[編集] 後方乱気流とエアバスのラダー
しかし、587便は墜落の約28秒前に1回目の乱気流に、約8秒前に2回目の乱気流に巻き込まれた。この乱気流は、587便の直前に離陸した日航ジャンボ機(JFK発成田行きの47便)の後方乱気流であった。ただ、ボーイング747の後方乱気流は時として非常に強大になる場合があるが、それだけが要因で後続のジェット旅客機が墜落することはまずない。
587便が墜落した直接の原因は、垂直尾翼の折損である。エアバスの中でA300とA310はフライバイワイヤーではなくケーブルによる操作を行う機体だが、ラダー操作ペダルは他の機種と比べて軽く設計されていた。しかし副操縦士が訓練を今まで受けてきていたのは従来式の重いペダルだったため、ラダーを少し一方へ傾けたつもりが傾き過ぎ、これを直そうと逆方向に少し動かしたつもりがまた今度は反対側までいってしまった。という操作を、離陸後の高速状態で、しかも乱気流の中で何回も行ったことで垂直尾翼がこれに耐え切れずに折れてしまったのである。
[編集] 墜落と被害
垂直尾翼を失った機体は機体制御を失い、2回目の乱気流の直後、パイロットが機体を右に傾けようとしたのにも関わらず、機体は左に傾いて急旋回しながら高度が下がり、9時17分頃ケネディ空港周辺の住宅街に墜落した。乗客乗員260人は全員死亡した。また、事故地点周辺では大規模な火災が発生し、周辺の住民5人も死亡し、少なくとも16人が負傷し、さらに住宅4棟が全焼するなどの被害が出た。
この事故はアメリカ国内でも最悪級の事故であり、アメリカン航空でも2番目に大きい事故である。(1番の事故はアメリカン航空191便墜落事故である。)
[編集] 事故原因
事故の原因は上でも解説したように、
- ボーイング747の後方乱気流に巻き込まれたこと
- エアバス機のラダーが軽かったこと
- それが理由で副操縦士がラダーを過剰操作したこと
この3つが挙げられる。 間接的な要因としてその他にも、
- 垂直尾翼の素材である炭素繊維強化プラスチックは軽くて丈夫な反面、内部の損傷が察知しにくいこと。
- 機体と垂直安定板の6つの接合部分のうち1つに不具合があり、補強したこと。
- アメリカン航空では、方向舵を乱気流の場合のコントロールに使用することを奨める訓練を行っていたこと。
なども挙げられた。
[編集] 事故の影響
この事故は9/11テロのわずか2ヶ月後に起こったため、またテロに襲われたのではないかとニューヨーク市は一時騒然となった。
マンハッタンから半径約40kmには飛行制限が敷かれ、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が管轄する空港とリンカーントンネル、ホランドトンネル、ジョージワシントン橋、およびエンパイアステートビルなどの「標的になる可能性がある施設」や、年次総会が開かれていた国際連合本部ビルも閉鎖された。こうした閉鎖は一部を除いて同日夜までに解除されたが、ニューヨーク市はまさに戒厳令下におかれたような物々しい雰囲気に包まれた。
また、日本でもこの事故は大きく取り上げられ、報道機関は特番体制を取った。
[編集] 運命の悪戯
- 犠牲者の一人、ヒルダ・ヨランダ・マヨルは、2ヵ月前に9/11テロで燃えさかる 世界貿易センタービルを辛くも脱出して、九死に一生を得ていた。事件で職場も消滅してしまったことから、これを機に物騒なニューヨークからしばらく離れて、故郷に帰って家族を安心させようと搭乗した機で事故に遭遇してしまった。
- アメリカでは多くの州で州が運営する番号選択式の宝くじが毎日行われているが、事故のあったニューヨーク州に隣接するニュージャージー州ではこの日の “Pick 3”(3桁の番号を選択する宝くじ)の当選番号が奇しくも 5-8-7 だった。ところがテレビやラジオの報道で「587便」のニュースを一日中耳にしていた購入者の多くが 5-8-7 を選択していたため当選者多数となり、それぞれに賞金額が分配された結果一人当たりの当選金額はわずか16ドル(2000円弱)という小額だった。
[編集] 参考資料
- American Airlines Flight 587(英語版 Wikipedia)
- 航空事故の一覧(2000年代)
- 日本の航空事故総覧(外山智士)