日本お笑い史
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日本お笑い史(にほんおわらいし Japanese Comedy History)とは、日本に於けるお笑い・演芸の歴史である。
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[編集] 古代
『古事記』の中の岩戸隠れのエピソードが記録に残されている日本で最も古い笑いのひとつだと思われる。
神々の暮す高天原(たかまがはら)の統率紳、太陽の神アマテラスオオミカミが、弟スサノオノミコトの乱暴狼藉に腹を立てて岩の洞窟天岩戸(あまのいわと)に閉じこもってしまった。そのため世界が真っ暗になり災いが起こった。そこで神々はアマテラスをおびき出す為に岩戸の外で大宴会を行い、女神アメノウズメは着衣を脱いで全裸でこっけいな踊りを披露した。これを見て八百万の神々が一斉に大笑いした。その笑い声が気になったアマテラスが、岩戸を少しだけ開けて様子をうかがった所、神々の連携プレーで外に連れ出され、再び世界に光が戻った、というものである。
アマテラスが天岩戸に隠れて世の中が闇になるというこの神話は日食を表したものだと解釈されており、神々を笑わせた芸能の女神アメノウズメは日本最古の踊り子と言える。
[編集] 中世
[編集] 近世
[編集] 近代
- 落語の成立 - 江戸時代初期にはじまった「滑稽噺」は、身振りを加えた「仕方噺」と混じり合って盛んになった。上方では「軽口噺」とも呼ばれたが、特に「落ち」が特徴的だったので江戸中期には「落し噺」と呼ばれるようになった。明治に入って「おとしばなし」を「落語」と書くようになり、明治中期以降はこれを「らくご」と呼ぶようになった。「中江(2003年)」参考。
- 諸芸
- 初切(しょっきり)
- 幇間(太鼓持ち)
- 演劇 - 主に戦前戦後ごろから
[編集] 現代
[編集] テレビの時代
[編集] 軽演劇からの転身
1953年、NHKテレビ・日本テレビが相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを「電氣紙芝居」として敬遠し、その結果それまで浅草公園六区や新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。三木のり平や八波むと志・由利徹・南利明の「脱線トリオ」、佐山俊二、関敬六・谷幹一・渥美清(のち海野かつをに交替)のスリーポケッツ、石井均一座の他、浅草で人気を博していた大宮敏充の「デン助劇団」などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。
一方、大阪でも梅田の実演劇場・北野劇場に出演していた薄給のコメディアンであった茶川一郎、佐々十郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、大村崑等に白羽の矢が立ち、花登筺脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。とりわけ大村は時代の寵児となり、「コンちゃん」ブームを巻き起こした。この他に藤田まことや白木みのる等が進出。吉本新喜劇は当初からテレビを意識して制作されたもので、毎日放送テレビとのタイアップもあり多くのスターを生み出した。一方の松竹新喜劇も看板役者の藤山寛美がよみうりテレビを中心にコメディー数作を発表した。
[編集] クレージーキャッツの台頭
1959年、フジテレビ開局と同時に始まった時事コント番組『おとなの漫画』は、本来本格的なジャズバンドであったハナ肇とクレイジーキャッツを起用。青島幸男作の洗練された都会的なギャグで一躍市民権を得た。クレージーはこのあと日本テレビの『シャボン玉ホリデー』で更に人気を増し、国民的なお笑いグループとして認知された。特にメンバーの植木等が演じる「無責任男」が高度経済成長を背景とした時流に乗り、大いに当たった。
[編集] 音楽バラエティ番組
『シャボン玉ホリデー』もそうであったが、この手の番組の嚆矢は同じ日本テレビの『光子の窓』である。草笛光子を主役に起用したこの番組は、歌と踊りと笑いの全てを集約させた音楽バラエティであった。このあと、NHKが『夢であいましょう』をスタート。渥美清、E・H・エリック、黒柳徹子などがコントを演じていた(作・永六輔)。
草笛と黒柳は女性バラエティタレントの先駆者であり、黒柳は2007年現在もなおバラエティ番組に出演し続けている。
[編集] 寄席芸人の進出
NHKがジェスチャー (テレビ番組)に柳家金語楼を起用、全国区の人気に。
日本テレビ開局当日に発生した放送事故の穴埋め番組出演を機に、三遊亭小金馬・三遊亭歌奴・江戸家猫八・一龍斎貞鳳の4人は正力松太郎同社社長に認められ、番組一本を持たされた。これに目を付けたNHKは歌奴以外の三人を引き抜き、『お笑い三人組』をスタートさせる。一方、文化放送で放送された『落語討論会』をフジテレビがテレビ化する事となり、大喜利番組『お笑いタッグマッチ』(春風亭柳昇司会)がスタート。レギュラー陣の柳家小せんが発した「ケメコ」の流行語も相まって一躍人気番組となった。この流れが後述の「演芸ブーム」に繋がる。
[編集] (第一次)演芸ブーム
1962年から1969年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。また、視聴者の側も不景気の中、笑いをテレビに求めていた。
- 代表的な番組
- 代表的なタレント
- 落語
- 漫才
[編集] お笑い第二世代
自身でネタを構成する芸人や、深夜放送のハガキ職人出身の放送作家の増加に伴い、若者うけのよい、スピーディーで毒や刺激の強いお笑いが増える。
- 代表的な番組
- フジテレビ『THE MANZAI』『笑ってる場合ですよ!』『クイズ漫才グランプリ』『お笑い大集合』
- 日本テレビ『お笑いスター誕生!!』
- テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』『お笑い夏(冬)の陣』(朝日放送と共同製作)
- 関西テレビ『花王名人劇場』『激突!お笑いルーレット』
- 代表的なタレント
- 漫才 横山やすし・西川きよし、中田カウス・ボタン、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、紳助竜介(島田紳助・松本竜介)、のりお・よしお(西川のりお・上方よしお)、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、太平サブロー・シロー(大平サブロー・大平シロー)、春やすこ・けいこ、星セント・ルイス、おぼんこぼん
- 落語 春風亭小朝、2代目桂枝雀、桂文珍、三遊亭圓丈、桂小つぶ(現桂枝光)、林家しん平、金原亭駒平(現金原亭世之介)
- コント コント赤信号、ゆーとぴあ、ヒップアップ、コントレオナルド(ラッキーパンチ)、ギャグシンセサイザー、とんねるず
- 漫談 片岡鶴太郎(物真似芸が主体)、バラクーダ
- 奇術 ナポレオンズ
- その他 明石家さんま(本来は落語家)、コロッケ、山田邦子、九十九一
[編集] お笑い第三世代
1990年前後に起こった、テレビの深夜バラエティーを発端としたブーム。演芸ブームを「第一世代」、漫才ブームを「第二世代」と数えて「第三世代」と呼ばれた[要出典]。
- 代表的な番組
- フジテレビ 『笑いの殿堂』『夢で逢えたら』『とんねるずのみなさんのおかげです』『1or8』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』『ダウンタウンのごっつええ感じ』
- 日本テレビ『全員出席!笑うんだってば』『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』ウッチャンナンチャンのウリナリ!!『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』
- テレビ朝日『パオパオチャンネル』
- TBSテレビ『ギャグ満点』
- CBCテレビ『デイブレイク』『流行笑会』
- 毎日放送『4時ですよーだ』
- よみうりテレビ『ざまぁKANKAN!』
- 代表的なタレント
[編集] お笑い第四世代以降
[編集] ・タモリのボキャブラ天国
視聴者投稿を元に作られていたテレビ番組『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ、タモリ司会)が、徐々にその性格を変えて「大勢の若手芸人がネタを競い合う番組」に変化すると、若い女性などを中心とする特定層の支持を集めたが、番組の人気凋落に伴い、ほとんどの出演者が次第に存在感自体をフェードアウトさせてゆく(つまるところ、しっかりとした下積み経験があったわけではない「ポッと出」の出演者が、視聴者のバブル人気に舞い上がっていただけであった。この現象はのちにも『爆笑オンエアバトル』や『エンタの神様』で繰り返されることになる)。この番組をきっかけに知名度を得た世代を第四世代と呼ぶことが多い[要出典]。爆笑問題(厳密に言うと第四世代ではない)、ネプチューン、海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)、ロンドンブーツ1号2号などは、のちに各局で冠番組を持つことになる。
- その他の出演者
[編集] ・電波少年シリーズ
『進め!電波少年』(日本テレビ、松本明子らが司会)は、アポイントメントなしの突撃インタビューをはじめとして、台本のないドキュメンタリーの味わいを取り込んだ番組だったが、特に後半は若手芸人に私生活を犠牲にした体験・チャレンジ企画をさせて笑いの種とする構成となり、過剰演出(やらせ)の傾向が強くなる。
そんな中で、過酷なヒッチハイク旅行を行なった猿岩石が、お笑いというよりも共感できる等身大の若者といった位置付けで人気を博し、彼等が唄った楽曲が一定の売り上げを集めたり、旅行中に記した日記をまとめた書籍が売り出され、版を重ねる など、一部特定層において社会現象化する。
その後同様のコンセプトで、ドロンズ、なすび、ロッコツマニア、矢部太郎(カラテカ)らを起用して話題を提供しつづけたが、あくまで企画の面白さが中心のため、企画自体がパターン化すると飽きられるのも早く番組の人気も急に失速した。この番組は芸人を育てるというよりも、消費し尽くすといった感が強く、PTAなど視聴者の批判も多かった。
[編集] ・ナインティナインとロケの多様化、同時代性
広告代理店やジャーナリズムによる造語「第四世代」という定義に厳密に合致していないが、ほぼ同時期のものとして、フジテレビ『とぶくすり』(のちの『めちゃ²モテたいッ!』→『めちゃ²イケてるッ!』)や日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』などがあり、これらの番組からナインティナイン、よゐこらが1993年頃から知名度を得た。これらに通底しているのはロケーション(ロケ)の多用、そして同時代性である。
1990年代初頭に漫才スタイルがダウンタウンのもとで飽和に達し、それ以降の芸人やお笑い番組は違うスタイルを築きあげる必要にせまられた。その経済学的にいう(商品)差別化の中でたどり着いたのが、街に繰り出し現場や社会を笑いのネタにするというロケーションの手法であり、「リアル」を笑いにして視聴者を惹きつけるとともに、テレビに映る若者が参加しているという同場所性や、それを通して若者と同世代を生きているという同時代性が親近感を醸成し、ヨコの繋がりを生み出して、漫才とは違う人気に結びついた。これらは、番組をテレビ局で撮ると先輩芸人に偶然会ってしまうという若手芸人の緊張や心理、当時抱いていた劣等感がそれを避ける形を求めたということにもある。
[編集] ・その他
- テレビ番組におけるテロップが頻繁に使われだしたのがこの頃。出演者の発した言葉を逐一字幕化する手法が多用される一方、『電波少年』『めちゃイケ』などでは補足テロップ(『探偵!ナイトスクープ』が発祥とされているツッコミテロップ)を挿入する手法がとられた(共に2000年代も多用されている)。
- 吉本興業が東京・銀座に進出し、「銀座7丁目劇場」を開場。当初は吉本印天然素材の東上が売りであり、日本テレビやテレビ朝日でタイアップ番組も作成されたが、間もなく他に劇場に出演していたココリコ、ロンドンブーツ1号2号らがテレビ番組に集中的にフィーチャーされることになる。
- 日本テレビ系のものまね番組からコージー冨田、原口あきまさらの露出が多くなる。他に、漫談の綾小路きみまろ、一発ギャグでダンディ坂野、手品漫談のマギー審司などさまざまなジャンルの出現。これらを含めて時代ムーブメントを形成するには至らなかったが、のちのお笑いブームを先導したとも言える。
- 代表的なタレント
[編集] 2000年代のお笑いブーム(お笑い第五世代)
ボキャブラブーム後お笑い界はしばらく冬の時代に突入。そんな中1999年に『爆笑オンエアバトル』(NHK)の放送がスタートし、若手のお笑い芸人たちを発掘しようとする動きが起き、いわゆる「ネタ見せ番組」が増え始める。2001年には島田紳助企画立案の新たな漫才コンテスト「M-1グランプリ」が立ち上がった。同初代チャンピオンの中川家が東京進出。この流れがこの後に続くお笑いブームの流れを作り出したと言われる。西の中川家、東の品川庄司がブームの口火を切った(しかしこの2組はブームには乗らず中堅的位置を保っている)。 また、前述の『爆笑オンエアバトル』などに出演したラーメンズなども、あえてブームには乗らず(そもそもブームと言えるレベルなのかどうかは、未だに評価が定まってはいない)に、ほとんどテレビ出演をしていない芸人もいる。
「若手芸人」がブームの中心であるが、若手と言っても殆どが30代であるのが特徴的で、「若手」と言われながら(芸歴で考えて)第四世代である中堅芸人と同い年、年上など、不思議な現象が起きている。また次長課長・井上、チュートリアル・徳井、麒麟・川島などに代表される“イケメン芸人”が急増した事や、お笑い情報のみを取り扱ったお笑い専門誌が次々に発行されたりといった流れが垣間見える。
自ら若手芸人ライブを主宰する渡辺正行は、このお笑いブームを「悲しいエピソードで出ている芸人が多い。一昔前と色々な意味で違い、可哀想な芸人が増えた。笑わせてるんじゃなくて、笑われてるんだ」と見る側だけでなく、芸人自体のレベル低下に苦言を呈している。
以前から存在したジャンルではあるが、ひな壇芸人というジャンルが大々的に紹介され、「お笑いファンの間で」新たなジャンルとして知られる様になった。
一発屋芸人は年末の番組に多数出演し、年始に飽きられて、テレビから姿を消す、という新たなパターンが生まれた。また、こういった芸人は紅白歌合戦に出演したり、流行語大賞を受賞するケースが多い(例:テツandトモ、ダンディ坂野、波田陽区、レイザーラモンHG、長州小力など。)。フェードアウトいた後は、波田のように新たな方向性を模索する芸人も存在する。
明石家さんま、ビートたけし、ダウンタウンなど、大御所芸人が俳優業などの「非お笑い分野」で活躍する事はあったが、第5次お笑いブームでは、若手芸人が積極的に非お笑い分野での活動をしている。
- 代表的なタレント
[編集] ピン芸人の隆盛
吉本興業をはじめとする「芸能商社」がシステマチックに若手を発掘し、消費するサイクルを作り上げたことで、若手の芸人の供給は非常に潤沢におこなわれるようになった。そのためか、力があって観客を笑わせることができる芸人であっても、漫才やコントなどのオーソドックスな形式ではインパクトが与えられず、大ブレイクしにくい状態になっていた。そのため、従来の日本では比較的手薄だった漫談形式を採用した芸人が、新鮮さを感じさせ人気となる。
長井秀和、青木さやか、だいたひかるなどは、毒舌を自分なりの独特なお決まりのフレーズとからめる。陣内智則は綿密に構成された映像ならびに音声等にボケの部分を小刻みに織り込み、そこへツッコミを入れるというパターンで自作のネタを展開した。またエレキベースを使ったはなわが『佐賀県』を歌い、CDが25万枚以上のセールスを記録した。また、はなわから少し遅れて、ギター侍こと波田陽区も2004年の流行語大賞にノミネートされるという現象も起きた。
ただし、供給過剰の状態は続いており、ブームを起こした芸人が消費尽くされてしまうと簡単に忘れられてしまう、という傾向はさらに激しくなっている。そのため、逆に大きなブレイクをおこさず、地道に戦略を立てて活動した芸人の方が生き残っている。また、拡大した需要にはそれまでお笑いに興味すら示さなかったような人々まで包括し、その人気の基準は一種のトレンド的な性格を強めるようになり、芸人のあり方も変化しつつあるが、一方でそれは笑いのレベルの低下と見る向きもある。
[編集] その他
- 2005年初頭より、TBS系テレビドラマ『タイガー&ドラゴン』が火付け役となり、上半期に「落語ブーム」が起こったが「お笑いブーム」とは別個の物とされる。
- ネタ番組や若手が増え、ネタに力が入った様々な新しいお笑いが出て来る中、テツandトモ、オリエンタルラジオ、ムーディ勝山など音楽の要素が入ったお笑いが登場した。着うたなどダウンロードメディアのパッケージングが背景にあると言われている。
- 2000年代に入ると、1990年代にスタートし、一時期高視聴率を獲得した人気ゴールデンタイムバラエティ番組が次々に終了。しかし、そのさまざまな番組の功績・人気さから、レギュラー放送が終了後もそれらの番組の一企画のみをそのまま番組名にして特別番組として年数回(または年1回)、不定期に継続してゆくという手段が多くなってきている。特に日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日がそうしてゆくことが多い。以下はその代表的な例である。
- ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!!
- 力の限りゴーゴゴー!!
- →全国ハモネプリーグ選手権(ハモネプは現在のところは2007年9月18日と2008年4月8日の2回放送されている。今後も続く予定になっている。)
[編集] 年表(年代別)
[編集] 1900年代
[編集] 1910年代
- 吉本興業が傘下の寄席を「花月」と改称。
[編集] 1920年代
- 吉本興業が東京・横浜・京都・神戸へも進出する。
[編集] 1930年代
[編集] 1940年代
- 榎本健一、古川ロッパを二大巨頭とする浅草の軽演劇が主流であった。ここに柳家金語楼を加えた元祖お笑いビッグ3を形成。
- 松鶴家団之助が大阪府西成区山王(通称芸人横丁)に団之助芸能社(演芸会社)を立ち上げ、数十人のかかげる事務所となる。
- 松竹新喜劇を旗揚げ
[編集] 1950年代
- 松竹芸能の前身会社である、松竹新演芸が設立される。
- 3月1日うめだ花月劇場開場と同時に「吉本ヴァラエティ」として吉本新喜劇発足。
- ハナ肇とクレージーキャッツの「おとなの漫画」始まる。
[編集] 1960年代
- てんぷくトリオ(三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫)結成
- 5月6日「てなもんや三度笠」(主演:藤田まこと 朝日放送)始まる。
- 7月29日「ニッポン無責任時代」(主演:クレイジーキャッツ、監督:古沢憲吾)
- 京都花月劇場が復活。(吉本興業)
- コント55号、「お昼のゴールデンショー」に出演。
- 3月31日 「てなもんや三度笠」放送終了。
[編集] 1970年代
- 8月31日 桂文楽が国立小劇場で「大仏餅」を上演中に、始まって6、7分で沈黙。「台詞を忘れてしまいました」「申し訳ありません、もう一度勉強しなおして参ります」と陳謝。お辞儀をして高座を降りる。以後は寄席に出演せず、これが最後の舞台となる。
- 12月12日 桂文楽死去。
- フジテレビ「ドリフ大爆笑」放送開始。
- 落語協会分裂騒動。三遊亭圓生一門、古今亭志ん朝一門、橘家圓蔵一門が、それまで所属していた「落語協会」から独立して「落語三遊協会」を設立。落語協会が真打ちを乱造することに反発したのが理由だった。落語界全体に大きな波紋を呼び、一時は落語協会の半数が新団体に移るという予測もされたが、実際には様々な要因があって参加を見送るものが相次ぐ。さらには新団体参加者の寄席出演が拒否されたため、志ん朝一門と圓蔵一門は早々に離脱。
- 9月3日 三遊亭圓生死去。これに伴い前年に設立された「落語三遊協会」は自然消滅し、参加者の大半は落語協会に復帰したが、圓生門下の5代目三遊亭圓楽は大日本すみれ会(現・円楽一門会)を立ち上げ、独自路線を歩んで現在に至る。一連の落語協会分裂騒動は、後に起きる立川談志の「落語立川流」創設にも大きな影響を及ぼす事になる。
[編集] 1980年代
- 4月1日 フジテレビ「THE MANZAI」放送開始。前年から火がつき始めた漫才ブームが本格的に勃発。
- 4月12日 日本テレビ「お笑いスター誕生!!」放送開始。
- 9月8日 林家三平死去。
- 10月1日 フジテレビ「笑ってる場合ですよ!」放送開始。
- とんねるず結成
- 1月29日 林家彦六(8代目林家正蔵)死去。
- 3月4日 人生幸朗死去。
- 10月1日 「笑ってる場合ですよ!」放送終了。
- 10月4日 フジテレビ「笑っていいとも!」放送開始。
- 12月8日 三波伸介死去。
- 吉本興業がNSC(吉本総合芸能学院)を大阪に開校。第1期生はダウンタウン、トミーズ、ハイヒール、内場勝則など。
- 4月29日 3代目桂米朝が紫綬褒章授章。
- 7月18日 フジテレビ「FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島」(FNSの日)開始。深夜、タモリ・ビートたけし・明石家さんまのいわゆるBIG3が初共演。
- 10月3日 日本テレビ「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」放送開始。開始当初は関東地区ローカル放送。
- 11月25日 寄席「若竹」閉鎖。
- 雨上がり決死隊結成。
[編集] 1990年代
- 5月21日 藤山寛美死去。
- 10月13日 フジテレビ「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」放送開始。
- ナインティナイン結成
- 上方落語ファン感謝イベント「彦八まつり」第1回開催。
- 海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)結成
- 4月24日 吉本興業会長の林正之助死去。
- 12月8日 「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)が、レギュラー放送を開始。
- 12月31日「NHK紅白歌合戦」にとんねるずが歌手として初出場。
- 10月14日 フジテレビ「タモリのボキャブラ天国」放送開始。
- 6月24日 「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」収録中に、ゲスト出演した香港のバンド・BEYONDのメンバーの黄家駒が転落事故にあって死亡し、番組が打ち切り。
- 9月10日 ハナ肇とクレージーキャッツのリーダー・ハナ肇死去。
- 4月4日 ニッポン放送系『ナインティナインのオールナイトニッポン』放送開始(現在も放送中)。
- 4月10日 日本テレビ「ぐるぐるナインティナイン」放送開始。
- 8月2日 ビートたけしが原動機付自転車を運転中に事故を起こし、瀕死の重傷を負う。
- 10月17日 フジテレビ、ダウンタウン司会による音楽番組「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」放送開始。トーク主体型音楽番組の嚆矢となった。
- 10月31日 河本栄得(ベイブルース)死去。
- ダウンタウンの松本人志著のエッセイ本「遺書」が200万部を超えるベストセラー。また同年、異例の入場料1万円ライブ「寸止め海峡」を行う。
- 統一地方選挙で青島幸男が東京都知事に初当選、横山ノックが大阪府知事に初当選。
- 5代目柳家小さんが重要無形文化財(人間国宝)に認定される。
- ダウンタウンの浜田雅功が小室哲哉プロデュースによるユニット・H Jungle with tの1stシングル『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』を発売。210万枚を超える大ヒットを記録。
- ダウンタウンの松本人志が日本武道館にて、客に観た後に値段を決めてもらうという異例の料金後払い制ライブ「松風'95」を行う。
- 吉本総合芸能学院(NSC)東京校が開校。
- 3代目桂米朝が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
- 1月21日 横山やすし死去。
- 4月12日 日本テレビ「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」放送開始。
- 8月4日 渥美清死去。
- 9月3日 渥美清が国民栄誉賞を受賞する。
- 10月19日 フジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」放送開始。
- 5代目桂文枝が紫綬褒章受章。
- ビートたけしが本名の北野武名義で監督した「HANA-BI」でベネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)受賞。
- 11月 「ダウンタウンのごっつええ感じ」のスペシャルが放送日当日になってヤクルトスワローズの優勝決定試合生中継に突然差し替えられ、松本人志が番組に対するモチベーションが保てないとして打ち切りを発表。
- 1月7日 Wけんじの東けんじ死去。
- 1月13日 若井小づえ死去。
- 1月25日 三木のり平死去。
- 3月4日 桜井長一郎死去。
- 3月27日 NHK総合「爆笑オンエアバトル」放送開始。第1回のトップはラーメンズ。
- 4月19日 2代目桂枝雀死去。
- 5月20日 由利徹死去。
- 8月7日 第1回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でDonDokoDonが優勝。
- 12月31日 とんねるずらによるユニット・野猿が「NHK紅白歌合戦」に出場。
[編集] 2000年代
- 2月9日 ザ・ドリフターズの元メンバー・荒井注死去。
- 3月25日 第2回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でルート33が優勝。
- 4月 上岡龍太郎が芸能界から引退。
- 4月8日 テレビ朝日系「内村プロデュース」放送開始。
- 6月15日 松鶴家千代若死去。
- 10月20日 TBS系列「新ウンナンの気分は上々。」の企画で、バカルディが「さまぁ~ず」に改名。
- 12月31日 野猿が「NHK紅白歌合戦」に2年連続出場。
- 1月3日 桂三木助死去。
- 3月14日 日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」が終了。
- 3月28日 Re:Japanがシングル「明日があるさ」をリリース。
- 3月31日 第3回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でルート33が優勝。史上初の連覇。
- 4月 東京都新宿区にルミネtheよしもとオープン。
- 4月9日 フジテレビ系「はねるのトびら」放送開始。
- 4月21日 日本テレビ系ドラマ「明日があるさ」がスタート(~同年6月30日)。
- 4月29日 古今亭右朝死去。
- 5月13日 野猿が同日の国立代々木第一体育館でのライブをもって「撤収」。
- 9月10日 橘家文蔵死去。
- 9月28日 TBS系列「新ウンナンの気分は上々。」の企画で、海砂利水魚が「くりぃむしちゅー」に改名。
- 10月1日 古今亭志ん朝死去。
- 10月12日 フジテレビ系「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」が一夜限りの復活として放送。
- 12月10日 江戸家猫八死去。
- 12月30日 島田紳助企画立案、吉本興業主催の漫才コンテスト「M-1グランプリ」の第1回決勝戦が開催。初代優勝者は中川家。この模様は朝日放送・ANN系列で生放送された。
- 12月31日 Re:Japanが「NHK紅白歌合戦」に出場。
- 2月2日 海老一染太郎死去。
- 3月22日 日本テレビ系「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」が終了。
- 4月6日 第4回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でハリガネロックが優勝。
- 5月16日 5代目柳家小さん死去。
- 5月25日 坊屋三郎死去。
- 9月30日 綾小路きみまろが漫談CD「爆笑スーパーライブ第一集! 中高年に愛をこめて…」を発売。演芸CDとしては異例のミリオンセールスを達成。
- 10月6日 M-1グランプリのピン芸人版とも言うべき「R-1ぐらんぷり」決勝戦が開催。第1回優勝者はだいたひかる。
- 12月27日 3月22日に終了した日本テレビ系「ウリナリ!!」が特別番組という形になって、番組内の1コーナーだったウリナリ芸能人社交ダンス部が「ウリナリ社交ダンス部大復活!海外進出記念熱き7年の全記録SP」として復活。以後、単発特番として不定期に放送中。
- 12月29日 第2回M-1グランプリ決勝戦でますだおかだが優勝。
- 5代目桂文枝が旭日小綬章を授章。
- 1月11日 日本テレビ系列「電波少年シリーズ」が事実上終了。
- 3月22日 第5回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でアンジャッシュが優勝。
- 4月19日 日本テレビ系列「エンタの神様」放送開始。
- 6月16日 春風亭柳昇死去。
- 8月12日 うめだ花月(大阪市北区梅田)がリニューアルオープン。
- 9月11日 立川談志が「談志²REVOLUTION」名義でラップのシングルCD「アメリカ」を発売。
- 9月25日 夢路いとし死去。これに伴い喜味こいしが漫才から引退。
- 9月26日 TBS系列「新ウンナンの気分は上々。」が終了。
- 12月1日 テツandトモのネタ「なんでだろ~」が2003年度の新語・流行語大賞を受賞。
- 12月28日 第3回M-1グランプリ決勝戦でフットボールアワーが優勝。
- 12月31日 テツandトモとはなわが「NHK紅白歌合戦」に出場。立川談志が応援ゲストに駆けつけた。
- 1月31日 10代目桂文治死去。
- 3月6日 第2回R-1ぐらんぷり決勝戦で浅越ゴエ(ザ・プラン9)が優勝。決勝戦の模様は関西テレビ製作でローカル放送された。
- 3月19日 第6回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でアンタッチャブルが優勝。
- 3月20日 ザ・ドリフターズのリーダー・いかりや長介死去。
- 3月24日 立川談志が「談志²REVOLUTION」名義でラップの2枚目のシングル「国会」を発売。
- 4月7日 芦屋雁之助死去。
- 4月16日 テレビ朝日系「笑いの金メダル」(朝日放送制作)放送開始。
- 4月22日 フジテレビ系列「とんねるずのみなさんのおかげでした」内で「博士と助手 ~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」を放送。以降同コーナーはシリーズ化し、わかりづらいものまね芸ブームの火付け役となる。
- 6月7日 コロムビア・トップ死去。
- 7月22日 星セント死去。
- 8月11日 元アニマル梯団のおさる(本名・大森晃)が、細木数子の占いにより芸名を「モンキッキー」に改名。
- 10月 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」放送15周年。
- 10月25日 島田紳助が女性マネージャーに暴行を加え、吉本興業から無期限謹慎処分を受ける。
- 12月26日 第4回M-1グランプリ決勝戦でアンタッチャブルが優勝。
- 1月2日 島田紳助「行列の出来る法律相談所 新春スペシャル」の生放送にて謝罪コメントと復帰会見。
- 1月3日 吉本興業会長・林裕章死去。
- 1月4日 TBS系列の新春特別番組「史上空前!!笑いの祭典ザ・ドリームマッチ'05」が放送。のちの同局のレギュラー番組「リンカーン」立ち上げのきっかけとなった。
- 2月19日 第3回R-1ぐらんぷり決勝戦でほっしゃん。が優勝。決勝戦の模様はフジテレビ系列局で初めて全国ネット放送された。
- 3月10日 星ルイス死去。
- 3月12日 5代目桂文枝が肺がんのため死去。
- 3月21日 林家こぶ平が9代目林家正蔵を襲名。
- 3月26日 第7回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でタカアンドトシが優勝。
- 4月22日 ポール牧死去。
- 7月26日 岡八朗死去。
- 9月26日 テレビ朝日「内村プロデュース」レギュラー放送終了。その後は単発のスペシャル番組として放送。
- 10月18日 TBS「リンカーン」放送開始。
- 10月19日 フジテレビ系「はねるのトびら」が水曜夜8時台放送のゴールデンタイムに進出。
- 12月25日 第5回M-1グランプリ決勝戦でブラックマヨネーズが優勝。
- 1月16日 ローカル岡死去。
- 1月28日 内村光良(ウッチャンナンチャン)の初監督映画「ピーナッツ」が公開。メインキャストに「内村プロデュース」の出演者を起用。
- 3月2日 ナインティナインが深夜ラジオ「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)の歴代パーソナリティ最長記録を更新(それまでは笑福亭鶴光の11年9ヶ月が最長)。
- 2月18日 第4回R-1ぐらんぷり決勝戦で博多華丸(博多華丸・大吉)が優勝。
- 3月18日 第8回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でタカアンドトシが優勝。史上2組目の連覇。
- 3月22日 爆笑問題が芸術選奨文部科学大臣賞放送部門を受賞。放送部門のバラエティジャンルからは史上初の受賞となった。
- 4月1日 松本竜助(元紳助・竜介の竜介)が急逝。
- 5月14日 「笑点」の4代目司会者・5代目三遊亭圓楽が勇退。翌週放送分から桂歌丸が5代目司会者に正式就任した。
- 7月18日 極楽とんぼの山本圭一が不祥事により吉本興業から契約を解除される。これにより極楽とんぼが事実上の解散。
- 9月15日 戦後60年間上方落語に途絶えていた定席の寄席、天満天神繁昌亭がオープン。
- 10月7日 「めちゃ×2イケてるッ!」放送10周年
- 10月22日 ばってん荒川死去。
- 11月4日 清水キョウイチ郎(元ぴのっきお)死去。
- 11月11日 村田渚(鼻エンジン、元フォークダンスDE成子坂)死去。
- 12月20日
- 12月24日 第6回M-1グランプリ決勝戦でチュートリアルが優勝。
- 12月31日 「NHK紅白歌合戦」にナインティナインの岡村隆史が応援で出場し、得意のブレイクダンスを披露した。
- 1月17日 オリエンタルラジオの冠番組「オリキュン」(フジテレビ)が水10!枠に昇格。同コンビはお笑いタレント史上最速で冠番組を持つ。
- 1月21日 第21回宮崎県知事選挙に、無所属で出馬していたそのまんま東(東国原英夫)が当選。
- 2月5日 生恵幸子死去。
- 2月17日 陣内智則が女優・藤原紀香と生田神社で挙式。また後日行われた披露宴の模様は日本テレビ系列で特別番組として放送された。
- 2月18日
- 第5回R-1ぐらんぷり決勝戦でなだぎ武(ザ・プラン9)が、ディラン(ビバリーヒルズ青春白書)のネタで優勝。
- 「爆笑レッドカーペット」第1回が放送。「発掘!あるある大事典II」の放送打ち切りを受け、急遽制作された。
- 2月25日 5代目三遊亭圓楽が現役引退を表明。
- 3月24日 第9回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でNON STYLEが優勝。
- 3月27日 植木等死去。
- 5月3日 横山ノック死去。
- 6月15日 漫才協会新会長に青空球児が就任。前職の内海桂子は名誉会長に。
- 6月24日 テレビ朝日系「笑いの金メダル」(朝日放送制作)が終了。
- 7月11日 キングオブコメディの高橋健一が満員電車内での痴漢行為の容疑で逮捕される。それにより、高橋は芸能活動全般の当面自粛、相方の今野浩喜は今まで通り活動。
- 12月23日 第7回M-1グランプリ決勝戦でサンドウィッチマンが優勝。
- 1月1日 キングオブコメディの高橋健一が不起訴となり復帰。
- 2月17日 第6回R-1ぐらんぷり決勝戦でなだぎ武が優勝。史上初の2連覇。
- 3月21日 第10回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でトータルテンボスが優勝。
[編集] 日本お笑い界での大きなイベント
[編集] 参考文献
- 中江克己 『お江戸の意外な「モノ」の値段 物価から見える江戸っ子の生活模様』PHP文庫,2003年
[編集] 関連項目
- お笑い芸人のギャグ一覧
- 日本現代芸能史
- お笑い8年周期説 - 新しい波8などに少し説明あり。
- ビッグ3
- ミドル3