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日本お笑い史 - Wikipedia

日本お笑い史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本お笑い史(にほんおわらいし Japanese Comedy History)とは、日本に於けるお笑い演芸歴史である。

目次

[編集] 古代

古事記』の中の岩戸隠れのエピソードが記録に残されている日本で最も古い笑いのひとつだと思われる。

神々の暮す高天原(たかまがはら)の統率紳、太陽の神アマテラスオオミカミが、弟スサノオノミコトの乱暴狼藉に腹を立てて岩の洞窟天岩戸(あまのいわと)に閉じこもってしまった。そのため世界が真っ暗になり災いが起こった。そこで神々はアマテラスをおびき出す為に岩戸の外で大宴会を行い、女神アメノウズメは着衣を脱いで全裸でこっけいな踊りを披露した。これを見て八百万の神々が一斉に大笑いした。その笑い声が気になったアマテラスが、岩戸を少しだけ開けて様子をうかがった所、神々の連携プレーで外に連れ出され、再び世界に光が戻った、というものである。

アマテラスが天岩戸に隠れて世の中が闇になるというこの神話日食を表したものだと解釈されており、神々を笑わせた芸能の女神アメノウズメは日本最古の踊り子と言える。

[編集] 中世

散楽から、猿楽、そしてそれが狂言に分化する。

[編集] 近世

  • 寄席・演芸場
  • 辻講釈から講談
  • にわかの成立
  • 上方と江戸で常設の商業演劇が成立。上方では笑いの要素が意識された作劇がなされた。
    • 歌舞伎 東西で大きく芸風が異なり、上方歌舞伎は様式美もさることながら、上方和事と呼ばれる二枚目でありながら可笑しみをもった人物造形が好まれた。役者もアドリブで笑いをとることをためらわない。
    • 人形浄瑠璃文楽) 主に上方で発展したが、深刻な場面の前に「チャリ場」と呼ばれる笑える場面を用いてメリハリをつけた。

[編集] 近代

  • 落語の成立 - 江戸時代初期にはじまった「滑稽噺」は、身振りを加えた「仕方噺」と混じり合って盛んになった。上方では「軽口噺」とも呼ばれたが、特に「落ち」が特徴的だったので江戸中期には「落し噺」と呼ばれるようになった。明治に入って「おとしばなし」を「落語」と書くようになり、明治中期以降はこれを「らくご」と呼ぶようになった。「中江(2003年)」参考。
  • 諸芸
    • 初切(しょっきり)
    • 幇間(太鼓持ち)
  • 演劇 - 主に戦前戦後ごろから

[編集] 現代

[編集] テレビの時代

[編集] 軽演劇からの転身

1953年NHKテレビ日本テレビが相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを「電氣紙芝居」として敬遠し、その結果それまで浅草公園六区や新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。三木のり平八波むと志由利徹南利明の「脱線トリオ」、佐山俊二、関敬六谷幹一渥美清(のち海野かつをに交替)のスリーポケッツ、石井均一座の他、浅草で人気を博していた大宮敏充の「デン助劇団」などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。

一方、大阪でも梅田の実演劇場・北野劇場に出演していた薄給のコメディアンであった茶川一郎、佐々十郎、芦屋雁之助芦屋小雁大村崑等に白羽の矢が立ち、花登筺脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。とりわけ大村は時代の寵児となり、「コンちゃん」ブームを巻き起こした。この他に藤田まこと白木みのる等が進出。吉本新喜劇は当初からテレビを意識して制作されたもので、毎日放送テレビとのタイアップもあり多くのスターを生み出した。一方の松竹新喜劇も看板役者の藤山寛美よみうりテレビを中心にコメディー数作を発表した。

[編集] クレージーキャッツの台頭

1959年フジテレビ開局と同時に始まった時事コント番組『おとなの漫画』は、本来本格的なジャズバンドであったハナ肇とクレイジーキャッツを起用。青島幸男作の洗練された都会的なギャグで一躍市民権を得た。クレージーはこのあと日本テレビの『シャボン玉ホリデー』で更に人気を増し、国民的なお笑いグループとして認知された。特にメンバーの植木等が演じる「無責任男」が高度経済成長を背景とした時流に乗り、大いに当たった。

[編集] 音楽バラエティ番組

『シャボン玉ホリデー』もそうであったが、この手の番組の嚆矢は同じ日本テレビの『光子の窓』である。草笛光子を主役に起用したこの番組は、歌と踊りと笑いの全てを集約させた音楽バラエティであった。このあと、NHKが『夢であいましょう』をスタート。渥美清、E・H・エリック黒柳徹子などがコントを演じていた(作・永六輔)。
草笛と黒柳は女性バラエティタレントの先駆者であり、黒柳は2007年現在もなおバラエティ番組に出演し続けている。

[編集] 寄席芸人の進出

NHKがジェスチャー (テレビ番組)柳家金語楼を起用、全国区の人気に。

日本テレビ開局当日に発生した放送事故の穴埋め番組出演を機に、三遊亭小金馬三遊亭歌奴江戸家猫八・一龍斎貞鳳の4人は正力松太郎同社社長に認められ、番組一本を持たされた。これに目を付けたNHKは歌奴以外の三人を引き抜き、『お笑い三人組』をスタートさせる。一方、文化放送で放送された『落語討論会』をフジテレビがテレビ化する事となり、大喜利番組『お笑いタッグマッチ』(春風亭柳昇司会)がスタート。レギュラー陣の柳家小せんが発した「ケメコ」の流行語も相まって一躍人気番組となった。この流れが後述の「演芸ブーム」に繋がる。

[編集] (第一次)演芸ブーム

1962年から1969年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。また、視聴者の側も不景気の中、笑いをテレビに求めていた。

[編集] お笑い第二世代

自身でネタを構成する芸人や、深夜放送ハガキ職人出身の放送作家の増加に伴い、若者うけのよい、スピーディーで毒や刺激の強いお笑いが増える。

[編集] お笑い第三世代

1990年前後に起こった、テレビの深夜バラエティーを発端としたブーム。演芸ブームを「第一世代」、漫才ブームを「第二世代」と数えて「第三世代」と呼ばれた[要出典]

[編集] お笑い第四世代以降

[編集] ・タモリのボキャブラ天国

視聴者投稿を元に作られていたテレビ番組『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ、タモリ司会)が、徐々にその性格を変えて「大勢の若手芸人がネタを競い合う番組」に変化すると、若い女性などを中心とする特定層の支持を集めたが、番組の人気凋落に伴い、ほとんどの出演者が次第に存在感自体をフェードアウトさせてゆく(つまるところ、しっかりとした下積み経験があったわけではない「ポッと出」の出演者が、視聴者のバブル人気に舞い上がっていただけであった。この現象はのちにも『爆笑オンエアバトル』や『エンタの神様』で繰り返されることになる)。この番組をきっかけに知名度を得た世代を第四世代と呼ぶことが多い[要出典]爆笑問題(厳密に言うと第四世代ではない)、ネプチューン、海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)、ロンドンブーツ1号2号などは、のちに各局で冠番組を持つことになる。

[編集] ・電波少年シリーズ

進め!電波少年』(日本テレビ、松本明子らが司会)は、アポイントメントなしの突撃インタビューをはじめとして、台本のないドキュメンタリーの味わいを取り込んだ番組だったが、特に後半は若手芸人に私生活を犠牲にした体験・チャレンジ企画をさせて笑いの種とする構成となり、過剰演出(やらせ)の傾向が強くなる。

そんな中で、過酷なヒッチハイク旅行を行なった猿岩石が、お笑いというよりも共感できる等身大の若者といった位置付けで人気を博し、彼等が唄った楽曲が一定の売り上げを集めたり、旅行中に記した日記をまとめた書籍が売り出され、版を重ねる など、一部特定層において社会現象化する。

その後同様のコンセプトで、ドロンズなすびロッコツマニア矢部太郎カラテカ)らを起用して話題を提供しつづけたが、あくまで企画の面白さが中心のため、企画自体がパターン化すると飽きられるのも早く番組の人気も急に失速した。この番組は芸人を育てるというよりも、消費し尽くすといった感が強く、PTAなど視聴者の批判も多かった。

[編集] ・ナインティナインとロケの多様化、同時代性

広告代理店やジャーナリズムによる造語「第四世代」という定義に厳密に合致していないが、ほぼ同時期のものとして、フジテレビ『とぶくすり』(のちの『めちゃ²モテたいッ!』→『めちゃ²イケてるッ!』)や日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』などがあり、これらの番組からナインティナインよゐこらが1993年頃から知名度を得た。これらに通底しているのはロケーション(ロケ)の多用、そして同時代性である。

1990年代初頭に漫才スタイルがダウンタウンのもとで飽和に達し、それ以降の芸人やお笑い番組は違うスタイルを築きあげる必要にせまられた。その経済学的にいう(商品)差別化の中でたどり着いたのが、街に繰り出し現場や社会を笑いのネタにするというロケーションの手法であり、「リアル」を笑いにして視聴者を惹きつけるとともに、テレビに映る若者が参加しているという同場所性や、それを通して若者と同世代を生きているという同時代性が親近感を醸成し、ヨコの繋がりを生み出して、漫才とは違う人気に結びついた。これらは、番組をテレビ局で撮ると先輩芸人に偶然会ってしまうという若手芸人の緊張や心理、当時抱いていた劣等感がそれを避ける形を求めたということにもある。

[編集] ・その他

[編集] 2000年代のお笑いブーム(お笑い第五世代)

ボキャブラブーム後お笑い界はしばらく冬の時代に突入。そんな中1999年に『爆笑オンエアバトル』(NHK)の放送がスタートし、若手のお笑い芸人たちを発掘しようとする動きが起き、いわゆる「ネタ見せ番組」が増え始める。2001年には島田紳助企画立案の新たな漫才コンテスト「M-1グランプリ」が立ち上がった。同初代チャンピオンの中川家が東京進出。この流れがこの後に続くお笑いブームの流れを作り出したと言われる。西の中川家、東の品川庄司がブームの口火を切った(しかしこの2組はブームには乗らず中堅的位置を保っている)。 また、前述の『爆笑オンエアバトル』などに出演したラーメンズなども、あえてブームには乗らず(そもそもブームと言えるレベルなのかどうかは、未だに評価が定まってはいない)に、ほとんどテレビ出演をしていない芸人もいる。

「若手芸人」がブームの中心であるが、若手と言っても殆どが30代であるのが特徴的で、「若手」と言われながら(芸歴で考えて)第四世代である中堅芸人と同い年、年上など、不思議な現象が起きている。また次長課長井上チュートリアル徳井麒麟川島などに代表される“イケメン芸人”が急増した事や、お笑い情報のみを取り扱ったお笑い専門誌が次々に発行されたりといった流れが垣間見える。

自ら若手芸人ライブを主宰する渡辺正行は、このお笑いブームを「悲しいエピソードで出ている芸人が多い。一昔前と色々な意味で違い、可哀想な芸人が増えた。笑わせてるんじゃなくて、笑われてるんだ」と見る側だけでなく、芸人自体のレベル低下に苦言を呈している。

以前から存在したジャンルではあるが、ひな壇芸人というジャンルが大々的に紹介され、「お笑いファンの間で」新たなジャンルとして知られる様になった。

一発屋芸人は年末の番組に多数出演し、年始に飽きられて、テレビから姿を消す、という新たなパターンが生まれた。また、こういった芸人は紅白歌合戦に出演したり、流行語大賞を受賞するケースが多い(例:テツandトモダンディ坂野波田陽区レイザーラモンHG長州小力など。)。フェードアウトいた後は、波田のように新たな方向性を模索する芸人も存在する。

明石家さんまビートたけしダウンタウンなど、大御所芸人が俳優業などの「非お笑い分野」で活躍する事はあったが、第5次お笑いブームでは、若手芸人が積極的に非お笑い分野での活動をしている。  

[編集] ピン芸人の隆盛

吉本興業をはじめとする「芸能商社」がシステマチックに若手を発掘し、消費するサイクルを作り上げたことで、若手の芸人の供給は非常に潤沢におこなわれるようになった。そのためか、力があって観客を笑わせることができる芸人であっても、漫才やコントなどのオーソドックスな形式ではインパクトが与えられず、大ブレイクしにくい状態になっていた。そのため、従来の日本では比較的手薄だった漫談形式を採用した芸人が、新鮮さを感じさせ人気となる。

長井秀和青木さやかだいたひかるなどは、毒舌を自分なりの独特なお決まりのフレーズとからめる。陣内智則は綿密に構成された映像ならびに音声等にボケの部分を小刻みに織り込み、そこへツッコミを入れるというパターンで自作のネタを展開した。またエレキベースを使ったはなわが『佐賀県』を歌い、CDが25万枚以上のセールスを記録した。また、はなわから少し遅れて、ギター侍こと波田陽区も2004年の流行語大賞にノミネートされるという現象も起きた。

ただし、供給過剰の状態は続いており、ブームを起こした芸人が消費尽くされてしまうと簡単に忘れられてしまう、という傾向はさらに激しくなっている。そのため、逆に大きなブレイクをおこさず、地道に戦略を立てて活動した芸人の方が生き残っている。また、拡大した需要にはそれまでお笑いに興味すら示さなかったような人々まで包括し、その人気の基準は一種のトレンド的な性格を強めるようになり、芸人のあり方も変化しつつあるが、一方でそれは笑いのレベルの低下と見る向きもある。

[編集] その他

[編集] 年表(年代別)

[編集] 1900年代

1900年

[編集] 1910年代

1912年

1918年

[編集] 1920年代

1922年

  • 吉本興業が東京・横浜・京都・神戸へも進出する。

 

[編集] 1930年代

1933年

1934年

1937年

1938年

[編集] 1940年代

1947年

1948年

[編集] 1950年代

1958年

  • 松竹芸能の前身会社である、松竹新演芸が設立される。

1959年

[編集] 1960年代

1961年

1962年

1963年

1964年

1966年

1968年

1969年

[編集] 1970年代

1970年

1971年

  • 8月31日 桂文楽が国立小劇場で「大仏餅」を上演中に、始まって6、7分で沈黙。「台詞を忘れてしまいました」「申し訳ありません、もう一度勉強しなおして参ります」と陳謝。お辞儀をして高座を降りる。以後は寄席に出演せず、これが最後の舞台となる。
  • 12月12日 桂文楽死去。

1972年

1973年

1974年

1977年

1978年

  • 落語協会分裂騒動。三遊亭圓生一門、古今亭志ん朝一門、橘家圓蔵一門が、それまで所属していた「落語協会」から独立して「落語三遊協会」を設立。落語協会が真打ちを乱造することに反発したのが理由だった。落語界全体に大きな波紋を呼び、一時は落語協会の半数が新団体に移るという予測もされたが、実際には様々な要因があって参加を見送るものが相次ぐ。さらには新団体参加者の寄席出演が拒否されたため、志ん朝一門と圓蔵一門は早々に離脱。

1979年

  • 9月3日 三遊亭圓生死去。これに伴い前年に設立された「落語三遊協会」は自然消滅し、参加者の大半は落語協会に復帰したが、圓生門下の5代目三遊亭圓楽は大日本すみれ会(現・円楽一門会)を立ち上げ、独自路線を歩んで現在に至る。一連の落語協会分裂騒動は、後に起きる立川談志の「落語立川流」創設にも大きな影響を及ぼす事になる。

[編集] 1980年代

1980年

1981年

1982年

1983年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

[編集] 1990年代

1990年

1991年

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

1997年

1998年

1999年

[編集] 2000年代

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年 

2008年

[編集] 日本お笑い界での大きなイベント

[編集] 参考文献

  • 中江克己 『お江戸の意外な「モノ」の値段 物価から見える江戸っ子の生活模様』PHP文庫,2003年

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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