柳亭痴楽
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柳亭 痴楽(りゅうてい ちらく)は落語の名跡。当代は5代目。
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[編集] 初代
初代春風舎 痴楽は後の5代目柳亭左楽。
[編集] 2代目
2代目柳亭 痴楽は後の7代目春風亭柳枝。5代目柳亭左楽の弟子。
[編集] 3代目「弁ちゃんの痴楽」
3代目柳亭 痴楽(1894年2月 - ?)は元3代目むかし家今松。本名は関根弁次郎。 最初は3代目古今亭今輔の門で今之助、1920年11月にむかし家今松、5代目柳亭左楽市門に移り1928年4月に3代目痴楽襲名。昭和10年代に没したという。俗に本名から「弁ちゃんの痴楽」と言う。
[編集] 4代目「綴方狂室の痴楽」
4代目柳亭 痴楽(1921年5月30日 - 1993年12月1日)は、富山県富山市生まれの落語家。本名は藤田重雄(ふじた しげお)。生前は落語芸術協会所属。出囃子は『きぬた』
1939年、豊竹歳太夫に入門し義太夫修行、同年7代目春風亭柳枝に入門し笑枝を名乗る。 1941年4月、師匠柳枝に伴い5代目柳亭左楽の門下になり二つ目昇進で4代目痴楽襲名。 1945年9月、第二次世界大戦後初の真打になる。
その後、ラジオ、テレビ、映画へと進出。自らの顔をネタにした「破壞し尽くされた顔の持ち主」、または「柳亭痴楽はいい男」のフレーズで人気者となった。
十八番は新作落語「痴楽綴方狂室」(ちらくつづりかたきょうしつ)、「恋の山手線」。元々は、親友でライバルでもあった3代目三遊亭歌笑の「純情詩集」を、歌笑の不慮の事故死をきっかけに引き継ぐ形で始めたもの。
1972年、芸術協会理事長就任。しかし翌1973年10月、2代目桂枝雀らの襲名披露のため道頓堀角座へ出演中に脳卒中で倒れ、言語障害などの後遺症は重く、そのまま約20年間の闘病生活に入る。1993年20年ぶりに高座に漸く復帰するが、同年逝去。俗に「綴方狂室の痴楽」と言う。
弟子には春風亭梅橋(初代小痴楽。故人)、伏見ちか志(司会・漫談)、柳亭ら久楽(現在は久楽を名乗る。漫談)、柳亭小痴楽(2代目。現在の5代目痴楽)等がいる、結局、2代目柳亭小痴楽が5代目の名跡を継ぎ芸を踏襲している、他の弟子たちは司会、漫談等に進出し、舞台活動をしている。
[編集] 4代目出演映画
- 幽霊タクシー(東京映画、1956年)
- 海の三等兵(新東宝、1957年)
- 東京テキサス人(東京映画、1957年)
- 新妻の実力行使(富士映画、1957年)
- 与太郎戦記(大映東京、1969年)
- 与太郎戦記 女は幾万ありとても(大映東京、1970年)
[編集] 5代目
5代目柳亭 痴楽(1951年11月30日 - )は、北海道石狩郡当別町生まれの落語家。本名は沢辺幸三(さわべ こうぞう)。落語芸術協会所属、同協会常任理事でもある。
息子は同じく落語家桂ち太郎。(桂平治門下)。2005年入門。
[編集] 5代目略歴
- 1968年 - 札幌商業高校を中退し、4代目柳亭痴楽に入門。前座名は初代痴太郎。
- 1972年 - 二つ目昇進。2代目小痴楽となる。
- 1976年 - NHK新人落語コンクール優秀賞
- 1979年 - 文化庁芸術祭優秀賞
- 1983年 - 真打昇進。
- 1989年 - 国立演芸花形新人大賞
- 1996年 - 5代目柳亭痴楽襲名。
[編集] 出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 古今東西噺家紳士録