落語芸術協会
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落語芸術協会(らくごげいじゅつきょうかい)は、落語家・講談師などが組織する東京の団体。1977年まで日本芸術協会という名だった。現在の会長は桂歌丸(かつらうたまる)。
社団法人落語協会(会長:鈴々舎馬風)や、美術団体の日本芸術協会は別組織。
東京の落語家だけでなく上方落語家や講談師も加入している。
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[編集] 概要
- 正式名:社団法人落語芸術協会
- 通称:芸協(げいきょう)
- 所在地:〒160-0023 東京都新宿区西新宿六丁目12番30号 芸能花伝舎2階
- 創立:1930年10月11日
- 設立:1977年12月16日
- 代表者・会長:桂歌丸(椎名巌)
- 目的:落語を主とする寄席芸能の向上普及を図り、もって我が国文化の発展に寄与することを目的とする
- 事業:
- 落語の創作及び研究発表会、鑑賞会等の開催
- 後進の育成及び寄席芸能関係者の顕彰
- 下座音楽実演家の育成等
- 所管官庁:文部科学省文化部芸術文化課
- 社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協) 正会員
- 提携:日本講談協会(神田陽子会長)
[編集] 沿革
[編集] 設立までの経緯
芸術協会の設立には吉本興業などが関わっている。
「兵隊」という既存の落語に、アクシデントを発端として独自演出を加えた落語家柳家金語楼は、たちまちのうちに超売れっ子スターとなっていった。NHKが開局し、金語楼にも出演依頼があった。当時、大阪でもそうであったように、東京の寄席経営者からも放送(ラジオ)は敵視されていた。客はラジオで演芸を聞いてしまうため寄席に来なくなってしまう、と危惧をしたのである。東京の寄席は相互で協定を結び、放送に出演する芸人をボイコットすることに決定した。そんななか、人気絶頂の金語楼は敢然とNHKに出演した。寄席経営者は金語楼の各寄席への出演を禁ずるだけでなく、抜け駆けを禁ずるために、金語楼を出演させた寄席への罰則(罰金)をも決定していった。ラジオと寄席への対立から、金語楼一門は上がる寄席を失い、単独で興行を打つことを余儀なくされた。
大阪では、当地のほぼすべての寄席を所有していた会社(吉本興業)が所属芸人に放送への出演を禁じた。しかし初代桂春團治は敢然とそれを破った。吉本では、おもな芸人はみな会社に対して多額の借金を負っているという計算にしており、その借金を取り立てるという名目で寄席(吉本興業)は春團治宅の家財を差し押さえた… という経緯は有名である。(赤紙口封じ事件)
東京に進出した吉本興業は、売れっ子ながら寄席に上がれない金語楼に強い関心を寄せた。また、既存の寄席でも、野心を持つ者(神楽坂演芸場・千葉博巳席亭)が現れた。吉本興業と千葉席亭が合同し、金語楼に新しい協会を作らせることにした。
春團治と金語楼は同種のことをしたが、吉本は、春團治の生活を破壊し、金語楼には温かい救いの手を差し伸べたのである。
千葉は別の落語家にも目を付けていた。それは「この先どこまで上手くなるのだろう」と恐れられるくらい人気が高まっていた6代目春風亭柳橋である。落語睦会に所属しており、同会若手の睦の四天王の中で一人だけ飛びぬけていた存在だ。
金語楼と春風亭は共に子供でプロ落語家になった(子方)という共通点があるが、金語楼は(初代柳家三語楼一門に転ずるまで)三遊派、春風亭は柳派保守本流という別の道を歩いたので、両人はほとんど面識がなかった。吉本興業と千葉博巳は、2人を引き合わせ、2人で新協会を作らせることに同意させた。
そのさい、落語睦会から柳橋を借り出すことになる。吉本興業と千葉は、会長の5代目柳亭左楽に了解を求めに行った。左楽は、了承の条件として金銭的解決を提案した。左楽は、金語楼から月々の小遣い銭(本当の金額は不明)を貰うという、人気絶頂の金語楼にとっては全く問題のない条件を出した。左楽と柳橋は良好な関係を保ったまま柳橋に新協会を作らせることができた。左楽は「睦会がダメになったらあたしもそっちの(新)協会に行くから」と軽口を言って笑わせた。後にそれは現実となった。
この計画の元々の趣旨は、「金語楼に協会を作らせること」であった。さらに金語楼と柳橋とを比較すると、人気では金語楼が圧倒的に上であった。しかし、金語楼は、自分が副会長に下がり、柳橋を会長にするという案を出した。これは金語楼一流の処世術である(金語楼嫡子の山下武による。戦後「東京喜劇人協会」設立時に金語楼みずから初代副会長に引いたのと同じ)。落語家としては、柳橋のほうが序列が上で(真打になった時期が早い)、年齢でも柳橋が年長のため、柳橋にとっても異論はなかった。かくて「31歳の会長」が誕生したのである。
金語楼と春風亭が考えた協会名は「日本芸術協会」。寄席では、さまざまな芸術(落語という芸術、講談芸術、漫才芸術、漫談芸術、ものまね芸術…)を芸術的に実演するではないか、というのが。
東京に複数存在した吉本興業の寄席(神保町の「神田花月」など。神保町花月の前身ともいえる)と神楽坂演芸場のほか、麻布十番倶楽部等で興行を打った。
金語楼は1年後別行動をとり、やがて正式に吉本興業に入社。吉本の芸人となる。吉本の全芸人(大阪も含めて)の中で最高の待遇を受けた。
[編集] 年表
- 1930年10月11日 - 日本芸術協会設立。
- 1931年 - 金語楼副会長が演劇や地方公演に忙しくなり事実上脱退。
- 1933年4月 - 日本演芸協会(2代目桂小文治会長)を吸収合併。2代目桂小文治が副会長となる。
- 1934年 - 7代目正蔵脱退。
- 1937年11月13日 - 落語睦会解散。残党の5代目柳亭左楽、春風亭柳好(野ざらしの柳好)らが入会。
- 1940年5月 - 日本芸能文化連盟、その構成団体として講談落語会が結成され第二班(落語部)部長に春風亭柳好が就任。
- 1945年 - 終戦後に講談落語協会が解散し、元の形態である日本芸術協会などに戻る
- 1956年1月 - 昔々亭桃太郎入会。
- 1959年5月 - 3代目桂三木助脱退。
- 1964年5月 - 2代目桂枝太郎の尽力で浅草演芸ホールが開場。
- 1967年11月 - 2代目小文治副会長死去。副会長は小文治の弟子5代目古今亭今輔が就任。
- 1969年3月 - 組織改革。理事制を導入。
- 1970年1月20日 - 人形町末廣廃業。最後の芝居を受け持つ(主任は5代目今輔、お婆さん落語)。
- 1970年3月 - 池袋演芸場と絶縁。
- 1972年 - 4代目柳亭痴楽が理事長になる。
- 1973年10月 - 4代目痴楽理事長が病に倒れる(2代目桂枝雀・5代目笑福亭枝鶴・4代目福團治のトリプル襲名披露興行、大阪道頓堀角座)。理事長職続行出来ず。
- 1973年 - 人気者だった桂高丸(日高はじめ)・桂菊丸兄弟が脱退。
- 1974年3月1日 - 春風亭柳橋が相談役に退き、5代目古今亭今輔が副会長から会長就任。
- 1976年12月10日 - 5代目今輔会長死去。
- 1977年2月14日 - 4代目桂米丸会長(今輔総領弟子)、5代目春風亭柳昇副会長(6代目柳橋総領弟子)となる。
- 1977年12月10日 - 社団法人の認可を受ける。日本芸術協会改め社団法人落語芸術協会と改称
- 1978年3月 - 柳昇副会長が促進委員長を務め推進した国立劇場演芸場が開場。
- 1978年8月 - 協会事務所を西新宿に構える。
- 1979年5月 - 6代目柳橋相談役死去
- 1979年6月 - 3代目江戸家猫八入会。
- 1979年8月 - 桂歌丸・4代目三遊亭小圓遊が理事就任。
- 1980年10月 - 小圓遊理事死去。
- 1984年9月 - 上野鈴本演芸場と絶縁、御徒町吉池デパートで『吉池土曜落語会』を開催。
- 1984年12月 - 桂文朝・桂文生・桂南喬の3人が脱退。
- 1989年4月 - 機関誌『寿限無』創刊。
- 1990年4月 - 笑福亭鶴光入会。
- 1993年9月 - 池袋演芸場、改装を終え営業再開。再び当協会の定席となる。
- 1996年5月 - お江戸上野広小路亭開業に伴い、『吉池土曜落語会』閉幕。
- 1999年9月 - 会長・副会長勇退(最高顧問に就任)。会長は10代目桂文治(小文治の弟子)、副会長・桂歌丸(米丸惣領弟子)、副会長付・三遊亭小遊三。
- 2001年8月 - 機関誌である季刊『芸協』創刊。
- 2002年1月 - 5日制興行に移行。(浅草演芸ホール・池袋演芸場)
- 2004年1月31日 - 10代目文治会長死去(会長職の任期満了日であった)。
- 2004年2月1日 - 桂歌丸が会長就任。副会長・7代目春風亭柳橋(6代目春風亭柳橋の弟子)。
- 2004年10月 - 7代目柳橋副会長死去。
- 2005年1月 - 三遊亭小遊三が副会長就任。
- 2005年3月 - 協会事務所を現在の芸能花伝舎(西新宿)に移転。
- 2007年10月28日 - 芸協らくごまつり(芸能花伝舎)開催。
[編集] 歴代会長
- 6代目春風亭柳橋(在任期間:1930年~1974年)
- 5代目古今亭今輔(1974年~1976年)
- 4代目桂米丸(1976年~1999年)
- 10代目桂文治(1999年~2004年)
- 桂歌丸(2004年~現職)
[編集] 所属会員
(亭号別)
[編集] 真打
- 桂米丸(最高顧問)、桂歌丸(会長)、桂圓枝、桂南八、桂米助(理事)、桂歌春(監事)、桂富丸、桂伸乃介、桂伸治、桂幸丸、桂南なん、桂小文治、桂小南治、桂竹丸、桂歌助、桂平治、桂右團治、桂歌若、桂米多朗、桂米福、桂歌蔵、桂文月
- 三遊亭遊三、三遊亭圓太、三遊亭遊朝、三遊亭圓輔、三遊亭圓遊、三遊亭栄馬、三遊亭小遊三(副会長)、三遊亭圓雀、三遊亭小圓右、三遊亭左圓馬、三遊亭左遊、三遊亭金遊、三遊亭右紋、三遊亭扇馬、三遊亭笑遊、三遊亭右京、三遊亭右左喜、三遊亭遊吉、三遊亭とん馬、三遊亭圓丸、三遊亭遊之介、三遊亭春馬、三遊亭圓馬、三遊亭遊史郎、三遊亭遊雀、三遊亭遊馬
- 三笑亭可楽(理事)、三笑亭笑三(理事)、三笑亭茶楽(理事)、三笑亭夢丸(理事)、三笑亭夢太朗(常任理事)、三笑亭夢之助(理事)、三笑亭夢花
- 柳家金三、柳家蝠丸
- 橘ノ圓(理事)
- 都家歌六
- 春風亭栄橋、春風亭小柳枝(常任理事)、春風亭昇太(監事)、春風亭柳桜、春風亭柏枝、春風亭柳好、春風亭柳之助、春風亭昇乃進、春風亭柳太郎
- 雷門助六
- 昔昔亭桃太郎(理事待遇)
- 古今亭寿輔(監事)、古今亭今輔
- 柳亭痴楽(常任理事)、柳亭楽輔
- 春雨や雷蔵(理事)
- 瀧川鯉昇、瀧川鯉朝
- 山遊亭金太郎
- 笑福亭鶴光
- 神田山陽(講談)
- 日向ひまわり(講談)
[編集] 二つ目
- 三遊亭遊喜
- 桂花丸、桂夏丸
- 春風亭鯉枝、春風亭鹿の子、春風亭柳太、春風亭笑好、春風亭べん橋、春風亭笑松
- 瀧川鯉太、瀧川鯉之助、瀧川鯉橋
- 橘ノ昇美依、橘ノ圓満
- 三笑亭可龍、三笑亭月夢、三笑亭朝夢、三笑亭夢吉、三笑亭可女次
- 神田京子、神田きらり
- 昔々亭慎太郎、昔昔亭健太郎、昔昔亭笑海、昔昔亭桃之助
- 笑福亭里光
- 雷門花助
- 柳家小蝠
[編集] 前座
- 桂ち太郎
- 神田蘭
- 橘ノ美香
- 昔昔亭A太郎
- 笑福亭和光
- 瀧川鯉斗
- 春雨や雷太
[編集] 色物
玉川スミ(参与)、鏡味健二郎(参与)、翁家喜楽、東京太・ゆめ子、林家今丸、東京ボーイズ、コロムビア・ライト、ボンボンブラザーズ、北見マキ、北見伸、スティファニー、松旭斎八重子、Wモアモア、三田宗司、新山ひでや・やすこ、新山えつや、東京丸・京平、新山真理、江戸家まねき猫、神田陽子、神田紫、神田紅、松旭斎小天華、国分健二、春風亭美由紀、コントD51、松乃家扇鶴、セーラーズ、鏡味正二郎、神田松鯉、檜山うめ吉、宮田章司、宮田陽・昇、ぴろき、浅草ジンタ、ナイツ
[編集] おはやし
岩瀬照子(引退)、小松美枝子、古田尚美、滝沢仁美、斎須祥子、福岡民江、稲葉千秋、鈴木やす子、松本優子
[編集] 関連項目
- 落語協会
- 円楽一門会
- 落語立川流
- 上方落語協会
- 日本仮説興行協同組合
- 東京演芸協会
- 落語家一覧
- 落語天女おゆい - 協会創設75周年記念企画として制作に参加
- にゅうおいらんず
- アロハマンダラーズ
- 六人の会