ヨネスケ
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ヨネスケ(1948年4月15日 - )は、千葉県市原市出身の落語家、タレント。
千葉県立市原高等学校八幡分校(現千葉県立京葉高等学校)卒業。所属事務所は古舘プロジェクト。血液型O。落語芸術協会理事。高座名は桂 米助(かつら よねすけ)。出囃子は『私を野球場へ連れてって(Take Me Out to the Ball Game)』。本名は小野 五六(おの ごろう)。
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[編集] 人物
- 兄と姉二人の四人兄弟だが、父親がそれぞれ違う(兄とヨネスケは父が同じだが姉二人はそれぞれ父が違い、父親と呼ばれる男性が三人いる)複雑な家庭環境で育ったのは有名な話である。本人の弁によれば、兄とヨネスケの父には正妻が待つ別の家庭を持っており、自分の母は妾という立場であったという。事情は不明ながら父は生活費を家には入れず、兄弟が多く女手一つでの生活はとても苦しかったそうである。だが母は文句を一切言わず、父が家に居る時はとても嬉しそうであり、大げさな表現をすれば少女のようにはしゃぎ、子供ながら父をとても愛しているのが分かったそうである。父だという男性については、現在でも本名もどこに家庭があったのか分からないという。そんな父についての思い出は、いつも家に居ないが、偶に家に居る時は必ず居間で煙草をゆっくりと吸いながら新聞を読んでおり、とても寡黙な人物だったという。
- 『笑点』の座布団運びがテレビデビューだが、出演時の正式な座布団運びは1970年当時人気の女性アイドルの小野千春でサポート役としての出演だった。従って歴代唯一のサポート役の経歴を持っている。真打昇進披露で桂米助として口上を述べることがある。
- 『ルックルックこんにちは』のワンコーナーであった「突撃! 隣の晩ごはん」で有名。のちに、『ザ!情報ツウ』内の「帰ってきた! 突撃! 隣の晩ごはん」、2006年6月からは『NNN Newsリアルタイム』内の「突撃! リアル隣の晩ごはん」に引き継がれた。自称「日本一の不法侵入者」。
- 「突撃!隣の晩ごはん」では、様々な家庭の料理を食べているが、ヨネスケの口に合わないもの・本当に不味いときは「なかなかですねえ」といってごまかすとの事。なお、以前は左利きである為左手で箸を使っていたが、年配の視聴者から苦情が多数寄せられたため、仕事の時のみ右手で箸を使うようになったという。
- また、野球にも造詣が深く創作の野球落語を披露したり、イベント「ヨネスケの単なる野球好き」を開催している。読売ジャイアンツのファンであるが、渡邉恒雄会長の方針には批判的である。しかし、2004年のプロ野球再編問題では、渡邉会長の「たかが選手」発言を擁護し、「確かにたかが選手だし」等の発言を行った。
- 2007年4月30日、NHK総合テレビの生放送番組「だから大リーグに夢中~ニッポン旋風を巻き起こせ~」に出演。その足でNHK-FMの生放送番組「今日は一日アニソン三昧SS」にも途中乱入した。
- 2007年7月1日、ウチくる!?にゲスト出演した際に、メインゲストだった三遊亭小遊三とカラオケで御三家(橋幸夫舟木一夫、西郷輝彦)のメドレーを熱唱する事が判明し、番組内でも数曲熱唱。しかも前奏もしっかりと覚えており、口で再現していた。
- 2008年2月16日放送の「エンタの神様」で陣内智則が披露した新ネタ「玄関の監視カメラ」で、「隣の晩ごはん」でおなじみの杓文字を持ってVTR出演した。
[編集] 略歴
- 1967年 4代目桂米丸に入門し桂米助を名乗る。同年浅草演芸ホールでデビュー。
- 1970年 日本テレビ『笑点』に座布団運び役として出演。( - 1971年)
- 1971年4月 二つ目昇進。
- 1981年10月 真打昇進。
- 1982年1月 放送演芸大賞ホープ賞受賞。
- 1989年1月 - 古舘プロジェクトに所属。同時期より落語家としての活動以外ではヨネスケと名乗るようになる。
[編集] 主な出演番組
- 突撃!隣の晩ごはんシリーズ(日本テレビ)
- 元気一番 健康道場 (NHK-BS2)
- ラジオ日本ジャイアンツナイター(ゲスト解説、ラジオ日本)
- ラジかるッ木曜日「ヨネスケの出張××(チョメチョメ)」日本テレビ(2007年5月3日~)
[編集] 映画出演
[編集] 弟子
- 桂米多朗
[編集] 外部リンク
- タレント ヨネスケ(桂米助) - 古舘プロジェクト公式サイト内のプロフィール
- ヨネスケのBALL PARK - 同サイト内の連載野球コラム
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