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ダウンタウン (お笑いコンビ) - Wikipedia

ダウンタウン (お笑いコンビ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダウンタウンDOWNTOWN)は、松本人志浜田雅功から成る日本お笑いコンビ吉本興業所属。

目次

[編集] メンバー

  • 松本 人志(まつもと ひとし)
  • 浜田 雅功(はまだ まさとし) ※戸籍上の表記は、「浜」が旧漢字の「濵」である。

[編集] 概要

日本を代表するお笑い芸人の中の一組。またデビューから四半世紀近く経った現在も、10~30歳代を中心に熱心なファンを多く獲得している。 松本のシュールネタと独特の間合いは、「ダウンタウン登場以降、漫才のスタイルがダウンタウンのコピーになってしまった」といわれるほど、以後のお笑い芸人(特に師匠を持たない世代の芸人層)に大きな影響を与えた。
上岡龍太郎をして「昔はボケもツッコミも観客から見下されていた。それがコント55号ではツッコミ(萩本欽一)が客よりも高い位置に行った。ツービートはボケ(ビートたけし)が客よりも高くなった。ダウンタウンは2人とも客よりも高い位置で芸をやっている。これからの漫才(≒コンビ芸)はどうなるんやろ」と言わしめている。
お笑い芸人(特に大阪)を劇的に増やしたのはこの2人の芸風が簡単に見えて誰でも出来そうに見えてしまっている事が影響している。 デビュー当初から1990年代半ば(松本が坊主にする以前)までは、タレント、番組、スポーツ選手、等を名指しで痛烈に批判する事が多かったが、最近は遠まわしに時間をかけて悪いところなどを指摘している傾向にある。 昔は漫才等において、松本は無表情で無口、浜田は大きな声で激しいツッコミをしていたが、1990年代半ばからは、浜田は昔ほどあまり声を荒げてツッコむことは少なくなり、むしろ松本のほうが自身の体験談などで(汗をかくほど)怒鳴る様子が見られてきた。しかしその一方、昔は松本の頭を叩くことは滅多に無かった浜田だが、最近ではガキのトークでは一回の放送で必ず一度は、松本の頭を叩く、尻を蹴る、膝蹴りをする、などの様子が見られる。

彼らは自己の世界観を共有するスタッフと番組制作を行うことが多く、ブレーン的位置にいる高須光聖や、ミュージシャンとしても活動する倉本美津留らの放送作家陣とは付き合いが長い。

[編集] 略歴

潮小学校にて二人が出会う。初めて松本が浜田を目撃した時、浜田の格好は白いパンタロンにパーマ頭でサンドバッグみたいな鞄を持っており、松本が、「モンゴルからの留学生や思た」「イタリア人かと思た」とネタにするほど強烈なものだった。また「小学校5年生にして彼女がいたというなんというハレンチな男であろうか」(『遺書』より)という話もある。(この話は松本がいろんな場所で話している。その際は必ず「パンタロン」という単語がでてくる)逆に浜田の松本に対する印象は「正露丸(日焼けで真っ黒のため)」だったらしい。小学校での松本は、同級生の伊東くん、森岡くんとトリオ“コマ第三支部”を組み、その頃から漫才やコントを披露していた(周りの人曰く、「校内で一番面白かった」)。浜田も当時からコンビを組んでいた。

大成中学校2年時に、クラス・放送部で一緒になり友情を深める。お互いを「はまちょん」「まっつん」と呼び合う仲だった(ちゃん付けで呼びづらい雰囲気だったという)。ただお互いに“ツレ”と呼ぶ“相方”がいたためコンビを組むことは無かった。しかしある日、浜田と松本の相方・伊東がケンカし、浜田が勝利。「まっつん、行こうや!」という浜田の言葉に、松本は一瞬どうしようかと考えたが、浜田が歩き出した方角が浜田の自宅とはまったく反対だったことと、伊東の家がすぐ近くだったこともあり、知らず知らず浜田の方に付いていった。これが、ダウンタウン誕生のきっかけになる。この時の事情は、後に伊東が語ったワニブックス放送室の裏』に詳しい。

中学校を卒業すると、浜田は三重県にある全寮制の日生学園第一高等学校(後に日生学園第二高等学校へ編入)に入学することになる。そのため、以前のように、いつも一緒にいるような関係ではなくなったが、日生学園はトイレを素手で洗わせられるような厳しい学校であったため、浜田は山間にある寮から何度も脱走を繰り返しては、松本に電話をしてお金を借りて飯を食わせてもらっていた。同校の二年後輩に今田耕司がいたが、こちらは脱走に成功し、中途退学して定時制高校に入りなおした。ちなみに、浜田はこの学校にいたということが非常にコンプレックスであるらしく、番組で担任の先生が登場するなどしてネタにはされているものの、浜田自身の口から学校名が出たのを松本は一度も聞いたことがないという。一方の松本は、「尼崎工業高校(機械科)」に入学したが、徐々に素行が悪くなり、学校を抜け出して中学時代からの彼女とずっと遊んでいた。彼女がアルバイトに行く時は、自転車の荷台に彼女を乗せて送り迎えをしていた。

高校卒業後の1982年4月、競艇選手の試験に落ちた浜田が、地元の印刷工(アルバイト雑誌の印刷)に就職が内定していた松本を尼崎の公園に呼び出し、雑談の中で「なぁまっつんよ、あの話覚えてるか? “二人で吉本入れへんか?”言うてた、あの話。」と吉本の芸人養成所「NSC」に誘い大阪NSC一期生となる。同期にはトミーズハイヒール内場勝則、浜根隆、前田政二などがいる。コンビ名は、「松本・浜田」「まさし・ひとし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」と変わりつづけたが、1983年に喫茶店で開いた雑誌に記載された「ダウンタウン」と言う文字から(さんまのまんまより)決め、ようやく定着する。「ライト兄弟」の名は飛行機好きの横山やすしから「飛行機をバカにしとんのか」と否定された。なお、ダウンタウンの本名はホフェッセン・フェルギル・ヌギ・ダウンタウンであると称したこともある[1]。ちなみに、ダウンが松本、タウンが浜田であり、ごくまれにではあるが、現在でも「ダウン松本」、「タウン浜田」と名乗ることもある。これは、当時、関西の漫才師では「ダウンタウン」のような、コンビ名にユニット名を使うコンビは珍しく、しばしば「どっちがダウンでどっちがタウンやねん」というツッコミをされることがあったため、一応決めておくことにしたという。

デビュー6年目の1987年4月、毎日放送が関西ローカルで制作した『4時ですよーだ』という初の看板番組でブレイク。関西を中心に火がつきアイドル的人気を得るようになる。1988年10月、関東ローカルでウッチャンナンチャンらと共演した深夜のコント番組『夢で逢えたら』が始まると、『4時ですよーだ』終了半年前の1989年4月、『笑っていいとも!』のレギュラーとなり本格的に東京に進出することとなった。同年同月、『夢で逢えたら』が全国放送となり、同年10月には、現在も続く『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』という看板番組が始まり、全国的に認知されるようになると、1990年には、『どちら様も!!笑ってヨロシク』、『夜も一生けんめい。』、『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』といった数々の番組に出演するようになり、全国的な人気を得て、その名を不動のものとした。そして、1991年12月、数々の傑作コントで、各界の著名人にも多数のファンを生んだ、『ダウンタウンのごっつええ感じ』という冠番組がスタートする。またその後は、1993年に『ダウンタウンDX』、1994年に『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』がスタートし、どちらも今日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に次ぐ長寿番組となっている。また、本業のかたわら、CM、ドラマ、映画、文筆、音楽、といった幅広い分野でも評価され、現在に至るまでマルチな活躍を続けている。

[編集] 結成直後

NSC(吉本総合芸能学院)に講師として赴いていた島田紳助明石家さんまオール巨人の三人は、たまたま集った席で「NSCにめぼしいのおったか?」という話しになり、「二人(松本・浜田)すごい奴がおる」「一組だけ(ダウンタウン)やな」と、表現は異なれど三人の認識は同じであった。

1982年7月、NSCに入って三ヵ月後に二人は、第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクールに出場し福笑い大賞を受賞する。この時、審査委員長を務めた香川登志緒がダウンタウンを公に評価した最初の人物である。

同年8月、フジテレビ系列、笑ってる場合ですよ!お笑い!君こそスターだ!にひとし・まさしの名で出場し5週勝ち抜きグランドチャンピオンとなる。

同年同月、毎日放送 素人名人会で名人賞を受賞する。

同年12月12日、テレビ朝日系列、『ザ・テレビ演芸』の若手芸人勝ち抜きトーナメントにライト兄弟の名で出場するも、司会の横山やすしに全否定される(後述)。

1983年5月、コンビ名をダウンタウンとする。

1984年1月16日、NSCを卒業して1年目、'84 ABC漫才・落語新人コンクールに出場し漫才部門で最優秀新人賞を受賞する。

同年2月、昭和58年度 第14回 NHK上方漫才コンテストに出場し優秀賞を受賞する。

1985年1月19日、日本テレビ系列、お笑いスター誕生!!第4回オープントーナメントサバイバルシリーズに出場し、一回戦を97点、二回戦を99点と勝ち進み旋風を巻き起こすも、準決勝で93点と、笑パーティーの99点、ちゃらんぽらんの95点に及ばず、惜しくも決勝進出はならなかった。(第4回は笑パーティーが優勝した。)ちなみに、ウッチャンナンチャンは、このトーナメントの第7回目に優勝しており、その事を後の競演番組『夢で逢えたら』の中で、「君らグランプリとったけど、俺らどうせ3週(3回戦)で落ちたわい。」とネタにして笑っていた。

同年12月12日、第2回 花月大賞で新人賞を受賞する。


「二人が向かい合うように立って声を張らずにしゃべる」という彼ら独自の一見ダラダラした漫才スタイルを取っていたのは、当時の吉本でも大木こだま・ひびき辺りしかいなかった。彼らはまず漫才を本格的にスタートさせるに当たり、以前より最も好きな紳助・竜介の漫才テープを繰り返し聴いた。その後、自分たちの個性に合ったスタイルとテンポに換骨奪胎する形で移行していった。

当時、島田紳助は、新世代漫才のあるべく姿を「間を減らしたテンポの早い16ビートの漫才」と見ており、それゆえダウンタウンのテンポの遅い漫才を「面白いが、果たしてこれが商品として成功するのだろうか?」と疑問を持って見ていた。しかし、太平サブロー・シローとダウンタウンと梅田花月で10日間に渡り共演し、直にダウンタウンの漫才に触れた紳助は、その高度さに「ピカソの域に達している(簡単そうに見えて誰にも出来ないの意)。」と大きな衝撃を受け自己の限界を悟ったという。そして、その足で吉本の本社へと出向き、「明日で紳助・竜介を辞めますわぁ。」と、漫才から身を引く旨を伝えた。[2]

紳助・竜介を解散した紳助は、記者会見を開き、解散の理由についてダウンタウンの名前を挙げて述べたが、新聞では「紳竜解散! サブローシローらには勝てない」と書かれ、当時まだ無名だったダウンタウンはあえなく報道からカットされてしまった。しかし、この一件から、まだ誰にも取り上げられていなかった自分たちを評価した紳助に、二人は尊敬の念を抱くこととなった。

[編集] vs横山やすしにみるダウンタウンの漫才への姿勢

1982年12月12日、『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)内のコーナー、新人勝ち抜きオーディション「とび出せ笑いのニュースター・ホップステップジャンプ」にライト兄弟の名で出場した際、「家庭内暴力の報道が少なくていいな」という浜田に対する松本の「どこがええねん、親を甘やかしたらあかんで、親なんか子供が本気出せばすぐに殺せるということを教えとかな、あいつらに」、「家庭内暴力は家の中で要らん奴を考えてやらんといかん。まず一番要らんのはグランドマザーです。その次はオトン。」といったネタをやったところ、司会の横山やすしが、「お前らはなめとんのか!そんなもん漫才やない!チンピラの立ち話やないか!」、「八尾のチンピラが立ち話しでもしとんのか!」「お前ら、なめた芋の漫才しやがって!」、「テレビでやるような漫才ちゃうやんか!」、「そんな親をけなしたりな、自分らは新しいネタや思うてるかも知れんけどな、航空業界にも迷惑かけるわ、ライト兄弟いう名前はね。」と、漫才の内容とライト兄弟という芸名に対して番組内で一喝し、「おぅ、もうこんなの結果わかってるやろ、さぁ、押せ。」と、審査員をしていた大島渚糸井重里らに二人を落とすことを促した。当然ながら、大御所やすしの怒りに、若手に過ぎないダウンタウンはその場で固まるしかなかった。後に、この一件について松本は、「チンピラの立ち話で結構。チンピラが立ち話をしていて聞いてみたら面白かった、それの何が悪い」と、また「テンポ・間合いばかりを重視してしまうと面白いものが生まれなくなってしまう」とやすしの漫才への姿勢を自身の著書『遺書』において批判した。

『遺書』は当時の若手芸人にも影響を与えた。おぎやはぎ、アンタッチャブル等もその内の一人で、わざとダラダラ歩いたり、低いテンションで舞台に立ったりと、ダウンタウンのスタイルを真似たが全くうけなかったらしい。ある日、もとの芸風に戻してみたら楽に出来たという。 松本は、「遺書は芸人に影響を与えすぎた。気軽に読んでくれればいい。」と話している。

[編集] 漫才師

以前、松本は「漫才師」という肩書きを嫌い、「スーパーギャグメッセンジャー」などと自称していたこともある。その後は「お笑い芸人」「コメディアン」とする事が多い。ダウンタウンの漫才は、前述の島田紳助や西川のりおを始め一部の芸人からは高い評価を受けていたが、極めて斬新な内容であったため、いわゆる当時の大御所漫才師や演芸評論家の中には、酷評する人達が少なくなかった。実際、NHK上方漫才コンテストでは、大爆笑をとったにも関わらず、最優秀新人賞を逸したし(トミーズが受賞)、ABCお笑い新人グランプリでは最優秀新人賞をとることはとったのだが、一部の審査委員から「理解出来ない」、「(観客には)受けていたようだが、どこが面白いのか分からなかった」と酷評されている。松本は、後に漫才をやらなくなった理由に、これら一連の出来事がトラウマになっていることを何度か語っている(「漫才師」と言う肩書きを嫌ったのも同じ理由と思われる)。ただし、現在の松本は、「もう漫才をやらないんですか? と聞かれることが多いけど、やるとかやらない以前に僕には漫才師の血が流れてる」と「漫才師」という職業への愛情を語るようになり、将来的に本格的な漫才に復帰することを示唆するような発言もしている。また、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」のトークコーナーも漫才やと思う、とも語っている。一方、浜田は、自身をタレントやお笑い芸人とは言わずに、一貫して「漫才師」と称している(ちなみに「欽ちゃんの仮装大賞」に出演時の松本の肩書きは、「松本人志 (27) 2名 兵庫県 漫才師」であった)。

なお、ダウンタウンとしての本格的な漫才活動は、ビデオ『ダウンタウンの流』が最後となっている。また、残念なことに、ダウンタウンの漫才の大半は、2008年現在、ビデオ・DVD化されておらず、見ることが難しい状況になっている。

[編集] エンターテイメント

松本人志の著書『遺書』、『松本』(共に週刊朝日で連載したものをまとめたもの)は、出版界では異例の550万部の売り上げを記録。タレント本売り上げでは、黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』に次ぐ歴代2位の記録である(2006年)。他の著書に、『図鑑』、『松本人志 愛』、『松本坊主』、『シネマ坊主』、『シネマ坊主2』、『松本裁判』、『プレイ坊主』、『松本人志の二元論 好きか、嫌いか』、『定本・一人ごっつ』、『哲学(島田紳助との共著)』等、多数あり、どれも松本の突飛な発想が好評で注目を集め、そのどれもが売り上げ20万部以上のベストセラーとなっている。

浜田雅功がメインボーカルをつとめる、H Jungle with tの1st single『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』は、213.5万枚のセールスを記録した。これは、シングルCD・レコードのセールスとしては、日本音楽史上、歴代17位の記録である(オリコン調べ/2007年)。その後、奥田民生プロデュースでも楽曲を発表した。また、2004年11月「浜田雅功と槇原敬之」というスペシャル・ユニットで松本作詞のクリスマスソング『チキンライス』をリリースした。また、二人が絡んでの企画モノの音楽活動も数多くこなしており、ヒットを多発している(ゲイシャガールズエキセントリック少年ボウイオールスターズRe:Japanなど)。

[編集] 戦友・ウッチャンナンチャン

同世代の吉本芸人(ハイヒール、ジミー大西など)以外の芸人との絡みがほとんどないダウンタウンだが、東京進出後のダウンタウンが出演した『夢で逢えたら』で共演したウッチャンナンチャンとは仲が良い。1990年代前期まではダウンタウンとウッチャンナンチャンが一緒に仕事をすることもしばしばであった。また互いの番組に出演するということもあった。レギュラー出演していた『笑っていいとも!』では出演する曜日こそ違っていたものの、年末の特大号などで一緒になるときは楽屋が一緒だったとのことである。芸歴ではダウンタウンが3年先輩で、年齢もダウンタウンの方が一歳上であるにもかかわらず、「浜ちゃん」、「松っちゃん」と呼ばれていて、浜田・松本もウンナンの二人を呼び捨てにせず、「ウッチャン」「ナンチャン」と呼んでいる。

近年では殆ど共演が見られない両組だが、2003年に開催された第3回M1グランプリでは松本と南原お笑い第三世代代表として決勝戦の審査員を務め、しかも、隣同士の席順であったために、貴重なツーショットとして、当時からのファンを喜ばせた。2006年度第6回M1グランプリ決勝戦でも、南原と隣の席で審査員を務めた。また、ミュージシャンとして、内村ポケットビスケッツNO PLAN、南原はブラックビスケッツの一員として『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に度々出演している。またプライベートでは、南原の結婚式(1993年)に出席したり、また南原に子供が生まれた際や内村の結婚に際し祝福のメールを送ったとされる。

一方で2対2の共演は1998年放送の『いろもん・豪華特別版』(ゴールデンタイムのスペシャル版にダウンタウンがゲスト出演)を最後に10年近くない。

松本はウンナンの二人を「戦友。二人が売れすぎるのは芸人として嫌やけど、売れてないのは嫌」と評している。また、自身の著書で「ウンナンがおれへんかったら、ダウンタウンは(売れるのが)もう少し時間がかかったんちゃうかなあって思いますよ」と語っている。

また松本は「ウッチャンとはたまーに、一年に1回くらいどちらからとも無く連絡を取って一緒に食事をする」とテレビで語ったことがある。

[編集] コンビ愛

  • 小学校からの幼馴染とは言うものの、プライベートでは会うことはおろか、最近ではほとんどしゃべっていないという。しかし、『HEY!HEY!HEY!』番組中にも語っているが、そもそも漫才コンビは彼らに限らず仕事で毎日のように会うので、プライベートでわざわざ会う必要がほとんどないためである。なお、松本は「浜田の家には結婚してから行ったことがない」(著書より)「浜田の息子は赤ん坊の頃に見たぐらいで、それからは会ってない」(「ガキの使い」内での発言)と語っている。
  • お互いの携帯番号すら知らないという。2人が携帯電話で話したのは、『ごっつええ感じ』で浜田が怒り狂ってロッカーを蹴り右足を剥離骨折した際、スタッフから番号を聞き出した松本が浜田に電話した、そのただ一度きりである。松本は「わざわざ電話すんのとか恥ずかしいわ」と発言している。一度『ガキの使い』の企画内で松本が浜田の携帯番号をTシャツにプリントしていることがあった。(当然、モザイクがかけられていた。)
  • 楽屋などで二人きりになる事を極度に恐れ、打ち合わせ等では担当マネージャーがトイレに行ってしまわない様に延々としゃべり続けてしまうという。
  • その一方では、共演者からの要望や番組内の企画で、抱擁・ディープキス・キャッチボールや、笑顔で2ショット写真を撮るといったシーンも年に数回見られる。
  • 松本は「覚えたくはなかったが、浜田の誕生日だけは覚えてしまった」、「浜田を好きと言う奴には腹が立つ、でも浜田を嫌いって言う奴にも腹が立つ」、「客や周りが笑わなくても相方(浜田)が笑ってくれれば自分はおもしろい人だなと思える。」と言い、一方の浜田も「松本と別れることがあったら俺はお笑いはしない。最高の笑いを見続けて来たから、他の笑いなんてできない」という発言もしている。また、「東京で仕事がなくなったときはどうするのか?」という問には二人とも「その時は大阪に帰って漫才をやればいい」と語っている。
  • 最近では、昔ほど気軽に付き合えなくなった互いの関係を少し寂しく思っていることが、『ガキの使い』のトークなどで垣間見えることがある。かつて二人のグアム旅行の日程がかぶってしまったことがあるが、その期間中ずっと松本は意図的に浜田との遭遇を避けていた。それを聞いた浜田が「なんで話しかけてくれへんねんな」と聞くと松本は「なんかそれは照れくさいじゃないですか」と答えていた。
  • 浜田が体調不良などで仕事を休んだ際、松本は強い口調ながらも浜田のことを人一倍心配する。ある番組の収録で、浜田が体調を崩し来られなかった日も、松本は一人そわそわと落ち着きのない態度を取り、収録後みんなで集まっていた際も、一人部屋の隅で寂しそうにしていたこともあった(ウンナン・南原やココリコ・田中の証言より)。
  • 松本は独身であり、女性関係の話題には事欠かないが、スキャンダルになる事を松本本人以上に浜田が気にかけている節があり、松本がネタとして自身の女性関係の話題を出すと、「今そんな話せんでもええやろ」と、本気でフォロー、あるいは窘める事がある。逆に、松本は浜田が自分の女性関係などの話を「お前は独身やからええやん」とズケズケとネタにすることについて、「俺がすんのはええけどお前から振るなよ」という不満を若干持っている模様である。
  • 中学生の頃、二人で買い物に行った時にお金の足りなかった浜田に、松本は仕方なく三千円を貸してあげたという。しかし、浜田には借りた覚えがないらしく、「早よ、三千円返せや。」「借りてへんわ!」、「貸した。」「借りてへん。」、「○○、一緒に行ったやん?」「行ったなぁ。」、「三千円貸したやん?」「借りてへんて。」、「絶対に貸したて!」「いや、それなら返した。」と、あの時の三千円をめぐる攻防を今も続けている。

[編集] 作品

[編集] シングル

以上がダウンタウン関連のシングル。

2004年11月「浜田雅功と槇原敬之」という音楽ユニットのクリスマスソング『チキンライス』の作詞は松本が担当したりと、共同作業もある。

[編集] アルバム

  • GOBU-GOBU(1988年10月21日)
    • CBSソニーより発売されたミニアルバム。歌手デビュー作でもある。所ジョージが詞曲を提供している。
  • 万力の国(1991年3月21日)
    • シングル「生きろ・ベンジャミン」(松本バージョンと浜田バージョンの2種類発売)の発売後にリリースされた。松本、浜田のソロ歌唱曲も収録し、宇崎竜童所ジョージ奥田民生島田紳助などが詞曲を提供している。
  • 夢で逢えたら メモリアルアルバム(1992年9月18日)
    • 同番組のサントラ盤
  • GEISHA "Remix" GIRLS(1994年8月19日)
  • GEISHA GIRLS SHOW 炎のおっさんアワー(1995年5月19日)
  • GEISHA GIRLS "Remix" SHOW 続・炎のおっさんアワー(1995年6月21日)
    • 坂本龍一プロデュースにより、ニューヨークでCDデビューした際には、"THE GEISHA GIRLS"というユニット名がつけられた。
    • 日本においては、下町にも住宅地があり、山の手にも繁華街があることが多いため、ダウンタウンを単に「下町」と訳すと意味が違ってくるためこの名になった。
    • ただ、この命名の理由についてはあくまで便宜的なものであり、実際の命名のきっかけとなった出来事がある。これは、『ガキの使い』のトーク収録に坂本龍一が観覧に訪れており、後日のトーク収録にてこのことについて触れられた。そこから「坂本プロデュースでCDデビューしよう」と及び、「ユニット名は?」との浜田のフリに対し、松本が思わず発した「坂本龍一プロデュース、ゲイシャガールズ!」と発したことが直接のきっかけ。
    • この収録のあと、(当の本人たちは半ば冗談のつもりだったのだろうが)乗り気になった番組スタッフがニューヨークにある坂本の事務所にプロデュース依頼のオファーを出し、坂本が「ダウンタウンの2人が(レコーディングで)N.Y.に来られるのなら」という条件付きでこれを快諾、ダウンタウンと坂本龍一らによる『THE GEISHA GIRLS』が結成されることになった。アメリカの人気DJ、オービー・トライスも参加している。
  • ダウンタウンのごっつえぇ感じ 音楽全集(1997年12月15日)
    • 番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のサントラ盤
  • look up to the sky ~明日があるさ~(2002年3月27日) ※Re:Japan名義

[編集] ビデオ

  • ダウンタウン物語(1988年)
  • OH! MY ハレルヤ(1988年)
  • ダウンタウンホラー・大魔神怒る(1989年)
    • ウッチャンナンチャンがゲスト参加したコメディ。
  • ダウンタウンの流(1991年)
    • 漫才、ショートコントを収録。
  • ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1-10(1995年 - 1998年)
    • 同テレビ番組から傑作コントを厳選。
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! Vol.1~7(1995年 - 1998年)
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 10周年記念傑作トークベストセレクションVol.1~4(1999年)
  • 明日があるさ(2001年)

[編集] DVD

  • The Very Best Of ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1~5(2003年)
  • Vol.1「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 浜田チーム体育館で24時間鬼ごっこ! +名作&傑作トーク集」(2004年)
  • Vol.2「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本一人ぼっちの廃旅館1泊2日の旅! +名作&傑作トーク集」(2004年)
  • Vol.3「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本チーム絶対に笑ってはいけない温泉旅館の旅!+名作&傑作トーク集」(2004年)
  • Vol.4「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 抱腹絶倒列伝! 新作トーク集 +15年間の罰ゲームの系譜他」(2004年)
  • Vol.5「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 絶対笑ってはいけない温泉宿1泊2日の旅 in 湯河原+名作 & 傑作トーク集」(2005年)
  • Vol.6「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 山崎vsモリマン 男と女の真剣勝負! 笑の神が降りた奇跡の名場面集」(2005年)
  • Vol.7「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 笑魂投入伝! 傑作トーク集!!」(2005年)
  • Vol.8「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 放送800回突破記念永久保存版 松本・山崎・ココリコ絶対に笑ってはいけない高校」(2006年)
  • Vol.9「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 放送800回突破記念永久保存版 笑神降臨伝!傑作トーク集!!」(2006年)
  • Vol.10「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! ダウンタウン結成25年記念永久保存版 浜田・山崎・遠藤絶対に笑ってはいけない警察24時」(2007年)
  • Vol.11「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! ダウンタウン結成25年記念永久保存版 唯我独笑伝!傑作トーク集!!」(2008年)

[編集] 出演

ダウンタウンとしての出演番組を記載。ピンでの出演作品は浜田雅功松本人志出演の項目を参照。

[編集] 現在放送中のレギュラー番組

[編集] テレビドラマ

[編集] 過去にレギュラー出演した番組

[編集] 司会・メイン出演した単発・スペシャル番組

[編集] 過去にゲスト出演した番組

[編集] ラジオ

  • おっと!モモンガラジオ大阪
  • 真夜中のなか(毎日放送)
  • 2丁目ダウンタウン(ラジオ大阪)
  • MBSヤングタウン木曜日(毎日放送)
    • 本来「MBS! ヤーングタウン!」とタイトルコールするところを、彼らのみ「MBS!(この部分はYOUなど女性パーソナリティが担当)」に続けて淡々と「ダウンタウン」とつぶやいて話題となった。
  • ラジオ2丁目劇場(ラジオ大阪)
  • ロッテヤンスタNo.1(ニッポン放送

[編集] CM

[編集] 受賞歴

[編集] 書籍

[編集] 関連書籍

  • タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
  • タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 1~6(1995年 - 2003年、ワニブックス)
  • 発明将軍ダウンタウン(1996年、日本テレビ放送網)ISBN 4820396064
  • ダウンタウンの理由(1997年、集英社ISBN 4087802388
  • ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑(1998年、扶桑社)ISBN 4594024688
  • ダウンタウンDXのお願い! 名前を呼んで!(1998年、ワニブックス)ISBN 4847012992
  • ダウンタウンDXのスーパー国民投票結果発表(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013085

[編集] 写真集

[編集] ダウンタウンファミリー

ダウンタウンと公私共に仲が良い芸能人はダウンタウンファミリーと略称されている。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ ワニブックス刊『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』P.114
  2. ^ ダウンタウンDXゲスト:島田紳助から

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