ジャリズム
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ジャリズムは、渡辺鐘(世界のナベアツ)と山下しげのり(ヤッシー)からなる、日本のお笑いコンビ。吉本興業所属。客に解りやすく面白い笑いをテーマにコントや漫才を行い、ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞を受賞するなどデビュー直後から高い評価を受け、人気を得た。
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[編集] 略歴
渡辺、山下ともに吉本総合芸能学院大阪校10期生。1991年11月にコンビ「山下・渡辺」を結成し、心斎橋筋2丁目劇場主催のコンテストで優勝。1992年5月には子供のような芸風をイメージして「ジャリズム」に改名し、千原兄弟とともに2丁目劇場の顔となる。また1994年1月に受賞した第15回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞など、多くの賞を獲得し、関西を中心に人気を得た。
1996年10月には千原兄弟、雨上がり決死隊とともに冠番組『アメジャリチハラ』が開始。翌1997年には東京進出を目論み上京する。 しかし『アメジャリチハラ』が半年で打ち切られ、またこの頃からタモリのボキャブラ天国シリーズなどの番組で活躍した後輩若手芸人が台頭し始めたこともあり、徐々に両者の考えにずれが生じる。自身の将来に不安を抱いた山下は、1998年12月にコンビを一方的に解散してしまう。この解散はあまりに唐突で、関西のスポーツ新聞には大きく報道された。
解散後、渡辺は放送作家に転身し、『めちゃ×2イケてるッ!』など多くの人気番組に参加した。一方山下は芸人として活動を続け、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などに出演。また友野英俊とコンビを組みM-1グランプリに出場するなどしたが、特に目立つ活躍はできなかった。
2003年秋、渡辺が千原兄弟のコントライブ『プロペラを止めた、僕の声を聞くために。』に出演した際、楽屋を訪れた松本人志は渡辺に、山下が引退を考えていることをほのめかす。松本にその気はなかったものの渡辺はそれを「山下を引き留めろ」というメッセージと思いこみ、山下にコンビ再結成を打診する。そして翌年の2004年2月にルミネtheよしもとにて『元ジャリズムまつり』を開催し、6年ぶりに復活した。
[編集] メンバー
- 渡辺鐘(わたなべ あつむ、1969年8月27日 - ) - 滋賀県高島郡安曇川町(現:高島市)出身。ボケ担当。滋賀県立安曇川高等学校卒業。「松本人志以来の逸材」と評され、ジャリズムのコントや漫才のほか、放送作家としても高い評価を得た。また、ピン芸人として『世界のナベアツ』の芸名で活動している。
- 山下しげのり(やました しげのり、1968年10月29日 - ) - 香川県高松市出身。ツッコミ担当。摂南大学外国語学部卒業。ハイテンションながら的確なツッコミで渡辺のボケを引き立てた。彼の鼻はニンニクの如く肉付きがいいわりに鼻の穴が小さいが、これは物心つくまで鼻で呼吸をしていなかったためだという。
[編集] 出演番組
[編集] 再結成以前
- すんげー!Best10(1995 - 1997年 朝日放送)
- PUSH!(1997 - 1998年 朝日放送)
- 笑いの剣(1994 - 1995年 朝日放送)
- 光速脳天!ベタキング(1996 - 1997年 関西テレビ放送)
- 正しい恋のつくり方(関西テレビ放送、後にTADAKOI-Xに改称)
- 渋谷でチュッ!(1997 - 1998年 テレビ東京。後にテレビ大阪やAT-Xにもネット)
- Mars TV(フジテレビの深夜番組)
- エンタメゆうえんち 東京移住計画(フジテレビの深夜番組)
- 千原・ジャリのバカTV(フジテレビの深夜番組)のちに、千原・ジャリのバカビデオとして上・下巻ビデオになっている
- リングの魂(テレビ朝日系 人気コーナーだった『芸能界柔道王決定戦』に出演)
[編集] 再結成以後
- 笑いの金メダル・爆笑統一王座決定戦(テレビ朝日)
- 登龍門F(フジテレビ)
- やりにげコージー(テレビ東京)
- 虎の門(テレビ朝日) いとうせいこうナイトでの「しりとり竜王戦」
- アドレな!ガレッジ(テレビ朝日)
- エンタの神様(日本テレビ) キャッチコピーは「ニヒルな腕白主義」
- お笑いDynamite!(TBS、2007年12月28日) キャッチコピーは「世界を股にかける男たち」
- 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!(テレビ朝日、2008年3月6日)
- オールスター感謝祭08 超豪華!クイズ決定版(TBS)
- アッコにおまかせ!(TBS)
- ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円SP (TBS)
[編集] 出典
- 竹本幹男、中川健太「伝説のコンビ“ジャリズム”復活!!」『Quick Japan』Vol.53、太田出版、2004年。ISBN 4-87233-841-3