糸井重里
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糸井 重里(いとい しげさと、1948年11月10日 - )は、日本のコピーライター、エッセイスト、タレント。株式会社東京糸井重里事務所代表取締役社長。
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[編集] 人物・経歴
群馬県前橋市出身。父親は司法書士であった。糸井の生誕後に両親はすぐに離婚し、父親の元で、祖母に育てられる。小学校3年の時に、父親が再婚。なお、実母に初めて会ったのは、1981年だという。
幼少時から漫画好きで、漫画家に憧れていた。中学時代は北杜夫に熱中した。
群馬県立前橋高等学校に入学。高校に入ると、文学青年の友達ができ、アングラ文学などに目覚める。また、バンカラをきどって、一本歯のゲタで学校に通った。高校1年の時にバンドを組みたくなり、お金を稼ぐため、オルガンやピアノのセールスマンの下請けをやり、10台売ったという。また、文化祭の企画で「ハプニング」的なことをやりたくなり、江戸川乱歩の「赤い部屋」を再現したり、ベトナムの僧侶の焼身自殺を真似たりした。
法政大学文学部日本文学科に入学するが、すぐに学生運動に身を投じる。だが、内部抗争の陰険さが嫌になり、1年半で退学。1年ほど、ガテン系のバイトをする。寺山修司、唐十郎、横尾忠則らが当時のヒーローだった。
知人に薦められて「宣伝会議」のコピーライター養成講座に通っているうち、1968年デザイン事務所に就職。1969年、栗田工業主宰のTVCFアイディア賞で銀賞を、1971年には金賞を取る。1973年に勤務先の会社が倒産してフリーとなる。
1975年東京コピーライターズクラブ新人賞受賞。コピーはジーパン会社ウェルジンの「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん、あなたは不幸な人だ!」だった。
同1975年、イラストレーター湯村輝彦に出会い、彼の主宰のORIGINAL FLAMINGO STUDIOの創設に参加。
1976年、湯村とともに製作した、やはりウェルジンの広告で、東京アートディレクターズクラブ賞(ADC賞)を受賞。また、湯村と共作の絵本『さよならペンギン』(すばる書房)を刊行する。
また、同1976年から、漫画雑誌『ガロ』の編集者の南伸坊からの依頼で、糸井が原作、湯村が画の、ヘタウマ漫画の金字塔である「情熱のペンギンごはん」シリーズを発表し始める。かわいいペンギンが登場するが、ストーリーは陰惨な内容というパンクな作品であった。1975年に漫画家デビューしていた渡辺和博とともに、1980年代におきるヘタウマブームの先駆となる。
また、『ガロ』の編集部にいた、南伸坊、渡辺和博らを介して、「赤瀬川原平人脈」との親交が始まる。
1978年には、矢沢永吉の自伝本『成りあがり』のゴーストライターをつとめ、同書をベストセラーとさせる。
1979年、沢田研二の「TOKIO」を作詞を担当。また、スナック等で、ちり紙やマッチなどで行う、気の効いた「芸」をまとめた著作『スナック芸大全』を刊行。自身の名義での処女出版となる。
また、この年、「東京糸井重里事務所」を設立する。すると、糸井事務所のスタッフの友人だという理由だけで、当時美大生のみうらじゅんが盛んに出入りするようになり、みうらを『ガロ』編集部に紹介。みうらの漫画家デビューの切っ掛けをつくった。
1980年9月から、サブカルチャー雑誌『ビックリハウス』において、読書投稿ページ「ヘンタイよい子新聞」を担当。その「意味のない面白さ」で読者を熱狂させ、若者たちの教祖的存在となる。また、『ビックリハウス』に関係していた、当時、新進気鋭のミュージシャン、アーティストとの交際も始まる。
なお、「ヘンタイよい子」という名称からわかるように、のちに吉田戦車が漫画作品で展開することになる、「言葉自身が持つ語感のおかしさ」に、糸井は非常に敏感であった。例として、「痔の、ひらかな表記はなぜ”ヂ”なのか?」という記事。その微妙な言葉の使いかたが、糸井の文章や企画の面白さを生んでいた。
1982年5月には、新聞終刊記念イベントとして、「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」を、糸井と鈴木慶一らで企画。「ヘンタイよいこバンド」(忌野清志郎、チャボ、矢野顕子、坂本龍一、鈴木さえ子、どんべで構成)をはじめ、井上陽水、高橋幸宏、篠原勝之、立花ハジメ、南伸坊、合田佐和子、栗本慎一郎、仲畑貴志、ムーンライダーズ、ブッチャー・ブラザース、コント赤信号、浅葉克己、東京乾電池、三遊亭円丈等が出演。司会は和田又八だった。
また、1982年4月から1985年3月まで、NHKの若者向け番組「YOU」の司会も担当。
その後、西武百貨店の「不思議、大好き。」(1982)「おいしい生活」(1983)などのキャッチコピーで、コピーライターとしても脚光を浴び、コピーライターという職業を世間に認知させた。雑誌「広告批評」が創刊されていたこともあり、仲畑貴志や川崎徹らとともにメディアからも注目を集め、「コピーライター・ブーム」が到来する。糸井はのちに、スタジオジブリの諸作品のキャッチコピーも担当している。
1983年からは『週刊文春』において、自ら「家元」と名乗り、「糸井重里の萬流コピー塾」を連載開始。毎回、「お題」を決めてそれにあわせたコピーを読者が書いて投稿し、糸井が講評を加えるというもの。雑誌に投稿が掲載されてポイントをためれば「名取」になり、自分の名前の一部に「井」「重」「里」の文字をいれた「萬名」を名乗ることが許された。さらにポイントがたまると「師範」をゆるされた。この、「現代によみがえった、江戸時代の俳諧遊び」のような楽しさに、投稿者たちは熱狂し、川上宗薫、山藤章二、すがやみつるなども一投稿者として参加した。また、刊行元であるネスコ編集者の名女川勝彦(現・文藝春秋社取締役)が「番頭」役として、参加していた。1988年に連載は終了。
萬流コピー塾の師範出身者には、「萬名・小林井秀雄」(本名小林秀雄。のち、プロのコピーライターとなり、代表作は「私、脱いでもすごいんです」)、「萬名・重亀海昌次」(本名亀海昌次。糸井より年上のアートディレクター)、「萬名・戸井田招吾」(本名戸田昭吾。作詞家となり、ポケモンの主題歌を作詞)、「萬名・吉田浩之里」(お笑いプロデューサーになり、ペンネームヒロ吉田)、「萬名・原囲一也」(本名原口一也、さくまあきらの弟子のゲーム・ライターとなった)等がいる。
1984年には、有楽町マリオンの完成記念イベントとして「夕刊イトイ」を企画。糸井が編集局長で、各号の編集長を、久住昌之、みうらじゅん、島地勝彦、渡辺和博、天野祐吉、南伸坊、秋山道男、蛭子能収、川上宗薫、石原真理子、泉麻人、鈴木慶一、巻上公一、小林井秀雄に依頼し、自由な誌面を作ってもらった。
1989年には、ゲーム製作のための会社「APE(エイプ)」を設立。
他に、作詞、ゲーム(『MOTHERシリーズ』)の制作、テレビ番組のコメンテーター、声優(『となりのトトロ』)、絵本の翻訳、脚本・エッセイの執筆、徳川埋蔵金の発掘作業と称するテレビショーの司会に至るまで、幅広く活躍するマルチクリエイターである。著作は多数あるが、好奇心が強い性格で、近年は専門家との対談本が多い。
日本モノポリー協会会長。民放の全国放送のゴールデンタイム枠ドラマで、単発ではあったが、主演で出演したことがある。フィールズ株式会社社外取締役。
自身が代表を務める「東京糸井重里事務所」が運営するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」は、一日の総ページビューが約80万の有名サイトで、1998年に開設された。
著名人やクリエイターなどの連載、オリジナルグッズの販売などが主なコンテンツで、執筆陣は清水ミチコ、鳥越俊太郎、渡辺真理、春風亭昇太、天海祐希など多彩で、タモリ、萩本欽一、矢沢永吉、松本人志、イチロー、谷川俊太郎、明石家さんまなど多数の有名人との対談も掲載されている。サイト内での糸井の愛称は「ダーリン」。
本人は「今日のダーリン」やコラム・対談などで、自分の考えは、吉本隆明に影響を受けていると言っている。これは糸井が全共闘世代であるためで、吉本は当時、新左翼の間でのカリスマ的存在であった。
親交が深い中沢新一にも自分の考え方を語り意見をもらっている。この考え方に関してほぼ日刊イトイ新聞でもコーナーを設けている。
2001年には、雑誌「インパク」の編集長を務めて、話題となった。
趣味はバス釣りで、日本テレビのバラエティ番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」で年に1度開催される「芸能人釣り選手権」に糸井は毎年参加。開会式で田中直樹(ココリコ)から「C級コピーライター」と罵倒されるのが恒例となっている。
ただし、バス釣りについては、1995年の「笑っていいとも」で木村拓哉が「趣味でやっている」と発言したことでブームになったが、糸井もそれで興味を持ってはじめ、一時は木村と一緒にバス釣りに行っていることを吹聴し、「バス釣り」ブームを仕掛けたことで批判をあびた。1996年12月に刊行された糸井の著書『誤釣生活』は、雑誌『SINRA』に連載されたが、連載時の第1回の題名は「キムラくんに誘われて釣りに行くまで」となっていたが、単行本化時は木村サイドに拒否されて、その題名をつかえなかったという[1]。
また、プロ野球・巨人のファンとしても有名で、「ニュースステーション」ではファン代表としてキャッチコピーをつけたりしたが、1991年にはシーズン開幕前の同番組で「今年優勝を逃したら六本木を褌一丁でランニングする」と宣言、そのシーズン巨人は優勝を逃したためにランニングする羽目になった。これは11月の深夜に行われ、「こんな愚かな真似はもう二度と繰り返さないでほしい」とコメントした。同番組ではそれ以前にも1989年に久米宏が同様の賭け(巨人が優勝したら坊主になる)を行い丸坊主になっているが、これ以降そうした賭けは行われていない。
妻は女優の樋口可南子。離婚歴があり前妻との間に娘がいる。愛犬はジャック・ラッセル・テリアのブイヨン。
本名である重里(しげさと)はスタンダールの小説「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルにちなんで名付けられた(ジュリアン→ ジュリ→ 重里)。
『ほぼ日』のなかの、『それでもボクはやってない』に関しての周防正行監督との対談で、父は司法書士であったと明かしている(なお、そのことは1981年に雑誌『宝島』でのロングインタビューで、既に明かしている。単行本『ザ・ヒーローズ』(JICC出版局 1982年刊行)に収録。)
[編集] 評価
80年代(特に前半)におけるサブカルチャー界における存在感は、絶大なものがあった。また、糸井が多くのコピーを手がけた西武百貨店は、社長の堤清二が「カルチャー路線」をとっており、糸井は「1980年代の西武・セゾン文化」の象徴的存在だったといえる。(糸井をカリスマ的存在にした、雑誌「ビックリハウス」も、西武グループの、パルコ出版から刊行されていた。)
90年代以降は、バブル崩壊もあり、西武グループのカルチャー路線も崩壊。糸井も相対的に低迷期となる。
(テレビタレントとしての糸井についてだが)1995年にナンシー関をして、「誰かが『もうおもしろくねぇんだよ』とでも突っ込んでくれたら、どんなに気が楽になるだろう。糸井重里がテレビで尊重されている大きな理由のひとつに『80年代を捨てきれない大人になったヘンタイよいこ』というのがある気がする。『イトイ的なカンジ』にひかれた子供が、現在30代半ばになり、『あの、イトイさんと』の思いを遂げている結果が、『糸井重里よくテレビに出てる』ではないのか。」と、批判させた。
だが、1998年の「ほぼ日刊イトイ新聞」創刊後の、自身は後景にさがっての「面白い人の意見」を聞く姿勢により、糸井は新しいポジションを掴んだといえる。なお、活動当初からの「言葉自身が持つ語感のおかしさへの、敏感 さ」はいまだに持っており、「ほぼ日」の「おとな語」シリーズは糸井のその感性が生きた、好シリーズである。
なおナンシーによる批判は、糸井にとって耳が痛かったようで、1998年に「ほぼ日」において、「たしかにぼくは『視聴者のちょっと知ってる人』という役割でしかテレビに貢献してない。こういうことを目ざとく発見するのが、ナンシー関という人の恐ろしいところである。自分で、『オレ、面白くなかったんだ!』とかなり痛いところに気づいてしまったのも、彼女のせいというかお陰なのである。」と発言している[2]。
なお、筑紫哲也による対談集『若者たちの神々(Part1)』(1984年)において、糸井は既に、「自分は『場所を作る存在』で、その場所でみんなで遊んでもらえばいい」と発言している。「ヘンタイよいこ」「萬流」「ほぼ日」と続く、「場所を作る」という考え方では、糸井は一貫しているといえる。
[編集] 出演番組
[編集] テレビ
- 月刊やさい通信(NHK総合)
- YOU(NHK教育テレビ)
- ザ・テレビ演芸(「飛び出せ笑いのニュースター」審査員、テレビ朝日)
- 今夜なに色?(読売テレビ)
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ)
- タモリのジャポニカロゴス(フジテレビ系)
- タモリのボキャブラ天国(フジテレビ系)
- トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜(フジテレビ系)
- 電波少年的CS放送局(日本テレビ系CS)
- フジサンケイグループ広告大賞 (フジテレビ系)
- イトイ式(TBS系)
[編集] ラジオ
[編集] 映画
[編集] CM
[編集] 雑誌連載
[編集] 代表的なキャッチコピー
- 「くう ねる あそぶ」 - 日産自動車「セフィーロ」
- 「ロマンチックが、したいなあ」 - サントリー・レッド
- 「あったかいなぁあったかいなぁって、兄貴は頭まであったかくなっちまった」- オンワード
- 「いまのキミはピカピカに光って」 - ミノルタ MINOLTA X-7(宮崎美子出演)
- 「エンディングまで泣くんじゃない」 - ゲームソフト『MOTHER』
- 糸井のコピーだと思われがちだが、サテラビュー番組内で違うと発言。
- 「おとなもこどもも、おねーさんも」 - ゲームソフト『MOTHER2』
- 「奇妙で、おもしろい。そして、せつない。」 - ゲームソフト『MOTHER3』
- 「TRAiNG」 - 東日本旅客鉄道
- 「君にクラクラ」 - カネボウ
- 「よろしく。」 - 矢沢永吉・ポスター
- 「やたッ。」 - RCサクセション・ポスター
- 「僕の君は世界一」- パルコ・ポスター
- 「あそんで、ねむれ」- パルコ・ポスター
- 「センチメンタル50%ジャーニー。」 - サンヨーレインコート
- 「オランジェ・デ・キドル」- 資生堂・レシェンテ
- 「本当の主役は、あなたです。」 - 日本テレビ『24時間テレビ』番組内コピー
- 「イノセンス、それはいのち」 - イノセンス
[編集] スタジオジブリ作品キャッチコピー
- 「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」「忘れものを、届けに来ました。」 - 映画『となりのトトロ』
- 「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」 - 映画『魔女の宅急便』
- 「カッコイイとは、こういうことさ。」 - 映画『紅の豚』
- 「好きなひとが、できました。」 - 映画『耳をすませば』
- 「生きろ。」 - 映画『もののけ姫』
- 「家内安全は、世界の願い。」 - 映画『ホーホケキョ となりの山田くん』
- 「タヌキだってがんばってるんだよォ」 - 映画『平成狸合戦ぽんぽこ』
- 「私はワタシと旅にでる。」 - 映画『おもひでぽろぽろ』
- 「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」 - 映画『千と千尋の神隠し』
- 「4歳と14歳で生きようと思った。」 - 映画『火垂るの墓』
- 「ふたりが暮らした。」 - 映画『ハウルの動く城』
- 「見えぬものこそ。」 - 映画 『ゲド戦記』
[編集] 西武百貨店
- 1980年「じぶん、新発見。」
- 1981年「不思議、大好き。」
- 1982年~1983年「おいしい生活。」
- 1984年「うれしいね、サッちゃん。」
- 1985年「情熱発電所」
- 1986年「元禄ルネッサンス」
- 1987年「じゃない。」
- 1988年「ほしいものが、ほしいわ。」
- 1989年「より道主義だ。」
- 1990年「いいにおいがします。」
[編集] その他
- 1989年に藤田元司が読売ジャイアンツ(巨人)監督に復帰した際、巨人の野球を「噛めば噛むほど味が出る『スルメ野球』」と評した。
- ユニクロ野菜「SKIP」のプロデュース。
- 2005年創部の萩本欽一がオーナーと監督を兼任する社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の命名。
- マーケティング、世代研究者の三浦展は、かつてマーケティング会社に勤務していたころ、糸井に会った際の印象が、よほど悪かったようで、著書『団塊世代を総括する』で、以下のように糸井のことを記している。
- コピーライターXは、マスコミに登場する時はいつも飄々として、毎日趣味で生きていますという風情であるが、裏ではがっちり金儲けをしている。
- コピーライターXをセミナーの講師に招いたところ、軽井沢の会場に、彼はポルシェに乗って、当時まで不倫相手だった美人女優とやってきた。彼のコピーが描く世界のイメージとポルシェとがどうしても結びつかず、私は困惑した。が、きっと彼は本来、ポルシェと美人女優が欲しい人間であって、マスコミに登場する時の、肩の力の抜けたとぼけたイメージのほうが虚像なのだろう。
[編集] 備考
以下のコピーは「糸井作」のものだと紹介されることがあるが、2007年7月10日、公式サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の日替わりコラム「今日のダーリン」内で、本人自らが否定した。
[編集] 作詞
- 『パパの歌』(歌&作曲:忌野清志郎)
- 『TOKIO』(歌:沢田研二、作曲:加瀬邦彦)
- 『恋のバッド・チューニング』(歌:沢田研二、作曲:加瀬邦彦)
- 『嘘はつけない』(歌:沢田研二、作曲:加瀬邦彦)
- 『クライマックス』(歌:沢田研二、作曲:沢田研二、編曲:松任谷正隆)
- 『春咲小紅』(歌:矢野顕子、作曲:矢野顕子)
- 『TVの国からキラキラ』(歌:松本伊代、作曲:筒美京平)
- 『雪列車』(歌:前川清、作曲:坂本龍一)
- 『いまのきみはピカピカに光って』(歌:斉藤哲夫、作曲:鈴木慶一)
- 『花咲く乙女よ穴を堀れ』(歌:ムーンライダーズ、作曲:鈴木慶一)
- 『ニットキャップマン』(歌:ムーンライダーズ、作曲:岡田徹)
- 『地平線を見て育ちました』(歌:安全地帯、作曲:玉置浩二)
- 『自転車でおいで』(歌:矢野顕子、作曲:矢野顕子)
- 『ふりむけばカエル』(歌:矢野顕子、作曲:矢野顕子)
- 『夢のヒヨコ』(歌:矢野顕子、作曲:矢野顕子)
- 『あなたは「おもしろマガジン」』 (歌:榊原郁恵、作曲:水谷公生)
- 『ワンナイト・ショー』 (歌&作曲:矢沢永吉)
- 『天使たちの場所』 (歌&作曲:矢沢永吉)
- 『ピンナップ ベイビー ブルース』 (歌:シーナ&ロケッツ、作曲:鮎川誠)
[編集] ゲーム
- 『MOTHER』シリーズ(任天堂)
- 『糸井重里のバス釣りNo.1』シリーズ(任天堂)
- 『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズ(任天堂)
[編集] 音楽
- 『ペンギニズム』(1980年レコード発売。1995年CDで再発。2006年再々発)。
[編集] 著書
- さよならペンギン(糸井原作、湯村輝彦画の絵本) すばる書房, 1976.7
- スナック芸大全 ごま書房, 1979.10
- 情熱のペンギンごはん(糸井原作、湯村輝彦画のヘタウマ漫画の金字塔) 情報センター出版局, 1980.6
- 明日は 騒乱罪 学校にない教科書(戸井十月編、糸井重里、岡留安則、笠井潔、亀和田武、田家秀樹、田村光昭、生江有二、橋本治、森永博志、三橋俊明) 第三書館 1980.9
- ペンギニストは眠らない 文化出版局, 1980.12
- 悔いあらためて(橋本治との共著) 北宋社, 1980.6
- コピーライターの世界 世の中、ぜんぶ広告なのだ。(編著) 誠文堂新光社, 1981.4
- 夢で会いましょう(村上春樹との共著) 冬樹社, 1981.11
- 私は嘘が嫌いだ 話の特集, 1982.1
- ヘンタイよい子新聞 月刊ビックリハウスより(責任編集) パルコ出版, 1982.7
- 話せばわかるか 糸井重里対談集 飛鳥新社, 1983.7
- 俺たちはノイズだ(栗本慎一郎との共著) 冬樹社, 1983.9
- 牛がいて、人がいて 徳間書店, 1983.2
- 糸井重里全仕事 大増補大改訂版 マドラ出版, 1983.10 (広告批評の別冊3)
- こども用 One dozen adult stories(糸井文、湯村輝彦画) 松文館 1984.1
- 糸井重里の萬流コピー塾 文芸春秋, 1984.3
- 糸井重里の萬流コピー塾U.S.A. 文芸春秋, 1984.9
- 夕刊イトイ(糸井重里、久住昌之、みうらじゅん、島地勝彦、渡辺和博、天野祐吉、南伸坊、秋山道男、蛭子能収、川上宗薫、石原真理子、泉麻人、鈴木慶一、巻上公一、小林井秀雄) リブロポート 1984.12
- 糸井重里の萬流コピー塾0880 文芸春秋, 1985.4
- こう生きるのが正しい! 糸井重里のオトナ相談室 小学館, 1985.4
- CHIKUWA 糸井重里画報(チクワ編集委員会と糸井重里 図画構成:赤瀬川原平) 学習研究社 1985.4
- 糸井重里の萬流コピー塾 ワニ版 文芸春秋, 1986.3
- 家族解散 新潮社, 1986.10(小説)
- 糸井重里の萬流コピー塾(基本編) 文芸春秋, 1987.2
- 糸井重里の天然の萬流コピー塾 文芸春秋, 1988.3
- 真夜中の本音トーク 今夜なに色?(よみうりテレビ編 永六輔、浜村淳、山本コウタロー、稲川淳二、藤本義一、上岡龍太郎、糸井重里、立川談志、横山やすし、野坂昭如) プラザ 1988.6
- おめでとうのいちねんせい(糸井が詩、日比野克彦絵) 小学館, 1989.12
- 85点の言葉(知的で口べたなあなたに)糸井重里【萬流コピー塾】ネスコ, 1989.4
- トイレをたすけたさるこ(トイレの絵本シリーズ 高畠純画) TOTO出版 1990.9
- 糸井重里のイトイ式コトバ論序説 マドラ出版, 1992.9
- マリオペイント 任天堂公式ガイドブック(企画・編集) 小学館, 1992.8
- 完本 情熱のペンギンごはん(湯村輝彦絵) 筑摩書房, 1993.7
- ビリーブ・ユー 信じる信じない信じたい。(柴門ふみ絵) 小学館, 1993.2
- あるとしか言えない 赤城山徳川埋蔵金発掘と激闘の記録 糸井重里&赤城山埋蔵金発掘プロジェクト・チーム 集英社, 1993.2
- 誤釣生活 バス釣りは、おもつらい ネスコ, 1996.12
- 豆炭とパソコン 80代からのインターネット入門 糸井重里 世界文化社, 2000.11
- 詩なんか知らないけど 糸井重里詩集(中川いさみ画、水内喜久雄編) 大日本図書, 2000.2
- お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ(邱永漢との共著) PHP研究所, 2001.3
- ほぼ日刊イトイ新聞の本 講談社, 2001.4
- 悪人正機 Only is not lonely(吉本隆明著、糸井聞き手) 朝日出版社, 2001.6
- インターネット的 PHP研究所, 2001.7
- ピーコ伝 ピーコこと杉浦克昭(糸井が聞き手) 日経BP社, 2001.11
- ダーリンコラム 朝日出版社, 2001.11 (ほぼ日ブックス)
- 個人的なユニクロ主義(柳井正との共著) 朝日出版社, 2001.11 (ほぼ日ブックス)
- 胸から伝わるっ ピーチ・ジョンがふくらんでいく物語(野口美佳,佐藤知代との共著) 朝日出版社, 2001.11 (ほぼ日ブックス)
- ポンペイに学べ(青柳正規との共著) 朝日出版社, 2001.11 (ほぼ日ブックス)
- 海馬 脳は疲れない(池谷裕二との共著) 朝日出版社, 2002.6 (ほぼ日ブックス)
- 経験を盗め(鼎談集) 中央公論新社, 2002.8
- Mother 1+2どせいさんのほん。(監修) エンターブレイン, 2003.7
- オトナ語の謎。 オレ的にはアグリーできかねるんだよね。(監修) 東京糸井重里事務所ほぼ日刊イトイ新聞, 2003.12 (ほぼ日ブックス)
- 言いまつがい 教授だって社長だってアメンボだって。(監修) 東京糸井重里事務所ほぼ日刊イトイ新聞, 2004.2 (ほぼ日ブックス)
- 智慧の実を食べよう。(詫磨武俊、吉本隆明、藤田元司、小野田寛郎、谷川俊太郎述。糸井聞き手) ぴあ, 2004.1
- キャッチボールIchiro meets you イチローに糸井重里が聞く ぴあ, 2004.4
- 学問は驚きだ。智慧の実を食べよう(岩井克人、松井孝典、山岸俊男、川勝平太述。糸井聞き手) ぴあ, 2004.10
- 糸井重里のつくって食べようおいしい野菜 糸井重里,永田照喜治,こぐれひでこ,NHK「糸井重里のおいしい野菜つくっちゃいました」制作班 日本放送出版協会, 2005.4
- さらに経験を盗め(鼎談集) 中央公論新社, 2005.7
- 続々と経験を盗め(鼎談集) 中央公論新社, 2006.1
- 小さいことばを歌う場所 東京糸井重里事務所ほぼ日刊イトイ新聞 - 書店販売はしておらず、サイトでの直販のみ。
[編集] 翻訳(絵本)
- ミッケ! いつまでもあそべるかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1992.8
- ミッケ!びっくりハウス おとなもこどももあそべるかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1993.10
- ミッケ!クリスマス みんなであそべるかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1993.12
- ミッケ!ミステリー たんていになってあそぼうかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1994.12
- ミッケ!ファンタジー おとこのこもおんなのこもかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1996.1
- ジミーとジャネット、ふたりはふたご(B.クリアリー作 やまわきゆりこ絵) あかね書房 1997.4
- ミッケ!ゴーストハウス こわいけどおもしろいかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1999.1
- ミッケ!たからじま わくわくさせるかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 2002.1
- ミッケ! がっこう あたらしくてなつかしいかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 2003.5
- チャレンジミッケ!1(おもちゃばこ) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.1
- チャレンジミッケ!2(ゆめのまち) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.3
- チャレンジミッケ!3(コレクション) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.10
- チャレンジミッケ!4(サンタクロース) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.12
[編集] 賞歴
- 1975年 TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
- 1976年 東京アートディレクターズクラブ賞(ADC賞)
- 1979年 TCC(東京コピーライターズクラブ)特別賞「あったかいなぁあったかいなぁって、兄貴は頭まであったかくなっちまった」
- 1981年 TCC(東京コピーライターズクラブ)特別賞「いまのキミはピカピカに光って」
- 1982年 TCC(東京コピーライターズクラブ)賞 「不思議、大好き」
- 1984年 第1回ベストジーニスト賞(協議会選出部門)
- 1989年 第6回日本アニメ大賞・アトム賞 声優部門特別演技賞
- 2000年 第6回AMD Award 功労賞
- 2001年 第3回eAT KANAZAWA 名人賞
- 2007年 谷川俊太郎賞 受賞
[編集] 参考文献
- ザ・ヒーローズ 宝島ロング・インタビュー集 JICC出版局 1982年
- 糸井重里全仕事 大増補大改訂版 マドラ出版, 1983.10 (広告批評の別冊3)
[編集] 脚注
- ^ 『噂の真相』1997年2月号
- ^ ほぼ日刊イトイ新聞-糸井重里の脱線WEB革命 http://www.1101.com/itoi/1998-09-04.html