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宮崎美子 - Wikipedia

宮崎美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

みやざき よしこ
宮崎 美子
本名 宮崎 美子
(みやざき よしこ)
別名 宮崎 淑子
生年月日 1958年12月11日(49歳)
出生地 日本熊本県
ジャンル 女優,タレント
活動期間 1979年-
活動内容 女優,タレント
主な作品
1981年2年B組仙八先生
2007年まるまるちびまる子ちゃん」など多数
備考
ポカポカ地球家族」ナレーターなど

宮崎 美子(みやざき よしこ、1958年12月11日 - )は、日本女優タレントである。熊本県出身。身長156cm。

1991年に「宮崎 淑子」(みやざき よしこ)と改名。2000年に本名の宮崎美子に戻す。島田智子事務所に在籍していたが、現在の所属事務所ホリプロ

目次

[編集] 優等生として

生まれてから幼稚園までは熊本市に住んでいたが、銀行員の父親の転勤で大阪府豊中市大阪市へ。豊中市立南桜塚小学校に進み大分市に住む。大分市立津留小学校、大分市立春日町小学校時代は成績は常に一番。

大分大学教育学部附属中学校(現:大分大学教育福祉科学部附属中学校)、大分県立大分上野丘高等学校でも常にトップクラスであった。

2年生に進級する際、熊本市健軍に戻り熊本県立熊本高等学校編入学。ここでも成績はトップクラスであったが、数学で挫折してしまい、2年から3年に進級する際に(数学で及第点をとっていたにもかかわらず)留年してもう一度数学を勉強したい、と担任に懇願した。結局は進級したが、この頃から自分を過信した生き方より、自分らしい生き方を選択したという。

将来ジャーナリストを志すようになるが、1970年代の当時は社会派女性ジャーナリストとして活躍できる分野が極めて少なく、女性でも十分活躍できる法曹公務員の進路も考えていた。

大学受験のとき、東京のトップクラスにある私立大学法学部・政治経済学部にも十分合格できる成績を模擬試験などで示し、本人も東京での大学生活を夢みていた。しかし両親の反対で地元の国立大学1校しか受験せず、熊本大学法文学部法学科(1979年に法学部法律学科に改組、1997年から法律学科は法学科と公共政策学科の2学科になる)に入学する。

大学でのゼミは「現代の政治」(岡本教授)を専攻した。

[編集] いまのキミはピカピカに光って

熊本大学入学後、当時熊本にあった百貨店岩田屋伊勢丹のポスターモデルとして、ビキニ姿を披露している。さらに同大学写真部の友人が彼女をモデルにしたブロマイドを作り、それがキャンパスの至る所で目に付き、大学では有名人であった。

大学3年生の1979年10月、偶然朝日新聞で見つけた「篠山紀信が撮る!週刊朝日“キャンパスの春”」の表紙モデルに応募。多くの応募者がスタジオで撮った写真を添えて応募していたが、当時交際していた医学部の学生が撮った、化粧けのない素っ気無いスナップ写真を添えて応募。逆にその素朴さが審査員の目に留まり、応募者約1000人のうちの50名の写真選考を通過し、面接後に最終合格者の10名に選ばれる。

12月に東京で撮影。普通、素人モデルは撮影に数時間かかるが、宮崎はほんの十数分で終わった。

1980年1月、週刊朝日1980年1月25日号の表紙を飾ることになる。

2月に直接、篠山紀信からミノルタ(当時)のCMへの出演依頼がある。丁度春休みで時間があり、撮影地のサイパンに旅行気分で行けるという理由でその依頼を受けた。

3月から、ミノルタ一眼レフカメラ「X-7」のテレビCMが放映される。木陰でTシャツとGパンをはにかみながら脱いでビキニ姿になるという内容で、大反響となる。

このTシャツとGパンを脱いでビキニ姿になる動作は、落語家の金原亭世之介(当時:金原亭駒平)の舞台芸や、志村けん8時だョ!全員集合番組コントでお腹の贅肉をつかみ「ミヤザキヨシコォ~」と叫ぶ芸でも評判になる。実際、1980年11月に放送されたクイズダービーTBS, 第250回)では、そのミノルタCMの問題が出題され、正解発表時には金原亭世之介が登場、その宮崎の舞台芸を披露している。

さらにCMに使われていた軽快な曲も評判になり、このCMコピーを担当した糸井重里が、30秒だけであったCMソングに歌詞を付け足し『いまのキミはピカピカに光って』(作曲:鈴木慶一、唄:斉藤哲夫)としてレコードも急遽発売されるに至るなど、社会現象化した。

[編集] CMモデルから女優へ

このCMで各マスコミ媒体に登場する機会が増え、雑誌やテレビにも出演。当時、国立大学法学科現役大学生の硬いイメージと宮崎の柔らかいイメージのギャップが、必ずといっていいほど記事に取り上げられ、その後1980年代以降の「才色兼備の女子大生タレント」というジャンルを定着させた。

4月、地元熊本放送の番組レポーターになる。もともとジャーナリストを志願していたことから、将来ジャーナリストとして人脈を広げる目的でマスコミ関係者に自らの顔を売り込んでいた、という強かな面も持っていた。

5月になり、TBSから熊本放送の制作部長を通じてポーラテレビ小説の主演女優の依頼があるが、断り続けていた。

6月になると、番組担当のTBSのプロデューサーとディレクターが熊本の実家まで何度も来て、出演説得を続けた。その結果、ポーラテレビ小説『元気です!』(1980年10月 - 1981年3月)の主演を受諾した。

ただ、東京の大学生のように、撮影の合間に頻繁に通学できる環境ではなく、ドラマ出演と熊本での大学生活を両立させるのは困難であった。その結果、必須科目の単位不足等で、翌春に控えた大学卒業が事実上不可能となることにも繋がった。

実はその年の大学卒業を条件に、CMで貢献したミノルタへのキャリア組としての入社が内定していた事情もあり、宮崎も自分の将来について悩んだが、安定した会社員としての途を捨て、自分の夢にかける選択をした。それは自ら掴んだチャンスとして受け入れた運命だった、と後に懐述している。

8月に『元気です!』の撮影が始まった。クランクアップ後はすぐに『2年B組仙八先生』(1981年4月 - 1982年3月、本来9月までの半年放送予定であったが、途中で1年に放送期間を変更。ただし契約上、宮崎はレギュラー出演としては9月で降板)の出演も果たした。それらの撮影中も週に1時限のゼミに出席するため、毎週東京~熊本を飛行機で往復し、入学から5年かけて1982年3月に熊本大学法文学部法学科を卒業した。

その後女優としての才能が開花し、順調にテレビ、映画、舞台とその活躍の幅を広げていった。

[編集] エピソード

  • 今の女性マネージャーは、元バンダイ社員で初代たまごっちを企画したスタッフ。
  • ミノルタ一眼レフカメラ「X-7」のCMは他に「ゆかた編」「水撒き編」「ハンモック編」もあった。
  • 女優デビューする際に、演技指導の先生から「満員電車の中で大声で歌を一曲歌ってこい」と命じられ、その通りに実行したらしい。熊本での学生時代に地元でタレント的な活動を行っていたこともあり、デビュー時から既に態度や喋り方が落ち着いており、素人離れしていた。さらに度胸も据わっていたと言えよう。
  • 1981年も宮崎がCMキャラのまま、ミノルタX-7の新CMが制作されている。同年夏期に放送された「ビキニ姿でフリスビーに興じる」バージョン(スローモーションで豊かな胸と腹が豪快に上下動)は、「Gパン脱ぎ」を超えるお宝セクシー映像として隠れたファンも多い。CMソングもRCサクセションの「こんなんなっちゃった」や、CINEMA(松尾清憲が在籍)の「君のプリズナー」に変更となっている。
  • 『クイズダービー』では1981年10月より、ベテラン女優の長山藍子の後を受け継いで6代目の2枠レギュラー解答者として、約2年間出演した。正解率は3割9分7厘(平均3勝5敗ペース)となかなかの好成績で、また連勝記録でも歴代4位となる10連勝を達成している。なお、宮崎の頃から2枠レギュラーは若手女性タレント枠となるが、若手女性タレントの中では一番良い正答率だった。レギュラー出演降板後も、1986年の春頃には竹下景子の産休代役として、4枠の席に座ったこともあるが、その時も4勝4敗&5勝3敗の合計9勝7敗、正解率.563という竹下に匹敵するほどの成績を残した。
  • 現在特番として放送されているテレビ朝日系のクイズ番組「タイムショック」でも、登場するときは必ずすべての問題で正解を出すという、すばらしい好成績を収めている。
  • 1982年からは宮崎に代わり、斉藤慶子がミノルタの顔になっている(ただしX-7のCMには出ていない)。なお当時の斉藤も、宮崎と同じ熊本大学の学生だった(宮崎の3年下)。ただし、宮崎は半年留年で熊本大学を卒業しているが、斉藤はタレント活動を優先し大学を中退している。宮崎いわく「斉藤さんが入学してきたときは可愛いと大騒ぎだった」そうだが、宮崎の入学時も「アグネス・ラムみたいな新入生がいる」と大騒ぎだったらしい。ちなみに『クイズダービー』の宮崎の後任のレギュラーや、宮崎司会の『気分はパラダイス』の後任アシスタントがいずれも斉藤と、この2人はかなり因縁がある。
  • CMの宮崎バージョンがあまりにもインパクトがあったため、別の2人の女性モデルが同じ動作をして収録済みであった第2弾・3弾のCMバージョンはお蔵入りとなってしまい、彼女らは日の目を見ることはできなかった。一人は宮崎より年長のプロのモデル、一人は高校生の素人だったらしい。
  • この時期は他のカメラ会社も、ミノルタX-7と同様のシンプルで低価格な自動露出一眼レフを続々と発売していた。1979年にはオリンパスOM10という機種を発売。同機種のCMモデルは、アイドル歌手から女優に転じたばかりの大場久美子で、水着ポスターなどはそれなりに話題だったのだが、翌年の宮崎の登場により、すっかり影が薄くなってしまった。
  • CM撮影時に着用していたブルーのビキニは、まだ大切に保管しているらしい。
  • 週刊朝日の表紙撮影後に篠山紀信からグラビアモデルの誘いがあったが、家族に水着姿を見られるのが嫌でそのときは断っている。
  • のちに小学館の雑誌『GORO』で、篠山が撮影するグラビアに登場する。ワンピース水着で乳首の隆起も露わなまま仰向けに横たわるカットは、現在までのところ宮崎の肉体露出度ナンバーワン写真と評されている。
  • 女優デビュー作はTBSのポーラテレビ小説「元気です!」だが、同時期、NHK大河ドラマへの出演依頼で激しい攻勢をかけていた、という説がある。
  • 宮崎のCMのパロディを演じていた志村けんは、実は宮崎の大ファンだった。1980年のTBS秋の特番で、志村は宮崎と初めて顔を合わせる。加藤茶ら他のドリフメンバーに「好きなんだろ!」と茶化されながら宮崎の隣に押し出された志村は、テレビカメラの前でありながら、強烈に照れて真っ赤になり口もきけないという素人同然の状態になってしまい、照れ隠しに宮崎の尻を触って逃げている。後に志村と宮崎は学研の雑誌『BOMB!』宮崎特集の号で対談が実現されている。「ドリフのほかのメンバーは、あのCMのよさが理解できないんだよね」などと語っている。
  • 1981年秋に「NO RETURN」(作曲は八神純子)でレコードデビューしているが、その少し前、同年春~夏に放送されたポーラ化粧品のテレビCMで、宮崎の映像と共にBGMに宮崎の歌が使用されている。これがプロ歌手(?)としての初仕事ともいえる。
  • バイクブームだった1980年代半ばに、普通自動二輪免許(当時は中型限定免許)を取得している。ヤマハのスクーターサリアンのCMに出演していた縁からか、一時期ヤマハSRX250Fを所有していたという。
  • 熱狂的な阪神ファンとしても知られ、2003年度のリーグ優勝達成時にはテレビ番組の企画で自らの公約である「六甲おろしをBGMにチアガールをする」ことに挑戦したという。本来は「チアガールになって甲子園で応援する」約束だったが、スケジュールの都合で甲子園での応援が出来なかった。選手としては江本孟紀の熱烈なファンだったという。
  • 2000年ろみひー』(中京テレビ)にゲストとして登場した際、中学高校時代は優等生で学級委員長もつとめていたが、裏ではタバコを吸ったりしていたこと、上記のように女優をやってみたのもテレビ局とコネを作りたかったからなどと告白し、デビュー時以来の清純イメージを自ら粉々に破壊してファンに衝撃を与えた。またデビュー以前に既に彼氏がおり、当然ながら男性経験があったのだろうと飯島愛に指摘された際には、肯定はしないが特に否定もしないという、オトナな態度を見せている。
  • 1989年に結婚したが、1年4ヶ月で離婚。相手は『2年B組仙八先生』のアシスタントディレクターを務めていた制作会社スタッフで、宮崎と同い年。結婚に至るまで数年にわたり同棲に近い生活を送っていたと言われる。元夫は現在もテレビ業界で活躍しており(ベテランディレクターになっている)、宮崎と仕事で顔を合わせることも少なくない。
  • 1987年にシングルレコードで発売された「だからDESIRE」は、当時はまだマイナーだったラップ調の曲(カップリングは「タカラ本みりん」のCMソング)で、これをもって「日本初の女性ラッパー」とする声もある。
  • 宮崎の出現はそれまでのグラビアモデルはスリムでなければならないという概念を崩すものであり樽ドルのパイオニア的存在であると見ることもできる。

[編集] 出演作品

[編集] テレビドラマ

[編集] その他のテレビ番組

[編集] ラジオ

[編集] 映画

[編集] 舞台

  • 「御宿かわせみ」帝劇(1984年)
  • 「夏の夜の夢」シアターコクーン(1990年)
  • 「ラヴ・レターズ」パルコ劇場(1990年)
  • 「墨東綺譚」帝劇(1993年)
  • 「頭痛肩こり樋口一葉」紀伊国屋ホール(1994年)
  • 「春は爛漫」汎 大阪・飛天・東京宝塚劇場(1995年)
  • 「午後の遺言状」東京芸術劇場・新神戸オリエンタル劇場(1997年)
  • 「居酒屋ゆうれい」名鉄ホール(1998年)
  • 「戸惑いの日曜日」名鉄ホール(1999年)
  • 「売らいでか!~亭主売ります~」帝劇(2000年)
  • 「ウィンザーの陽気な女房たち」彩の国さいたま芸術劇場小ホール(2001年)
  • 「ハッピー・バースディ」アートスフィア(2003年)

[編集] ディスコグラフィー

[編集] シングル

作詞:八神純子、阿里そのみ/作曲:八神純子
  • 「わたしの気分はサングリア」(1982年、ビクター音楽産業)
作詞:安井かずみ/作曲:加藤和彦
  • 「黒髪メイド・イン・LOVE」(1982年12月11日、ビクター音楽産業)
作詞:橋本淳/作曲:筒美京平
  • 「だからDESIRE」(1987年、phonogram/sixty)
作詞:作詞センター/作曲:馬飼野康二

[編集] アルバム

  • 「Mellow」(1981年12月21日、ビクター音楽産業)
2006年11月、ブリッジ[1]からリマスタリングでのCD発売。
  • 「私の気分はサングリア」(1982年9月21日、ビクター音楽産業)
収録曲「ハート哀しく」「今夜はふたり」の作詞、「マリコ」の作詞作曲もしている。
2008年3月、ブリッジ[2]からリマスタリングでのCD発売。
  • 「美子」(1983年5月21日、ビクター音楽産業)
2008年6月、ブリッジ[3]からリマスタリングでのCD発売。

[編集] ベストアルバム

  • 「黒髪メイド・イン・LOVE」(1983年3月21日、ビクター音楽産業)

[編集] 外部リンク


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