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東野幸治 - Wikipedia

東野幸治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東野幸治
ひがしの こうじ
本名 東野幸治
別名 ひがしのり、チリ毛、チリチリ
生年月日 1967年8月8日(40歳)
出生地 兵庫県宝塚市
血液型 O
活動期間 1980年代後半~
活動内容 お笑い芸人

東野 幸治(ひがしの こうじ、1967年8月8日 - )は、兵庫県宝塚市出身のお笑いタレントである。身長178㎝。血液型O型事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシー兵庫県立宝塚高等学校卒業。愛称はひがしのり(髪の毛が濡れた時に頭に海苔がのっているようだったから)、チリ毛(天然パーマから)、白い悪魔(色白で人の不幸をよく嘲う事から)、チリチリ。

目次

[編集] 来歴

高校生の時に吉本興業の新人オーディションを受け合格し、そのまま芸人となる。なお、同じオーディションをリットン調査団も受けていた。一時期、大学に通う友人に乗せられ、大学受験を決意し芸人を休業するが、受験に失敗し、その後は芸人に本腰を入れる。

若手時代は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動、ダウンタウン司会を務める公開生番組『4時ですよ~だ』などに出演していた。番組開始当初は素人参加コーナー「ダウンタウンの欲望」の募集の告知を呼びかける「欲望の男」だけの役であったが、次第に頭角を現し、最後の半年は今田耕司石田靖らとともに司会を任されることとなる。また『4時ですよ~だ』が放送されていた頃、今田とのコンビで2丁目劇場の超若手が出演するライブイベント「2丁目jrたんけんたい」(上部組織にダウンタウンがメイン司会を務める「2丁目探検隊」というライブがあった)の司会進行を担当していた。

また、同時期に夕方の帯番組として放送されていた圭・修が司会を務める『素敵!KEI-SHU5]では、白いランニングにトレパン姿の「セニョール東野」というキャラクターで各地をリポートするVTR企画も担当(このセニョールのキャラは、当時の舞台上でのネタで演じられていたものだった)。

「4時ですよ~だ」の終了後、今田らと共に、当時立て直しが急務となっていた吉本新喜劇の補強メンバーとして出向を命じられる。当初は吉本新喜劇行きをどうしても受け入れる事ができず、吉本興業を退社し植木屋に転職する事を考えていた。しかし、今田らの熱心な説得により芸人引退を思い止まり、吉本新喜劇入りも受け入れる事になる。その吉本新喜劇では主に主役として出演する。その後、今田同様、ダウンタウンを慕い、彼らが上京した1年後に東京へ進出する。NSC出身ではないため、4期生で数ヶ月先輩である今田などには敬語を使い、ほぼ同時期に芸能界デビューした木村祐一には、東野の方が数ヶ月先輩ではあるものの同期として接し、5期生の辻本茂雄に対しては先輩として振舞っている。同い年には山崎邦正(1年数ヶ月後輩)や雨上がり決死隊蛍原徹(2年数ヶ月後輩)などがいる。

近年は島田紳助が司会で常時20%以上の高視聴率を獲得している人気番組『行列のできる法律相談所』に準レギュラーとして出演。また当該番組では、紳助の謹慎中に一時司会代行も務めた。

日本テレビが毎年8月に恒例行事として生放送している『24時間テレビ「愛は地球を救う」』の看板企画「チャリティーマラソン」のランナー候補に何度か挙がったこともあっるが、東野自身は「僕は走っても良いんですけど、日本中が応援しないと思う」と否定的な発言をしている。

[編集] 人物

  • 今田と共に“Wコウジ”と呼ばれているが、ピン芸人である。
  • 細身で「かた焼きそば」「チリチリ」と表現される天然パーマ頭がトレードマーク。
  • 中心にいるよりも少し離れた位置にいた方が実力を発揮するタイプであり、「ちょっと待って下さいよ」と話に割り込んでくる姿は他のお笑い芸人たちに多くものまねされている。
  • 今田と共に「雛壇芸人」のお手本的存在と言われている。
  • かつては視力が悪かったため、ハードコンタクトレンズを使用していたが、2004年にレーシック手術を受け視力回復に成功した。
  • 手堅い今田に対して破滅的な芸風の東野というコントラストで、よくコンビを組むことが多い。芸風としては、先輩芸人である笑福亭鶴瓶の「(困ったら)笑ろとったらええねん」というのを座右の銘としているようで、たびたび自分でもそのセリフを言っている。
  • 「ちょっと待って下さいよ」、「やらしい話」、「正直」、「頭おかしい」が主な口癖である。
  • 学生時代に水泳のジュニアオリンピック候補に選ばれた事もある。
    • 1つ年長の兄とともに「宝塚のスポーツ兄弟」、「トビウオ兄弟」と呼ばれ、その評判は関西全域に轟いていたという。阪急沿線では十三駅近くに隣接しており有名な履正スイミングクラブ十三に通っていた。
    • 同じく宝塚市出身の金村義明は、彼の親戚が東野と同じ高校で友達だった為、その親戚を介し「スポーツ兄弟」として有名だった東野の事を芸人デビュー前から知っていた。一方で当時は高校野球のスターだった金村の事を東野は当然知っており、デビュー前から直接の面識は無いものの、互いにスポーツマンとして一目置く関係だったという。
    • 現在は体力の衰えが著しく、かつての「宝塚のスポーツ兄弟」は今や見る影もないという。健康に配慮し、久々にスポーツクラブで水泳を行った際、200m泳いだ時点で気分が悪くなり、その場でゲロを吐いた。また、以前は裸に自信があり、テレビ番組でよく全裸やそれに近い姿になっていた(本人曰く抱かれた女は東野の裸を見て「まるでギリシャ彫刻みたーい!」と驚くという)が、最近は乳首も下がってきて裸になることに抵抗が出てきたと漏らしている。
  • 一時期、南北朝時代の武将である楠木正成の子孫であることを、自称していたことがあった。
  • ダウンタウンが最もイジリやすい(絡みやすい)と感じている芸人のひとりであり、そのためいくつもの番組で何回もドッキリにかけられた。東野の芸風を汲み、松本が「おまえなんか絶対売れへんねん!」と貶め、東野が「ちょっと待って下さいよ!」と反論する事で笑いが生まれるというスタイルが確立されていた。
  • 『ダウンタウンのごっつええ感じ』にはレギュラー放送化前の特番には出演していたものの、レギュラー放送開始しばらくは、「東野は協調性がない」との判断で参加が見送られていた。そのため、他のダウンタウン・ファミリーの面々よりは全国区進出が遅れる形となっていたが、板尾創路の一時的な番組出演休止の際にピンチヒッターとして1994年10月よりメンバーに加わり、満を持して本格的な全国区進出を果たす。数々の傑作コントに出演し、板尾復帰後も不動のメンバーとして定着した。
  • 大阪時代はダウンタウンと同じく、東野も今田耕司と共に関西ローカルの伝統的ラジオ番組『MBSヤングタウン』(通称『ヤンタン』)のパーソナリティを担当。もともと今田がサブで出演していたダウンタウン担当の木曜日から卒業独立し、新たに東野を迎えて金曜日を担当した。ダウンタウンの『ヤンタン』木曜日は岩石のように荒々しいハードな内容が特徴であったが、金曜日もその傾向を継いでおり、レギュラー出演していた加藤たか子(当時はアイドルグループLip'sのメンバーだった)は耐えられず、大阪府に向かう新幹線の中で血を吐いたことがある。
  • かつてはアイドルなど、チヤホヤされることが最初から決まっている立場の人間に極めて厳しい態度を取っていた。特に不思議系アイドルには厳しく、鈴木蘭々と共演したときは「なんで? 自分、おしゃれ情報発信基地やん!」というセリフを何度も繰り返し、追い込もうとした。雛形あきこがまだバラエティー慣れしてないころに共演したときは「いや、わからないじゃなくて何かしゃべって下さいよ」と何度も繰り返して追い込んだ。今田は「『東野が同じセリフを繰り返してるとき』はキレてるとき」と言っている。ただし、これらはあくまで他のパーソナリティーからのツッコミによって番組自体はつつがなく進行することが前提での話であり、番組を破綻させるような行為はしない。また、『ごっつええ感じ』での「キャリー東野のアイドル虎の穴」のような肉体的にアイドルを痛めつける企画には、絶妙な塩梅で最大限の面白さを生み出せる東野が誰よりも適任であった。
  • 近年にはポッキーのCMでの新垣結衣のあまりの可愛さにベタ惚れした。自身がメインを務める番組『お笑いワイドショー マルコポロリ!』ではその権限を行使し単独インタビューを行った。自分の娘ほどの年齢の新垣に自分を事を「お兄ちゃん」と呼ばせ、「こんな仕事やっとったら、ダウンタウンさんにしばかれるわ!」と漏らしつつも、かつてどの番組でも見せた事の無いほどのデレデレぶりを披露していた。
  • 風俗が大好きで、昼夜問わず舞台の合間(1時間)にも赴くほど。店に予約を入れるときの偽名(通称「風俗ネーム」)は「東田」である(『ノブナガ』で公言)。普段は街中でも変装する事はないが、このときはレイバンのミラーサングラスを着用する。
  • 「風俗で働く女性は背が低い」という自説「風俗嬢リトルガール説」を掲げており、それを証明すべく『やりすぎコージー』で東名阪の風俗店各10店舗の協力の下、検証を行った。その結果、風俗で働く女性の身長は、厚生労働省が公表する同年代の女性より約1cm低いというデータが得られた。
  • 仕事以外では芸人仲間とは殆ど遊ばないらしく、たまに千原せいじなどの後輩を誘って食事に行っても、ずっと漫画や雑誌を読んで全くしゃべらないという。せいじとは『やりすぎコージー』の収録後に二人きりで食事に行くほど親しい関係であり、せいじは後輩でありながら東野を「ひがしのり」呼ばわりし、常にタメ口をきいているが、東野は意に介していない様子である。
  • 番組中の企画「仁義なき派閥抗争」には東野をリーダーとする芸人派閥として『Teamヒガシノリ』が参戦。その構成員にはせいじとライセンス藤原一裕が名を連ねた。胸に東野の故郷である「宝塚」と書かれたTシャツがトレードマークである。
  • 最近健康のためゴルフを始めた。ナインティナイン岡村隆史をゴルフに誘った際岡村を担当していたキャディさんに、コース上でゴルフクラブを放り投げるなど非常識な振る舞いをしていたため嫌われていたそうだが、現在は蛍原徹や大山英雄も参加し、「東野ゴルフクラブ」を設立。このクラブの教科書的存在が、いわゆるBIG3である。
  • プライベートにおける東野は寝癖などをセットしない為、ゴルフ場に現れる彼の頭髪は岡村いわく「ボビー・ブラウンのような状態」(「ナインティナインのオールナイトニッポン」より)。その岡村には偽物のローレックスをつかまされたことがある。
  • ヘアメイクには浜田いわく「女優さん並」の相当な時間を要するらしい。
  • やりにげコージー』で行われた箱庭を使った深層心理テストでは、東野の作り出した、中央にぽっかりと空間の空いた構成要素や人物が誰も交わる事の無い箱庭は、一同(カウンセラー含む)を戦慄させた。
  • 編集で自分の活躍がカットされる事が悔しく、傷つく為、基本的に自分の出た番組のオンエアチェックは行わず、脳内で自分が大活躍しているオリジナル編集版を製作し、それで満足しているという。
  • 格闘家のなかではジャンボ鶴田をイチオシ。今田も引くほどである。
  • 自身のファンであった女性と結婚し2人の娘をもうけたが、後に離婚。知り合ったきっかけは、当時出演していた名古屋のローカル番組『正解るんです』に送られてきた一通のファンレターで、番組の企画でスカイダイビングをした際、落ちながら「ファンレターお待ちしてまーす!」と絶叫したのに応えたものだった。(同封されていた写真を見て即連絡。毛皮を着た写真で、その毛皮は新婚当時住んでいたマンションの雨漏りが原因でダメになった)。初Hの時は、今田が東野に了承を得て部屋に忍び込み、一部始終を覗いていた。
  • 離婚後の生活は悲惨だったらしく、貸倉庫に住んでいたことを明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショーで告白した。現在はふたたび同居しているが、再入籍はしていない。娘達はインターナショナルスクールに通っており、英語はペラペラ。長女からは「ダディ」、次女からは「ダディちゃん」と呼ばれていた。
    • ダウンタウンDX関根勤を「理想の父親像」に挙げている。ちなみに関根の娘である関根麻里もインターナショナルスクールに通っていた。
    • 離婚は、東野家が一軒家を購入してから三ヵ月後のある日、突如妻から切り出された。「離婚は以前から考えていたが、家を買って何とかなると思ったけど結局ダメだった」、「お父さん(東野)は本当に人なんか好きになった事ないんだよ」との弁だった。
    • 離婚してもなお同居しているのは、娘の教育のためということになっている。しかし、娘が母親に「お母さん、私のために無理してあの人(東野)と一緒に暮らさなくてもいいよ」と言っているのを聞いてしまうなど、東野は今の状況を「ガラスの家庭」と呼んでいる。
    • 元妻は東野のファンサイトの掲示板に妻と名乗り『降臨』してみたり、「霊が見える」などと発言したり、少女漫画「王家の紋章」にのめりこんで家中をエジプトテイストにしたというエピソードがある。さらに現在は司法試験合格を目指し目下独学中であるという。
    • 一時期、長女には実の父であるにもかかわらず「東野さん」と呼ばれていた(『やりすぎコージー』2006年12月16日放送より)。
    • 長女は容姿端麗で、街を歩いていると芸能プロからのスカウトによく会うらしいが、父である東野自身は、タレントなどではなく地道な職についてほしいと考えているという。
    • 次女がドラマ『花より男子』の熱心な視聴者であり、その話を耳にした関係者によって、続編の最終回のワンシーンに東野が救助隊員役で唐突に登場するという特別出演が実現した。その撮影には家族全員で駆けつけたという。東野が発した台詞は三つだった。
    • さらに次女はドラマ出演者である小栗旬の熱烈なファンでもあったため、「やりすぎコージー」の企画として、彼を賭けて森三中らと勝負をした。東野は娘のために鼻フックや熱湯風呂などに耐え、見事小栗を自宅に招く権利を獲得したが、自宅へ向かう車中で最初は気を遣ってそれなりに会話をしていたものの、途中から完全な無言となり、改めてその人柄を見せつけた。
    • 娘が通っていたインターナショナルスクールにはデビュー前の宇多田ヒカルも通学しており、参観日に学校に来た東野にサインを求めたら無視されたと、デビュー直後に録音で出演した『ファンキーリップス』で暴露された。
  • 今田や松本人志、紳助らから「愛情がない」「冷酷」「他人の心にスタッドレスタイヤを履いて踏み込む」「本気で人のことを好きになったことが無い」「人の話に興味がない」「家では換気扇の絵ばかり描いている」などとネタにされ、その裏づけとしてのエピソードもいくつか語られている。
    • 例えば「飼っていたの死骸をゴミ箱に捨てた」という噂が流れていたが、これは病気になったとはいえ犬や猫ならともかく“亀”を病院に連れて行くことに疑問と不満を感じ、しかし「娘の情操教育のため」と渋々病院に連れて行った、というのが真相で、「ゴミ箱に捨てるほど生き物に愛着が無い」ということだったらしい。
    • 離婚後、東野家にあったタンスは東野が引き取ったが、すぐに捨ててしまった。このことに長女は「家族の思い出が詰まったタンスをどうして捨てられるの?」と言って大泣きしたが、東野は泣いている意味が解らなかったという(『松紳』にて)。
    • 千原ジュニア交通事故を起こし入院した際、見舞いに訪れた東野は「美味しんぼ」の単行本を土産に差し入れた。だが、未だ重体だったジュニアは摂食が困難で点滴や流動食から栄養を摂っていた為、まったく笑えないジョークとなってしまった。しかも、本屋に並んでいた単行本をそのままゴッソリと買ってきたため、1巻2巻4巻6巻6巻…というような穴空き・重複だらけだったという。
  • 『やりすぎコージー』のM(みうち)-1グランプリにて、出場芸人の父親のダメぶりを見て、「ウチなんかもっとひどかったよ」と、難波花月にホステスを連れて来場したなどのエピソードを披露した。
  • 2000年には小説『泥の家族』で作家デビューを果たし、内容に関しては「7割が作り話で3割が実話」とコメントしている。テレビ番組で出版社に売れ行きを問い合わせたところ、1万部発行したところ実質3千部しか売れず、残りの7千部は廃棄処分になったという。タレント本としては異例の少なさだったとのこと。
  • 性格を示すエピソードの一つに、芸人になってからつきあい始めた女性との初デートで漫画喫茶に行き、3時間無言で漫画を読み続け、「芸人やったらちょっとはしゃべってよ!」とキレられたという。
  • 主に芸能界にまつわるゴシップ情報の収集も趣味の一つである。これらの点では今田も概ね共通しており、お互いの情報交換は欠かせないという。今田と共に「ゴシップ兄さん」とよばれることも。
  • 日本のロックシーンにも関心を持ち、「ROCKIN'ON JAPAN」や「snoozer」を愛読する。くるり岸田繁の発言がお気に入りらしい。UKロックの大御所oasisのファンでもあり、コンサートにも行っているらしい。
  • 実は山崎邦正森三中黒沢宗子アンガールズなど、多くの後輩や若手の芸人にリスペクトされる存在である。特に山崎は日頃より「東野さんがもっとブレイクしないのはおかしい」等の東野の才能を啓蒙する発言を行っている。そんな山崎を東野は「親友」と思っているが、山崎はあくまで「先輩」と思っているという。
  • 内村光良からは若手時代から妙に気にいられており、何度か共演している。しかしウンナンの番組で東野が出たコーナーはどれも短命で、「俺もウリナリファミリーやのに」と愚痴っていたことも。「ウリナリ」における内村・東野コンビのコーナーで最も長寿コーナーとなった「シャドウマン」は子供たちに全身で様々な影絵を見せるというコーナーだったが、子供たちからは野次を飛ばされたり、影絵のリクエストを聞くと「ウンコ」と無理難題をリクエストされたりと散々な目に遭っていた。怒りが頂点に達した東野は子供たちに制裁を加えようとしたが、内村に止められた。
  • 1995年の「FNSの日・1億2500万人の超夢列島~そのうちなんとか…23時間」の料理コーナーにて、同時中継されていたマラソンでトミーズ雅が完走しスタジオ内が感動で包まれているところ、東野はスタジオの隅で炊飯器を開けごはんを食べていた。それを見た笑福亭鶴瓶に、今皆が感動しているところなのに、と止められると、「どうでもええんじゃー!!」と逆ギレした。
  • 一方、1997年に放送されたテレビ朝日の特番『27時間チャレンジテレビ』では鶴瓶、今田、そしてビートたけしと共にブリーフパンツ一丁のスペシャルユニット「ブリーフ4」を結成。このとき居酒屋トークで酒を飲みすぎ、生放送中にも関わらず完全に泥酔した鶴瓶は、その後に訪れた深夜の故・丹波哲郎邸で暴走。意味不明の笑みを浮かべ、我を失ったままブリーフを脱ぎだし風呂場や庭で脱糞を試みようとした。のちに「鶴瓶上岡パペポTV」や「きらきらアフロ」で語られたところによると、生放送の画面には映っていなかったが、鶴瓶は実際に脱糞しており、東野はとっさに鶴瓶の肛門の下に両手を挿し延ばし糞をキャッチ。最悪の事態は避けられたという。このブリーフ4にまつわる壮絶な一部始終は、今もなおコアなお笑いファンにとって伝説として語り継がれている。
  • 大御所を大御所として扱わない傾向は鶴瓶だけにとどまらず、萩本欽一との共演時も遠慮なく激しいツッコミを繰り返した事もあった。だが、逆にこれは萩本にとって好印象で、芸人としての東野を高く評価しているという。だが、「ひがしの」という名前は覚えてもらえず、誤って「とうの」と呼ばれている。
  • 愛のエプロン」で舘ひろしと2回共演し、舘が「前回はものすごい嫌なもの食わされて蕁麻疹が出た」と発言したところ、東野が「終わってから、石原軍団名物おはぎを食べればいいじゃないですか」と言ったのを、偶然収録に来ていた石原軍団の小林専務が聞いており、すぐさまおはぎを発注。東野の一言がきっかけで2~3時間後の休憩時には4個入りのおはぎ200個が用意された。
  • 2006年3月30日の『新どっちの料理ショーラーメン巌流島外伝・三国志』(読売テレビ)では前身の新テンベストSHOWを通じても初となる3キッチン制を採用して開催された(関口宏→レッドキッチン・麺屋武蔵、三宅裕司→イエローキッチン・柳麺ちゃぶ屋、東野→オレンジキッチン・なんつっ亭)。ただし、東野がこの番組を私物化状態にしたことにより、視聴率がジリ貧状態となり、同番組の打ち切り状態となってしまった(詳しくはラーメン巌流島を参照のこと)。
  • 井上公造から「東野さんの仕事の量と日本の景気は連動している」と言われたことがある。テレビ局側の立場に立つと、景気が悪いからといって大御所芸人を降板させることはできず、また若手芸人はギャラが安いので景気が悪くても使える。東野のような中堅芸人が一番切りやすいため、その仕事量で景気が把握できるという説で、実際2001年頃のデフレ不況の時、東野はレギュラーが8本なくなった事があり、本人もこの説を支持している。景気が回復した現在、東野の仕事は順調である。
  • 2007年8月19日裏番組(関西ローカルのマルコポロリ)出演により、行列メンバーも集結していた「24時間テレビ」に出演できなかった。日本武道館からの特別生放送だった「行列」には出演したが、紳助や磯野貴理から裏番組出演を暴露された。それだけでなく、紳助から(全館禁煙の)武道館の楽屋煙草を吸ってしまい怒られていたことや、離婚した嫁の話などでいつも通りにいじられていた。

[編集] 芝居

  • コントの経験は豊富なものの、シリアスな芝居をさせると途端に大根役者になる。
    • ダウンタウンのごっつええ感じ』では彼の演技力を鍛えるためのコーナー(コーナー名は「龍としのぶ 俳優養成テレビ小説」)まで作られた。この企画では東野がセリフを言うシーンにだけ、台本に書かれている本当のセリフを字幕スーパーにして、画面下部に表示していた。これにより、ストーリーだけを見ればギャグの無いシリアスな筋書きのドラマなのであるが、本人が劇中で発するセリフが台本のそれとは全然違うことがわかり、視聴者の笑いを誘発するという仕掛けが施されていた。
    • その後2001年に『明日があるさ』で久々のドラマ出演を果たしたが、演技力は全く成長しておらず、挙句には彼の演技のあまりの酷さに他の共演者のNGを誘発する始末となった(撮影初日のシーンで出したNGは8回)。そのため、本来ならNG同然の箇所も見受けられるが「これ以上の演技力は求められない」として放送されている部分もある。ガチガチの動きは浜田曰く「東野だけ時代劇だった」とのこと。浜田がアドリブで東野に振った際には驚愕して固まっていたそうである。
    • 若手の頃Vシネマに出演し、ベッドシーンで騎乗位を行ったが、ガチガチで「高い高い」のようになっていた。
  • 2004年に子供向け特撮ドラマ『戦隊シリーズ』の司令官役での出演オファーが来ていた事を自身の番組内で公表していたが、これは東映制作のスーパー戦隊では無く、松竹制作の『魔弾戦記リュウケンドー』であった模様。後にこの役は諸処の事情から同じ吉本興業所属の清水圭が演じる事となった。
  • 尊敬する役者は萬屋錦之介である。

[編集] 現在の出演テレビ番組

[編集] 過去のレギュラー番組

[編集] バラエティ

ほか多数

[編集] ドラマ

[編集] ラジオ

[編集] 著書

[編集] CD

メンバーとして参加したRe:Japanエキセントリック少年ボウイオールスターズ(ニイハオ役)、日影の忍者勝彦オールスターズ(アメ入道役)も参照。
また、テイ・トウワプロデュースによる今田のKOJI1200名義のアルバム「I LOVE AMERICA(アメリカ大好き!)」にも今田をサポートする役割で大きく参加した。歌とラップ、コーラス、ベース(の口真似)、コントを披露している。

[編集] 関連項目

[編集] 関連人物

他多数

[編集] 外部リンク

吉本興業プロフィール


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