松竹
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種類 | 株式会社 | ||||||||||||
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市場情報 |
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本社所在地 | 104-8422 東京都中央区築地四丁目1番1号 |
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電話番号 | 03-5550-1533 | ||||||||||||
設立 | 1920年(大正9年)11月8日 | ||||||||||||
業種 | 情報・通信業 | ||||||||||||
事業内容 | 映画事業、演劇、他 | ||||||||||||
代表者 | 迫本 淳一(代表取締役社長) | ||||||||||||
資本金 | 28,143,695,022円 | ||||||||||||
売上高 | 連結:935億5,882万4千円 単独:586億1,681万9千円 (2008年2月期) |
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総資産 | 連結:1,579億3,795万7千円 単独:1,127億0,576万3千円 (2008年2月期) |
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従業員数 | 連結:1,328人 単独:616人 (2008年2月29日現在) |
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決算期 | 2月末日 | ||||||||||||
主要株主 | (株)歌舞伎座 3.82% (株)みずほコーポレート銀行 3.58% (株)三菱東京UFJ銀行 3.46% (2008年2月29日現在) |
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主要子会社 | (株)衛星劇場 100% (株)松竹マルチプレックスシアターズ 80.0% |
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関係する人物 | 白井松次郎、大谷竹次郎、小山内薫、城戸四郎、永山武臣 | ||||||||||||
外部リンク | www.shochiku.co.jp/ | ||||||||||||
松竹株式会社(しょうちく、英称:SHOCHIKU Co., Ltd.)は、日本の映画・演劇の制作・興行・配給を手掛ける会社。歌舞伎の興行については、現在そのほとんどを手がける。映画会社としては大手5社の一角を占める。創業は1895年で、設立は1920年11月8日(帝国活動写真株式会社の設立日)である。
目次 |
[編集] 概要
元来は演劇興行。現在も歌舞伎を主に新派、松竹新喜劇も手掛ける。かつては、文楽(人形浄瑠璃)や歌劇(SKD…松竹歌劇団、OSK…大阪松竹歌劇団)、演芸(浅草松竹演芸場、道頓堀角座、神戸松竹座等)から相撲興行やプロ野球(セ・リーグ松竹ロビンス)、ボウリング、アイススケートリンクの運営等幅広い活動を行い、一時は松竹交響楽団なる本格的なオーケストラまで所有していた。
近年は創立100年事業の一貫として1995年に松竹大船撮影所の敷地内に「鎌倉シネマワールド」なるテーマパークを開業させたが、不入りでわずか3年で閉鎖に至った。
メディア対策として、東宝や大映(現・角川映画)等と共にフジテレビの設立に参加(1959年開局)。なお、現在はフジテレビ株式の殆どを放出している反面、松竹大株主の10位以内に東京放送(TBS)の名が連なるなど放送局との関係に変化が見られる。
一方では通信衛星を利用した自社製作の番組(映画、テレビドラマ、劇場中継等)を中心に流す「衛星劇場」「歌舞伎チャンネル」等を立ち上げ、現在に至る。
2005年、創業110年を記念した女優発掘オーディション松竹STAR GATEを歌舞伎座で開催。
[編集] 歴史
- 1895年 大谷竹次郎が京都阪井座を買収し、その興行主となる(これが松竹の創業)。
- 1902年 大谷竹次郎が兄・白井松次郎と共に、松竹(まつたけ)合名会社を設立する。
- 1920年2月 松竹キネマ合名会社を設立。映画製作を開始。
- 1920年11月 帝国活動写真株式会社を設立する。
- 1921年 帝国活動写真株式会社を松竹キネマ株式会社と改称し、同時に松竹キネマ合名会社を合併する。
- 1931年 日本で初めての本格的トーキー『マダムと女房』を上映する。
- 1937年 松竹キネマと松竹興行を統合し、松竹(しょうちく)株式会社を設立する。
- 1949年 東京証券取引所、大阪証券取引所、名古屋証券取引所、福岡証券取引所上場。
- 1950年 札幌証券取引所上場。
- 1951年 日本初のカラー劇映画『カルメン故郷に帰る』を上映する。
- 2008年 名古屋証券取引所上場廃止。
[編集] 映画
[編集] 松竹映画
[編集] 主要作品
- 1930年代
- 1940年代
- 1950年代
- 1960年代
- 1970年代
- 1980年代
- 1990年代
- 2000年 - 2006年
- 2007年
- 2008年
- 野田版 研辰の討たれ
- 母べえ
- ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発
- ライラの冒険 黄金の羅針盤
- 犬と私の10の約束
- 築地魚河岸三代目
- おくりびと
- 2009年
[編集] 主要監督
- 池田義信
- 野村芳亭
- 島津保次郎
- 五所平之助
- 牛原虚彦
- 小津安二郎(蒲田)
- 清水宏
- 成瀬巳喜男(蒲田)
- 大曾根辰夫(京都)
- 吉村公三郎
- 渋谷実
- 木下惠介(蒲田)
- 中村登
- 川島雄三
- 野村芳太郎(大船)
- 小林正樹(大船)
- 大島渚(大船)
- 篠田正浩
- 吉田喜重(大船)
- 山田洋次
[編集] 主要脚本家
[編集] 主要俳優
[編集] 男性
- 五味国太郎
- 諸口十九
- 岩田祐吉
- 鈴木伝明
- 岡田時彦
- 毛利輝夫
- 高田稔
- 上原謙
- 佐野周二
- 佐分利信
- 高田浩吉
- 笠智衆
- 大坂志郎
- 山内光(岡田桑三)
- 大内弘
- 結城一朗
- 宇佐美淳
- 鶴田浩二
- 佐田啓二
- 高橋貞二
- 三國連太郎
- 大木実
- 田村高廣
- 杉浦直樹
- 石濱朗(石浜朗)
- 津川雅彦
- 吉田輝雄
- 高宮敬二
- 菅原文太
- 寺島達夫
- 三上真一郎
- 石坂浩二
- 竹脇無我
- 勝呂誉
- 藤岡弘、(藤岡弘)
- 中村嘉葎雄(中村賀津雄)
- 田村正和
- 三橋達也
- 川津祐介
- 山口崇
- 宗方勝巳
- ささきいさお(佐々木功)
- 南原宏治(南原伸二)
- 原保美
- 小笠原弘
- 夏川大二郎
- 若原雅夫
- 小坂一也
- 菅佐原英一
- 佐竹明夫
- 若杉英二
- 北原隆
- 片山明彦
- 川喜多雄二
- 園井啓介
- 森美樹
- 早川保
- 松原緑郎
- 北上弥太郎(北上弥太朗)
- 清川新吾
- 松川勉
- 片桐真二
- 花ノ本寿
- 山下洵一郎(山下洵二)
- 山本豊三
- 田浦正巳
[編集] 女性
- 沢村春子
- 川田芳子
- 栗島すみ子
- 柳さく子
- 五月信子
- 英百合子
- 梅村蓉子
- 岡田嘉子
- 伏見直江
- 水谷八重子
- 飯田蝶子
- 三村千代子
- 岡村文子
- 吉川満子
- 歌川八重子
- 八雲恵美子
- 田中絹代
- 松井千枝子
- 松井潤子
- 伊達里子
- 龍田静枝
- 川崎弘子
- 桑野通子
- 高杉早苗
- 逢初夢子
- 三宅邦子
- 高尾光子
- 井上雪子
- 出雲八重子
- 及川道子
- 水久保澄子
- 水島光代
- 黒田記代
- 坪内美詠子
- 水戸光子
- 高峰三枝子
- 木暮実千代
- 三浦光子
- 小桜葉子
- 高峰秀子
- 桜むつ子
- 宮城千賀子
- 笠置シヅ子
- 望月優子
- 幾野道子
- 利根はる恵
- 津島恵子
- 淡島千景
- 角梨枝子
- 桂木洋子
- 岸惠子(岸恵子)
- 香川京子
- 小林トシ子
- 高千穂ひづる
- 野添ひとみ
- 有馬稲子
- 岡田茉莉子
- 淡路恵子
- 草笛光子
- 小山明子
- 岩下志麻
- 芳村真理
- 桑野みゆき
- 倍賞千恵子
- 加賀まりこ
- 真理明美
- 香山美子
- 鰐淵晴子
- 尾崎奈々
- 倍賞美津子
- 由美かおる
- 中野良子
- 高橋洋子
- 松坂慶子
- 早乙女愛
- 桜田淳子
- 森昌子
- 原田美枝子
- 浅茅陽子
- 冨士真奈美
- 月丘夢路
- 芦川いづみ
- 忍節子
- 久原良子
- 御影公子
- 由美あづさ
- 西條鮎子
- 牧紀子
- 小畑絹子(小畠絹子)
- 雪代敬子
- 田代百合子
- 杉田弘子
- 有沢正子(山内敬子)
- 有田紀子
- 東谷暎子
- 瞳麗子
- 泉京子
- 浅茅しのぶ
- 日比野恵子
- 黒木瞳
- 伊吹友木子
- 藤乃高子
- 山田百合子
- 水原真知子
- 中川弘子
- 紙京子
- 七浦弘子
- 槇芙佐子
- 生田悦子
- 瑳峨三智子
- 中村晃子
- 井川邦子
- 榊ひろみ
- 炎加世子
- ※この元専属の男女優達の中で『小津映画最後のヒロイン→映画「極道の妻たちシリーズ」へ』の岩下志麻を象徴として、松竹退社後や70年代初めの日本映画界の斜陽化以降、映画・テレビドラマでの役柄や世間のイメージが松竹時代から180度激変してしまったスターが多い。
- しかし、今ではDVD化・ビデオ化の充実やテレビ放映(上記の衛星劇場など様々なチャンネルで)で、誰もが彼らの変わる前の松竹時代の作品に気軽に接することが出来る。
[編集] オープニングロゴ
- 富士山の背景に横書きで「松竹映画」の文字。但し、奥山和由によって「シネマ・ジャパネスク」路線が打ち出されると、富士山をイメージしたCGにローマ字で「Shochiku」と表記するオープニングが一時使われていったが、現在は両者を併用している。
[編集] 撮影所
- 2007年現在、京都撮影所のみ現存。
[編集] 松竹洋画
[編集] 洋画買付
1920年(大正9年)11月1日、松竹キネマ合名社創業と同時に、東京歌舞伎座にて自社作品との併映の形で洋画の興行を開始したのを嚆矢とする。松竹キネマ合名社内には外国部が設置され、洋画の買い付けにあたった。同年12月31日、銀座金春館を洋画専門劇場として開場。生駒雷遊や徳川夢声といった一流活弁士を出演させた。翌1921年からは浅草帝国館を松竹洋画の拠点と定めたが、大作の一部は歌舞伎座や明治座でも興行を行った。
一方、関西松竹合名社の手により、1923年5月17日には大阪道頓堀に大阪松竹座が完成。洋画興行と松竹楽劇部(のちのOSK日本歌劇団)による音楽舞踊のアトラクションを採り入れ話題となった。9月1日の関東大震災により、松竹キネマ合名社の外国部は大阪に移転。浅草帝国館は復興し、引き続き松竹洋画の本拠としたが、外国映画社の日本支店の多くは京阪神地区に移転していたため、事実上大阪松竹座が基幹劇場となっていた。
1924年、関西松竹合名社は国産映画の量産に力を入れることになり、洋画の輸入買付を手控える。以降同社は外国映画社から提供を受けた作品を配給する事に専念した(フリー・ブッキング制)。
[編集] 松竹座チェーン
1924年6月、松竹キネマ合名社は新宿武蔵野館と提携。1926年には新宿武蔵野館に代わり目黒キネマが封切館に加わったが、やがて自社作品の拡充のため外国部を廃止して洋画興行および配給から撤退した。
一方、関西松竹合名社は大阪松竹座の成功に伴い、1924年12月31日に京都新京極の明治座を京都松竹座に改称して洋画興行を開始、翌1927年には神戸新開地の神戸松竹劇場を神戸松竹座に改称し、また名古屋末広座を買収して名古屋松竹座とするなど松竹座チェーンが形成された。
1928年8月、浅草松竹座が開業し、翌1929年9月には四谷大木戸の山手劇場を新宿松竹座と改称。松竹座チェーンは東京に進出。また大阪松竹座・浅草松竹座にそれぞれ輸入部を設け、洋画の購入を再開した。
[編集] SPチェーン
1931年5月、松竹座チェーンのライバルであったパラマウント映画チェーンと合併することとなり、松竹パ社興行社を設立。浅草大勝館・新宿松竹座・有楽町邦楽座・新宿武蔵野館・浅草電氣館・大阪松竹座・京都松竹座・神戸松竹座・大阪公楽座を直営劇場として洋画興行を行なったが、これに11月から日比谷帝国劇場が加わった。
なお、トーキーと字幕の発達により、活弁士の解雇が相次いだ。
[編集] SYチェーン
1933年5月、パラマウント側が本来の映画配給に専念すべく、興行も含めた松竹パ社興行社から撤退。6月からSYコンパニー(松竹洋画興行部)が発足した。浅草常磐座・新宿昭和館が新たに加わり、都内の配給網は2系統になった。この後も契約館を増やし、運営母体も1936年4月には松竹興行から独立して松竹洋画興行社となった。
しかしながら、1937年4月、松竹キネマが松竹興行を合併し、現在の松竹株式会社となったため、松竹洋画興行社も合併に参加して、松竹株式会社の洋画部になった。さらに翌1938年洋画の新規輸入が許可制になったため、輸入件数が減少し、洋画部は映画部洋画課に、翌1939年には映画部洋画興行係に機構が縮小されていった。
1940年帝国劇場を失い、洋画購入件数も減少するが、却って希少価値を生んだため興行成績は良好であった。しかし1942年4月に戦時統制に伴う社団法人映画配給社が設立され、松竹の洋画興行はここで一旦終止符が打たれた。
1946年占領軍により設置されたセントラル映画社から、東宝と共に洋画興行を引き受けて復活。セントラル映画社との交渉がこじれ一旦打ち切られるが、翌1947年松竹保善社の名で再契約し、浅草ロキシー映画劇場で洋画興行を行い、同館内にロキシー興行社を設置して洋画興行を復活させた。1949年3月、接収されていた有楽町邦楽座がピカデリー劇場として返還されたのを機に、ロキシー興行社を解消して松竹本社内に洋画係を復活。1950年に洋画配給課が設置され、1927年以来(※)の洋画配給を復活させた(※松竹キネマ時代から数える)。
1951年11月、ユナイテッド・アーティスツ社(ユナイト映画)と提携。興行・配給成績共に洋画界の覇権を握る。配給部門は1955年に外画部、1958年に外国部に改められると共に業容を拡大した。
1959年ユナイト社との提携を解消。別途セレクト・インターナショナル映画社と合弁で松竹セレクト国際映画を設立して、洋画配給部門を独立させた。しかし、翌1960年には基幹劇場の築地・松竹セントラル劇場等数館が日本映画の上映館に転換。「SYチェーン」は事実上崩壊し、全国をカバーする洋画興行はすべて東宝が握る事になった。
[編集] STチェーン
1962年松竹セレクト国際映画はセレクト側が撤退したため、松竹国際映画に改称。しかしながら依然として洋画配給としては弱体であったため、映配株式会社と合併することとなり、10月松竹映配が発足。一方の興行チェーンも東急レクリエーションと提携することで独自の興行チェーンを復活。9月に「松竹・東急チェーン」(STチェーン)が発足した。なお、東急との関係で東映洋画系もこれに含まれることがある。
一方、買付映画の不振により松竹映配の業績は悪化。1973年8月に解散することとなり、受け皿会社として9月に富士映画を発足。1983年松竹富士に改称したが、これも1999年合理化のため解散するなど、配給部門としては長期低迷が続いている。現在、松竹の洋画配給は本社映像本部が行っている。
[編集] TV作品
松竹は経営参加を行ったフジテレビジョンを通じてテレビ進出を図るが、テレビ番組はそれよりも前に手掛けていた。初期はテレビ映画がメインであったが、大阪・毎日放送とスタジオドラマを共同製作していた例もある。なお、大阪地区では他に朝日放送と組んだ「道頓堀アワー」(角座から演芸中継)やよみうりテレビと組んだ「親バカ子バカ」等一連の寛美物のテレビドラマがあった。
[編集] アニメ・特撮
※松竹がこの分野に本格的に参入したのは上掲の通り、つい近年のことである。しかしながら、特撮については劇場用映画として1967年に宇宙大怪獣ギララを僅か一本ながら製作している(この「ギララ」は「男はつらいよ 寅次郎真実一路」にも冒頭の寅次郎の夢シーンで登場する)。また、アニメーションへの参入は更に古く、1943年に松竹動画研究所を設立して「フクちゃんの奇襲」(原作・横山隆一)等戦時下にも拘わらず6作品を製作発表している。この松竹動画は日本アニメーション界の草分け的存在でもある。
[編集] ドラマ
[編集] 時代劇
- 必殺シリーズ
- おしどり右京捕物車
- 斬り抜ける(いずれもABCテレビ)
- 鬼平犯科帳(中村吉右衛門版)
- 剣客商売(藤田まこと版、いずれもフジテレビ)
- 鞍馬天狗(1991年、テレビ東京)
- 父子鷹(1994年1月~3月放送、日本テレビ)
[編集] 現代劇
- おれは男だ!(日本テレビ)
- 岸壁の母(TBSテレビ)
- 大空港(フジテレビ)
- 江戸川乱歩の美女シリーズ
- 探偵・神津恭介の殺人推理
- 天才・神津恭介の殺人推理(いずれもテレビ朝日『土曜ワイド劇場』枠で放送)
- 京都殺人案内
- 京都妖怪地図
- 新・赤かぶ検事奮戦記
- 京都の芸者弁護士事件簿
- 京都のテミス女裁判官(いずれもABCテレビ『土曜ワイド劇場』枠で放送)
- 赤かぶ検事奮戦記
- 京都マル秘指令 ザ新選組(いずれもABCテレビ)
- 京都祇園入り婿刑事事件簿(フジテレビ『金曜エンタテイメント』枠で放送)
[編集] 演劇
[編集] 歌舞伎
多くの歌舞伎俳優と専属契約を結んでおり、歌舞伎の上演と伝承に積極的に取り組んでいる。特に昭和期に東宝が歌舞伎公演から撤退して以降は、歌舞伎俳優の集約が進み歌舞伎界でも特に有力な存在となっている。歌舞伎座・南座・大阪松竹座など傘下の劇場で定期公演を行うほか、『松竹大歌舞伎』として全国巡業を実施し、国立劇場公演にも協力している。
[編集] 新派
- 新派劇の項を参照のこと。
[編集] 松竹新喜劇
- 松竹新喜劇の項を参照のこと。
[編集] 歌劇
- 東京の国際劇場を拠点に興行されていたレビュー(少女歌劇)・ミュージカルについては松竹歌劇団を参照のこと。
- 大阪の大阪松竹座・大阪劇場(大劇)・松映(戦前のみ)を拠点としていたレビューについては、OSK日本歌劇団の項を参照のこと。なお、OSKとは1957年6月をもって関係を絶っている。
[編集] 演芸
- 東京においては、浅草公園六区と新宿角筈で軽演劇と色物中心の演芸を興行していた。浅草松竹演芸場の項を参照のこと(正しくは、新宿は傍系・松竹第一興行の手によるもの)。
- 大阪・神戸では、漫才・奇術・上方落語・音楽ショーなどの寄席興行を行っていた。松竹芸能の項を参照のこと。
[編集] 劇場
- 下記劇場は年数回松竹の興行が行われる。
[編集] 付帯事業
[編集] 賃貸不動産
- 映画・演劇と並ぶ基幹事業となっている。
- ADK松竹スクエア(東京築地 ADK本社ほか)
- 東劇ビル(東京築地 松竹本社も入居)
- 有楽町マリオン(有楽町西武)
- 大船松竹ショッピングセンター(大船撮影所跡 鎌倉三越・イトーヨーカドー大船店)
- 京都松竹第2ビル(京都新京極 グルメシティ京極店)
- 京都松竹第3ビル(京都新京極 フジヤマカフェ)
- 角座ビル(大阪 B1角座)
- 博多STビル(福岡中州 東宝と区分所有 博多エクセルホテル東急)ほか
[編集] プロ野球
- 松竹ロビンスの項を参照。なお、松竹は本格的に球団経営には携わらず、あくまでもスポンサーの立場で終始していた。
[編集] アイススケートリンク
[編集] ボウリング場
- 現在は全て撤退。
- 築地
- 新宿
- 浅草
- 京都太秦
- 神戸新開地
- ほか
[編集] 連結子会社
- 松竹芸能株式会社
- 株式会社松竹エンタテインメント
- 株式会社松竹マルチプレックスシアターズ (MOVIX)
- 株式会社衛星劇場(衛星劇場、ホームドラマチャンネル)
- 株式会社伝統文化放送
- 株式会社ムービーチャンネル
- ほか
[編集] かつて存在した施設
- 松竹キネマ俳優学校
- 松竹キネマ研究所
- 松竹シナリオ研究所
- ボウリング場
- アイススケートリンク
- 松竹歌劇団
- 大阪松竹歌劇団
- 松竹交響楽団
[編集] かつて存在した劇場
- 帝国劇場(東宝経営で現存)
- 新富座
- 市村座
- 国際劇場
- 浅草松竹座
- 浅草松竹演芸場
- 新宿第一劇場(新歌舞伎座・新宿松竹座)
- 新宿松竹座(大国座・新宿歌舞伎座・新宿大劇場)
- 東京劇場(松竹直営の映画館として現存)
- 明治座(松竹の手を離れて現存)
- 名古屋松竹座
- 中京劇場
- 京都座(のちの京都ロキシー。現・MOVIX京都North)
- 京都明治座(のちの京都松竹座。現・MOVIX京都South)
- 夷谷座(のちの京都ピカデリー。現・グルメシティ京極店)
- 京都歌舞伎座(のちのSY松竹京映。現・フジヤマカフェ)
- 文楽座
- 道頓堀浪花座
- 道頓堀中座
- 道頓堀角座
- 道頓堀朝日座(東映に売却)
- 道頓堀弁天座(文楽座・道頓堀朝日座)
- 大阪歌舞伎座
- 大阪劇場
- アシベ劇場
- なんば大劇場(南海難波駅構内。現在のなんばパークスシネマに繋がる)
- なんばロキシー(同上)
- 松映(新世界。旧・大阪国技館)
- 神戸松竹劇場
- 神戸松竹座
- 神戸八千代劇場
- 大博劇場(厳密に言えば松竹の劇場ではない)
[編集] 関連項目
- 白井松次郎 - 創業者
- 大谷竹次郎 - 創業者
- MOVIX - シネマコンプレックス
- 松竹STAR GATE
- 松竹新喜劇
- 松竹歌劇団
- 国際劇場
- 桃色争議
- OSK日本歌劇団 - もとは大阪松竹歌劇団。近鉄傘下となり2003年まで活動。
- 帝国劇場 - 1930年から1940年の間に経営。当初演劇を興行していたが、映画館に転身。現在は東宝直営。
- 明治座 - 戦前期まで経営。戦後は地元有志が設立した別会社で復活。従って現在は無関係。
- ムーランルージュ新宿座 - 太平洋戦争下の一時経営に携わる。
- 松竹ロビンス - かつて存在したプロ野球球団。
- 浅草花やしき - 太平洋戦争下の一時経営に携わる。
- 日本ドリーム観光 - かつての系列会社
- 松竹交響楽団
- 松竹動画研究所
- 城戸四郎
- 小山内薫
- ヘンリー・小谷
- 奥山和由
- 蒲田
- 大船
- 阪東妻三郎プロダクション
- 市川右太衛門プロダクション