城戸四郎
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城戸四郎(きどしろう、1894年8月11日 - 1977年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。元松竹社長。
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[編集] 来歴・人物
東京府東京市京橋区築地出身。実家は精養軒(現 上野精養軒)で旧姓は北村。府立一中、一高、1919年 東京帝国大学法学部英法科卒業。府立一中では徳川夢声、岩元禄らと同期(1912年卒)にあたる。
東大卒業後、国際信託銀行(現 みずほ銀行)を経て、1921年 松竹キネマ合名会社入社。1924年 松竹蒲田撮影所長に。それまでのスター中心の映画作りから監督第一主義を掲げ、田中絹代の『愛染かつら』などののちに「蒲田調」、さらに『君の名は』や、また小津安二郎や山田洋次などが市井の庶民生活を描いた「大船調」、などと呼ばれる松竹映画の黄金時代を築き上げた。戦後の1946年 副社長、1954年 社長に。1971年から会長。享年82歳。
松竹は白井松次郎、大谷竹次郎の松竹兄弟が築いた会社であり大谷の娘婿であった城戸は、松竹兄弟の末弟で松次郎の嗣子の白井信太郎を制して社長となった。この辺に松竹のお家騒動の根っこがあったと見る者もいる(弁護士から業界へ転身した現松竹社長の「迫本淳一」は城戸の孫である)。ちなみにワンマンで名高い城戸のイエスマンとして仕えていたのが奥山親子の奥山融である。丹波哲郎はキネマ旬報の「大放言」の中で城戸没後に影の薄い「あの奥山さんが社長になるとは思わなかった」と驚きを隠していない。
[編集] 総指揮
など
[編集] 著書
- 『日本映画傳・映画製作者の記録』(文藝春秋新社)