帝国劇場
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情報 | ||||
通称 | 帝劇 | |||
正式名称 | ||||
旧名称 | ||||
完成 | 年 | |||
開館 | 1911年3月1日 | |||
開館公演 | ||||
閉館 | 年 | |||
最終公演 | ||||
収容人員 | 1,897人 | |||
客席数 | 1階1,209席、2階688席 | |||
延床面積 | ㎡ | |||
設備 | ||||
用途 | ミュージカル、演劇 | |||
旧用途 | ||||
運営 | 東宝 | |||
所在地 | 〒100-0005 東京都千代田区丸の内3-1-1 |
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電話 | 03-3213-7221 | |||
アクセス | 東京メトロ有楽町駅、B3出口直結 | |||
外部公式 | 帝国劇場 |
帝国劇場(ていこくげきじょう)は、東京都千代田区丸の内三丁目にある東宝の直営演劇劇場。通称「帝劇」と呼ばれている。
目次 |
[編集] 歴史
1911年(明治44年)3月1日、渋沢栄一、大倉喜八郎等の手により日本初の洋式劇場として開場された。横河民輔の設計によるルネサンス建築様式の劇場であった。当時の「今日は帝劇、明日は三越」という宣伝コピーは消費時代の幕開けを象徴する言葉として有名。イタリア人音楽家ローシーを招いてオペラを上演したほか、歌舞伎劇やシェイクスピア劇などが上演された。
1923年の関東大震災では外郭を残して焼け落ちたが、横河民輔により改修され、翌1924年に再開した。1930年松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転向。SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となった。1939年、運営会社を東宝が合併し、翌1940年松竹の賃借期限が切れると共に東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻す。しかし1955年、舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じたが、1964年から翌年にかけての『アラビアのロレンス』を最後に解体。谷口吉郎の設計で新たに現在の帝国劇場が1966年9月29日に落成した。帝劇ビルの一部は落成当時から、石油業界大手の出光興産が本社として使用している。1969年から1984年まで、『日本レコード大賞』発表会も行われた。現在、年間10作品程度上演している。また、大みそかに行なわれる、年末ジャンボ宝くじの抽せん会場としても知られている。(1997年~2005年(2000年を除く)・現在は東京厚生年金会館で行われている)
[編集] 主な公演
- 屋根の上のバイオリン弾き(1967年9月初演)
- レ・ミゼラブル(1987年6月初演)
- ミス・サイゴン(1992年5月初演)
- エリザベート(2000年6月初演)
- SHOCK(2000年11月初演)堂本光一主演
- DREAM BOY(DREAM BOYS)(2004年1月初演)
- マリー・アントワネット(2006年11月初演)
[編集] 定紋
現在は使用されていないが、元来扇子と翁(おきな)の面を組み合わせた物を使用していた。この定紋は運営会社の社章を兼ねていたが、その後、翁面が帝国劇場の英訳頭文字「T・S」を組み合わせた物に代わり、更に東宝と合併したことで東宝マークに切り替わった。現在、帝劇脇の入り口横と、東京メトロ銀座線田原町駅1番線(渋谷行き)ホームの浅草寄りの天井にそれぞれ掲げられている。
[編集] その他
建物は国際ビルとの一体型複合ビルである。