笑ってる場合ですよ!
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笑ってる場合ですよ! | |
---|---|
ジャンル | バラエティ |
放送時間 | 平日12:00~13:00(60分) |
放送期間 | 1980年10月1日~1982年10月1日 |
放送国 | 日本 |
制作局 | フジテレビ |
プロデューサー | 横澤彪 |
出演者 | B&B ツービート 紳助・竜介 のりお・よしお ヒップアップ 明石家さんま 春風亭小朝 山田邦子 九十九一 劇団東京乾電池 ほか |
『笑ってる場合ですよ!』(わらってるばあいですよ)は、フジテレビ系列で1980年(昭和55年)10月1日から1982年(昭和57年)10月1日までの間にかけて放送していたお昼のバラエティ番組である。放送時刻は、日本時間の毎週月曜日から金曜日までの12:00~13:00。
目次 |
[編集] 概要
[編集] ランチタイム番組の大改革
本番組は前番組『日本全国ひる休み』をリニューアルした新しいフジテレビの平日昼のお笑い番組であった。
それまでフジテレビではこの時間帯に、当時人気番組だった「お昼のゴールデンショー」を放送していたが、終了以降はワイドショー番組(ハイヌーンショー)、バラエティー番組やさらに1970年代後半は 前半に視聴者参加型のクイズ番組、後半に連続ドラマ枠(一時期NHK「朝の連続テレビ小説【再放送】」の裏番組だった時期あり)をそれぞれ編成していたが、裏番組としてクイズ番組TBS「ベルトクイズQ&Q」、「スーパーダイスQ」の牙城を崩しきれず、日本テレビ「お昼のワイドショー」、テレビ朝日「アフタヌーンショー」とも視聴率で大きく水を開けられる長期低落傾向が続き、この時のフジテレビは「不治の病」や「番外地」と揶揄されていた。
そこでランチタイム番組の大改革を図るべく企画されたのが、当時大ブレイクした漫才のタレントを多数出演メンバーに起用したバラエティ番組であった。漫才ブームの仕掛け人・横澤彪(当時フジテレビディレクター)がプロデュースし、新宿駅近くのスタジオアルタからの公開生放送であり、司会のB&B(島田洋七、洋八)、レギュラーのツービート(ビートたけし、ビートきよし)や紳助・竜介(島田紳助、松本竜介)、のりお・よしお(西川のりお、上方よしお)ら(いずれも後に土曜20時の「オレたちひょうきん族」に出演)、当時の若年層に人気のあった漫才・コントタレントが続々と登場し、フジテレビの看板ランチタイム番組に育てあげ、お昼の時間帯を大きく変え、さらに、後番組の「笑っていいとも!」に引き継がれて、現在に至る。
なお、タイトルの由来は、上司が「今、フジテレビは笑っている場合じゃないだろ!!(当時視聴率が全般的に低迷していた)」と言ったことにヒントを得たという。
[編集] 新たなスターを次々と輩出
また、将来お笑いをリードしようとする若手を育成するためのコーナーとして「お笑い君こそスターだ!」というコーナーがあった。このコーナーでは毎回アマチュア、あるいはプロでもまだブレークしていない無名のお笑いタレントに門戸を開放し、全国の視聴者からの支持が一定量集まれば合格で、これを5日間繰り返して勝ち抜けばグランドチャンピオンとなるというものである。グランドチャンピオンになった芸人は天井に吊るされたくす玉が割れ紙吹雪と風船が降り、観客からの拍手・歓声で新たなスターの門出を祝福された。
このコーナーからは山田邦子、ダウンタウンや、ザ・ホープ、ハイヒール・モモコ、そのまんま東(現:東国原英夫、当時は「オスカル・メスカル」)、大川興業といった人材を輩出した。
ちなみに現在、フジテレビ編成制作局バラエティ制作センター部長の水口昌彦が京都大学工学部電子工学科時代の1981年に漫才コンビ「にっちもさっちも」で5日連続で勝ち抜き、11代目チャンピオンになっている。他にもフジテレビアナウンサー・牧原俊幸も素人として番組に参加。また、島田洋七曰く自分の祖母(佐賀のがばいばあちゃん)も番組に出演した。
また、当時文化放送で放送中の「ザ・マンザイクイズ」の司会を担当していた同局アナウンサー・大野勢太郎(現フリー・当時は「大野正」名義)が素人として「ぼんちの物まねグランプリ」に出演、というハプニングも話題となった。
[編集] 番組の終焉
しかし、中高生が学校を無断で欠席してスタジオ見学に来たことや、番組のマンネリもあったことから1982年10月1日でこの番組を打ち切られて終了[1]した。
[編集] 番組終了後
同年10月4日からの後番組、タモリが司会の人気長寿バラエティ、『笑っていいとも!』が同じスタジオアルタを舞台にスタートを切ったのである(この『笑っていいとも!』では18歳未満、及び現在は18歳以上であっても高校生のスタジオ見学応募は原則として禁止されている)。
[編集] 負傷事故
番組終了には直接結びつかなかったが、放送日が祝日(成人の日)と重なった1981年1月15日には、殺到した観覧希望者(当時番組観覧は先着順で、中には小学生までいたという)が将棋倒しとなり2名が負傷する事態に。この結果、やむなく番組初の無観客放送となってしまった(翌日の新聞には「笑ってる場合じゃない!」といった見出しで報じられた)。これが次番組の『笑っていいとも!』における観覧者制限にもつながっている。
[編集] スタッフ
- プロデューサー:横澤彪
- ディレクター:ひょうきんディレクターズ(三宅恵介、佐藤義和、荻野繁、山縣慎司、永峰明)
[編集] ネットしていた局
※太字は同時ネット局
- 山梨放送(日本テレビ系)
- 長野放送
- テレビ静岡
- 富山テレビ
- 石川テレビ
- 福井テレビ
- 東海テレビ
- 関西テレビ
- 山陰中央テレビ
- テレビ岡山(現:岡山放送)
- テレビ新広島
- 愛媛放送(現:テレビ愛媛)
- テレビ西日本
- サガテレビ
- テレビ長崎(当時NNSにも加盟)
- テレビ熊本(当時NNN(1982年3月まで)・ANNにも加盟)
- テレビ宮崎(NNN・ANNにも加盟のトリプルネット)
- 鹿児島テレビ(当時NNS・ANNにも加盟のトリプルネット)
- 沖縄テレビ
[編集] 備考
福島テレビはJNNにも加盟しているクロスネットで『ベルトクイズQ&Q』・『ポーラテレビ小説』をネットしていた関係で、新潟総合テレビはNNN・ANNにも加盟のトリプルネット(1981年4月1日からはANNにも加盟のクロスネット)で平日正午に『アフタヌーンショー』をネットしていた関係で、またローカルセールス枠にも空きがなかったためか、どちらの局とも遅れネット放送もされなかった。
テレビ長崎はNNSにも加盟のクロスネットだった関係で、『お昼のワイドショー』を同時ネットしていたため、遅れネットとなった。
[編集] 番組フォーマット
- オープニング
- 司会のB&Bの即席漫才、タイトルコール、ナレーション(岩尾良二→水島裕)による出演者紹介 ※●は末期のコーナー
- B&Bのコーナー
- 月曜日:一発ギャグ勝負(視聴者投稿)→私もレポーター→奥様ダジャレですよ→不明→●B&Bのホンマかいな!
- 火曜日:もうすぐ結婚式(結婚直前のカップルが登場・カップル本人による再現ドラマもあった)
- 水曜日:B&B昼のいこい(※)
- 木曜日:誰でものど自慢(●末期は月曜に移動)
- 金曜日:不明
- 日替りコーナー
- 月曜日:ザ・ぼんちの物まねグランプリ - 井手らっきょがこのコーナーで芸能界入りした。●末期は金曜に移動。→●底抜けトンチ教室- レギュラーメンバーと落語家が対決、数ヶ月で終了。
- 火曜日:ツービートのロック&ブス - ビートたけしが足立区バンドをバックにロックナンバーを歌った後、勝ち抜きブス合戦(素人が登場しどちらがブスか競いあう)に突入。→●きよし・邦子の栄養料理学入門 -ビートきよしと栄養士の資格を持つ山田邦子の料理コーナー。 ●タケちゃんの恋人交換
- 水曜日:紳竜の料理好きやねん - 島田紳助が毎回玄人はだしの料理の腕前を披露。できあがった料理をB&Bと共に御葉書を紹介しながら会食。※→●紳竜の肉体蟻地獄(挑戦コーナー)&葉書紹介
- ●ヒップアップのザ・グレートショー(末期は水曜のみ演芸コーナーがなかった)
- 木曜日:春風亭小朝のちょっと教えて(雑学コーナー)→明石家さんまの「減点マネージャー」(NHKテレビ三波伸介の「減点パパ」のマネージャーとタレント版)→●若妻の告白・私はだまされた(さんま、のりお・よしおによる模擬裁判、最末期は人生相談に)
- 金曜日:のりお・よしおのウグイス道場→のりお・よしおの「この男に愛の手を」→●九十九一のクイズ&ゲーム→根暗バンザイ
- 日刊乾電池ニュース
- お笑い君こそスターだ!
- 日本テレビ系列の『お笑いスター誕生!!』を向こうに回した企画(『君こそスターだ!』自体、『スター誕生!』の対抗番組としてフジテレビで放送されていたもの。)。電話投票によって勝ち抜け。
- 演芸コーナー
- 日替りで当時最も売れていたお笑い芸人が持ちネタを披露。
- あの人に聞け!
- 洋七の「人は見かけによらぬもの!聞いてみなけりゃ分からない!ワカマッチャ~!」のフレーズで始まるクイズコーナー。洋八がアルタ前に出向き、通行人を掴まえて洋七がその人にいろいろと質問。それがそのままクイズとなったもの。解答者は曜日別レギュラー・東京乾電池メンバー・ゲストが務めた。時折、放送時間の関係上、そのままエンディングに突入したこともあった。●末期は各曜日司会が務めた。
- エンディング
[編集] 番組末期(1982年4月~最終回)
末期の1982年4月以降はB&Bが総合司会からはずれ、各曜日別司会・レギュラーになった。
- 月曜日:B&B、太平サブロー・シロー
- 火曜日:ツービート、山田邦子
- 水曜日:紳助・竜介、ヒップアップ
- 木曜日:明石家さんま、のりお・よしお
- 金曜日:ザ・ぼんち、九十九一
[編集] 脚注
- ^ 景山民夫『極楽TV』(新潮文庫)に収録されている、景山と横澤の対談によると、この番組が限界になったのは以下の理由による。
- 出演するアマチュアが底をつき、質が悪化したこと
- 観覧に来る視聴者のレベルが低下したこと
- 番組の主な出演者であった漫才師の姿勢がイージーであったこと
[編集] 関連項目
- お笑いスター誕生!!(日本テレビのお笑いコンテスト番組)
- もう一度笑ってる場合ですよ!(本番組のダイジェスト番組)
- フジテレビ番組一覧
[編集] 番組の入れ替わり
フジテレビ系 平日正午枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
笑ってる場合ですよ!
|