正露丸
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正露丸(せいろがん)は、日局木クレオソート(別名日局クレオソート)を主成分とした胃腸薬(止瀉薬)のこと。医薬品。旧称は征露丸。
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[編集] 概要
正露丸は日局木クレオソートを主成分とする一般用医薬品。製造するメーカーや製品によって多少の配合の違いがある。
本来は丸薬であるが、特有の臭いと苦味があるため糖衣錠タイプのものも発売されている。
正露丸は過去には商標登録されたこともあったが、現在はすべて無効となっており、商標権を持たない会社でも「正露丸」等の商品名を使用することが認められている。よってラッパのマークでない正露丸も多数存在する。(詳しくは後述)
[編集] 効能と毒性
一般的に正露丸の効能は以下の通りである。
戦前には結核や虚弱体質などにも効果があるとされ、いわゆる万能薬として用いられていたようである。
しかし、主成分である日局木クレオソート(木クレオソート)は医療用医薬品としては歯科領域における鎮痛鎮静や根管の消毒用としてのみ許可されている。一方、一般用医薬品としては、下痢、消化不良による下痢、食あたり、はき下し、水あたり、くだり腹、軟便の効能が許可されている。木クレオソートは強力な殺菌防腐剤であり、高濃度での長時間作用は細胞を破壊し壊死させる性質を持つことから、正露丸の注意書きには「皮膚に付着したらせっけん及び湯を使ってよく洗ってください」と書かれている。歯科で使用する場合にも、誤って粘膜に触れた場合は直ちに洗浄を行うこととなっている。
そのため、正露丸はその使用法や適応症が確立されているにもかかわらず、危険な薬であるとされることがある。 実際に腸炎で入院した患者を調べたところ腸の内壁に正露丸が付着し炎症が起こっていたという症例報告もあり、長期間の連用や、定められた用量を超える服用をしないように注意する必要がある。特に感染症に起因する下痢で発熱・血便のある場合は、むやみに薬剤で止めようとせず、できるだけ排泄し、充分な水分を摂取することが望ましいとされている。
木クレオソートの止瀉薬としての作用機序についてはまだ完全に解明されたわけではないが、従来考えられてきた消化管内の殺菌によるものではなく、血中に吸収された木クレオソートが腸管の運動を正常化することと水分分泌を抑制することによるとする説[1]のほうが現在では有力である。(ただし、大幸薬品のCMでは「腸の動きを止めずに下痢を抑える」と説明されている。[2])
[編集] 歴史
明治の初め、日清戦争において不衛生な水源による伝染病に悩まされた帝国陸軍は感染症の対策に取り組んでいた。陸軍軍医学校の教官であった戸塚機知三等軍医正は、1903年にクレオソート剤がチフス菌に対する著明な抑制効果を持つことを発見する(ただしこれに関しては異説もあり、正露丸の元祖を自認する大幸薬品は陸軍よりも1年早い1902年に大阪の薬商である中島佐一氏が征露丸を開発し販売を開始したと主張している)。
ドイツ医学に傾倒していた森林太郎(森鴎外)ら陸軍の軍医たちは、チフス以上に多くの将兵を失う原因となった脚気もまた未知の微生物による感染症であろうという仮説を持っていた。そのため強力な殺菌力を持つクレオソートは脚気に対しても有効であるに違いないと考え、日露戦争に赴く将兵にこれを大量に配付し連日服用させる事とした。ちなみに当時の陸軍におけるこの丸薬の正式名称は「クレオソート丸」であり、征露丸はあくまでも俗称である。「征露」という言葉はロシアをやっつけるという意味で、その当時の流行語であった。
しかしまだ予防的投薬という概念も一般には浸透していない時代のこと、特異な臭気を放つ得体の知れない丸薬は敬遠されてなかなか指示通りには飲んでもらえない。そこで軍首脳部は一計を案じ、その服薬を「陛下ノゴ希望ニヨリ」と明治天皇の名を借りて奨励することとした。この機転によってコンプライアンスは著しく向上し、下痢や腹痛により戦線を離脱する兵士は激減したといわれる。しかし当然のことながら軍医の期待した脚気菌(当然そんなものは存在しないのだが)に対する効果は一向に現れず、戦意高揚を重視してビタミンに欠ける白米中心の美食(当時としては)にこだわった陸軍は日露戦争においても全将兵のおよそ3人に1人に相当する25万人が脚気に倒れ、27,800人もの尊い生命がこの病のために異国の地で失われることとなった(ちなみに早くから脚気が栄養障害に起因する疾患であると見抜き、糧食にパンや麦飯を採用していた海軍は脚気による戦病死者を一人も出していない)。
このように脚気に対してはまったく無力であったものの、征露丸の止瀉作用や歯髄鎮静効果は帰還した軍人たちの体験談として多少の誇張も交えて伝えられ、また戦勝ムードの中でネーミングの秀逸さも手伝い「ロシアを倒した万能薬」は多くのメーカーから競い合うように製造販売され、日本独自の国民薬として普及していくこととなる。またその薬効のあらたかなるところは戦前の日本勢力圏においては広く知れ渡っており、韓国では1960年代から現地製薬会社(東星製薬)より販売され、知名度が高い。現在もなお台湾、中華民国や中華人民共和国などアジア諸国からの渡航者の土産物として珍重されているという。
軍の装備品としての配給は日露戦争終結後の1906年に廃止されたが、その後も継続して常備薬として利用されてきた。2007年にはおよそ100年ぶりに自衛隊の国際連合ネパール支援団派遣時の装備品にも復活している。
日露戦争ならびに第二次世界大戦終結後、国際信義上「征」の字を使うことには好ましくないとの行政指導があり正露丸と改められたが、奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは現在も一貫して征露丸の名前で販売を続けている。
[編集] 諸権利の問題
1954年に業界第一位で中島佐一の「忠勇征露丸」製造販売権を継承する大幸薬品(大阪府吹田市)が商標登録を行い「正露丸」の名称の独占的使用権を主張したが、クレオソートの製法を独自開発し物資不足の第二次大戦中も軍に征露丸の納入を続けた和泉薬品工業などからの反発を受け、20年にわたる裁判の結果1974年3月に「正露丸はクレオソートを主材とした整腸剤の一般的な名称として国民に認識されており、これを固有の商標とした特許庁の審決を取り消す」という最高裁判決が確定した。
正露丸の商標は現在も大幸薬品が所有しているが、他社が正露丸の名で販売しても構わないという、「アスピリン」などと同様にいわゆるパブリック・ドメインとしての地位が確立された数少ない医薬品のひとつであると言えよう。
なお2005年11月にパッケージの類似性を理由に大幸薬品が和泉薬品工業を相手取って損害賠償を求める裁判を起こしていたが、2006年7月27日大阪地方裁判所は訴えを棄却した。大幸薬品はこれを不服として同年8月7日、大阪高等裁判所に控訴した。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 大幸薬品株式会社(公式サイト)
- 和泉薬品工業株式会社(公式サイト)
- 薬害オンブズパースン会議:調査・検討対象(正露丸等クレオソート製剤に関する項目)
- 宮千代加藤内科医院(正露丸の薬害に関する研究がある)
- 大幸薬品株式会社:木クレオソートの誤解(木クレオソートの安全性についての記述がある)