山本圭一
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山本 圭一(やまもと けいいち、本名同じ、旧芸名:山本 圭壱(読み同じ)、1968年2月23日 - )は、東京都生まれ、広島県育ちの元お笑いタレント、俳優で、お笑いコンビ・極楽とんぼのボケを担当していた。このコンビでの相方は加藤浩次。血液型O型。愛称は「山さん」「ブーさん」「山様」
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[編集] 経歴
東京で生まれ、3歳で広島県広島市に転居する。圭一という名前は母親がファンだという俳優山本圭から採られた。
広島大学附属東雲小学校(学力試験はない)地元の公立中学校に進み、高校は私立広島県瀬戸内高等学校へ進学、野球部に入部したが20日間のみの在籍だったという。
野球部を退部後、サッカー部に移籍し数ヶ月籍を入れた後に当時同郷で「ブレイクダンスの神様」と言われた風見しんごらが流行らせたブレイクダンスに夢中になった、広島平和公園等で踊り観光客の注目を浴びた。
高校卒業後上京し、天宮良が在籍していた当時日本一有名なショーパブだった「タップチップス」の面接に合格して修行したが病気になり一度広島に戻る、20歳の時再び上京し有名になりたいと「東京ヴォードヴィルショー」の面接を受け再び合格して在籍、ここで加藤と出会い加藤の本名が“浩二”(“山本”という名字と合わせると山本自身がファンである広島東洋カープ所属の山本浩二と名前が同じになるため)と聞き運命的なものを感じてコンビを組む。
1989年、月謝の滞納が続き金銭的に苦しいと思っていた所、雑誌の切り抜きに“吉本興業、東京進出! 新規芸人募集!”の広告記事が目に付いた、これに飛び付き加藤とともに吉本興業入りし「極楽とんぼ」を結成、『新しい波』のディレクターだった片岡飛鳥(現在はめちゃイケ総監督)に舞台で見出され抜擢され、『めちゃ²イケてるッ!(めちゃイケ)』の前身『とぶくすり』出演でブレイクした。
2002年11月2日、桜美林大学の学園祭の「お笑いライブショー」に出演した際、加藤・観客から下半身を露出を要求され、舞台上で数秒間露出。一部の観客に通報され、警視庁町田署により公然わいせつの疑いで加藤と共に書類送検される。この事件が原因で当時「極楽とんぼ」として出演していた天才てれびくんの司会を降板する事になった(事件発覚後NHKに「極楽とんぼを降板させないで欲しい」という要望が多数寄せられたが、NHK側はこの不祥事を重く見た上で「当番組の司会および、今後放送される当局の番組に出演させるタレントとして相応しくない」と判断、一方的に降板された形となった)この事件はレギュラー出演中のTBSラジオ「極楽とんぼの吠え魂」での罰ゲーム企画で10月下旬に行った包茎手術の話題から、加藤や観客がライブで煽った事が原因とされる。町田署での事情聴取の後、口頭で厳重注意を受けるものの山本・加藤共に不起訴扱いとなった。さらに過去のトラブルの多さが災いした事もあり山本だけがクローズアップされてしまう形となる。
2003年6月、写真週刊誌に山本と一時期交際していたと称するホステスの女性(当時23歳)のインタビュー記事が掲載される。その記事によると同年1月、山本は女性に「子供作ろうか」と持ちかけ、同年5月に妊娠した事を打ち明けられた際、態度を豹変させ「俺の名前に傷が付く!そんな子供一生会わない!」と激怒し、中絶費用を渡して中絶させたという。当時所属していた吉本興業によると山本は中絶させた事実を認めたという。 当時出演していた極楽とんぼの吠え魂においては、「今は触れられない」という主旨の発言をしている。当時レギュラー出演していた「めちゃイケ」は、報道がなされた週にこの件をネタにしたと思われる内容を含んで放送している。 当該女性は翌年2月に「夏樹レイナ」という芸名で、山本との関係を連想させるタイトルのアダルトビデオに出演した。
[編集] 芸能界追放
2006年7月16日、茨城ゴールデンゴールズ遠征試合で訪れた北海道函館市にて、同席していた未成年の少女から「酒を飲まされ強姦をされた」という内容の被害届を17日に提出され、同日北海道警察函館西警察署より事情聴取を受ける。この日ゴールデンゴールズの試合が行われていたが、この時萩本欽一監督とメンバーは事件の詳細を知らなかったため、欠場理由を「体調不良」として当日集まった観客に説明し、そのまま予定通り試合を行った。
7月18日、所属事務所の吉本興業は、上記不祥事の報告を本人から受けて「専属芸能家契約の解除」を発表した。
7月21日、ゴールデンゴールズ監督の萩本欽一は、これを連帯責任であるとしてチームの解散を示唆した(解散案についてはスポンサーや後援会らの説得で後に撤回)。また、球団は同日付で山本の登録抹消と除名処分、同席していた2人の選手の当面の謹慎処分を発表した。
7月19日午後、吉本興業東京本部での記者会見上で、水上晴司取締役制作・営業統括本部長などが山本圭一の芸能活動の中止とお笑いコンビ「極楽とんぼ」の解散を文書で発表した(会見には本人は出席していない)。また、出演していたTV番組やラジオ番組のほとんどが、放送中止又は出演部分がカットされる措置が取られた。
上記の会見後、この事件の影響を重く見た吉本興業は所属するタレント全員に対し「当面の間飲み会及び合コンの類を禁止する」と通告する、という前代未聞の処置を施した。
8月29日、北海道警函館西警察署は山本を強姦の容疑で書類送検した→ウィキニュース。なお、読売・朝日・毎日新聞は「山本容疑者」、産経新聞は「山本元メンバー」という呼称を使って報じた。
10月3日、被害者である少女とその保護者との和解が成立し、被害者が告訴を取り下げた事で函館地検は不起訴処分とした。
[編集] 芸能界引退後
山本は現在、野球を通しての知り合いを通し東京都から宮崎県日向市に居を移しているとされる事が2007年3月放送の「アッコにおまかせ!」で公表された。現在は地元の青果市場でバイトをしながら、ホームヘルパー等いろいろな資格の取得に励み、空いた時間はサーフィンとボランティア活動を行うという生活を送っている(前年、延岡市でヘルパー、特殊小型船舶、小型船舶、フォークリフト、パワーショベル、普通自動二輪、大型自動二輪、大型、大型特殊、けん引、サーフィンのインストラクターを取得)。現在の宮崎県知事でタレント時代に似た様な境遇の過去を持つ東国原英夫(元お笑いタレント・初代そのまんま東)は「気が向いたら知事公舎に遊びに来てください」と声を寄せていた事も明かされた(また、宮崎市在住で、茨城GGの姉妹チーム「宮崎GG」のGM片岡光宏も山本の球界復帰を助言している)。2007年1月12日には、日向市お倉ヶ浜総合公園野球場内でキャンプに訪れている茨城GGの萩本監督と茨城GGメンバー全員に謝罪した。その際にスーパーモーニングのインタビューにて、事件の詳細に関連する質問に対し「事件については被害者とその家族の事もありコメントできない、悪いのは自分」と反省の弁を述べた。芸能界の復帰についての質問には、「まだ何も決めていない。まだ謝らないといけない所があるので」とコメントした。 2008年1月26日、ニッポン放送『アッコのいいかげんに1000回』の中で、パーソナリティーを務める和田アキ子が、(山本は)宮崎県内のスーパーで働いていると語った。 その後、宮崎県内にBAR「オアシス」をオープンしている。
[編集] 人物
様々なバラエティ番組で活躍する一方、映画『黄泉がえり』『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』、テレビドラマ『ナースマン』『独身3!!』等で俳優としても活躍していた。
体重100kgを超す巨漢だが、動きが軽快でスポーツ万能な「動けるデブ」。出演した番組で時折見せる見事なダンスは若い頃に勤めていたショーパブ仕込みとの噂も(本人は頑なに否定)。 また野球のイメージが強い山本だが、一時期サッカー部に在籍していたこともあり、サッカーでもゴールキーパーとしてかなりの実力を発揮。(ポジションは不明)相方の加藤を含め、サッカー部出身が多く、ヒデを初め輝かしい実績を保持する吉本興業のかつての同僚だった芸人らも「チラベルトばりの攻撃的プレイもできて、相手の弱点を突くところも冴えている。野球より向いてるのでは?」と高く評価されたほど。ちなみにサッカーへの関心はそこそこあるらしい。(ちなみに加藤は野球に全くといってもいいほど興味がなく、選手もほとんど知らない)
演歌歌手の水前寺清子に「どうして歌い手にならなかったんですか?」と言わしめた程の歌唱力の持ち主でもある。
デビュー当初は相方より痩せていた。相方の加藤に「キャラクターとして太った方がいい」とアドバイスされたのが太った原因とも言われている(ネタという説もある)。 「山奥~豚の乱~」で圭昌院様(やま様の母上)に「自分(加藤)がもてるから」という理由で太ったと言われた際、加藤が「ババァ何言い出してんだよ」と激怒した。更に『めちゃイケ』では、その風貌から「紅の豚」と呼ばれており、同時期に頭髪が薄毛になってきていた事もあった事から(本人いわく「つむじが大きくなった」と言っている)、メンバーからは「デブハゲ」と言われていた。
かつて“芸能界屈指のバカ”と呼ばれていた。知的障害児の研究で有名な広島大学附属東雲小学校(学力試験は行われていない)に入学した。当時から学力は極めて低く中学は地域の公立校に通った。高校は入試が無く「単願」で入学可能な高校だった。高校時代は、ゴルフ部に在籍した事もあり、田中秀道の3年先輩に当たる。
タレント時代は堀内健や石橋貴明らと遊ぶことがあった、自身はなんとか石橋家に呼んでもらおうと画策するも、夫人である鈴木保奈美が石橋貴明に対し「あの人だけは絶対に家には連れて来ないで」と釘を刺されたため、実現には至らなかった(2004年放送のフジテレビ「27時間テレビ・生笑わず嫌い王」内にて)。
派手好きであり、めちゃイケの数取団ではピンクのボクサーパンツを履いており、矢部浩之に「派手なパンツ履いとるな」と突っ込まれていた。
また大のプロレス好きであり、めちゃ×2イケてるッ!内で、加藤と組み「極楽同盟(極悪同盟)」を結成し、クラッシュギャルズ等女子プロレスラーと戦っている他、天才てれびくんワイド内にてAD山本として実際にDDT第78代アイアンマンヘビーメタル級王座を獲得している。
一時期「極楽とんぼの面白い方」と呼ばれていたことがあった。めちゃイケ内で加藤浩次が暴露し同時に自身が芸人としてではなく、俳優やスポーツキャスターとしてのテレビ出演が多いことから「極楽とんぼの面白くない方」と揶揄されていたことをカミングアウトしている。(加藤がドラマやスポーツ番組等で出演している事に関しては数取団から派生したミニコーナー「スモウライダー」の初期テーマソング内でもネタにされていた)
国内A級ライセンスを所持しており、一時近藤真彦の影響でタレントレーサーに憧れていた。タレント時代の愛車はランドローバー(現在は不明)。
茨城ゴールデンゴールズに所属していた頃は麻雀関係の深夜番組の収録を終えた際、すぐ徹夜明けで試合に駆けつけ、代打として出場し、ヒットを打った事もある。
[編集] 番組
2005年7月12日のお笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルを見て自ら出演をオファーし、同年11月15日放送の第3弾に出演、準決勝まで勝ち残った。
その作詞・作曲能力には定評があり、『めちゃイケ』での「油谷さんシリーズ」(テレビで最後に映ったのがそのキャラだった)や企画DVD『俺たちテレビ不適合者』内で「仮の話ですけど」等、独自で創り上げた数々の名曲(迷曲)を世に送り出していた。また、アコーディオンも弾けたので、企画モノではそれを芸の一環として度々披露していた。
[編集] 野球活動
高校時代、野球部には20日間在籍したが、その後は野球部先輩の眼が恐く学校へはあまり行かなかった。しかし瀬戸内高の甲子園出場時には「あの~覚えておられます?」と母校へ電話すると「お~覚えとるよ~」と言われたのでボールを10ケース送った。
吉本興業の若手芸人を中心に結成されていた草野球チーム「神様」の監督兼投手兼一塁手。2005年に萩本欽一が創設した社会人野球チーム・茨城ゴールデンゴールズの入団テストに外野手として合格した(背番号77、2006年度は5に変更。 登録名は「やまもと圭壱」)。このゴールデンゴールズ入りは、草野球チーム日本一を目指す山本が使えそうな選手を自チーム「神様」に引き抜くのが目的とも言われており、萩本は苦笑いしていた。しかし不祥事の影響により解雇され、ゴールデンゴールズを解散寸前まで追い込む事になってしまい、同時に自らが率いていた草野球チーム「神様」も解散する事となった。
野球と言えば『めちゃイケ』に「山本球団」というコーナーを持っていたが、過去3回の放送は全てプロ野球オールスターゲームの裏番組としての企画とは言えいずれも史上最低視聴率を記録し、第3回放送を最後に事実上の終了、まさにコアな山本ファンのみのコーナーであった。
[編集] 過去に出演した、山本単独での出演番組
- THEわれめDEポン(フジテレビ系列)
- 仮面ライダークウガ(テレビ朝日系列)第7話、喫茶店「ポレポレ」に入ってくる客の役。出番は一瞬だが、OPにはしっかり名前がクレジットされている。
- おはスタ(テレビ東京系列)
- ラブ・レボリューション(フジテレビ系列)
- 独身3(テレビ朝日系列)
- ナースマン(日本テレビ系列)
- 伝説の秋田犬 ハチ(日本テレビ系列)
- キャッチ・ザ・エキサイトベースボール土曜日(TBSラジオ)
- 山本圭壱のスポーツBOMBER!土曜日(TBSラジオ)2005年3月終了
- 山本圭壱の道楽野球~いつでもフルスイング~(TBSラジオ)2005年9月終了
- 山本圭壱の道楽野球~サタデー~(TBSラジオ)2006年3月終了