猿岩石
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猿岩石(さるがんせき)は太田プロダクションに所属していた日本のお笑いコンビ及び歌手である(1994年 - 2004年)。
グループ名の由来は、中学校時代の有吉と森脇それぞれの片思いの女の子のあだ名、「猿女房」「ほくろ岩石」の「猿」と「岩石」をくっつけて出来た。「猿女房」は「猿に似た男の子とつきあっていた」から、「ほくろ岩石」は「岩石みたいなほくろが顔にあった」からついたあだ名らしい(後にテレビで、「実は片想いなんかではなく、ただ単に同級生で評判の良くなかった女の子達のあだ名をコンビ名にした」と有吉が暴露していたらしい)。
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[編集] メンバー
[編集] 歴史
1994年4月に結成した。いくつかの時期に分けて記述する。
1994年6月、2人で揃って広島県から東京都にバスで上京。上京後は、しばらく文京区後楽園周辺で野宿をしていた。
[編集] 『進め!電波少年』ヒッチハイク時代
1996年4月、テレビ番組『進め!電波少年』の企画で「だまされて」香港に連れてこられた。そこで告げられたのは「イギリスまでヒッチハイクで行け」だった。そこから、旅が始まった。最初は猿岩石はリタイヤをいつでも出来る、しょせんTV企画という甘えがあったと語っている。最初の頃は知名度の無さから低迷していたが、インドを過ぎた頃から人気が出始めた。多少のヤラセ臭さはあったが、元々『電波少年』が治外法権的な所もあったのか、そのような点を超越しての人気だった。この企画で『電波少年』の人気は持ち直し、2003年まで続く事になった。二人は1996年10月に無事ゴールした。爆風スランプにより応援歌「旅人よ ~The Longest Journey」も発売され、それも人気になった。また、ヒッチハイク時代を書いた書籍『猿岩石日記』もシリーズ累計で250万部のベストセラーになった。
[編集] 帰国直後の人気絶頂時代
帰国後、人気者になっていた猿岩石はテレビその他に引っ張りだこになった。しかし、11月にバンコク(タイ)~ヤンゴン(ミャンマー)間、ヤンゴン~コルカタ(インド)間、テヘラン(イラン)~アンカラ(トルコ)間の3ヶ所で飛行機に乗っていた事が発覚。問題になるが、「危険地帯であった」という釈明があり、騒動は収束する。
12月、秋元康のプロデュースにより、藤井フミヤ、藤井尚之兄弟提供の「白い雲のように」を発売する。ヒッチハイクを連想させる様な曲でミリオンセラーになり、1997年の日本レコード大賞の新人賞を受賞し、その後もヒット曲を連発。しかし、紅白歌合戦には出場できなかった。
また、当時放送されており、事務所の先輩である松村邦洋がパーソナリティを担当していたラジオ番組、『松村邦洋のオールナイトニッポン』にもしばしば出演していた。
[編集] その後の猿岩石、そして解散へ…
しかし、猿岩石人気も長く続かなかった。これと言った芸を持っておらず、トークはセンスこそそこそこあったが、常にローテンションかつグダグダ気味で、 内容もディープな下ネタなど、ゴールデン向きではなかった事が主な原因だと思われる。 また、有吉が人気の上昇と共に「天狗」的な態度もしばしば見受けられるようになり、その辺も人気の低下の原因の一部とも言われている。
ただ、出演した番組で和田アキ子に「大物の予感がするぞ」と言われた事もあった。
[編集] 地元広島でのローカルタレント化
地元、広島の放送局中国放送で1997年より放送開始した『KEN-JIN』レギュラーとして出演を開始した。出演開始当初は全国レギュラーも多かったが、次第にレギュラーが少なくなり、出演番組が「KEN-JIN」と「あの人は今」程度しか無くなり、結果として広島のローカルタレント化していった。2001年3月にその番組の横山雄二アナと猿岩石で「KEN-JIN BAND」を結成。デビュー曲「Hungryman/dear」を発売した。その後もシングル発売が続き、猿岩石解散後も「KEN-JIN BAND」は有吉と劇団ひとり、そして横山アナで続いていた。ちなみに、2000年頃進研ゼミ中学講座の読者コーナーでロケによる連載も行っていた。
[編集] 森脇ホストクラブ経営説
1999年の写真週刊誌に「森脇がホストクラブのホストをしている」記事が載った。その事に対して、その記事自体を2人はネタにしている。2001年頃には経営を止めていたらしい。
[編集] 手裏剣トリオへの改名
2001年4月、フジテレビの「プレゼンタイガー」の企画で「手裏剣トリオ」に改名した。もう一つの案として「なうまんぞう」もあったが、自ら「手裏剣トリオ」を選んだ。その頃、「さまぁ~ず」等、芸人の改名が多く、成功例も多かったが、猿岩石の場合は人気が出ずに同年の9月28日に「プレゼンタイガー」で「猿岩石への再改名」を宣言、「猿岩石」に戻った。
[編集] 解散へ
そして、2004年3月に有吉のお笑い芸人志向、森脇の役者・音楽家・実業家志向と方向性の違いより解散した。
[編集] 現在のメンバーの動向
- 有吉弘行
- 解散後もピン芸人として活動。「一発屋芸人」であることを押し出した自虐ネタが多い。上島竜兵率いる竜兵会のメンバーとしても活躍している。2004年4月に「KEN-JIN BAND」の新曲「ロケット/働クオトコノウタ」を発売した。
- 森脇和成
- 殆ど芸能活動はせずにホスト業を営んでいたが、2006年10月26日放送のアメトークにてVTR出演し、会社経営者(専務取締役)になっていた事を明かす。(詳しい業種については語られなかったが、環境保全を行っているらしい)同VTRで、『白い雲のように』を歌ったが、スタジオでそれを見ていた有吉は「昔よりうまくなってる!」と言っていた。2007年2月、家事手伝いの女性と結婚したことが明らかとなった。しかし有吉をはじめ芸能関係者は結婚式や披露宴にはほとんど出席しなかった。
[編集] 賞など
- 1997年、第34回ゴールデン・アロー賞話題賞
- 1997年、日本レコード大賞新人賞
- 2000年に朝日新聞社が実施した「この1000年「日本の大冒険・探検家」読者人気投票」で275票を獲得し9位にランクインされた。
[編集] 過去の出演番組
- 進め!電波少年(日本テレビ)
- 連続テレビ小説 天うらら(NHK)
- 森田一義アワー笑っていいとも!(フジテレビ)
- めちゃ×2イケてるッ!(フジテレビ)
- ボキャブラ天国(キャッチフレーズは見ざる・言わざる・聞かざる)(フジテレビ)
- 超次元タイムボンバー(テレビ朝日)
- 極楽とんぼのとび蹴りゴッデス(テレビ朝日)
- リングの魂(テレビ朝日)
- 特捜テレビ!ガブリンチョ(テレビ朝日)
- 内村プロデュース(テレビ朝日)
- KEN-JIN(中国放送)
- 天うらら
- 猿岩石のオールナイトニッポン(1997年6月18日(水曜日)25:00-27:00。一回限りの特別番組)
他多数
[編集] CD
[編集] 猿岩石名義
- シングル
- 白い雲のように(1996年12月21日)
- ツキ(1997年3月19日)
- PVに山口もえ出演。
- コンビニ(1997年5月8日)
- PVに石井苗子出演。
- 君の青空(1997年6月18日)
- 猿岩石 with VERSUS名義。
- オエオエオ!(1997年9月3日)
- Christmas(1997年11月5日)
- 君に会いに行こう(1998年2月4日)
- 昨日までの君を抱きしめて(1998年3月18日)
- 初恋(1998年6月24日)
- My Revolution(1999年1月1日)
- 渡辺美里の名曲をカバー。
- アルバム
- まぐれ(1997年9月3日)
- 通信簿~SARUGANSEKI SINGLES~(1998年4月1日)
- 1986(1999年2月20日)
[編集] KEN-JIN BAND名義
- シングル
- Hungryman/dear
- 虹/君の左手(2002年5月25日)
- ロケット/働クオトコノウタ(2004年6月16日)有吉のみ
[編集] 出版物
- 猿岩石日記Part1極限のアジア編―ユーラシア大陸横断ヒッチハイク
- 猿岩石Part2怒濤のヨーロッパ編―ユーラシア大陸横断ヒッチハイク
- 猿岩石裏日記―ユーラシア大陸横断ヒッチハイク 日本テレビ放送網 1996
- 猿岩石サバイバルツアー 太田出版 1997
- シェ猿岩石―猿岩石のおうち 小学館 1997
- ル猿岩石―ラッキーモンキー 小学館 1997
- 猿岩石写真日記“一生、遊んで暮らしたい” 角川書店 1997
- 写真集「猿岩石」