牧伸二
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牧 伸二(まき しんじ、本名:大井守常、1934年9月26日 - )は、東京都目黒区出身、牧プロダクションの所属のウクレレ漫談家。東京演芸協会会長。
ハワイアンをアレンジした自作曲に、やんなっちゃった等の社会批評を乗せて歌う、ウクレレ漫談の創始者。ギターに持ち替えたり、レゲエやロックに挑戦したこともある。
[編集] 来歴
1934年9月26日に東京都目黒区で出生、間もなく向島に転居。中学時代の2年後輩に、立川談志がいる。夜間高校に通いながら、温度計屋に勤める。高校1年のころ、牧野周一の漫談をラジオを聞き、浅草の話術同好会「話術クラブ」に入る。
高校卒業後、家業の板金屋を継いでいたが、1957年にラジオ東京(現TBS)の『素人寄席』で7週連続で名人位を獲得。この実績をもって牧野に正式入門を許され、牧伸二の芸名をもらうと共に、ウクレレ漫談を薦められた。
歌うボヤキ漫談『やんなっちゃった節』で人気者になり、早くも1960年に文化放送でレギュラー番組『ウクレレ週刊誌』を持たされる。この『やんなっちゃった節』は、『タフア・フアイ』(英題"Hawaiian War Chant"、ハワイ先住民のポリネシア人の戦意昂揚歌)をアレンジしたもので、時世に応じた1500余の歌詞ストックがある一方、牧自身も舞台で原曲を披露することがある。
1963年には日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)の演芸番組『大正テレビ寄席』の司会に起用され、番組終了する1978年までアロハシャツ姿で司会を勤める一方、名物コーナー『マキシンのバーゲンセール』を通じて『あゆみの箱』チャリティ運動を広げた。また九州朝日放送の素人演芸会『マキシンの東芝ハレハレ555』等でも司会を勤めた。
1965年に第2回日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞し、喜劇映画・バラエティ番組などにも活躍の場を広げた。余りに早く成功したため芸の壁にぶつかり、一時舞台を休み勝ちになったが、師匠の牧野周一が穴埋めをした。弟子には泉ピン子、牧ひろしらが居る。
1973年~1983年の間、日劇で『牧伸二ショー』を公演。浅草の芸人仲間からの信望も厚く、1999年に東京演芸協会の会長に就任した矢先、2002年に脳出血で療養とリハビリを余儀なくされる。復帰後の2003年に文化庁長官賞を受賞した。
1976年から、同歳の坂上二郎、財津一郎、藤村有弘、藤村俊二、大橋巨泉、初代引田天功、伊藤一葉、五代目月の家圓鏡(八代目橘家圓藏)らと『昭和九年会』を主宰。
趣味は絵画(アクリル画)で、毎年個展を開催している。
サッカー選手の小野伸二の「伸二」は、彼の母親が熱狂的な牧伸二ファンだったため付けられた。
顔が似ているという理由で、タモリのボキャブラ天国では槇原敬之のプロモーションビデオのパロディを敢行。
デビュー以来在籍した佐藤事務所の解散に伴い、一門を率いて2007年に独立。パラダイス山元初監督作品『盆栽少女』(2008年)には、主役の盆栽マニアの祖父役で出演した。
[編集] 関連項目
- ぴろき - ギタレレぼやき漫談で追従
[編集] 外部リンク
- 牧伸二ホームページ
- 牧プロダクション
- 『牧伸二のウクレレ人生』ISBN 4895244857