コビア (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1943年3月17日 |
進水: | 1943年11月28日 |
就役: | 1944年3月29日 |
退役: | 1954年3月19日 |
除籍: | 1970年7月1日 |
その後: | ウィスコンシン州マニトワックで博物館船として公開 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長: | 307ft (93.6m)(水線長) 311ft 8in (95m)(全長) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 15.3 ft (4.6 m) |
機関: | ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック発電機2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (19 km/h 時に 20,000 km) |
試験深度: | 300ft (90m) |
巡航期間: | 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間 |
乗員: | 士官6名、兵員54名(平時) 士官、兵員80 - 85名(戦時) |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基 |
コビア (USS Cobia, SS/AGSS-245) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名は温水域に生息するスズキ目の魚、コビアに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
コビアは1943年3月17日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。11月28日にC・W・マグルーダー夫人によって進水し、艦長アルバート・L・ベッカー少佐の指揮下1944年3月29日に就役する。就役後ニューロンドンを出航したコビアは、6月3日に真珠湾に到着する。
[編集] 第1の哨戒
6月26日、コビアは最初の哨戒で小笠原諸島に向かった。7月6日、コビアはこの海域での最初の戦果として特設監視艇い号高宮丸を撃沈した[1]。7月13日朝、コビアは北緯27度27分、東経140度32分の地点で輸送船団を発見し、7時26分に海軍徴用船大慈丸(大阪商船。2,813トン)を撃沈した。7月18日には硫黄島に向かう3714船団を発見し、船団から遅れて追及中だった特設砲艦第十雲海丸(中村汽船。851トン)を北緯29度15分、東経139度8分の地点で2時ごろに轟沈させ、7時ごろには陸軍輸送船日秀丸(日産汽船。7,785トン)を北緯28度40分、東経139度25分の父島北西250キロ地点でそれぞれ撃沈した。最後に沈めた日秀丸はへの増援の戦車連隊を輸送中であった。第26戦車連隊は隊員が2名死亡、搭載していた28両の戦車は船と共に沈んだ。救助された兵員も、装備品を全て喪失した。7月20日には父島近海で3隻の小型艇と銃撃戦を行い、その内の一隻が衝突しコビアは船体を小破しつつも、特設駆潜艇の第三郵船丸(郵船近海機船。193トン)、第二号海王丸(長崎県。62トン)と小型貨物船Shoei Maruを撃沈した[2]。8月5日にも、雑用船弥生丸(図南汽船。495トン)を撃沈した[3]。生存者をコビア最初の戦時捕虜とした。8月14日、コビアは49日間の行動を終えてマジュロ環礁に帰投し、修理に従事した。
[編集] 第2・第3・第4の哨戒
9月6日、コビアは2回目の哨戒でスヌーク(USS Snook, SS-279)、ポンフレット(USS Pomfret, SS-391) とともにルソン海峡に向かった。しかし、日本軍機の再三の攻撃にあい、そのたびに任務は中断した。10月22日、僚艦が撃沈した日本船の生存者2名を救助する。レイテ沖海戦の頃には、中沙諸島近辺の航行可能な海域で哨戒していた。11月5日、コビアは57日間の行動を終えてフリーマントルに帰投し、修理に従事した。
11月30日、コビアは3回目の哨戒で南シナ海へ向かった。12月12日から1945年1月8日までバラバク海峡で踏査を行った。1月14日、コビアは敷設艇由利島を北緯0度45分、東経103度13分のマレー半島の南東で撃沈した。コビアは戦果を撮影するため浮上したが、日本軍の爆撃機により潜行を強いられる。翌日、筏で40日間漂流していた日本兵二人を救助した。1月24日、コビアは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投し、修理に従事した。
2月18日、コビアは4回目の哨戒でジャワ海、南シナ海に向かった。2月26日、コビアはジャワ海を航行中に2隻の輸送艇に遭遇した。2隻は機銃で抵抗し、コピアはレーダーを損傷、機銃装填手のラルフ・クラーク・ヒューストンが死亡した。ヒューストンはコビア乗員で唯一の戦死者となった。2隻を沈めた後コビアは哨戒を中断して一時帰投することとし、3月4日にフリーマントルに帰投したあと3月8日まで修理を受け、その後、ガヴィナ(USS Guavina, SS-362)、ロック(USS Rock, SS-274)、ブレニー(USS Blenny, SS-324)、バヤ(USS Baya, SS-318)とともにウルフパックを組んで、ジャワ海で任務を再開した。4月8日に陸軍爆撃機の生存者7名を救助した。乗員の一人、ジャン・バンダルフはHBOの『バンド・オブ・ブラザース』でこの救助について語っている。4月15日、コビアは修理期間をはさんだ51日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。
[編集] 第5・第6の哨戒
5月9日、コビアは5回目の哨戒でシャム湾に向かった。5月14日14時30分、コビアは北緯10度58分、東経102度24分の地点でインドシナ半島のハッチェンから昭南に向かっていた陸軍輸送船鳥取丸(日本郵船。5,973トン)と護衛の敷設艦初鷹[4]を発見した。コビアは鳥取丸に向けて魚雷2本を発射したが命中しなかった。コビアは浅海が多く潜航避退には少々難がある海域にもかかわらず、潜航して避退しようとした。そこへ初鷹による爆雷攻撃を受け、魚雷発射管が一部故障し、電気系統にもダメージを受けた。コビアは応急修理の後哨戒を続行した。6月8日、コビアは北緯8度56分、東経105度37分のサイゴン沖で特設運送艦白沙(元中華民国監視船福星。3,841トン)と小型タンカー第二十二南進丸(南方油槽船。834トン)を撃沈した[5]。6月18日、コビアは40日間の行動を終えてフリーマントルに帰投し、修理に従事した。
7月18日、コビアは6回目の哨戒で南シナ海に向かった。7月27日、ジャワ島沿岸に情報活動部隊を上陸させた後、コビアは台湾方面の支援活動に終戦まで従事する。終戦により任務を終えたコビアは、8月22日にサイパン島へ帰投した。
[編集] 戦後
コビアは1946年5月22日にニューロンドンで予備役となる。1951年7月6日に再就役し、ニューロンドンで予備役兵および潜水艦学校の訓練生の訓練に当たる。1953年10月29日にポーツマス海軍造船所入りし、オーバーホールの後ニューロンドンに牽引される。1954年3月14日に大西洋予備役艦隊入りする。1959年までに海軍は、コビアを展開可能な旧式艦としてウィスコンシン州ミルウォーキーの海軍予備役センターへ移動させる。続く11年に渡ってコビアは訓練プラットフォームとして使用された。コビアは1962年12月1日に AGSS-245 (実験潜水艦)へ艦種変更され、1970年7月1日に海軍はコビアを除籍した。コビアはマニトワックに牽引され、潜水艦乗組員のメモリアルとして公開された。1986年にコビアはウィスコンシン海事博物館に組み入れられ、アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。コビアはマニトワック川河口に係留され展示される。また、コビアには世界で最も古いレーダー装置が展示されている。
コビアの6度の哨戒のうち、第1、第3、第4、第5が成功として記録された。コビアは第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章し、撃沈した艦艇の総トン数は16,835トンに上る。
[編集] 脚注
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる。船舶データは不詳だが、林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」に同船主のものと思われる船舶「ほ号高宮丸」があるので、表記はそれを参考として推定した
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる。船舶データは林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」によるが、Shoei Maruについてはデータを見出せなかった
- ^ uboat.net Cobia (SS-245)による。船舶データは林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」による
- ^ 英文版では"minesweeper"としている
- ^ 第二十二南進丸は、『日本商船隊戦時遭難史』では「被接収船舶一覧表」の中に、「昭和21年7月接収」として記載されている
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5
- 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
- 林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
[編集] 外部リンク
- history.navy.mil: USS Cobia
- navsource.org: USS Cobia
- hazegray.org: USS Cobia
- Historic Naval Ships Association: USS Cobia
- USS Cobia website
- Wisconsin Maritime Museum
- Cobia crew list
- Jean Vandruff's account of his rescue at sea
- HBO Band of Brothers site with Vandruff's account.
- uboat.net Cobia (SS-245)
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