ブラックフィッシュ (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | |
進水: | 1942年4月18日 |
就役: | 1942年7月22日 |
退役: | 1946年5月11日 |
除籍: | 1958年9月1日 |
その後: | 1959年5月4日スクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長: | 307ft (93.6m)(水線長) 311ft 9in (95m)(全長) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 19.3 ft (5.9 m) |
機関: | ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック発電機2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (18.5 km/h 時に 20,000 km) |
乗員: | 士官、兵員70名(平時) 士官、兵員80 - 85名(戦時) |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基 |
ブラックフィッシュ(USS Blackfish, SS-221)は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の10番艦。艦名は小型のクジラの一種に因む。
目次 |
[編集] 艦歴
ブラックフィッシュはコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1942年4月18日にヘンリー・ド・F・メル夫人によって進水し、ジョン・F・ダヴィッドソン艦長[1]の指揮下1942年7月22日に就役する。
[編集] 第1~第5の哨戒・大西洋
ブラックフィッシュはアメリカ海軍ヨーロッパ方面軍の第50潜水艦部隊に配属される。10月15日にニューヨーク州モントーク岬を出航、最初の哨戒を始める。1942年10月から37日間、同年12月から29日間、1943年2月から22日間、4月から39日間、6月から48日間と、ブラックフィッシュは西アフリカのダカール(トーチ作戦支援)からアイスランド北部まで計5回の哨戒を完了したが、この時期ヨーロッパ方面に派遣されていた他の潜水艦同様、戦果を挙げることはできなかった。1943年2月19日にスペイン北部沖でドイツの巡視船408号を撃沈したと目された戦闘も、戦後の調査ではブラックフィッシュとは関係ないことが明らかとなっている[2]。1943年7月に帰国し、修理後に太平洋戦線に向かう。
[編集] 第6~第12の哨戒
ブリスベンに到着したブラックフィッシュは、10月19日から6回目の哨戒でビスマルク諸島とカロリン諸島方面に向かった。47日間の行動で1隻4,500トンの戦果を挙げたと報じたが、戦後の調査では認定されなかった。11月16日、ブラックフィッシュはトラック諸島近海で「日本潜水艦に警戒すべし」との無電を受信。当時周辺にはコーヴィナ(USS Corvina, SS-226)とドラム(USS Drum, SS-228)がおり、ブラックフィッシュは確かに16日夜に潜望鏡越しで4,500メートル先の潜水艦を確認している。しかし、夜ゆえ彼我の区別がつかなかった。やがて浮上しドラムと交信したが「本艦ではない」との返事があった。コーヴィナからの返事はついになかった。
12月からの7回目の哨戒では再びビスマルク諸島方面に向かい50日間行動した。1944年1月16日、北緯4度3分、東経148度41分の地点で海軍徴用船海河丸(大連汽船。2,087トン)を撃沈[3]。また、1月29日から31日にかけて、ムッソー島の偵察を行った。艦長がロバート・F・セラーズ少佐に交代した3月に、8回目の哨戒を兼ねた80日に及ぶ航海の末真珠湾に帰投し、オーバーホールに入った。
復帰後、9月23日に9回目の哨戒でシャーク(USS Shark, SS-314)、シードラゴン(USS Seadragon, SS-194)とウルフパックを組み、サイパン経由(10月3日出港)でルソン海峡方面に向かい60日間行動した。このウルフパックは、10月23日から別のウルフパックと合同で、ルソン海峡でマニラから出港してきたマタ30船団を攻め立て、貨物船12隻のうち9隻を撃沈する大なる戦果を挙げたが、ブラックフィッシュに関して言えば、この攻撃のさなかに反撃を受けて沈没したシャークともども、戦果を挙げることはできなかった。10回目の哨戒は少し間が開いて1945年1月から開始され、アーチャーフィッシュ(USS Archer-fish, SS-311)、バットフィッシュ(USS Batfish, SS-310)とウルフパックを組み、南シナ海に向かい50日間行動した。3月からの11回目の哨戒では、哨戒終了後にフリーマントルに向かう初出撃のブルヘッド(USS Bullhead, SS-332)とともにウルフパックを組んで再び南シナ海方面に向かい、50日間行動した。
艦長がロバート・C・グリット少佐に代わった6月には12回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。この哨戒が実施された時期には、もはや日本側にめぼしい艦船も見当たらず、目立った戦闘は行われなかった。8月5日に6名の陸軍パイロットを救助、8月8日には草垣群島の陸上目標への砲撃を行った。8月14日、ブラックフィッシュは57日間の行動を終え最後の哨戒を締めくくった。
[編集] 戦後
ブラックフィッシュは1945年8月27日にグアムを出航しアメリカ東海岸に向かう。ニューヨークとニュージャージー州カムデンを訪れた後、コネチカット州のニューロンドン海軍潜水艦基地で不活性化が行われる。1946年5月11日にブラックフィッシュは予備役となり、1949年5月5日にフロリダ州セントピーターズバーグの海軍予備役訓練センターに移動し予備役兵の訓練に従事する。その後1954年2月2日にニューロンドンに帰還した。
ブラックフィッシュは第二次世界大戦の戦功で8個の従軍星章を受章した。
- 脚注
- ^ 英文版ではレイモンド・W ・ジョンソン(Raymond W. Johnson)となっているが、ジョンソンはハーリング(USS Herring, SS-233)の初代艦長である
- ^ Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II"、Clay Blair,Jr. "Silent Victory"ともにノーカウントである
- ^ 『日本商船隊戦時遭難史』では北緯3度50分、東経143度44分の地点で沈没
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5
- 木俣滋郎『日本潜水艦戦史』図書出版社、1993年、ISBN 4-8099-0178-5
[編集] 外部リンク
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