ガーナード (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | |
進水: | 1942年6月1日 |
就役: | 1942年9月18日 |
退役: | 1945年11月27日 |
除籍: | 1961年5月1日 |
その後: | 1961年9月26日にスクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長: | 311.8 ft (95.0 m) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 15.3 ft (4.6 m) |
機関: | ホーヴェン=オーエンス=レントシュラー(H.O.R.)ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック発電機2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (19 km/h 時に 20,000 km) |
試験深度: | 300ft (90m) |
巡航期間: | 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間 |
乗員: | 士官6名、兵員54名(平時) 士官、兵員80 - 85名(戦時) |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基 |
ガーナード (USS Gurnard, SS-254) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はホウボウに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
ガーナードはコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1942年6月1日にスーザン・スリングラフの手によって進水し、艦長チャールズ・H・アンドリュース少佐の指揮下1942年9月18日に就役する。
[編集] 第1・第2・第3・第4の哨戒
ニューロンドンでの整調後ガーナードはヨーロッパ戦線に送られ、11月2日にスコットランドのロスネースへ向かい、13日後に到着した。最初の哨戒は11月28日からビスケー湾で行われ、ガーナードはスペインの沖合で、ビスケー湾の強行突破を図るドイツの輸送船に備えて待機した。その哨戒は平穏無事に終了し、敵艦との遭遇は無かった。12月27日、ガーナードは30日間の行動を終えてロスネースに帰投したのち、修理と改修のため1943年2月9日にニューロンドンに帰投し、修理が完了すると真珠湾に回航され、5月26日に到着した。
6月12日、ガーナードは2回目の哨戒でパラオ諸島方面に向かった。7月6日、ガーナードは日本側の艦艇から24発の爆雷攻撃を受けたが切り抜けた[1]。7月11日朝、ガーナードは北緯12度45分、東経131度50分のパラオ北西350海里の地点でオ404船団を発見し、太興丸(太興汽船。1,925トン)に魚雷3本を命中させて轟沈させた。魚雷を全て使い果たしたガーナードは、修理と補給のためミッドウェー島を経由して、7月26日、43日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
9月6日、ガーナードは3回目の哨戒で東シナ海に向かった。10月7日深夜、ガーナードはルソン島ボヘヤドール岬西北西120キロの地点で5隻からなる772船団を発見。翌10月8日1時39分に攻撃し、大日丸(板谷商船。5,813トン)と大安丸(太洋海運。5,655トン)の2隻を撃沈した。10月28日、ガーナードは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
11月28日、ガーナードは4回目の哨戒で日本の本州沿岸に向かった。12月22日22時ごろ、ガーナードは潮岬90度6海里の地点でドイツ海軍の柳船ハーフェルラントを撃破し、ハーフェルラントは串本、次いで神戸に曳航されていった[2]。2日後の12月24日、ガーナードは紀伊半島三木岬沖の熊野灘で8222船団を発見し、7時10分に攻撃を行った。2分後、第二青山丸(大興汽船。1,898トン)と陸軍輸送船東福丸(大光商船。5,857トン)の2隻を撃沈した。護衛艦艇は80発以上の爆雷を投下したが、ガーナードはこれを切り抜けた。12月27日にも、特設航空機運搬艦君川丸(川崎汽船。6,863トン)に対して魚雷を7本発射し、うち1本を船尾に命中させてこれを撃破した[3]。1944年1月7日、ガーナードは40日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、サンフランシスコでオーバーホールに入った。
[編集] 第5・第6・第7・第8・第9の哨戒
4月16日、ガーナードは5回目の哨戒でセレベス海に向かった。5月6日14時ごろ、ガーナードはセレベス海南東で、40,000の兵員を輸送してハルマヘラ島に向かう輸送船団を発見。14時2分に亜丁丸(大洋興業。5,823トン)に魚雷2本を命中させて数分で撃沈し、次いで但馬丸(日本郵船。6,995トン)に魚雷3本を命中させて4分で撃沈した。但馬丸被雷とほぼ同時刻には天津山丸(三井船舶。6,886トン)にも魚雷が命中し、北緯2度42分、東経124度7分の地点で沈没していった。輸送船団はこの一連の攻撃で、兵員はそのほぼ半数を失った。日本軍は約100発の爆雷を投下したが、ガーナードはこれを回避した。5月24日には北緯5度45分、東経125度43分のミンダナオ島東方25kmでタンカー建川丸(川崎汽船。10,090トン)を撃沈した。おりしもこの時、タウィタウィには日本の機動部隊が集結しつつあり、5月31日、ガーナードはダバオに向かいつつある「戦艦3隻」を発見し、追跡した。この「戦艦」は渾作戦の支援に向かう戦艦扶桑と重巡洋艦妙高、羽黒であった。ガーナードは攻撃を試みたが、絶好のポジションにはどうしても近づけなかった。6月11日、ガーナードは56日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。ガーナードはこの哨戒で4隻29,700トンの戦果を挙げ、太平洋戦争における1回の哨戒における当時の最高撃沈トン数を記録した[4]。
7月8日、ガーナードは6回目の哨戒でセレベス海に向かった。途中ダーウィンで給油を行った後、パレン海峡からバンダ海に入り、モルッカ海を経由してセレベス海に到着した。その後はセレベス海、スールー海、ミンダナオ海で哨戒を行い、一隻の商船に攻撃を行った後、9月5日に59日間の行動を終えてフリーマントルに帰投し、修理を受けた。また、艦長がノーマン・D・ゲージに代わった。
10月9日、ガーナードは7回目の哨戒で南シナ海、ボルネオ島沖に向かった。カリマタ海峡を通って南シナ海に入った。当時、ブルネイに日本艦隊(栗田艦隊)がいたので、ガーナードはその監視を担当していた。しかし、ガーナードは艦隊の出撃には気づかなかった。11月3日には北緯5度53分、東経111度12分の地点でミ20船団を発見し、大明丸(大阪商船。6,723トン)に2発の魚雷を命中させこれを撃沈した。11月6日にはサラワク沖で機雷を敷設した。11月17日、ガーナードは38日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
12月11日、ガーナードは8回目の哨戒でギターロ (USS Guitarro, SS-363) とともに南シナ海に向かった。12月28日、ガーナードはカムラン湾沖で礼号作戦を終えて帰投中の第二水雷戦隊以下の艦艇を発見したが高速で通過していったため、同じく発見していたギターロともども攻撃の機会がなかった。1945年2月1日、ガーナードは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投し、艦長がジョージ・S・シモンズ3世に交代した。
3月10日、ガーナードは9回目の哨戒でハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364) 、ボアフィッシュ (USS Boarfish, SS-327) とウルフパックを組んでカムラン湾に向かった。5月9日、ガーナードは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、9日後にメア・アイランド海軍造船所でオーバーホールに入った。
[編集] 戦後
ガーナードはオーバーホールが終わった後、再び真珠湾とミッドウェー島を往復し、9月11日にサンフランシスコに帰還。11月27日に退役した。その後は1949年7月1日まで予備役として保管され、その後サンフランシスコ海軍造船所で予備役兵の訓練用兵器庫として現役復帰する。11月27日から12月9日まで真珠湾に牽引され訓練任務に従事、1953年5月18日にワシントン州タコマに牽引、1960年6月まで同任務に従事した。ガーナードは廃棄に向けて不活性化され、1961年5月1日に除籍、1961年9月26日にスクラップとしてカリフォルニア州ロサンゼルスのナショナル・メタル・アンド・スチール社に売却された。
ガーナードは第二次世界大戦の戦功で6個の従軍星章および海軍殊勲部隊章を受章した。第2回から第7回までの哨戒が成功として記録された。
[編集] 脚注
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる。英文版では6月29日となっている
- ^ 『紀伊防備隊戦時日誌』およびThe Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる
- ^ 『紀伊防備隊戦時日誌』による。The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIでは、損傷を受けたのは元特設巡洋艦護国丸(大阪商船。10,438トン)としているが、護国丸はこの時君川丸と同航し君川丸被雷の無電を発信したが、自身は被害は受けていない
- ^ 8日後、カヴァラ(USS Cavalla, SS-244)が空母翔鶴を撃沈して1位の座を奪った。ちなみに1回の哨戒における最高撃沈トン数の1位の保持艦は、言うまでもなくアーチャーフィッシュ (USS Archer-fish, SS/AGSS-311) (空母信濃撃沈、59,000トン)である
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 自昭和十八年十二月一日 至昭和十八年十二月三十一日 紀伊防備隊戦時日誌(昭和18年9月1日~昭和18年12月31日 紀伊防備隊戦時日誌(6)および(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030428700、C08030428800
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
- 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年
- 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
[編集] 外部リンク
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