コッド (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1942年7月21日 |
進水: | 1943年3月21日 |
就役: | 1943年6月21日 |
退役: | 1954年 |
除籍: | 1971年12月15日 |
その後: | オハイオ州クリーブランドで公開 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長: | 307ft (93.6m)(水線長) 311ft 9in (95m)(全長) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 19.3 ft (5.9 m) |
機関: | ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック発電機2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (18.5 km/h 時に 20,000 km) |
試験深度: | 300ft(90m) |
乗員: | 士官、兵員70名(平時) 士官、兵員80 - 85名(戦時) |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基 |
コッド (USS Cod, SS/AGSS/IXSS-224) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の13番艦。艦名は北大西洋及び北太平洋に生息するタラに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
コッドは1942年7月21日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1943年3月21日にG・M・マホニー夫人によって進水し、艦長ジェームズ・C・デンプシー少佐の指揮下1943年6月21日に就役する。コッドは作戦準備のためブリスベンに回航された。
[編集] 第1・第2の哨戒
コッドは10月2日に南シナ海に向けて最初の哨戒に出たが、戦果を得ることはできなかった。フリーマントルに帰投後、1ヵ月後の1944年1月11日に2回目の哨戒で再び南シナ海に向かった。2月16日にスプラトリー諸島でサンパンを浮上砲戦で撃沈した後、2月23日に北緯3度53分、東経129度17分のハルマヘラ島北東海域でタンカー第三小倉丸(共同企業。7,350トン)を撃沈。4日後の2月27日にも北緯1度48分、東経127度32分の地点で貨物船大速丸(大阪商船[1]。2,473トン)を撃沈した。2月29日にも船舶を攻撃したが、爆雷に遭い深深度潜航を余儀なくされた。3月13日、コッドは2回目の哨戒を終えフリーマントルに帰投した。
[編集] 第3・第4・第5の哨戒
4月6日、コッドは3回目の哨戒でスールー海から南シナ海に向かった。5月10日早朝、コッドは北緯15度38分、東経119度25分のマニラ湾口北西海域で輸送船団を攻撃し、駆逐艦刈萱と海軍徴用船昌平丸(三井船舶。7,255トン)を立て続けに撃沈した。昌平丸は元から煙突のない船であった[2]。6月1日に帰投後、艦長がジェームズ・"キャディ" ・アドキンスに交代した。コッドは、7月3日から4回目の哨戒に出た。この哨戒ではモルッカ諸島方面を主体に行動した。8月3日、南緯1度45分、東経126度14分のモルッカ海で特設捕獲網艇星光丸(三光汽船。708トン)を撃沈したのを手始めに、8月10日にはスラウェシ島南岸で特設駆潜艇東石丸(日本海洋漁業。89トン)[3]を、翌8月11日には同海域で第六新生丸(林兼商店。260トン)[3]と小船を次々と撃沈。8月13日から14日にかけては南緯4度4分、東経126度59分のバンダ海で輸送艦第129号と交戦し撃沈した。コッドは8月25日に帰投し、9月18日からルソン島西岸部へ5回目の哨戒に出た。10月5日に北緯13度1分、東経120度15分のミンドロ島西方海域で辰城丸(辰馬汽船。6,886トン)を撃沈。10月7日にはマニラ北西方で給油艦知床を大破させた[4]。10月23日から25日のレイテ沖海戦では引き続きルソン島西岸部で待機。25日には輸送船団と接触したが攻撃の機会を得られなかった。11月に入り、ルソン島を空襲する第38任務部隊機の搭乗員を救助する任務も担当した。コッドは11月20日に真珠湾に帰投し、本国への帰還命令を受け回航された上でオーバーホールに入った。
[編集] 第6・第7の哨戒
1945年3月7日に真珠湾に到着し戦列に復帰したコッドは3月24日、真珠湾から東シナ海に向けて6回目の哨戒に出た。この哨戒では主に救助活動を担当することとなった。3人の搭乗員を救助した後、4月24日にコッドは基隆港外で「何か」を撃沈した[5]。4月26日、コッドは後部魚雷発射管室で火災を起こし、その復旧に努めた。誘爆を防ぐため、後部発射管に搭載された魚雷を放棄されることとなり、火災を冒して放棄に務めた乗員1名が行方不明となった。5月29日にグアムに帰投したコッドは艦長がエドウィン・M・ウェストブルック2世に交代した。6月26日、7回目の哨戒でシャム湾他に向かったコッドは、途中でスプラトリー群島の岩礁に座礁したオランダ潜水艦O-19乗員の救助に向かった。7月8日、コッドは艦首を岩礁にのし上げたまま身動きが取れないO-19を発見。乗員をすべて救助させた後、コッドは7月10日にO-19を雷撃と砲撃で処分した[6]。コッドはO-19乗員をマニラに輸送した。その後通常任務に戻ったコッドは、7月21日から8月1日にかけてマレー半島東岸沿岸でサンパンやスクーナー、ジャンクの集団を、友好的な現地住民を助けた上で次々と攻撃した。21日と25日にそれぞれ1隻、26日に2隻、27日に3隻、29日には7隻、30日に2隻、31日に6隻、8月1日に1隻と総計23隻の戦果を得た[7]。8月1日の攻撃の際に哨戒機に発見されたためコッドは退避し、サンパンの乗組員は後日、ブレニー (USS Blenny, SS-324) に救助された。コッドは8月13日にフリーマントルに帰投し、2日後の終戦を迎えた。
[編集] 戦後
コッドはフランシス・E・リッチ艦長の指揮下1951年に再就役し、NATOの対潜水艦訓練演習に参加する。冷戦下における航海はニューファンドランド沖で行われた。演習「LANTFLEX'52」でコッドはアメリカ軍の空母を撃沈し賞賛された。
コッドは1954年に予備役となり保管された。1959年にはオハイオ州クリーブランドで予備役訓練艦として使用するため、新たに作られたセント・ローレンス水路を通って牽引された。歴戦の武勲艦は遠足で訪れた児童達によって見学された。コッドは1962年12月1日に AGSS-224 (実験潜水艦)へ艦種変更され、1971年6月30日には IXSS-224 (非分類雑役潜水艦)へ再変更された。1971年には除籍される。
コッドは12隻以上の敵艦を沈め、その総トン数は37,000トン以上になる。さらに36,000トンにおよぶ敵艦を破壊した。7回の哨戒は成功し、その戦功で7個の従軍星章を受章した。
[編集] 博物館船
一部のクリーブランド市民がコッドを湖畔上の記念碑として保存するため、コッド保存委員会を組織した。1976年1月に海軍は委員会に潜水艦の後見の権利を与えた。1976年5月にコッドは浮かぶ記念碑としての経歴が始まり、間もなく観光名所としての地位を確立した。1986年には内務省がコッドをアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定した。
コッドは現在もオハイオ州クリーブランドで博物館船として、アメリカ海軍潜水艦部隊100年の歴史において殉職した3,900名以上の乗組員の記念碑として公開される。毎年5月1日から9月30日の間に艦を訪れるよう宣伝が行われる。
コッドは非常に良く復元され、唯一公開展示のためドアや船体を切断したり階段を設置されなかった潜水艦である。コッドを訪れた見学者は乗組員が使用したのと同じ垂直梯子やハッチを使って艦内に入る。コッドの4基のディーゼルエンジンはゼネラル・モーターズのクリーブランド工場によって生産されたため、クリーブランドは艦の生誕地の一部であると主張することができる。
コッド記念碑は最近スティングレイ (USS Stingray, SS-186) で使用された2基のGMクリーブランド・モデル248エンジンを取得した。2基のエンジンはコッドの復元のために使用される。
[編集] 脚注
- ^ 船舶所有者名は『日本商船隊戦時遭難史』によるが、野間恒の『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』には記載がない
- ^ 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』による
- ^ a b Cod (SS-224)と林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」による
- ^ "The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIおよび伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」による
- ^ 英文版やRoscoe "United States Submarine Operetions in World War II"、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIなどアメリカ側資料では掃海艇第41号を撃沈したことになっているが、同艦艇はこれに先立つ1月4日に海南島沿岸で第38任務部隊機によって大破放棄されており、また同日の日本側喪失艦船は『日本商船隊戦時遭難史』や伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」などでは定かではなく、コッドが「撃沈」したのが何かは不明である
- ^ この模様がコッドの乗員によって撮影されており、ヒストリーチャンネルで放送されたことがある。同じものがYouTubeにも"USS COD gato class destroys dutch submarine"としてアップされている
- ^ Cod (SS-224)による
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」『写真 日本の軍艦14 小艦艇II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0464-4
- 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
- 林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
[編集] 外部リンク
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