セロ (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注 | |
起工 | |
進水 | 1943年4月4日 |
就役 | 1943年7月4日 |
退役 | 1953年12月23日 |
除籍 | 1967年6月30日 |
その後 | イリノイ州セントルイスで保存 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長 | 307ft (93.6m)(水線長) 311ft 9in (95m)(全長) |
全幅 | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水 | 19.3 ft (5.9 m) |
機関 | ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック発電機2基 |
最大速 | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離 | 11,000カイリ(10ノット時) (18.5 km/h 時に 20,000 km) |
試験深度 | 300ft(90m) |
乗員 | 士官、兵員70名(平時) 士官、兵員80 - 85名(戦時) |
兵装 | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基 |
セロ (USS Cero, SS-225) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の14番艦。艦名は西インド諸島に生息するサバの一種に因む。その名を持つ艦としては2隻目。
目次 |
[編集] 艦歴
セロはコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1943年4月4日にD・E・バーベイ夫人によって進水し、デヴィッド・C・ホワイト艦長の指揮下1943年7月4日に就役する。8月17日にニューロンドンを後にして真珠湾に向かった。
[編集] 第1・第2・第3・第4の哨戒
9月26日、セロは最初の哨戒で東シナ海と黄海方面に向かった。この時、アメリカ海軍で最初のウルフパックが編成され、セロはシャード (USS Shad, SS-235) およびグレイバック (USS Grayback, SS-208) とともに、セロに乗艦したチャールズ・モンセンから指令を受けて行動することとなった。10月12日、セロは北緯28度30分、東経137度28分の父島の西南西300海里の地点で3隻の貨物船と2隻の駆逐艦を発見。うち1隻に対し雷撃を行ったのち、深深度潜航で爆雷攻撃に備えたが、何も起こらなかった。この時雷撃されたのは給糧艦間宮であり、間宮は後部を大破した[1]。その後も2隻の貨物船などに遭遇したものの、特に戦果を挙げることなく52日間の行動終えて11月16日にミッドウェイ島に帰投し、艦長がエドワード・F・ディセットに交代した。
整備の後、12月13日に2回目の哨戒ではトラック諸島、ニューギニア方面を哨戒した後、ミルン湾に行くよう命令された。29日間の行動を終えて1944年1月12日にミルン湾に帰投したセロは、2月4日から3回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。2月17日、セロは海軍徴用船常山丸(拿捕船。1,086トン)を撃沈した[2]。セロは3月2日にブリスベンに帰投した。
4月3日、セロは4回目の哨戒でレイ (USS Ray, SS-271) とともにパラオ方面に向かった。5月23日、セロは北緯2度38分、東経128度8分のモロタイ島西方海面でセブ島行きのH26船団を発見。7時23分に大順丸(大阪商船。2,825トン)に魚雷1本を命中させてこれを撃沈し、レイと共同でタンカー建和丸(日東汽船。6,384トン)を撃破した。セロは6月2日にマヌス島ゼーアドラー湾に帰投した。
[編集] 第5・第6・第7・第8の哨戒
6月26日、セロは5回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。15日後にミンダナオ島方面に到着して哨戒を開始した。8月5日、セロは北緯5度53分、東経125度41分(ダバオ・デル・スル州カヤポンガ北東20キロ)のダバオ湾口で輸送船団を発見。セロは船団を東側に見る体勢で襲撃運動を開始。11時13分に特務艦鶴見を雷撃。鶴見は被雷し11時30分に横転沈没した。セロはこの哨戒で56日間活動した。
9月19日、セロはダーウィンから6回目の哨戒で再びミンダナオ島方面に向かった。途中、ビアク島のミオス・ウォンディ泊地に立ち寄り、16名の陸軍兵士と17トンの物資、2名の海軍士官を搭載した。10月27日、セロは2隻の小型船を攻撃し、2隻とも座礁させた。11月3日にマニラ北方マサンガ川河口付近で現地ゲリラと接触の上、兵士と物資を上陸した代わりに4人の難民を引き取った。この後セロは真珠湾に向かい、11月24日に到着。本国でオーバーホールに入った。
1945年に入って戦列に戻ってきたセロは、艦長がレイモンド・バートンに代わり、3月31日から7回目の哨戒で本州および北海道方面の海域へ向かった。この時期は日本側には目ぼしい船舶は残っていなかたっとはいえ、セロは多くの戦果をあげた。すなわち、4月19日には北緯30度42分、東経136度42分の地点で特設監視艇第三五十鈴丸(後藤商店。74トン)[3]を撃沈したのを手始めに、4月22日にも特設監視艇2隻を撃沈[4]。4月29日7時58分には釜石湾沖150度24海里の地点でタンカー大修丸(大阪商船。6,925トン)、5月4日にはとどヶ崎灯台183度4.5海里の地点で神変丸(藤山海運。884トン)、5月13日には気仙郡吉浜村沖で神南丸(拿捕船。1,025トン)、5月20日にも金華山灯台沖で第五関丸(西大洋漁業。377トン)[4]を撃沈した。また、4月28日には冷凍船海光丸(日魯漁業。1,510トン)と交戦したが、これは撃沈には至らなかった[5]。セロは5月27日にグアム島に帰投した。
6月27日から8回目の哨戒で再び本州および北海道方面に向かったが、この地域は近日第38任務部隊による大規模な空襲が実施される予定なので、この哨戒では主に搭乗員救助と日本側の出方を探る監視役の役目を担った。7月15日、セロは搭乗員3名を救助した後、尻屋埼灯台を艦砲射撃して損害を与えた。3日後の7月18日、セロは北緯45度14分、東経148度41分[6]の根室半島の沖合いに移動して引き続き任務を続行していたが、突然天山[7]の爆撃を受けた。セロは深度130メートルにまで避退して爆撃を避けたつもりだったが、それでも被爆。潜望鏡が使用不可能となり、内部機材やジャイロコンパスが破壊され、船体自体もねじれてしまった。セロは任務続行を断念し、7月30日に真珠湾に帰投した。
[編集] 戦後
セロは帰還する途中の1945年11月5日にニューオーリンズに寄航した後、1946年6月8日にニューロンドンに到着、予備艦となった。1952年2月4日に再就役し、キー・ウェストを母港として主にカリブ海で海軍のソナー訓練の支援を行った後、1953年12月23日に再び退役。ニューロンドンに係留された。
セロは第二次世界大戦終結までに8回の哨戒を行った。これらの戦功で7個の従軍星章を受章した。8回の哨戒のうち、第2回以外で戦果を挙げ、総トン数18,159トンの船舶を撃沈した。
- 脚注
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II、『戦史叢書』および伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」による
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II、Cero (SS-225)、『日本商船隊戦時遭難史』および『戦史叢書』によるが、Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II"ではノーカウント。別の潜水艦による戦果の可能性もある。また、撃沈位置は日本側文献ではパラオ沖、アメリカ側文献では「トラックとニューアイルランド島の間」
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II、Cero (SS-225)および林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」による。Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II"ではノーカウント
- ^ a b The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIおよびCero (SS-225)による。Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II"ではノーカウント
- ^ 木俣滋郎『残存帝国艦艇』による
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIおよびCero (SS-225)による
- ^ 木俣滋郎の調査では、おそらく第九〇三航空隊機。また、セロによる記録では流星となっている
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- 防衛研究所戦史室編『戦史叢書62 中部太平洋海軍作戦<2> 昭和十七年六月以降』朝雲新聞社、1971年
- 木俣滋郎『写真と図による 残存帝国艦艇』図書出版社、1972年
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5
- 伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」『写真 日本の軍艦14 小艦艇II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0464-4
- 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
- 林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
[編集] 外部リンク
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