サンフィッシュ (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1941年9月25日 |
進水: | 1942年5月2日 |
就役: | 1942年7月15日 |
退役: | 1945年12月26日 |
除籍: | 1960年5月1日 |
その後: | 1960年12月15日にスクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長: | 311.8 ft (95.0 m) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 15.3 ft (4.6 m) |
機関: | フェアバンクス・モース38D8 1/8型9気筒6,500馬力ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機 2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (19 km/h 時に 20,000 km) |
試験深度: | 300ft (90m) |
巡航期間: | 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間 |
乗員: | 士官6名、兵員54名 |
兵装: | 3インチ砲1基、 21インチ魚雷発射管10基、 機銃4基 |
サンフィッシュ (USS Sunfish, SS-281) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はマンボウに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
サンフィッシュは1941年9月25日にカリフォルニア州ヴァレーホのメア・アイランド海軍造船所で起工する。1942年5月2日にJ・W・ファウラー夫人によって進水し、艦長リチャード・W・ピーターソン少佐の指揮下1942年7月15日に就役する。就役後はサンディエゴ湾で整調を行い、サンフランシスコに帰還すると整調後の信頼性試験を行う。10月26日にサンフィッシュは太平洋へ向けて出航し、11月1日に真珠湾に到着した。
[編集] 第1・第2・第3・第4・第5の哨戒
11月23日、サンフィッシュは最初の哨戒で北海道と本州の沖合に向かった。12月16日から17日の夜にかけて伊勢湾に機雷を敷設した。12月18日には貨物船を発見し、魚雷を発射したが命中しなかった。1943年1月17日、サンフィッシュは53日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
2月4日、サンフィッシュは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。3月4日夜、サンフィッシュは敵船に対して攻撃を行うが、最初の魚雷は命中せず、続いて発射した3本の魚雷が命中した音が聞こえ、サンフィッシュは爆発を確認した。しかし、その後の2日間は対潜攻撃を受け、海中でじっとしてる他はなかったが、幸いにも重大な損害からは逃れることができた。3月13日夜23時過ぎ、サンフィッシュは北緯29度8分、東経129度10分の種子島近海で興生丸(岡田商船。3,262トン)を発見し、魚雷を3本発射。1本が命中し、興生丸は被害甚大のため宝島に座礁して果てた。4月3日、サンフィッシュは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
5月4日、サンフィッシュは3回目の哨戒でトラック諸島、カロリン諸島方面に向かった。しかし日本船には遭遇せず、5月23日にアンガウル島に対して艦砲射撃を実施し、5月28日にもヤップ島の東500海里にあるファイス島の精製所に対して艦砲射撃を実施した。6月24日、サンフィッシュは57日間の行動を終えた。
7月28日、サンフィッシュは4回目の哨戒で東シナ海、台湾方面に向かった。8月13日、サンフィッシュは北緯24度4分、東経142度21分の地点で特設砲艦江戸丸(広南汽船。1,299トン)を雷撃。魚雷は命中し、高さ60メートルはあろう炎が望見された。これが江戸丸の最後の姿であった。9月4日未明には、北緯22度6分、東経119度50分の高雄南西90キロ地点で、悪天候の中を輸送船2隻と護衛艦1隻が接近するのを発見。サンフィッシュは宏山丸(山本汽船。4,180トン)に魚雷1本を命中させた。宏山丸はすぐに沈む気配を見せなかったので曳航されていったが、翌日沈没した。9月25日、サンフィッシュは60日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、改装を行った。
10月16日、サンフィッシュは5回目の哨戒で東シナ海、台湾方面に向かった。しかし、これといった目標とは遭遇しなかった。12月14日、サンフィッシュは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、艦長がエドワード・E・シェルビーに代わった。
[編集] 第6・第7・第8の哨戒
1944年1月14日、サンフィッシュは6回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。1月21日から30日にかけてはタオンギ環礁とコスラエ島の写真偵察を実施。その後はトラック島空襲に参加し、パイロット救助と脱出艦船攻撃の任務に就いた。2月23日、サンフィッシュは北緯15度17分、東経145度3分のサイパン島の西方海域で日本本土に向かって航行中の新夕張丸(三井船舶。5,355トン)を発見。折からトラック島空襲を終えた第58任務部隊がマリアナ諸島にも来襲しており、サンフィッシュは新夕張丸に魚雷を命中させ、空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10)の艦載機とともに新夕張丸を撃沈した[1]。3月7日、サンフィッシュは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、サンフランシスコに回航されてオーバーホールに入った。
6月22日、サンフィッシュは7回目の哨戒で千島列島方面に向かった。7月5日夜、サンフィッシュは北緯51度28分、東経156度28分の幌筵島近海で神明丸(栗林商船。2,577トン)を撃沈した。7月7日には、サンフィッシュは少なくとも14隻のトロール船とサンパンの船団を発見し、浮上砲戦でことごとく破壊しつくした。7月9日朝には北緯51度19分、東経155度43分の阿頼度島近海で太平丸(大洋海運。6,284トン)を撃沈。8月1日、サンフィッシュは40日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
8月20日、サンフィッシュは8回目の哨戒で東シナ海方面に向かった。9月10日昼ごろ、サンフィッシュは北緯33度49分、東経127度41分の巨文島南方19海里地点でミ19船団を発見し、タンカー千早丸(日本郵船。4,710トン)に魚雷を3本命中させ撃沈した。9月13日には北緯34度31分、東経124度46分の小黒山島北西55キロ地点で節船団を発見し、江田島丸(日本郵船。6,933トン)に魚雷を2本命中させて船体を分断させた。江田島丸の前半部は沈没していったが、後半部は長江河口まで流れ着き、30日になってようやく沈没した。9月27日、サンフィッシュは38日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
[編集] 第9・第10・第11の哨戒
10月23日、サンフィッシュは9回目の哨戒でピート (USS Peto, SS-265) 、スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) とウルフパックを組んで黄海方面に向かった。11月17日、サンフィッシュは済州島西方150キロの地点でミ27船団を発見[2]。まず22時過ぎに盛祥丸(東和汽船。5,463トン)を撃沈。それとほぼ同時刻に江戸川丸(日本郵船。6,968トン)に魚雷を命中させ、火災を発生させた。サンフィッシュは日付が変わった18日1時過ぎに再度江戸川丸を攻撃して撃沈した。11月30日には、北緯38度8分、東経124度35分の地点で大連丸(大連汽船。3,748トン)を撃沈した。12月19日、サンフィッシュは56日間の行動を終えてマジュロ環礁に帰投した。
1945年1月15日、サンフィッシュは10回目の哨戒で東シナ海、黄海方面に向かった。しかし、2月20日に哨戒中に浮氷と衝突。装備している潜望鏡を2本とも損傷したため哨戒を打ち切り、2月27日に37日間の行動を終えてグアム島アプラ港に帰投し、艦長がジョン・W・リードに代わった。
3月31日、サンフィッシュは11回目の哨戒で北海道近海に向かった。大湊に出入りする艦船の動向を監視したあと、4月9日には艦体にダメージを受けたが、応急修理でしのいだ。4月14日には商船を発見して魚雷3本を発射したが命中しなかった。4月16日、サンフィッシュは岩手県魹ヶ崎沖で小輸送船団を発見し、第73号海防艦と萬龍丸(拿捕船、元オランダ船バルウック。1,623トン)を撃沈した。3日後の4月19日未明、サンフィッシュは北緯42度9分、東経142度20分の厚賀沖で、千島列島から北海道に移動する陸軍部隊を輸送中の特設砲艦快鳳丸(農林省。1,093トン。元特務艦剣崎)と大誠丸(大阪商船。1,948トン)の2隻を発見し、両船を撃沈した。4月28日、サンフィッシュは29日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、2日後にメア・アイランド海軍造船所に向けて回航された。その後、同造船所で5月7日から7月31日までの間オーバーホールを受け、8月9日に真珠湾へ再び戻る。8月15日の終戦時、サンフィッシュは新たな哨戒の準備中であった。
[編集] 戦後
8月29日に真珠湾を出航したサンフィッシュは西海岸に向かい、9月5日にメア・アイランド海軍造船所に到着、不活性化が行われ1945年12月26日に予備役となる。その後も訓練用などに使用されることもなく予備役艦として保管され、1960年5月1日に除籍された。
サンフィッシュは第二次世界大戦の戦功で9個の従軍星章を受章した。
[編集] 脚注
- ^ 英文版およびいくつかのアメリカ側資料には、この時サンフィッシュはKunishima Maruも撃沈したということになっている。『日本商船隊戦時遭難史』にはKunishima Maruは記載があるが(飯野海運。4,083トン)、沈没場所は紀州沖となっている
- ^ 英文版では、このミ27船団に空母神鷹がいるように書かれているが、神鷹はミ27船団の前に先行していたヒ81船団に加わっていた(この11月17日に沈没)。この2つの船団はほぼ同じ海域を航行しており、しかも攻撃を受けた地点は経度で1度しか違わない。おそらく英文版の執筆者が、ミ27船団とヒ81船団を同じ船団と勘違いしていたものと考えられる
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 佐世保鎮守府 大東亜戦争戦時日誌 自昭和十八年三月 至昭和十八年三月(昭和18年3月1日~昭和18年3月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030343000
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- 防衛研究所戦史室編『戦史叢書44 北東方面陸軍作戦<2> 千島・樺太・北海道の防衛』朝雲新聞社、1971年
- 防衛研究所戦史室編『戦史叢書62 中部太平洋海軍作戦<2> 昭和十七年六月以降』朝雲新聞社、1973年
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 駒宮真七郎『続・船舶砲兵』出版協同社、1981年
- 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
- 正岡勝直編「小型艦艇正岡調査ノート5 戦利船舶、拿捕船関係」『戦前船舶資料集 第130号』戦前船舶研究会、2006年
[編集] 外部リンク
- history.navy.mil: USS Sunfish
- hazegray.org: USS Sunfish
- navsource.org: USS Sunfish
- USS Sunfish SS-281 web site
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